第220回のスポットライトリサーチは、岡山大学 異分野基礎科学研究所の長尾遼(ながお りょう)特任助教にお願いしました。
長尾先生の所属する岡山大学 異分野基礎科学研究所の沈研究室は光合成光化学系の構造解析の分野でインパクトの大きい成果を多数報告しており、精力的に研究を展開されています。
天然の光合成系は非常に高度で複雑な光化学システムで、その機能を理解するためには、系内に含まれる様々な色素の位置関係を含めた立体構造を正確に把握する必要があります。構造解析といえばX線を用いた結晶構造解析が有名ですが、今回は一昨年ノーベル賞にも輝いた技術であるクライオ電子顕微鏡を利用して珪藻の光合成系の構造解析を達成した報告です。褐色の藻類の場合、緑色の植物とは立体構造が異なるということを明らかにした素晴らしい成果で、Nature Plants誌に掲載されています。岡山大学よりプレスリリースもされています。
“Structural basis for energy harvesting and dissipation in a diatom PSII–FCPII supercomplex”
Ryo Nagao, Koji Kato, Takehiro Suzuki, Kentaro Ifuku, Ikuo Uchiyama, Yasuhiro Kashino, Naoshi Dohmae, Seiji Akimoto, Jian-Ren Shen, Naoyuki Miyazaki & Fusamichi Akita
Nature Plants, 2019, 5, 890−901. DOI: 10.1038/s41477-019-0477-x
タンパク質内に複雑に配置されている数々の色素の場所を、原子レベルの分解能で突き止めていく様には毎度毎度圧倒されます。
沈建仁教授からは長尾先生と本研究成果について以下のようにコメントをいただきました。
今回の研究は、光合成に関わる巨大膜タンパク質複合体の立体構造をクライオ電子顕微鏡を用いて解析することであり、そのためには構造解析に耐えうる良質なタンパク質試料の精製がとても重要です。長尾さんは生化学が専門で、光合成タンパク質試料の調製に精通しています。彼が調製した試料を用いて、加藤公児特任准教授、秋田総理准教授、宮崎直幸筑波大学助教などとの共同研究により、タンパク質数35個、総分子量1,400 kDaを超える巨大膜タンパク質の立体構造解析に成功しました。このようなタンパク質の立体構造解析により、タンパク質の働きが分子・原子レベルで議論できるようになり、生物学がより化学に近づくことになります。長尾さんは構造解析の手法も精力的に自分の研究に取り入れており、今後化学のレベルで生物学の現象をさらに解明することを期待しています。
それでは、長尾先生からのメッセージをご覧ください!
Q1. 今回のプレスリリース対象となったのはどのような研究ですか?
珪藻の光合成光化学系II複合体とその光捕集アンテナであるフコキサンチン・クロロフィル結合タンパク質が結合した巨大膜タンパク質複合体の立体構造を解明しました。
植物や藻類といった光合成生物は太陽光エネルギーを効率よく獲得するために集光性色素タンパク質(Light-harvesting complex, LHC)を進化させてきました。LHCの機能は光化学系タンパク質(Photosystem I, PSI; Photosystem II, PSII)に光エネルギーを供給することです。LHCからエネルギーを受け取ったPSIIとPSIは電荷分離反応を行い、太陽光エネルギーを化学エネルギーに変換する「光合成光化学反応」を始めます。
植物が緑色に見える理由は、LHCに結合した色素に因ります。本研究で扱った珪藻という光合成生物は褐色であるため、植物とは色素組成が大きく異なることがわかっていましたが、褐色を呈する色素がLHCにどのように結合するのか、その立体構造は不明でした。本研究では、珪藻から褐色の集光性色素タンパク質FCP (Fucoxanthin chlorophyll protein)とPSIIとの膜タンパク質超複合体(PSII–FCP)を精製し、最先端のクライオ電子顕微鏡を用いて立体構造を解明しました。得られた立体構造から植物とは異なるタンパク質構造や色素分子の配置が明らかになりました(図1)。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
PSII-FCPの安定な状態での精製方法を確立したことです。これは工夫というか生化学分野での基本事項なのですが、研究対象とするタンパク質を安定な状態で精製することが、研究を進めるうえでとても重要です。生体試料なので、温度、pH、塩条件などを見誤れば、容易に失活してしまいます。精製方法を最適化することがどの生体試料でも求められる一方、何がベストな条件であるか指標が無いため、正解を模索しながら自身で妥協点を見つけなければなりません。これが生化学の醍醐味の一つでもあるのですが、光合成分野ではこうしたことができる人は少なくなっているので寂しく思います。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
構造生物学的な研究手法を習得することがとても難しかったです。主にコンピューターによるデータ解析なのですが、そもそも解析に必要なLinuxというオペレーティングシステムを使ったことが無かったため、データ処理以前の段階でかなり躓きました。そのあたりの問題を少しずつ克服し、クライオ電顕画像データを処理することができました。これは共同研究者のおかげです。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
結果的に化学と関わる必要があったにすぎないので、今後もその関係は変わらないと思います。私の専門は生物学・生化学であり、研究対象は光合成です。光合成を研究するためには生物学だけでは歯が立たないと個人的に感じたため、反応機構を理解するために紫外可視分光や振動分光を学び、立体構造をみるためにクライオ電顕構造解析を学んできました。知りたいことは「光合成生物がなぜ色の多様性を持つに至ったのか?」という広義には進化的なことなのですが、上述したように研究を進める過程で化学・物理学的な手法がどうしても必要になったため今に至ります。なので、必要な化学的知識や技術を必要なタイミングで自身の研究系に取り入れていく、という距離間で化学とは今後も付き合っていくと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
生物学ではよくあることだと思いますが、生体反応は突き詰めれば化学や物理学の素反応から成り立ちます。私のような生物屋は生物学→化学という方向で進めますが、Chem-Stationの読者である皆さんの根っこは化学である方が多いと思います。そのような方々が生体反応に興味を持ち、化学→生物学という方向で生体反応を研究していただければ面白い解釈が生まれると期待します。本稿がその一助となれば幸いです。
関連リンク
研究者の略歴
長尾 遼(ながお りょう)
所属: 岡山大学異分野基礎科学研究所
専門: 生化学
略歴:東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了後(2012年)、日本大学、名古屋大学を経て現職(2017年から)
写真は長尾先生(右)、と沈教授(左)