第266回のスポットライトリサーチは、東北大学大学院薬学研究科 中林研究室 修士二年生の杉村 俊紀(すぎむら としき)さんにお願いしました。
中林研究室は、分光学的な手法を駆使して細胞や生体分子の分子論的な理解を目指している研究室です。自作のレーザー顕微鏡をはじめとして、数々の独自の分光技術を開発されています。
今回ご紹介いただける内容は、なんと生体内の温度分布の情報を、水分子を温度計として利用してマッピングできたという成果です。軸となっている分光技術は “顕微ラマン分光” で、分子科学に基づく地に足ついた分子の理解と、分光技術の専門性を上手く融合した生体分析手法だと感銘を受けました。Angew. Chem. Int. Ed.誌に原著論文として公開され、東北大学からプレスリリースされています。
“Label-Free Imaging of Intracellular Temperature by Using the O–H Stretching Raman Band of Water”
Toshiki Sugimura, Shinji Kajimoto, and Takakazu Nakabayashi*, Angew. Chem. Int. Ed. 59, 7755-7760 (2020), doi: 10.1002/anie.201915846
指導にあたっている中林 孝和(なかばやし たかかず)教授からは、杉村さんに向けて以下のコメントをいただいています。
杉村君は、とにかくやりきる力がすごいと感じています。この研究はとても険しい難所が幾つかあり、これ以上は無理かな、と思う場面が多々ありました。しかし、杉村君はそこで諦めることなく、淡々と黙々と研究に取り組み、実験のプロトコルや解析方法に改良を加え、十分な成果としてまとめることができました。次年度からはメーカーに勤務と、新たな世界に旅たちますが、研究室での経験と研究室で得た研究の力は、新しい世界でも十分に役に立つと確信しています。新天地で活躍するコツとして、今までの成果を一旦リセットすることも重要かと思います。謙虚に、しかし自信を内に秘めて頑張って欲しいなと思います。
それでは、杉村さんからの臨場感あふれるメッセージをご覧ください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
私は今回、単一の細胞内の温度をラベルフリーで測定する新規手法を開発しました。私達は日々の体温測定を通して自身の健康状態を判断しています。それは、体温と健康状態の間に密接な関係があるからなのですが、実はこのことは生物の最小単位である単一細胞においても同じです。細胞内の温度は細胞内で生じる様々な生命現象と密接に関わっているために、細胞内温度は細胞の状態を理解する重要なパラメータと考えられています。
細胞内温度の測定法としては、最近では、温度によって異なる蛍光を発する温度感受性の蛍光色素を用いる方法が盛んに行われています。しかし、この手法には、細胞を蛍光色素で染色する前処理が必要であったり、蛍光色素を細胞内に入れることで細胞内の環境が変化したりといった問題点がありました。また、蛍光が温度以外のパラメータ(例えば、細胞内の粘度、極性、pH)の影響を受けてしまい、得られる測定結果が不正確となってしまう危険性も存在します。このような背景から、細胞内温度を無標識で測定する手法の開発が求められていました。
そこで本研究では、細胞内にもともと存在する分子である「水」に着目しました。水分子の間で形成される水素結合の強さは、温度に依存して変化するということが古くから知られています1。この水素結合の強さの変化をとらえることで温度を推定できるのではないかと私達は予想しました。水分子を用いることで染色が不要となり、さらに、細胞内のあらゆる場所に水が存在するために、細胞の全領域を観測することができます。また当たり前のことですが、水中の水分子の濃度は極めて高いため、pHや粘度といったパラメータの影響を受けにくいと考えられます。
水分子間の水素結合の強さを測定するために、私たちは振動分光法の一つであるラマン分光法を用いました。得られたラマンスペクトルについて、水分子の酸素と水素原子の振動を表すO−H伸縮振動に由来するラマンバンドに着目して解析を行うことで、水のO−H伸縮振動バンドの形状を用いた水の温度検量線を取得することに成功しました(図1)。得られた温度検量線を用いることで、薬剤の添加に伴う細胞質内の温度上昇を測定・可視化することに成功しました(図2)。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
細胞内温度測定もそうですが、生化学や薬学の領域において最も使用される分光学的手法は蛍光分光法であり、ラマン分光法の活用、応用はまだまだ少ないように感じています。そのために、蛍光分光法(蛍光色素)には無い、ラマン分光法ならではの利点を示すことができるように実験系や解析系を工夫しました。
例えば、本記事ではお示ししていませんが、細胞内温度の測定と細胞内における薬剤分子の動態の同時追跡を行いました。図2で述べたFCCPという薬剤の分布を調べたところ、細胞質内で高濃度に濃縮されるという結果を得ることができました。蛍光色素で同じように細胞内温度と薬剤分子の動態追跡を同時に行うには、複数の蛍光色素を用いる必要があり、励起波長や観測波長といった実験条件の詳細な検討が必要です。また、薬剤分子に蛍光標識をしてしまうと、蛍光標識部分の影響を受けて薬剤本来の動態が失われてしまう危険性があります。今回使用したラマン分光法は分子の振動を観測する手法であり、観測したい分子に対して標識を行う必要がないことから、薬剤分子と細胞内温度の同時追跡のような実験を行うことができます。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
図2でもお示しした細胞の温度イメージングには実験方法、解析方法の面でかなり苦戦しました。同一細胞で薬剤添加前後のラマンイメージングを測定するために、顕微鏡上で薬剤の添加操作を行う必要があったのですが、手の震えからピペットマンの先端がディッシュに当たってしまい、細胞を見失ってしまうことが頻発しました。空のディッシュを用いて、さながら筋トレのごとく顕微鏡上で何度も添加操作を行い、体に動きを染み込ませました。この練習によって手の震えをコントロールできるようになり、同一細胞について薬剤添加前後のラマンイメージ測定が可能となりました(笑)
同一細胞の測定が可能となって次に立ちはだかったのが、スペクトル上に出現するノイズ成分を如何にして取り除くかという問題でした。ラマン分光法には、シグナル強度(ラマン散乱強度)が微弱であるという弱点が存在します。これにより、得られたラマンスペクトル上にノイズ成分が多く現れてしまい、正確な温度を見積れないために細胞の温度イメージを取得することができませんでした。数か月に及ぶ試行錯誤の結果、FCCP添加前後の細胞のラマンイメージングのデータを全てまとめて統計解析にかけるという解析方法を思いつきました。これにより、温度に関する情報を消去することなくノイズ成分のみを選択的に除去することが可能となり、温度イメージの作成に大きく貢献しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
世界中の患者さんを救うような医薬品の創出に貢献したいと考えています。私は来年度から製薬企業で研究員として働き始めます。研究活動の中で身に着けた物理化学、分光学の専門性を活かしつつ、データサイエンスや有機化学、生化学といった分野についても知識の幅を広げることで様々な専門性を有する方々と協働し、新薬の創出という大きな課題に取り組んでいきたいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
大学での研究は、時間(在学期間)やお金(研究費)という制約はあるものの、自分自身が納得するところまで如何様にも追求、深化できるものだと思っています。私自身、大学で研究できるのは残り半年程度ですが、現在興味・関心を持っているテーマ(生細胞内における薬剤分子のラベルフリー動態追跡)についてとことん追求して取り組み、「俺はやりきったんだ」と思えるような成果を生み出して参りたいと思います。
最後になりますが、日頃からご指導ご鞭撻を賜っている中林先生、梶本先生をはじめとする研究室の方々、並びに本研究を紹介する機会を下さったChem-Stationの皆様方に対し、深く御礼申し上げます。
参考文献
- Walrafen, G. E. Chem. Phys. 1967, 47, 114-126 DOI : 10.1063/1.1711834.
関連リンク
- 東北大学大学院薬学研究科 中林研究室
- プレスリリース:細胞中の温度を無染色で画像化する技術の開発 ~「細胞内の水」を用いる画期的方法~
研究者の略歴
プロフィール:
名前: 杉村 俊紀(すぎむら としき)
所属: 東北大学大学院薬学研究科 生物構造化学分野(中林研究室)博士課程前期2年
専門: 単一細胞分光、ラマン分光、生物物理
略歴:
2015年3月 静岡県立浜松北高等学校 卒業
2015年4月 東北大学薬学部 入学
2019年3月 東北大学薬学部創薬科学科 卒業
2019年4月 東北大学大学院薬学研究科 分子薬科学専攻 進学
受賞歴:
第57回 日本薬学会東北支部大会 優秀ポスター賞
第139回 日本薬学会年会 学生優秀発表賞(口頭発表)
第57回 日本生物物理学会年会 学生発表賞(ポスター発表)
第13回 CSJ化学フェスタ2019 最優秀ポスター発表賞(CSJ化学フェスタ賞)