本連載では、生命体を特別視する “生気説” が覆されたことにより、有機合成化学の幕が開いたことについてお話します。そして化学の理論の発展に伴い、天然に存在するほとんどすべての分子が合成できるようになったことについて俯瞰します。最後に、現代では有機化学と無機化学の境界を超えて、合成化学者は自然界にない新しい分子を次々と生み出していることを紹介します。
はじめに –有機化学ってどの辺が有機的 (生命的) なん?-
私たちの暮らしの周りには医農薬、染料、香料あるいはプラスチックなど、様々な化学製品が溢れています。端的に言えば、それらの物質は「フラスコ中の化学反応を用いて分子を創造する手法」である有機合成化学の力で作られています。分子は、物質としての性質 · 機能を有する最小の構造体であるため、有機合成化学は原子レベルでのモノづくりと位置付けることができます。1,2
解熱剤であるアセチルサリチル酸を作る反応式. 有機合成化学は原子レベルでのモノづくりである
先ほど例に挙げた物質の中で、胃農薬や染料、プラスチックなどは多くの場合 有機化合物に分類されます。これは、「有機化合物とは炭素や水素を主な構成成分に含む化合物である」という定義に基づきます。しかし歴史的には有機化学は、生命体から得られる物質·分子を科学的に取り扱う学問でした。いつから有機化学は「生命体から得られる物質をあつかう学問」という枠を超えて、人工の化合物などを作り始めたのでしょうか。
今回の連載では「生命の科学としての有機化学」がどのように発展して今に至るのかを、歴史に沿ってに紐解いていきたいと思います。なお、本連載は前編と後編からなっており、本記事である前編では化学史の発展に沿って分子説について説明し、次回の後編は大学レベルの有機化学および最先端研究への導入を高校生でもわかるように伝えることを目標とします。
生命から取れる物質には神秘の力が宿る【古代1】1
科学的根拠はないものの、人類は自然界に存在する分子を古代から活用してきました。例えば、「発酵」は古くから知られている化学的現象です。お酒やビール、ワインは 1 万年前にはすでに人類に愛好されていたそうです。「酔い」という心地よい気分をもたらすアルコール飲料は、当時の人々にとって神秘的な存在でした。人類が自然界に存在する分子を利用していた例として、医薬品も挙げられます。3500 年ほど前の古代エジプトではヤナギの木が解熱や鎮痛作用があるとして、その樹皮を煎じて薬を作っていたというレシピが残されています。
発酵は古来から人類に利用され来た化学反応. お酒は酔いをもたらすため神秘的と考えられた.
以上のことは、「生命体が作りだす物質には特別な力が宿されている」という「生気説」を生み出しました。その「生気力」を探求することは、有機化学の研究のモチベーションとなっていたと考えられます。しかし、有機化学が科学として発展していくには、18 世紀以降に原子論が確立されて以降になります。というわけで、目に見えない原子や分子の存在がどのようにして考えられるようになったかを、古代から振り返ってみましょう。
自然哲学からのアプローチ 【古代2】3
古代ギリシャでは、より少ない原理で世界を説明しようとする自然哲学が発展しました。さらに「世界には万物の根源が存在する」と主張する自然哲学者が現れました。その万物の根源は元素と呼ばれ、何が元素としての役割を果たすかについて、様々な自然哲学者は独自の考えを示しました。例えばタレスは「水が万物の起源である」とし、アナクシメネスは「空気の濃淡により万物の差を表現できる」と考えました。
そのようななか、デモクリトスが原子論を主張しました。原子論によると、あらゆる物質は原子と呼ばれる数種類の最小要素から構成されているとされます。そして、世界は原子と空虚に分類できて、原子が運動するための空間として空虚があるとしました。そもそも「原子(atom)」は、「分割できない」という意味であり、それよりも小さいものは存在せず、それが壊れたりすることはないとされました。「世の中に多様な物質が存在するが、その様子が移り変わっていくのは、原子の組み合わせが変化するからであり、原子そのものは変化しない」というのが原子論の主張です。
古代ギリシャ哲学者のアナクシメネスは空気が万物の根源だと考えました. アナクシメネスの絵は Wikipedia から, デモクリトスの絵はこちらから引用.
当時、この原子論に科学的な根拠はありませんでしたが、これは現代の知識においても正しいと認められています。以前までは、神話に基づいて世界の説明がなされていたため、ここで化学に対する科学的アプローチが芽生えたと言えます。
錬金術としての化学 -金になれ!- 【中世】3
中世エジプトでは錬金術の研究がなされました。錬金術とは、鉄や銅などの酸化されやすい金属 (卑金属) を金や銀に変える技術です。このような活動は 7 世紀後半からアラビア、スペインを経てヨーロッパに伝わっていき、15 世紀頃まで続いたものの、結局当時の科学者は卑金属から金を作り出すことはできませんでした。
実験事実に基づく化学【近世】3
上でお話ししたような錬金術の研究は、現代からすれば無謀な試みだといえます。しかし当時は原子そのものが発見されていないばかりか、まだ化学の基本原理が科学的に確立されていなかったため、私たちは当時の科学者を笑うことはできません。実際に、錬金術の研究は無駄ではなく、分析技術や実験技術の進歩に貢献しました。科学としての化学の基本原理が発展するには、18 世紀にラボアジエが「質量保存の法則」を発見するのを待たねばなりませんでした。というわけで、18 世紀の科学者がどのように化学の基礎を発展させたかを紐解いていきましょう。
物質の変化は原子の組み合わせの変化に過ぎない
1774 年フランスのラボアジエは、密閉容器中で空気とスズを加熱する実験により、「物質が化合しても分解しても物質全体の質量の和は変わらない」という事実を発見しました。これは、「質量保存の法則」と呼ばれる化学反応の基礎的な原理です。これ以降、実験事実により化学的諸法則が次々に発見されることになります。
質量保存の法則. ラボアジエの絵は Wikipedie より引用.
まず1799 年フランスのプルーストは、鉄などの鉱物や化合物を分析することにより、「天然の物質も人工の物質も、同じ物質であればその組成が一定である (定数比例の法則)」ということを発見しました。これは「原子の組み合わせによって物質が作られる」という原子論の概念を肯定するものでした。さらに、人工的に天然物を作り出せる可能性を示唆したと言えます。
さらに、1803 年ドルトンは化合物の組成についての実験を行い、「A と B の2つの元素からなる2 種以上の異なる化合物があるときは、A の一定量に対する B の量は簡単な整数比になる (倍数比例の法則)」ことを発見しました。
倍数比例の法則. ドルトンの絵は Wikipedie より引用.
以上の 3 つの法則からドルトンは “実験事実に基づく” 原子説を提唱しました。それは
⑴ 単体も化合物もすべて原子からできている
⑵ それぞれの元素の原子は固有の質量と大きさを持っており、分割できない
⑶ 化合物は原子が一定数結合したものである
⑷ 物質の変化は原子の組み合わせの変化だけである
ということです。こうして原子に関する新しい概念が普及しました。
このドルトンの原子説を支持する法則として、ゲイリュサックが気体の反応に関する法則も発表しました。それは、ある2種類以上の気体が関与する反応では、生成したり消費されたりする気体の体積が、一定の圧力や温度の条件のもとでは簡単な整数比になるというものです。ドルトンの倍数比例の法則は質量に注目したものでしたが、ゲイリュサックは気体の体積にも話を拡大できるのではないかと提案したわけです。
気体反応の法則. ゲイリュサックの絵は Wikipedia より引用.
原子説は水の発生反応を説明できない
しかしゲイリュサックの気体反応の法則は、原子説を完全に支持するものではありませんでした。なぜなら水蒸気が発生する反応では「酸素 : 水素 : 水蒸気 = 1 : 2 : 2 」だからです。この体積比に原子説を適用すると下の図のようになり、原子の分割 (下図 (a)) か、酸素原子の生成 (下図(b)) を考えねばなりませんでした。この水蒸気の発生に関する実験事実は、ドルトンの原子説に反していると考えられました。
ゲイリュサックの気体反応の法則と原子説との矛盾. 酸素 1 体積と水素 2 体積から水蒸気 2 体積が生じることを説明するには、(a) 酸素原子の分割か、(b) 酸素原子の生成を考える必要があった.
単体も化合物も全て分子からできている
水蒸気の発生反応の矛盾を解決したのが、イタリアのアボガドロです。彼は「酸素や水素のような単体も、水のような化合物も全て分子からできている。」と考えました。そして「分子は幾つかの原子が結合してできており、反応のときに原子にまで分割されるのだ」と説明しました。つまり、酸素や水素は二つの原子からなる分子であり、水は1つの酸素原子と2つの水素原子からなるならば、気体反応の法則を満足できるのです。そしてアボガドロはゲイリュサックの仮説を訂正し、「同温·同圧·同体積の気体中には同数の分子が含まれる」という分子説を 1811 年に発表した。これは現在では正しいことが証明され、アボガドロの法則と呼ばれています。
アボガドロの分子説による気体反応の法則の訂正。この方法では原子の分割や生成を考える必要がなく、ドルトンの原子説を肯定できる. アボガドロの絵は wikipedia から引用.
というわけで今回の記事では古代の実験手法によらない原子説がどのように洗練されて、分子説を作り出したかをお話ししました。次回以降の記事では、「生気力が宿る」とされていた生命体が作り出す化合物すらも分子でできていることが発見された経緯をお話しし、現代の有機化学まで一気に俯瞰したいと思います。
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参考文献
- Nicolaou, K. C.: Montagnon, T., In MOLECULES THAT CHENGED THE WORLD -A BREIF HISTORY OF THE ART AND SCIENCE OF SYNTHESYS AND ITS IMPACT ON SOCIETY, WILEY-VCHVerlag GmbH & Co. KGaA, Weinheim, 2008, 366
- Clayden, J.; Greeves, N.; Warren, S,; Wother, P., 「ウォーレン有機化学 (上)(下)」, 野依良治ら訳, 東京化学同人, 2003.
- 星野達也, 「改訂版フォトサイエンス化学図録」, 増田達男ら編, 数研出版, 2013.
- 画像素材について特にことわりのないものは, 次の画像サイトから引用しています. (a) https://www.photo-ac.com/ (b) https://www.shutterstock.com/ja/home