第267回のスポットライトリサーチは、東北大学大学院工学研究科 バイオ工学専攻 三ツ石研究室 助教の山本 俊介(やまもと しゅんすけ)さんにお願いしました。
山本さんは今年の3月までケンブリッジ大学のMalliaras研に一年間留学されていました。インタビューでも触れられますが、高分子化学のバックグラウンドを持つにもかかわらず、電気工学の研究室に在外研究されています。分野を横断しながら、ご自身のバックグラウンドを上手く織り交ぜて各所で精力的に活動されているのが印象的で、今回スポットライトリサーチにて研究の紹介をお願いしました。
今回紹介いただける内容は、その在外研究中の成果で、イオン電導性の高分子を利用して、神経の動作を模倣した電子素子を作製したという報告です。本成果は、ACS Appl. Electron. Mater.誌に原著論文として公開され、東北大学からプレスリリースされています。
“Controlling the Neuromorphic Behavior of Organic Electrochemical Transistors by Blending Mixed and Ion Conductors”
Shunsuke Yamamoto* and George G. Malliaras*, ACS Appl. Electron. Mater. (2020), doi: 10.1021/acsaelm.0c00203
PIとの共著で著者二人。一年足らずの滞在期間で、しかも異分野からの参戦でしっかり成果を残されているあたり本当に素晴らしいです。それでは、山本さんからのメッセージをご覧ください! 異分野横断しているからならではの経験から、示唆に富むコメントをたくさんいただけています!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
皆さんご存知の通り、生物の脳は極めて高度な情報処理を、とても高いエネルギー効率で実現しています(この文を「読む」ことができるのも脳のおかげですね)。今我々が使っているスマホやコンピュータなどは大きく発展してきたとはいえ、まだまだ情報処理能力は脳の足元にも及びません。この研究は「脳の持つすぐれた情報処理能力に学んだ、電子素子を実現すること」がゴールです。このような、「ニューロコンピューティング」の研究は、ソフトウエア・ハードウエアの両面から盛んに行われています。ソフトウエアからのアプローチでは囲碁AIの「AlphaGo」や数々の将棋AIなどが有名なように、いわゆる「人工知能」の分野があります。一方でハードウエア的なアプローチも様々な検討が行われています。今回はそのような「神経のような動きをする電子素子」をハードウエア的に実現する方法(1,2,3)に関する研究を紹介します。
脳の神経回路を構成するシナプスの動作を模倣し、「神経のような動きをする」電子素子を「神経模倣素子(Neuromorphic Device)」と呼びます。神経模倣素子は入力端子と出力端子を持つ素子で、入力側への入力頻度によって出力側への信号伝達効率が変化する特徴を持ちます。これは通常の電子素子、例えば抵抗器を考えてほしいのですが、抵抗器では抵抗値は決まった一意な値を取ります。電子パーツのお店に行っても「100 kΩの抵抗」というように抵抗値がスペックとして与えられているはずです。これは(定格値の範囲で)どんな入力をしても抵抗は100 kΩである、という意味であり「入力頻度によらず出力側への信号伝達効率が変化しない」と言えます。一方で「入力頻度によって出力側への信号伝達効率が変化する」とは、例えばこの抵抗器の例では、入力に応じて抵抗値が変化することを意味します。典型的な例として、様々な周波数のパルス状の電圧入力を考えましょう(図1)。例えば高周波(パルス間の間隔が短い)入力と低周波入力をしたときで出力される電流値が異なる=信号伝達効率が変化するような性質を持ちます。これは正にシナプスで行われている情報伝達と類似していて、神経動作を模倣したことになります。ある意味で「抵抗器としては全くの不良品」の素子ですが神経模倣素子としてみれば望ましい動作です。
勘違いされやすいので補足しておきますが、神経模倣素子とは特定の素子構造や方式のことを指す言葉ではなく動作に注目した名称です。つまり「神経のように動く」素子であれば何でも構いません。極端な話、ピタゴラ装置みたいなもので神経模倣動作を実現しても(それは「素子と言えるか?」という別の問題はありますが)このカテゴリに入ります。
我々は中でも導電性高分子を用いた電気化学トランジスタ(図2)という電子素子に注目し、これを神経模倣素子として駆動させることを目指しました。電気化学トランジスタでは電子とイオンの両方を輸送する「混合伝導体」を活性層(チャネル)として用います。このチャネル層へのイオン注入・抜き出しを、ゲート電極に印加する電位によって制御することでチャネルのドーピング状態を変化させ、最終的にソース―ドレイン電極間の電気伝導率を変調する電子素子です。水中動作可能、フレキシブル化が容易など優れた特長を有する電気化学トランジスタ型の神経模倣素子ですが、その動作原理は必ずしも明らかではありません。特に電気化学トランジスタにとって重要な、「素子中でのイオンの拡散挙動と神経模倣動作の関係」が明確ではなく、応用にとって重要な設計指針が立てられない状況にありました。
そこで我々は、この分野で広く使われる導電性高分子PEDOT:PSSに、イオンのみを伝導するイオン伝導性高分子PSS-Naを混合した素子を作製し、電気物性評価を行いました。例えば図2に示す、神経模倣素子で良く行われるPPD(Paired-pulse depression)測定では2本の電圧パルス(入力1と入力2)を様々な時間間隔で素子のゲート電極に入力しながらドレイン電極からの出力信号を観測しました。その結果、入力間隔が短い場合には入力2が到達した時点まで入力1の情報が「記憶」されていましたが、入力間隔が長くなると徐々に入力1のイベントが「忘れられて」行く様子が分かります。この、忘れられるまでの時間(=情報保持時間)はイオン伝導性高分子PSS-Naの添加に伴って短くなることが明らかになりました。PSS-Naを添加することでチャネル内のイオン拡散を早くなることを別の実験から確認しましたので、素子内での情報保持がイオン拡散によって決定づけられていることが結論として得られます。このように本研究では、神経模倣素子の応答速度を自在に制御するための方針を見出すことに成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
この研究は在外研究(2019.3-2020.3)の成果です。しかも高分子化学のバックグラウンド(4)を持つ私が電気系の研究室にお邪魔して進めたテーマですので、論文の中身にあるデータ取りや議論といった細かい個々の「戦術」よりもこのテーマ自体を選んで着手したところ、要は手を動かす前に「これをやろうと思った点」という点が一番の工夫かと思います。かなりメタな話で「化学」との関係性にも深くかかわってくるのでこの点、くわしく以下のQ4で触れます。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
異分野とのコミュニケーションの取り方ですね。お邪魔していた研究室はバイオエレクトロニクスを扱う電子工学の所属ではありましたが、メンバーのバックグラウンドは様々でした(5)。有機系神経模倣素子の分野は日本では全然メジャーではないので情報収集のために在外研究に出たのですが、世界的に見てもこの分野は発展途上であることが良くわかりました。例えば用語の定義が統一されていないことで、同一の言葉を個々人が別の意味で使っていたりして、まさに「言葉が通じない」場面がありました。このことに気づいたことが個人的なブレイクスルーです。つまり、上記に気づくまでは「私が理解できてないのは私の知識不足or/and英語力不足」と思い込んでいました。しかし、よくよく話を聞けば「みんな分からない中で手探り状態なのか」と気づき、大層気が楽になったのを覚えています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
ここまでこの記事を読んでいて「これって化学なの?」と思った方も多いと思います。(安心してください、書いてる本人もそう思ってます。)一方で、この研究を進める上では自分のバックグラウンドである、高分子化学や界面化学の知識をふんだんに使っています。今回の滞在先ではケミストは少数派で、研究室内で化学関係の質問があると私にお鉢が回ってくる感じでした。そういうことを体験してみると、化学「を」研究するのではなく、『化学「で」研究する』ことの面白さに改めて気づいた次第です。一方で、化学の人が入ればもっと面白い研究になるのになぁ、という分野が多いとも感じました。そういった意味で「化学自体の深掘り」に加えて、なるべく多くの研究者に「化学」を使ってもらえるようにすることも意味があるのかと思いました。
ではどうすればよいか、が大事なのですが私も現時点では答えを持ち合わせていません。ですがまずは「ちゃんと教科書を読みなおす」ことが大切かなと思いました。Q3でも言及しましたが、用語の定義は議論の上で極めて重要です。特に異分野の人と話をする上では定義に忠実な言葉遣いが正確な意思疎通に重要であると痛感しました。化学式や高度な専門用語を使った議論は化学者同士では威力を発揮し、また異分野の人と一対一の熟議に限ってはある程度有効でしたが、分野外の複数の人との議論で流通させるには思った以上に無力でした。そうなると「論理と言葉」しか頼れるものがなく、化学的な概念を的確に「翻訳」することを求められたことが多かったです。そういう意味で教科書やIUPAC bold bookに帰って用語の定義自体や論理の枠組みを再確認することが「基礎体力作り」として重要かと思いました。その上で私の場合は、「化学を使って」神経模倣素子やバイオエレクトロニクスの研究を進めていければと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
助教6年目の年齢まで在外研究の経験がなく(かつては海外学振に複数回落ちたこともありました)何となく「出遅れた感」を持っていましたが、この年で海外に行ってみても得るものはかなり大きかったです。むしろ、自分の「ホームグラウンド」がきちんとある状況で新たな環境に飛び込むことができたことは自分にとって(そして望むらくは先方にとっても)プラスに働きました。特に、既存の他分野へ「アウェイ戦」に出かけるのではなく、フィールド自体が確立されていない未開拓分野に飛び込んだ点が大きかったです。もともと旅行好きで、中央ユーラシア地域の交易史にも興味がある私としては、この研究に対して「交易」の原風景のようなイメージ、つまり地平線しか見えないような何もない原っぱに各地の特産品を持ち寄って取引を始めるようなイメージを抱きつつ取り組めたことはテンションの上がるポイントでした。
加えて人のつながりにも感謝です。応用物理学会の分科会幹事をしていた際に今回お世話になったMalliaras先生のことを知り、幹事の先生方や学生時代からの友人ネットワーク(有機デバイス院生研究会でつながった皆さんをはじめ多くの方々)にお世話になりつつ今回の在外研究が実現することになりました。在外研究中にも様々な人のお世話になりました。研究室メンバーはもちろんのこと、さすがケンブリッジというべきか世界中から同じような在外研究者が滞在していて、彼らと腰を落ち着けて情報交換できたのは学会出張でちょっと話すのとは段違いの経験でした。皆様本当にありがとうございました。
関連リンク
- University of Cambridge: Bioelectronics Laboratory (Prof. George Malliaras)
- プレスリリース(日本語):高分子を用いた神経模倣素子の応答速度制御に成功 「神経のような動き」をする電子部品の実用化に向けて
- プレスリリース(英語):Ion Conducting Polymer Crucial to Improving Neuromorphic Devices
- 山本俊介 『グローイングポリマー 「両利き」を目指して』 高分子 68, 9, 499 (2019).
- 山本俊介 『ケンブリッジへの滞在と帰還』 多友会だより (2020).
研究者の略歴
プロフィール:
名前:山本 俊介
所属:東北大学 大学院工学研究科 バイオ工学専攻 助教
専門:高分子超薄膜、有機エレクトロニクス、神経模倣素子
略歴:
2003年3月 私立 六甲高等学校(現、六甲学院高等学校) 卒業
2003年4月-2007年3月 京都大学 工学部 工業化学科
2007年4月-2009年3月 京都大学 大学院工学研究科 高分子化学専攻 修士課程
2009年3月-2012年3月 京都大学 大学院工学研究科 高分子化学専攻 博士課程
2009年3月-2012年3月 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2012年3月-2013年3月 京都大学 大学院工学研究科 博士研究員
2013年3月-2020年3月 東北大学 多元物質科学研究所 助教
2019年3月-2020年3月 英国 ケンブリッジ大学 訪問研究員
2020年4月-現在 東北大学 大学院工学研究科 バイオ工学専攻 助教