Tshozoです。先日公開され色々話題を呼んだ山本尚 元日本化学会会長による日本化学会論説 巻頭言(リンク)ですが、思うところあり詳しく見ていくことにしました。
画像は日本化学会論説文より引用
【山本尚教授について】
研究者としての凄さ・成果の凄さはこちらでまとめられていますのでご覧下さい。加えてご本人の「生涯現役」のこだわりが見えるのはこちらのインタビューではないかと思いますので是非ご一読を。また以前に中日新聞に「紙つぶて」というコラム(リンク:中部大学内サイト)を発表されており、非常に興味深い内容でした(こちらとか、こちら、こちら、あとこちらが示唆に富んでいました)のでお読み頂ければと思います。
【巻頭言の内容について】
上記巻頭言の主張の要旨とは「科学/化学、近視眼に陥る勿れ」ということになるのかと思います。今回の山本先生の主張を3段でまとめてみますと
1.科学は社会に貢献すべき、というのは当然広く受け入れられる視点だが、だからと言って株式会社のように全て株主(国民)に還すべき、ということとは完全に同義ではない。科学はむしろその軛から離れる領分にいる。
2.科学は主に課題すら明確でない純粋研究と課題が比較的明確な応用研究に分かれるが、いずれも近視眼に陥ってはその根が途絶えてしまう性質のものであり、長く続く企業の経営と同様にロングレンジの戦略に沿ったものでなければならない。
3.”わかりやすさ”と”即効性”を追求する/されるあまり直近課題(≒”株主還元”)への紐付けに汲々としつつあるのが近年の傾向であるが、これでは科学/化学が本来求める長期的・本質的かつ根本的な課題への貢献は望めるべくもなく、官民共にその考え方を改めて臨まなければならない。
というように、直近の流行や視野の狭さに阿って(おもねって)あるべき方針が変わってしまうことに対する大きな危機感が表れていると思います。意見具申の真骨頂ではないでしょうか。
【先生のご意見に関する私見と追記 前半】
内容については完全同意なのですが1点だけこうした長期な研究活動に対し「一般の理解をどう得るか」という点はしばしば議論になっているようなので、僭越ながら開発系の人間からコメントを述べさせて頂くと「別に一般の理解は得られなくてもいい」のではないかという気がします。ただ条件があり「研究を担う人が優秀で、本質的に正しい人であるかどうか」ということです。
まず、国全体が各国との競争に負け外貨を稼げなくなっているため「10年後とか言ってられない、明日のメシの種になるかどうかが大事」又は「流行りもんに乗っかってないとダメ」という価値観が大学に要求されつつあります。これに対し研究者は好むと好まざるとに関わらず現在見えている課題に対し「我々の研究は”生活に役立ってます”&”トレンドに乗ってます”」アピールしなければならないという状況でしょう。そのため首を捻るようなプレスリリースがされたり、良く調べると海外の後追いだったり、ヘタすりゃナンタラ予知とか似非科学まがいのこととか研究者の本分以外のことに首を突っ込んでる人がいるケースなどが見受けられるようになってきたという印象を受けます。
もちろん研究者も人間ですから一概には批判できませんが(筆者も過去トレンドに乗っただけのケースに手を染めた過去があるので同罪です)・・・ともかくこうした中、一見難解でムダヅカイに見えてしまう長期的研究は、よっぽど継続的成果を上げていかない限り命脈が尽きてしまうと思われます。
では、斜陽国家の科学研究開発は全てそのように、直近のメシの種にならなければならないか? これは否であるのは明白で、歴史的に概念や技術の源泉になるような成果が出たのはむしろ国民の理解やトレンドから離れたところにあったというのがだいたい8割方であるでしょう。力業でシバきたおして結果を出す、というのはあまり筆者好みではないので事例から外して、それよりも長期的な研究開発は一般の理解や論理、整合性に対して少数のハミダシものによるものでなければならないという気がするのです。たとえば以前挙げたエリスロポエチンの例での、十年近くかけて尿を何トンも処理するという行為は一般的に考えたら「何やってんねん」ですがそこで見つけた原石となったリクツは様々な患者を救っていますし現在もそれを強化した医薬への道を切り拓いたものなのです。以下、その追加例などを。
[1]計算機の理論的発展:
現代の基礎を支える計算機の基本原理を考えた主要なひとりであるアラン・チューリングによる研究の契機及び基礎となったのは論理学を生業としていたクルト・ゲーデルの不完全性定理です。そして、さらにゲーデルの発案に繋がった数学上の問いかけの主要部を占めたのは集合論で大きな業績を上げたゲオルグ・カントールによる連続体仮説という、命題に自己矛盾を含む数学的表現をどう処理すべきかという難解なものでありました。現代ですらこれらの数学的表現を正しく理解出来る人間がおそらくごく一部しか居ないであろうに、当時の各国の一般国民が理解出来たとはとても思えんのです。でも、結局こうした学問的探究心に基づいた継続的基礎研究が支えた理論が長期的に世界の土台を支えているのは明白なわけです。
左からチューリング、ゲーデル、カントール 数学上のスーパーヒーロ達
画像はwikipediaより引用
これについては人類史上最高の頭脳と謳われ、フットボール場サイズ2面分の暗記可能なメモボードを脳内に持っていたと言われるフォン・ノイマンも「複雑なものを理解するためには自身が複雑にならなければならない」[文献1]と言っているように、単純化を求めると世界を支える大きな複雑性のかたまりのようなものがストンと抜け落ちて正確に把握できなくなるであろうことを示唆しているわけです。史上最高の天才が言ってるんですから間違いないでしょう。またジョン・モークリーやジョン・エッカートなどエンジニアリング側からコンピュータ実現に貢献した方々も当時どうやっても計算できない複雑な砲弾の軌道計算をどうやって解決すべきかという、狭く応用が利かないかもしれない分野に対してのものだけど軍事技術の向上につながるかもしれないからやりまっせ的な契機で始まったわけで、そこにわかりやすさとかいう視点はあまりなかったように見受けられます。
[2:分子軌道理論]
京都大学の福井謙一先生、現在も現役の研究者であるロアルド・ホフマン教授が主要な役割を果たして創り上げたフロンティア電子軌道論。現在でも化学全般、特に有機金属錯体の反応性や結合を予測するのに有用な手段として使われています(推薦図書:リンク)(参照記事:リンク)。しかし当時はそこまで学会はおろか国内の理解を得られたわけではなくむしろ海外での反応の方が良かったようで、ここでもトレンドとの一致とか国民の理解とはやはり見受けられません。だいいちあの難解な方程式を理解できる方々がそういるとも思えませんが、結果的にその応用に大なるは言を要しません。研究全般を振り返られた際の福井先生の言をお借りすると、
”自分が進もうとしている道には関係なさそうに見える学問、否、もっと極端に、逆の方向の学問を一生懸命勉強することを勧める。自分のやりたい学問と距離のある学問であればあるほど、後になって創造的な仕事をする上で重要な意味をもってくるからである。”[文献2]
ということであり、一般の理解を越えて概念上のビッグブリッジを架けることこそ研究者のフロンティアを拓くということを直観されていた気がします。
福井謙一先生とホフマン教授(写真はWikipediaより)
ホフマン教授には10年くらい前に知り合いがサインをねだったら快く応じてくれたそうです
[3:Crisperの発見とその意義]
今や遺伝子工学で大きな潮流の1つであるCrisper-Cas技術ですが、その原石の発見者 九州大学 石野良純先生(リンク)は以前筆者が見に行ったある講演で「こんな応用が早く見られるとか、そもそも応用があるのかすら予想しなかった」との趣旨の発言をされていました。メモ書きでは証拠が弱いなと思っていましたら日本農芸化学会の「化学と生物」巻頭言[文献3]でほぼ同義のことを言われていましたので少し長いですが引用します。
石野良純先生 研究室HPより引用
“…大腸菌リン酸代謝制御の分子機構研究の中で,独特な繰り返しDNA配列を発見した.二回回文配列を含む29ヌクレオチドの共通の配列が一定の間隔をおいて何度も繰り返されて…(中略)偶然の配列でなく,間違いなく何かを意味していると思った…(中略)…基礎から応用まで広く研究する学問分野である農芸化学の特徴を発揮する余裕が現在の大学にはなくなっているようにも感じざるを得ない.全く意味のわからないものを発見しても,それを続けて研究できる環境は今の大学にはもうなくなってしまった.筆者がCRISPRを見つけたとき,それがゲノム編集に利用可能であることなど,間違いなく誰も考えなかったし…(中略)それがPCRの実用化を実現されることなど,誰が想像しただろうか.出口はわからなくとも未来につながる研究の芽に取り組もうとする人を励まし続けられる研究環境が強く望まれる.“
CRISPERの応用自体は米国で花開きましたが、その重要性を直観により見抜いたのは上記が示す通り間違いなく石野教授の洞察であり、役立つとか、そういうこと自体枠外にあった中での発見であったはずです。下図の同論文の引用数データから(失礼ながら)注目度が当初は低く専門家の中からしても何の意味があるかなど見抜いていた人は多くはいなかったのが実情でしょう。
Crisperの論文閲覧推移 論文オリジナルサイトより引用
2013年以降の爆増がなかなかアレ →リンク
【先生のご意見に関する私見と更なる追記】
以上のような例にかぎらず、国民や応用化の予想が出来ないものの方が大きなうねりを作っている、という事は部分的ではありますが蓋然性を備えていると思います。おそらくオワンクラゲの研究を他人が訝しむくらい根気よくやり続けた下村教授の成果もその一例でしょう。ちなみに次の世界を支えるであろう難解分野は数学で言うと望月新一先生の宇宙際タイヒミュラー理論、物理で言うとマヨナラ粒子の応用(?!)や超高圧超伝導、化学で言うと小分子活性化、10年はムリだろうと思われる反応や巨大分子合成の実現、美しい分子合成の実現、生物分野では生命の起源を端的に表すモデル式(あるのなら、ですが)とかといったことが挙げられるでしょうか。これらの分野は規模やかけるお金の大小はあるにせよ現世の我々には「(特にお金的に)一体何の意味があるのか」と訝しがることばかりだからです。だからこそ面白い。
ただ研究者に自由に活躍してもらうことは、特権的とも言える立場を与えることと同義。そうした場を聖域化してしまうとグレン・グールドのようなの天才を除いては貴族サロン的なものになって甘え過ぎてその場自体が退化してしまうでしょうし、ヘタすると怪しい新興宗教と同様にやれお筆先だマントラだ仏罰だ多宝塔だとめんどくさいことになる。特に集団で研究する場合は利権化して同質の人間で固めるとかして閉鎖空間になる実例をイヤというほど見てきましたので、あんまりにも現世と離れすぎるとろくなことはないというのが経験からの実感です。
じゃあどうすればいいのか。それを解消するのが上で述べたもう一つの条件、「研究を担う人が優秀で、本質的に正しい人であるかどうか」ということに尽きるのではないかと思うのです。某O女史はどっちも無かったのです。
この本質的に正しいとは無責任な、どういう定義だ、何で判断するんだ、と言われるかもしれませんが反論を筆者が申し上げるより、化学系で数多くの商品開発や研究開発に成功した3Mの例を挙げましょう。現在も名経営者と謳われる同社中興の祖William McKnight氏は研究開発のマネジメントについて下記のように述べています(注:”TIME”誌 2003年くらいの特集に載ってましたが同社の外で流行っていた管理手法を持ち込んでこの文化が消えかねない程の危機に陥ったことがあったものの、今はまた元の方向に戻したようです→関連記事リンク)。
[文献2]より引用
Delegationとは「権限移譲」とでも訳せばいいと思います。要は「彼らに任せとけよ、優秀で本質的に正しい人間ならミスっても必ず俺たちの継続的な成長に繋げてくれるから(我慢と忍耐は必要だけどね)」ということで、筆者が最初に申し上げたことと基本的には同じことを言われていると思います。ただ、優秀というのはわかるにせよ本質的に正しい=essentially rightとはどういうことなのかはMcknightは定義していなかったようなのです。しかしこの概念が3Mでの様々な化学品を生み出す土壌になったのは同社の発展を見ていけばよく理解できると思います。後に3Mはこれに相応しい人として、
・Creative– inquisitive, look for solutions, visionary
・Broad Interests– multi-disciplinary, eager to learn and explore ideas with others
・Problem Solvers– experimental type, do first and explain later, not afraid to make mistake, willing to do the non-obvious
・Self-Motivated/Energized– self-starter, passionate, results-oriented, responsible
・Strong Work Ethic– committed, hard-working, have unstructured, flexible work habits
・Resourceful– networks & gets things done through others
・・・という6項目を備えた方々であるとしていますが[文献5]、なんというか「スーパー人間募集中」的な印象があり正直ピンときません。ただ「マネジメント側がちゃんとその人の能力と、開発に向いた正しい人であるかどうかを見極められるようにしとけよ」ということに尽きるのでしょう。これを癒着ですましてしてしまってはもうどうにもならず、そこに妥協と馴れ合いが発生したりするから発展しなくなるケースが多数あるんじゃなかろうかと思っていますが如何でしょうか。国立大学の研究の場合、税金が使われているとはいえ国民がそのプロセスに直接関わることはなかなか難しいのが実際ですが、少なくとも為政者側、行政者側がそうした意識を持っていないと研究が衰退に向かうのは明白なのでしょうから[筆者注:3Mは昔から非常にキビシい会社で、ただ自由に研究開発していればいいというわけではなく義務と自由とのバランスをうまく取ってやっていけよ、という形で継続してきた企業基盤であることは留意すべきでしょう]。
ただ上の6項目はもう少し端的に表す必要がある気がします。以下は私の思い込みですが、本質的に正しい人間とは「毒にあてられた人間」ということである気がします。卑近な例えですが、女性の足の美しさに見とれて雲から落っこちた久米の仙人であるかどうか、ということです。別に筋肉美でも構いませんが特定の部分に拘泥して魅了されているかどうか、ということです。特に数学者に「そうとしか生きられない」ような人は多数見受けられますが、それ以外の自然科学の分野でもCarl Boschをはじめとした数多の化学者、Max PlanckやHermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz、Gustav Kirchhoffといった数多の物理学者、William Gibbsなどの物理化学者といった超一流の方々の人生を調べるにつけ、色々考え直しても”毒にあてられた人たち(Im Banne des etwas Geheimnisvolles)”であるという認識しか持てないのです。もちろん成果を出された方々は少なからずこうした毒にうまみを感じたからこそ没頭したわけで、その成果の大小を云々する意図はありません。
ですが好むと好まざるとに関わらずこの毒にあてられたかどうかはその人が本質に触れたかどうか、ということが問題になるわけで、その本質とは人によって純粋な科学的興味だったりものごとの真相だったり社会的地位だったりお金だったり名誉だったりするのですが、できればそれだけでなくその時点では認識できない部分で歴史とか社会とか大きなものにつながっているといいなあと切に願うものであります。
【最後に】
筆者が一番尊敬している知人の好きな言葉が「燕雀焉んぞ鴻(おおとり)の志を知らんや」だったのですがつまり「一般の人には大人物の考えていることなんざわかんねーよ」で、今考えると燕雀とは筆者のことではないかという気がします。しかし何故か仲は良い(気がしていて)、その理由は言葉では説明できませんが何らかの信頼関係があるからなんでしょう。結局どこまで鴻を信用して信頼してつき合うかに他なりません。鴻が今の日本にまだ多数いるのかというと・・・
いずれにせよ鴻のごとく一般の理解を大きく超えたところにある概念上のフロンティアというやつは「毒にあてられた奴」にしか見つけられないのだと思います。絨毯爆撃的にやるのは今や産業レベルでも十分できるわけで、そういった論理やモデルの延長線上にないものは視点がズレている人、言わば毒にあてられたバチアタリな青空を観れる人だけが、しかも確率的にしか見いだせない気がするのです、経験上。あと本当に毒にあてられてないのはだいたいメディアとかに顔を出したがるケースが多い気がします。さかなクンは別モノです。
それでも「俺様がわかるまで説明する責任が伴わなければならない」「今すぐプレゼンスを占めせ」「研究者を信用なんざできるか」と言う方々にはもう何も申し上げられることはないのですが、2点だけ興味深い文章を採り上げます。禅の世界で重要な修業の手法として用いられる禅問答で、中国禅史上最高峰の問答例として挙げられるのが下記のものです[鈴木大拙著「禅とは何か」より引用]。これを超越しようと様々な高僧や思想家が現在も取り組んでいるというのですが・・・
①僧:「如何是佛」(仏とはいかなるものでしょうか) → 洞山良价:「麻三斤」(三斤(700gくらい)の麻じゃないかねぇ)
②僧:「狗子還有仏性也無」(狗畜生にも仏性はあるのでしょうか) → 趙州:「無」(無)
・・・それぞれの解釈はお任せしますが、先端科学もこれと同じようなもんではないでしょうか。臨済宗開祖 臨済が処方箋のようなお経や説法といった一般的に知られる仏教に背を向け禅の道に入ったのは有名な話ですが、これと同様に先端科学は処方箋ではないということを今一度認識した方がよいと思うのです。どうせ何時間教えてもらったところで筆者レベルではほとんどわかんないんですしオイラーやガウスが今の世代まで役立つことを考えて研究やってたわけがないんですし、それより我々じゃ理解の届かない範囲をお勤め頂いているという敬意と共に信頼して任すことこそ求められているんじゃないでしょうか。研究者の方々もそれに甘えることなく日々毒にあてられつつお勤め頂き、宝物を見つけたり宝物の地図を描いていったり、あるいは宝物かどうかもわからんようなわけのわからんことをして頂きたいと思っています。
それでは今回はこんなところで。
【参考文献】
- “心を研ぐ フロニーモスたち―イノベーションを導く人 ” 武田修三郎, リンク
- “化学者たちの京都学派”, 古川安先生, 湘南技術懇話会, 2018.3.11 , リンク
- “CRISPR発見から30年”, 石野良純 九州大学大学院農学研究院教授, Kagaku to Seibutsu 56(4): 237-238 (2018), リンク
- “Innovation Organisations: The 3M Way”, Damian Gordon, リンク消失
- “Creating and Sustaining Innovative Cultures” 3M, Sheng Thong Yin, Singapore R&D Centre, 2009年発表資料, リンク