イタリア料理店の喧騒の中で目を閉じると,まわりの音がスッと消えて頭に浮かんでくる記憶がある。もう22年前なのに,まるで昨日のようだ。
テキサス
白髪の学部長はコーヒーの入ったマグカップを両手で包むように持って,こう切り出した。
「今から大切なことを言うから気をつけて聞くように。Baylor College of Medicine は,あなたにテニュアトラックの助教授職を正式にオファーする。全員一致だ。教授陣は皆, 君のことが好きで,君に来てほしいといっている。私の妻でさえも,君にヒューストンに来てほしいと言っている。」
テニュアトラック助教授というのは,独立して研究室を運営する助教授。5~7 年後に昇進審査があり,それにパスすれば終身雇用の権利を得ることができる。 しかも,建設中の研究棟の 4 階部分に新しい研究室を自由にデザインしていい。建物外部は完成しているものの,内部は工事中で,壁もなくがらんとしていた。
「このスペースをオフィスにするとどうかな――」 学部長の声がコンクリートに響く。彼の目線を追う ように窓の外を見れば,青空の下で揺れるテキサスフラッグと,涼しげに水しぶきを上げる噴水が見えた。
ここには実験台,こちらには冷温室,ここには試薬棚――Harvard 大学化学科で貧乏ポスドクをしていた 私は,すっかりその気になって学部長に応えた。 「わかりました。ほかの大学からの面接を辞退します。でも,UCSF(University of California, San Francisco) での面接には行かせてください。待ってもらえますか?」
学部長の顔から笑みが消え,眉間に皺が寄った。
「もちろん待とう。でも言っておきたいことがある。 私には息子がいて UCSF の関連病院でドクターをしてる。それでサンフランシスコに行く機会は多い。どうしてみんなサンフランシスコに興味があるんだろう。サンフランシスコの何がいいのだ。ヒューストンのほうがずっといい。」
フライドカラマーリ
とりあえず前祝にディナーへ――学部長のベンツに乗り込み,到着したのは River Oaks という高級住宅地 のイタリア料理店だった。 店内は薄暗く,テーブルにはキャンドルが灯された。いかにも高級店だ。 「まずは前菜にフライドカラマーリ。クリスピーに してくれ。カリカリだ。」
学部長は蝶ネクタイをつけたウェイターにそうオー ダーし,「クリスピーなものが好きでね」と私に向かってウィンクするのだった。 フライドカラマーリとはイカフライのこと。しばら くすると,そのイカフライがやってきた。学部長は1つを口に放り込み,またまた眉間に皺を寄せ,ウェイ ターに言い放った。
“This is not crispy enough. DO IT AGAIN!”
すごい剣幕だ。驚いた。“Yes, Sir”といいながら後ずさりするウェイターはイカフライをさげた。10 分後, 再度やってきたイカフライの 1つを学部長は口に放り込んだ。
“This is crispy. You did a great job. Thank you.”
結局,私は Baylor College of Medicine の独立助教授となった。数年後,生化学部のクリスマスパーティーのことだ。同僚の教員たちとイタリア料理店の長いテー ブルに着席すると,前菜のフライドカラマーリがテーブルに出された。懐かしい。オファーをもらった時の「事件」をほかの教員に話すと,皆はすぐに反応した。
“He did the same thing to me!”
そう,仕込みだったのだ。新しい教員にオファーを 出すたびに,前もってイタリア料理店に話をつけて, 学部長は芝居を打った。
サンフランシスコ
さらに数年後,私の研究室と学部長の研究室の技術 を組み合わせたバイオテクベンチャーがヒュースト ン・サンフランシスコで立ち上げられた。リスクを分 散しながら基礎研究成果の実用化に挑戦する米国的手法,多様なバックグラウンドをもったビジネスマンや 専門家達の自由な発想――新しい考え方と手法だっ た。
サンフランシスコでのビジネス会議のあと,学部長を引退する彼とダウンタウンのシーフードレストラン で食事したときのことだ。彼はまじめな顔でつぶやい た。
「サンフランシスコのシーフードは最高だな。だからサンフランシスコが好きなんだ。サンフランシスコに住むのが夢なのだ――」 やられた。私が矛盾を指摘すると,彼は引き笑いしながら,カリカリのイカフライを口に放り込んだ。
彼は昨年の夏に亡くなった。サンフランシスコの息 子や他の家族に見守られた最期だったそうだ。イラクの貧乏靴屋の息子として生まれ,その才覚が認められ てベイルートのアメリカン大学に入学し,渡米後は脂 質代謝研究で名をあげた。ビオチンの役割の発見,脂 肪酸合成酵素の発見などだ。彼から多くを学んだ。
イタリア料理店の芝居にはどのような意味があった のか。レストランが高級で最高のもてなしだということを伝えたかったのか。指示に従わなかったときの厳 しい一面を見せたかったのか――彼が亡くなった今, 真実は藪の中だ。唯一確かなのは,彼が率いた学部で は若い教員がたくさん活躍し,のちに多くの著名教授 を輩出したこと。人の心と研究センスを知り尽くした 卓越した学部長であった。
博士号というパスポート
若者の海外離れが進んでいるというが,本当だろうか。大企業を飛び出す起業家,外国で活躍する料理人。 海外のどこへ行っても活躍する日本人の若者がいる。 ネット時代,国の境界は薄れ,若者の外国語の能力は 高まってる。減ってるのはサイエンスの留学だけでは ないか。そうならば,日本のサイエンスは置き去りにされるかもしれない。
博士号という学位は世界に通じる。博士号というパ スポートをもって世界に飛び出してみよう。世界には多様な優れた科学者たちがいる。その人たちは新しい考え方や発想をあたえてくれる。それぞれが私たちの 師となりえるのだ。外国という異なる環境・文化の中 で,彼らとのリアルな人間的なふれあいは,頭を柔軟 にし,発想の幅を広くし,チャンスを大きくする。
もちろん,博士号をとる前に世界に飛び出して,外 国で博士号を取得することも可能だ。世界に飛び出すのは,早ければ早いほどいいという考え方もあろう。 しかし,ここで言いたいのは,私のように日本で博士号を取得してから世界に飛び出しても,外国で研究者として,大学教員として,完全に受け入れられるとい うことだ。米国では修士号は「ドロップアウト」の印象がある一方で,博士号は教育を完結した国際的な証 明となりえる。
新型コロナの後は留学も新型になりそうだ。コロナ 前は在学中に短期留学を繰り返す手法が目立った。この方法は学生にある程度のインパクトをあたえた。しかし,コロナ後は,飛行機による移動ばかりの短期留 学旅行は控えられるだろう。年単位のリアル長期留学 と ZOOM によるオンライン留学が主体となるのではないか。リアル留学するなら,長期留学のチャンスだ。
さあ,コロナが終わったら世界に飛び出そう。リアルな世界を味わおう。いろんな人たちに出逢って,自分の力を試そう。日本に職がなければ世界で探そう。 人生は一度だ。思いっきり働こう。そして,気持ちよく風呂に入って眠ろう。するとチャンスが巡ってくる はずだ。
* 外がカリカリで中がチャクチャクのフライドカラマ ーリ。湯気のあがる揚げたてのフライはひとくちで口に入れるのが怖い気がする。でも,いちど口に入れてしまえば慣れるものだ。アメリカで出会った師匠や友人たちの顔をひとりひとり思い浮かべながら口にすると,いろんな味わいがするのだった。
(文・京都大学化学研究所・WPI-iCeMS 教授 上杉志成)
ここに載せた論説は,日本化学会の論説委員会の委員の執筆によるもので,文責は基本的には執筆者にあります。日本化学会 では,この内容が当会にとって重要な意見として掲載するものです。ご意見,ご感想を下記へお寄せ下さい。
論説委員会 E-mail: ronsetsu@chemistry.or.jp
記事掲載について
さて、素晴らしい記事に前置きを入れたくなかったので、下部に記載いたしますが、この論説というものをご存知でしょうか。
日本化学会の「化学と工業」誌に掲載されている記事で、論説委員および論説委員が依頼した有識者が2ページ自由に意見を記載するものです。実は私(代表)も執筆したことがあります(記事:化学の魅力を伝えるために)。
同誌は会員誌なので会員のみしか読めませんが、この論説は毎号分がウェブにPDFとして公開されています。今回(8月号)は、京都大学の上杉先生による論説です。大変おもしろいですよね。
実は本件、「化学と工業のこの論説をぜひ若い学生のみなさんに読んでほしい」という玉尾皓平先生からのご依頼です。
もうそんなに若くない私でもこの会員誌はほとんど開かないため、秀逸な記事にも関わらず、若者は殆ど読んでいないだろうということで、急遽掲載するに至りました。
無料で読めますので、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。希望が多数あればケムステに毎号寄稿いただき連載するかもしれません。
なお、本記事は日本化学会からの寄稿であり著作権は日本化学会にあります。メールのみならずTwitterなどSNSでもぜひ感想をお寄せください。