第236回のスポットライトリサーチは、東京大学生産技術研究所 石井研究室で博士研究員をされていた、服部 伸吾(はっとり しんご)先生にお願いしました。服部先生は現在は横浜市立大学 篠崎研究室で助教を務められています。
石井研究室では、様々な光機能性材料、主にキラリティに注目した様々な現象や材料の創成を得意にされていて、原理解明を含めて精力的に研究を推進されています。
今回紹介いただける内容は、ロータリーエバポレーターで濃縮する際の回転方向で会合体のキラリティを制御するといった成果です。見つけた現象の面白さももちろんですが、フラスコ内の流体力学まで考えて原理を踏み込んで突き詰めて検討し、学理の構築まで至った本当に素晴らしい成果でAngew. Chem. Int. Ed.誌に公開されています。東京大学からプレスリリースもされており、日本経済新聞やEurekAlert!にも取り上げられています。
“Chiral Supramolecular Nanoarchitectures from Macroscopic Mechanical Rotations: Effects on Enantioselective Aggregation Behavior of Phthalocyanines”
Mizuki Kuroha, Shohei Nambu, Shingo Hattori, Yuichi Kitagawa, Kazuhiro Niimura, Yuki Mizuno, Fujihiro Hamba, Kazuyuki Ishii,
Angew. Chem. Int. Ed., 2019. DOI: 10.1002/anie.201911366
展開されている徹底的な議論に感銘を受けました。興味のある方は是非Supporting Infoまで見てみてください。
石井和之 教授からは、服部先生と本研究テーマについて以下のようなコメントをいただきました。
石井研究室は、生命のホモキラリティーに関連した現象について研究を行ってきており(有機化合物の磁気キラル二色性、Angew. Chem. Int. Ed., 2011, 50, 9133.)、
今回の研究は、多くの大学院生・研究員が関わってきたメインテーマの一つとなっています。
服部博士は、修士課程から石井研配属となり、博士号取得後、2年間の研究員を経て、現在は横浜市立大学の助教となっていますが、
石井研では、南部くん、黒羽さんを育て、キラリティー研究を発展させながら、本研究をリードしてきました。
服部博士は、ロータリーエバポレーターの蒸発速度で超分子キラリティーを制御(Chem. Commun., 2017, 53, 3066)したり、
キラル超分子が自発的に回転する分子ゼンマイを作る研究(J. Phys. Chem. B, 2019, 123, 2925)も行っています。
今回の研究とあわせて、これらの論文をお読みいただくと、キラル化学の新展開を感じられるかと思います。
それでは、服部先生からの情熱あふれるメッセージをご覧ください!
Q1. 今回のプレスリリース対象となったのはどのような研究ですか?
ロータリーエバポレーターを使用して、フタロシアニン分子の単量体を含む溶液を濃縮することにより、右巻きまたは左巻きにねじれたキラル会合体の合成に成功しました。キラル触媒を用いずに、マクロな機械的回転に応じて、高い再現性で合成できた点がポイントです(図1)。
分子は、その構造の鏡像と重ね合わすことができない性質(キラリティー)を示すことがあり、医薬品や材料の開発などにおいて極めて重要です。最近、マグネティックスターラーなどのマクロな機械的回転を使用した渦運動によって、超分子または高分子をねじってキラリティーを発現させる例が報告されており、生命のホモキラリティー起源の候補であることやキラル触媒を用いない不斉合成法などの観点から注目を集めています。一方、ロータリーエバポレーターのマクロな機械的回転を使用したキラル化合物の合成例も報告されていましたが、再現性が低く、キラリティーを誘起する機構も不明でした。今回、フタロシアニン薄膜を作製することにより高い再現性でキラル会合体の合成を実現し、フラスコ内流体運動のシミュレーションと分光学的に決定された会合体のねじれ構造を照合することにより、キラル選択機構を提案しました。
今回の発見は、マクロな機械的回転(~10-1m)とナノスケールの分子キラリティー(10-7~10-9m)に結びつけている点から(図2)、新しい科学分野となりえるだけでなく、生命のホモキラリティー起源を考える上での手がかりも提供しました。さらに、キラル触媒を用いない不斉合成法やキラル光学材料へ調整する方法へと発展することが期待できます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究は、多くの共同研究者の分担と協力により成り立っております。その中で私は、主としてキラル選択機構の提案を担当しましたが、これについてはこだわりました。本実験では、反時計回り回転で作製した薄膜のキラリティーは、メタルフリーフタロシアニン(H2Pc)の場合は右巻き、パラジウムフタロシアニン(PdPc)の場合は左巻きになります。シミュレーションにより、反時計回り回転で生じる流体運動は右ねじれであることが明らかとなったため、H2Pcは流体のねじれに依存し、PdPcは別の要因(薄膜形成時のフラスコ底面のずり)であると説明できます。マグネティックスターラーを用いたキラル誘起実験から、H2Pcの方がキラル誘起されやすく、流体のねじれに従いやすいことが明らかとなりました。ここで、(1)H2PcとPdPcのキラル選択機構の違いは、何の違いを反映しているのか、(2)H2Pcはなぜ・どのようにして流体運動によってキラリティーが選択されるのか、(3)マグネティックスターラー回転停止後のキラル消失機構はどのようにして説明されるのか、この三点は、実験結果に即した解釈を得るために何度も石井先生とディスカッションをしました。因みに、(1)は分子の対称性の違い、(2)は流体のねじれにより片方のキラル会合体形成への活性化エネルギーが下がること、(3)はラセミ体がエントロピーの観点からより安定であり、回転停止後はラセミ体へ遷移することにより説明されます。ご興味のある方は原著論文をご覧いただけると幸いです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
私の直属の後輩の南部君(当時大学院生)が、ロータリーエバポレーターの回転によるフタロシアニンのキラル合成に取り組んでいました。その当時はロータリーエバポレーターを用いたキラル合成例はポルフィリンキラルJ会合体のみであり、その再現性も低かったことから、何から手を付けるといいかすら分からない状況からのスタートでした。幾つかの分子で様々な条件で根気よく検討し、均一なPdPc薄膜を作製することにより、高い再現性でキラル合成がなされることを見出しました。修士2年の学会の要旨締め切り当日まで粘った結果でした。発見前までは、疑心暗鬼になった時もあったようでしたが、発見時には、共に震え上がり喜びを分かち合いました。この苦難は論文で一文字も表現することはできませんでしたが、この「掘り当てる」過程が難しかった点の一つです。次に、それを引き継いだ黒羽さん(当時大学院生)が、H2Pcもロータリーエバポレーターの回転方向に依存してキラリティーが選択され、H2Pcの方がキラル誘起されやすいということを明らかとしました。これにより研究に深みがでましたが、こちらも、どう進めるかロードマップのない状況下で試行錯誤の末でした。この「掘り下げる」過程がもう一つ難しかった点です。次に、私はそれらの結果を基に、キラル選択機構を包括的に解釈できるようにしました。この「外堀を埋める」過程が個人的に大変な点でした。以上の三点が難しかった点になります。いずれも、「できない理由を考える前にとりあえずやってみる」、「実験事実に基づき解釈し、工夫・改善する」、「上手くいくまで根気よく続ける」等、研究をする上で必要な考え方の合わせ技で乗り越えたのだと思います(テクニカルではなく、マインドの話になり恐縮です)。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
大変ありがたいことに、2019年4月より横浜市立大学にて助教のポジションをいただくことができました。これまでは、生命のホモキラリティーや物理的な力によるキラリティー制御に関する研究に従事しておりましたが、これからはキラリティーに限定せず、機械的刺激による分子集合構造と物性の自在制御にも興味を持って取り組み、新しい化学を開拓したいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここでは、私が石井先生から頂いた言葉の中で印象に残っているもの-「研究はトレジャーハント」-を紹介させていただきます。本成果は、何か新しいもの(宝)はないかと探し、「掘り当て」、「掘り下げ」たため、人様の目を引く内容になったと自負しております。しかし、本研究を含め、私の研究人生は最初から順風満帆だったわけではなく、なかなか面白いデータが出ない日々の連続でした。そのような状況が続いている時に、頂いた言葉が上記の言葉になります。これは、「ルーティンワークのような研究の進め方では、創造性の高い仕事は出来ないから、そういった考えから抜け出しなさい。最初は何か新しい事はないか掘り当てるまで選別と再検討を繰り返し、掘り当てた後はそれを掘り下げていきなさい」という意味だと解釈しています。ご本人の言葉をより忠実に再現しますと、「研究はトレジャーハント。ザーとやって、バッとやって、グッとやるんだよ」です。おそらく、「ザーとやって、バッとやって」は掘り当てるまでの選別と再検討過程、「グッとやる」は堀り下げる過程を擬音的に表現したものだと察します。読者の皆様も、そのような観点で自由な発想の下で研究に専念され、良い成果が出ることを願っております。私もこの言葉を忘れずに今後も研究に励みたいと思います。
最後になりましたが、本研究を遂行するにあたりご指導いただきました石井和之教授、共同研究者である半場藤弘教授、北川裕一特任講師、新村和寛氏、南部翔平氏、黒羽みずき氏、水野雄貴氏に、この場を借りて深く感謝申し上げます。
関連リンク
- 東京大学 生産技術研究所 石井研究室
- プレスリリース:ロータリーエバポレーターのマクロな回転で分子の右巻き、左巻きを制御! ―生命のホモキラリティー起源の候補を高い再現性で初めて実証―
- 日本経済新聞:東大、ロータリーエバポレーターのマクロな回転でねじれたキラル分子を合成することに成功
- EurekAlert!:ロータリーエバポレーターのマクロな回転で分子の右巻き、左巻きを制御!
研究者の略歴
服部 伸吾(はっとり しんご)
所属:横浜市立大学 理学部理学科
専門:光化学、錯体化学
略歴:
2017年3月 東京大学 大学院工学系研究科応用化学専攻 博士課程修了
2017年4月 東京大学 生産技術研究所物質・環境系部門 特任研究員
2019年4月 横浜市立大学 理学部理学科 助教