第271回のスポットライトリサーチは、名古屋大学伊丹研究室 博士後期課程 1 年の松原聡志さんにお願いしました。
伊丹研究室は、世の中の様々な問題に対して答えを出す革新的機能分子「トランスフォーマティブ分子」を世に送り出すことを究極的な目標として、芳香族連結分子の合成手法の開発と、その手法を駆使した医農薬/光電子機能材料/ナノカーボン分子の創製に取り組んでいます。今回、松原さんは、新たな芳香族連結分子を構築する手法を確立し、Nature Catalysis に報告しました。本成果は、プレスリリースとして発表されるだけでなく、海外のウェブメディアでも取り上げられ、国内外で高く注目されています。
Creation of negatively curved polyaromatics enabled by annulative coupling that forms an eight-membered ring.
Satoshi Matsubara, Yoshito Koga, Yasutomo Segawa, Kei Murakami, Kenichiro Itami
Nature Catal. 2020, accepted. DOI: 10.1038/s41929-020-0487-0
松原さんを指導した村上先生 (現 関西学院大学理工学部 准教授) および伊丹先生より、松原さんの人物像について、愛の溢れる素敵なコメントをいただいています。
[村上先生より]松原くんとの付き合いは4年生で一緒に研究を始めた時から、4年目になります。化学の理解が深く、実直な性格である松原くんはずっと頼りにしている学生です。春からオンライン勉強会を行なっていますが、画面越しに松原くんが大きく肯いてくれるのが、僕の心の支えになっています。松原くんがうなずいているなら、僕は間違ったことを言っていないなと安心しながら(笑)、勉強会を進めています。
研究においても、深い理解のもと、極めて自発的に進めています。松原くんのコメントに書かれていますが、反応機構において、何度も査読者から意見がありました。確実な反応機構を示すのは難しい中、少しでも答えるべく目では見えない中間体をいくつも想定し、論理的に可能性を追求していきました。松原くんにとって大変な時期だったと思いますが、一緒に何度もディスカッションを重ねたのはいい思い出です。最後には自ら答えを見つけてくれて、今回の採択に至りました。松原くんでなければ、ここまで議論を深めることは難しかったと思います。
師匠である古賀くんとのチームワークも抜群でした。古賀くんから始まった八員環プロジェクトですが、当時M2の古賀くんとB4の松原くんの二人で手を取りながら進めてくれました。古賀くんが卒業してからは、松原くんがメインプレーヤーとして進めてくれましたが、古賀くんの貢献の大きさもここで申し添えたいと思います。
彼との思い出でいえば、彼は化学の全般に造詣が深く、香料が好きということもあり、1年生の授業用に化学の小ネタを教えてもらったりしていました。毎週、なんかネタない?と聞いていました。僕の授業を受けたことがある方が読者にいるとすれば、その中に松原くんに教えてもらったものが入っています。
研究室の皆から頼られ、可愛がられている松原くんですが、穏やかな雰囲気の奥に垣間見える熱い一面も、彼の魅力です。ぜひ学会などで彼に会った方は話しかけてあげてください。最後になりますが、博士1年になり、研究者として脂が乗ってくる時期です。松原くんのこれからの一層の成長を心から楽しみにしています。
[伊丹先生より]2017年4月、その後現在に至るまで伊丹研に新しいムーブメントを巻き起こすことになる黄金世代6名が4年生として配属されてきました。陽キャラ満開のグイグイ系女子3名と押され気味の闘志秘め系男子3名で、そのコントラストの見事さが忘れられない学年でした。その中でも、松原君はひときわ寡黙な印象でしたが、その中にとてつもない化学への情熱とエネルギーがあることを知りました。そんな彼に託したテーマが「8員環」プロジェクトでした。
6員環(ベンゼン)大好きの私が、7,8員環を含む3次元ナノカーボン分子にも取り組み始めたのがワープド・ナノグラフェンの合成を報告した2013年頃でした。究極的にはマッカイ結晶のような周期性三次元ナノカーボンができたらいいよねと当時の学生たちと夢を語っていました。その後、三次元ナノカーボン合成はなかなか思うように進んでいきませんでしたが、違うチームで研究を進めていた古賀君が8員環が一発でできる新反応を偶然見つけ、状況が変わりました。この反応を磨きに磨き上げ、8員環構築反応の決定版にまで昇華させるとともに、夢の3次元ナノカーボンの創製にまで展開する。この大プロジェクトを託したのが今回の主役、闘志秘め系男子筆頭のスーパースター松原君でした。
松原君の説明にもあるように、反応条件の最適化、生成物の分離・精製、構造決定、適用範囲の調査にとてつもない時間と労力がかかるのみならず、反応機構に迫る様々な機構解明実験を行う必要もありました。松原君は、心が折れそうな状況でも、決して弱音を吐かず、諦めず、来る日も来る日も実験を繰り返しました。反応機構解明研究では仮説の提唱と検証を何通りも何通りも繰り返し、真実に迫っていきました。終わってみるとこの論文はまさに松原劇場。科学者松原君のデビュー作に相応しい、松原君がそのまま表現された作品になっています。145ページにも及ぶSupplementary Informationに松原君の全てが詰まっています。
稀有の研究能力と忍耐力とともに破格の正義感で化学研究に向き合う松原君を心の底から尊敬し、誇りに思います。松原君、おめでとう!
それでは松原さんのインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回私たちは、パラジウム触媒を用いた含八員環ナノカーボンの新しい合成法を開発しました。
ナノカーボンは多彩な物性を示す優れた機能性物質群として注目されており、様々な構造が知られています。さらに既存のナノカーボンには当てはまらない構造体として、八員環構造を含む周期性三次元ナノカーボンも提唱されています。このような周期性三次元ナノカーボンはダイヤモンドに勝る機械的強度、自発的な磁性の発現といった優れた物性をもつことが予測されています。しかし、周期性三次元ナノカーボンの合成は非常に困難です。その難しさの一因が八員環構造にあります。高度に湾曲した八員環は六員環などと比べて熱力学的に不利な構造で、その形成も起こりにくいです。周期性三次元ナノカーボン合成への応用が期待される、二つの平面ナノカーボンを八員環によって連結する簡便な手法は開発されていませんでした。
本研究では含八員環ナノカーボンを直接合成できる新しい手法を開発しました。具体的にはクロロフェナントレン誘導体に対してパラジウム触媒を作用させることで、含八員環ナノカーボンを1段階かつ高収率で得ることができました。八員環によって二つの基質ナノカーボン分子がほぼ直交した状態で連結され、高度に湾曲した構造をつくります。さらに、クロロフェナントレンとビフェニレンの環化クロスカップリング反応が高選択的に進行することを見いだしました。ハロゲン化アリールとビフェニレンがいずれも二量化しうるにもかかわらず、二つの基質が選択的に反応するため、多様な含八員環ナノカーボンの合成に応用できます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
思い入れがあるのは、八員環構造を三つ含む三次元ナノカーボンを合成できたところです。トリクロロトリフェニレンにビフェニレンを作用させることで、三つの八員環構造を有する分子を一段階、高収率で得ることができました。この分子はジアステレオマーの混合物として卒論前に合成できていました。当初は分けるのが大変そうだなと思っていましたが、ヘキサン/クロロホルムのシリカゲルカラムでかなり小さいピークが分離されました。その微量の化合物を1H NMRで分析して、D3の高い対称性を示す5種類だけのきれいなピークが現れたときの感動は忘れられません。卒論直前でラセミ体の結晶構造まで得ることができ、松原にこのテーマを託してよかったと共著者の古賀さんから言ってもらえたことも嬉しかったです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
反応機構の解析に苦労しました。中間体の還元的脱離が速いこともあって、パラジウム触媒を用いた八員環形成のメカニズムは詳細には検討されていないのが現状であり、論文を発表する際の一番の課題でした。反応混合物中のパラジウム錯体を質量分析で観測したり、中間体候補の前駆体を6段階かけて合成したりすることで、時間はかかりましたが反応機構の推定と論文の採択までたどり着くことができました。またこのこともきっかけにして、DFT計算について勉強できたのは良かったです。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は子供の頃から化学が好きで、化学について考え続ける生涯を送りたいと思っています。高校生の頃に所属した化学部で香料にはまり、化学は生活に根付いた身近な学問であると感銘を受けました。その化学によって、我々の暮らしを豊かにすることに携わっていきたいです。また化学の面白さ、楽しさを次の世代に伝えることも担っていきたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ケムステは高校生の頃から拝見しているので、ここで紹介していただけることを非常に嬉しく思います。研究室での生活は楽しいですが、色々悩むことも多い毎日です。このような中でも、実験結果に誠実に向き合い、考察することを続ければ、その努力が色々な人に認めてもらえたり、報われたりすることもあると実感しています。
最後になりましたが、共同筆頭著者である古賀義人さんに感謝いたします。古賀さんが卒業された後にも、多数の助言や励ましをいただいたおかげで本研究を仕上げることができました。また村上慧准教授の日頃の細やかなご指導に感謝いたします。改めて、今年の秋から関西学院大学にて研究室をスタートさせること、本当におめでとうございます。そして伊丹健一郎教授には私の研究生活を精神的にも支えていただいております。この場を借りて御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前:松原 聡志 (まつばら さとし)
所属:名古屋大学理学研究科物質理学専攻(化学系) 有機化学研究室(伊丹研究室) 博士後期課程1年
研究テーマ:三次元ナノカーボンの合成
(左)松原 (右)共同筆頭著者の古賀さん
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