第231回のスポットライトリサーチは、河谷稔さんにお願い致しました。
河谷さんが研究を実施された浦野研究室からは、疾患特異的な応答を示す蛍光プローブの理論的開発およびその医療・診断応用が長年蓄積されています。過去にもケムステでは研究を多数紹介しており、戦略および展開の素晴らしさには、毎度舌を巻くばかりです(過去記事:① ② ③)。今回の成果は前立腺がん特異的なマーカー酵素に応答する形状の蛍光試薬を新たに開発し、がん組織の検出に使用したというものです。J. Am. Chem. Soc.誌原著論文およびプレスリリースとして公開されています。
“Fluorescence Detection of Prostate Cancer by an Activatable Fluorescence Probe for PSMA Carboxypeptidase Activity”
Kawatani, M.; Yamamoto, K.; Yamada, D.; Kamiya, M.; Miyakawa, J.; Miyama, Y.; Kojima, R.; Morikawa, T.; Kume, H.; Urano, Y. J. Am. Chem. Soc. 2019, 141, 10409-10416. doi:10.1021/jacs.9b04412
研究を現場で指揮された浦野泰照 教授・神谷真子 准教授から、河谷さんについての人物評を下記のとおり頂いています。現在は製薬企業にお勤めとのことで、今後とものご活躍が期待されます。
河谷君は早稲田大学在学時に、共同研究として当研究室で蛍光プローブを合成する研究を行い、当初は合成の知識はほぼ無かったにも関わらす、果敢にこれに挑戦していきました。それ以来、理学系修士課程でオプトジェネティクスの研究を、医学系博士課程で今回紹介した化学ベースの前立腺がんプローブの開発を行っていきました。このように面白いと思ったことに分野を超えてどんどん飛びつく姿勢が特に印象的な学生さんで、現在はさらに核医学プローブ開発の会社で研究を行っており、今までの経験を大いに生かして今後ますます活躍していくことを期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
前立腺がんマーカー(PSMA)のカルボキシペプチダーゼ活性を検出する蛍光プローブ開発です。
前立腺がんは、日本で患者数が増加傾向にあるがんです。前立腺がんで発現が特異的に亢進しているバイオマーカーとして、前立腺特異的膜抗原(PSMA)(注1)が知られています。今回、我々は世界で初めて、PSMAのカルボキシペプチダーゼ(注2)活性を高感度に検出する蛍光プローブの開発に成功しました。開発した蛍光プローブを用いることで、肉眼では検出が難しい微小ながんも、30分以内に蛍光検出できることを示しました(図1)。がんの取り残しを防ぎながら、術中に必要十分な切除範囲を判断しやすくなり、術後QOL(生活の質)向上と、がん再発や転移防止等が期待されます。
(注1) 前立腺特異的膜抗原(Prostate Specific Membrane Antigen:PSMA):前立腺がん細胞膜に特異的に高発現する膜タンパク質で、前立腺がんの放射線検査薬・治療薬、またプロドラッグ型治療薬開発の標的分子として特に注目されている1。
(注2) カルボキシペプチダーゼ:ペプチド鎖のカルボキシ(C)末端のアミノ酸を加水分解する酵素。PSMAの場合、C末端グルタミン酸を基質アミノ酸として認識する。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
PSMAによる加水分解反応を大きな蛍光上昇に繋げるための分子設計です。
本研究では、大きく2つの課題がありました。
① カルボキシペプチダーゼが触媒するアミド→カルボン酸への変換を、大きな蛍光変化に繋げるための分子設計手法を新たに確立する必要があった。
② PSMAの基質となるように分子設計する必要があった。
これらの課題に対して、図2に示すようなPSMAによって特徴的な分解反応を示す基質骨格を新たに見出し、光誘起電子移動(Photo-induced electron Transfer;PeT)の制御による蛍光のOFF→ON機構を組み込んだ蛍光プローブ分子設計を考案しました(図3)。
実際にデザインし、合成したプローブが、期待通りにPSMAと反応して大きな蛍光上昇を示した時は、とても興奮しました。蛍光制御部位と基質部位をコンパクトに組み込んだスマートな分子設計ができたと思います。
ペプチドN末端を認識し加水分解するアミノペプチダーゼや、ペプチド内部の配列を認識し加水分解するエンドペプチダーゼと比較して、カルボキシペプチダーゼは、これまでその活性をリアルタイムにイメージングできる手法がほとんどありませんでした。しかし、本研究や、当研究室の栗木博士らが報告した別の分子設計手法2などにより、カルボキシペプチダーゼ活性を可視化する基礎技術が確立しつつあり、本研究は、カルボキシペプチダーゼを標的とした新たな創薬研究や生物学的機能に関する研究を進めるための一歩になったと思います。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
合成です。最終化合物の蛍光プローブ自体は水溶液中でも安定ですが、合成中間体のヒドラジン誘導体が不安定なため、目的物が安定して得られるまで数ヶ月要しました。LC-MSで反応追跡しながら、反応条件(溶媒・温度・時間)や反応前駆体の溶解性を改善する保護基検討などを行い、目的物が得られたのは、卒業1ヶ月前でした。また、設計したプローブがPSMAと反応してくれるかは試してみるまでわからなかったため、合成中はどうか酵素に嫌われませんように!と祈っていました。結果的に反応してくれて本当に良かったです。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
生物学や医学分野での、「できたらいいな」を実現し、新しい研究分野を切り開く手段として化学と関わっていきたいです。特に、生命現象の可視化技術に対して、今後は有機小分子・蛍光以外のモダリティも含めて、様々な方向からアプローチしたいと思います。
本研究では、共同研究者である泌尿器科の先生の「PSMAのカルボキシペプチダーゼ活性が見れたら、前立腺がんを迅速にイメージングできるのに」というニーズに応える分子が作れたことで、実際に前立腺がんの迅速な検出が可能になりました。これまで不可能だったことを可能にするツールを創造し、新たな発見や画期的な技術開発に繋げられるのは、ものづくりとしての化学の魅力だと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私はこれまで、光を用いたケミカルバイオロジー分野の研究を行ってきました。この分野は、分子設計や有機合成から、遺伝子工学に疾患モデル動物作成、顕微鏡弄りまで、様々な研究手法・実験装置等に触れられるため、日々刺激的な研究生活を送ることができる素敵な分野だと思います。ケムステをご覧になられている方の中には、THE・化学な分野にどっぷり使っている方もいらっしゃると思いますが、一歩、隣の分野・業界に目を向け、足を伸ばしてみれば、更に充実した研究生活が待っているかもしれません。
最後になりますが、論文の共著者の先生方にこの場をお借りして御礼申し上げます。
参考文献
- Evans, J. C. et al. Br. J. Pharmacol. 2016, 173, 3041.
- Kuriki, Y. et al. J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 1767.
研究者の略歴
名前:河谷 稔(かわたに みのる)
所属:東京大学大学院 医学系研究科 生体物理医学専攻 生体情報学分野
研究テーマ:光機能性ケミカルプローブの開発
経歴:1989年兵庫県生まれ。2012年3月早稲田大学先進理工学部生命医科学科卒業。同年4月東京大学理学系研究科化学専攻に進学、2014年3月修了。同年4月東京大学大学院医学系研究科生体物理医学専攻博士課程に進学。2018年3月に修了。2014年4月~2018年3月まで博士課程教育リーディングプログラム・東京大学「ライフイノベーションを先導するリーダー養成プログラム」コース生。2015年7月~8月スイス連邦工科大学ローザンヌ校短期留学(Christian Heinis研究室)。現在は、製薬企業にて研究開発業務に従事。