Tshozoです。そもそも筆者が窒素化合物に興味を持ったのは有機化学美術館の記事を読んだのが発端(現在アクセスできませんが・・・)なので、筆者が窒素系の記事をよく書くのは同サイト主筆の佐藤健太郎さんから極めて大きな影響を受けたためということにしておきたいと思います。
で、今回その窒素に関連する新規成果がまたもや東京大学 西林研究室からNature Chemistryに発表されましたので速報としてお送りいたします。
“Ruthenium-catalysed oxidative conversion of ammonia into dinitrogen”,
Kazunari Nakajima, Hiroki Toda, Ken Sakata & Yoshiaki Nishibayashi, Nature Chemistry volume 11, pages702–709 (2019)
【主な関連リンク】
・東京大学大学院 西林仁昭 教授 研究室 リンク ・Nature Chemistryの概要紹介ブログ リンク
・JST 成果発表記事 リンク ・日経新聞 紹介記事 リンク
実際の反応と反応機構、及びアプリケーションを示すイメージ
東大プレスリリースよりリンクを引用
今回の成果を一言で言うと「常温以下でアンモニアを『触媒的に』分解!」です。特長的な項目を箇条書きで示すと、
1.常温でアンモニアを触媒的に分解する触媒を見出し、電子引抜き酸化剤とプロトンアクセプタを用いたモデル反応でその触媒がかなり高速に回ることを実証した
2.その反応機構も中間体を取り出すことで明らかに出来た
3.アンモニアの分解物が電池単極側(アノード側)に使える可能性を実証した
なのですが応用という点で注目すべき点は3.のところで、その背景を鑑みると著しい意義を含んだものになっています。そこらへん併せて諸々書いてみますのでお付き合いください。
[歴史的経緯と背景]
アンモニアはおそらく世界で最も重要な化合物のひとつで・・・とまた長々と書きたいのですが今回は割愛。その歴史的意義や肥料用途以外のエネルギー媒体としての注目すべき点はこれまでの記事をご覧ください(記事1 記事2 記事3など)(Carl BoschのWeb上伝記はこちら 1, 2, 3, 4 引き続き作成中)。で、今回の成果が重要なのはそのうちエネルギー媒体としてのアンモニア利用におけるインパクトが高いためです。以下その説明をしてまいります。
アンモニアは完全CO2フリー・NOxフリーのエネルギー媒体として使うことができ、近年注目を集めていますが現時点では多くの場合直接燃焼を行います。上記の記事1にも書いたようにロケットエンジンやらピストンエンジンなどの内燃機関に放り込めば(少し工夫は必要ですが)燃えますし、金属の高温処理などにも使える。条件を上手く選べばほとんどNOxが出ず、出るのは水と窒素だけ。しかも極めて高価で特殊な高強度タンクが必要なアレなんざと違い、長期間ライナー処理を施しためちゃ安い鉄製タンクなどで貯められる。炭素を含んでいないため若干エネルギー密度が小さいことと臭うことを除くと「雑に」エネルギーを取り出せる媒体として特筆すべき優秀な特性を持っています。しかし、内燃機関は一般的に実効率が悪くそのエネルギーの大半を熱として捨てねばならんため、雑すぎるエンジンなどでは相当にムダをしていることになるわけです。
たぶん世界初のアンモニア直燃駆動バス 記事1より再掲
1600,00km走ってノートラブルだったことはもっと知られてもいい
(ススやタール成分が全く出なかったためと言われる)
いっぽう内燃機関でない形でエネルギーを取り出すのに良く知られてアプリケーションは燃料電池で、これは「雑でない」エネルギーの取出し方を行うため電力を取り出す実効率は一般的に内燃機関の2倍以上と見込まれます。つまり一般的な燃料電池が水素と酸素をマイルドに燃やしながら電力を取り出すように「電池でマイルドにアンモニアを燃やしつつ電力を得る」ことができれば効率のよい燃料電池システムを構築できるわけです。
しかしこの低温でアンモニアをマイルドに分解できる触媒の開発はほとんど進んでいませんでした。何故なら難易度が極めて高かった(い)からです。一般的な燃料電池は水素分子をマイルドな常温付近で「燃やす」ためにPtなどの貴金属触媒を使ってプロトンと電子に容易に分割していますが、アンモニアはそう簡単には分かれてくれない。まず一般の固体触媒では室温付近ではまずムリなため、アンモニアを燃料電池に用いるには固体触媒によるフロントクラッカーで高温で分解し水素を取り出して使うか(随分前にGraz工科大学で行われていた・リンク)、またはそもそも高温で動くSOFCで直接反応させるか(例:京都大学 江口研究室の成果 こちら)のようなやり方が主流でした。しかし分解するのに最低でも数百度が必要で高速起動とかが必要な分野では残念ながらあんまり適したやり方ではない。もちろんそれ以外(固定発電用)では使い勝手のよいシステムではありましょうが・・・
数少ない先例としては2008年頃にイタリアのActaという化学会社がアンモニア燃料電池というものをリリースしてとあるシンポジウムで発表していたことがあったのですが(下図)、説明資料から察するに高分子にナノ分散させて活性を限界まで引き上げた微粒子金属触媒をアノード側に使ったものであり、その性能は極めて低く触媒活性もかなり低かったであろうことを記憶しています。
イタリア ACTA社の社外発表資料より引用[会社リンク こちら]
また、これの亜種でかなり前にダイハツ工業が発表した「ヒドラジン燃料電池」というものはありますが(下図)ヒドラジンは反応性が高いために遷移金属系の微粒子触媒によって室温付近で分解してくれるために実現したのであって、これに対しアンモニアはやっぱりそういうわけにはいかない。あとヒドラジンは正直使いたくない。
ヒドラジン燃料電池の概要[文献1] 低コスト、小型化可能と発電装置として優秀だが
ヒドラジンそのものに変異原性があるのが極めて難(アンモニアには変異原性はない リンク)
あとヒドラジンは基本的にアンモニアを酸化して合成するため実エネルギーは劣化している
無水ヒドラジンを扱う人のイメージ(英語版wikiより引用 リンク)
水溶液だとさすがにもう少しマイルドでいいはずだがやっぱり怖い
以上より、結局アンモニアを使って常温付近で高性能な燃料電池を実現出来なかった理由は「適切かつ優秀な分解触媒が無かった」、ということに尽きるわけです。なおエネルギーを外部に取り出さずにアンモニアを単純に酸化分解するだけなら過酸化水素でも何でもあるのですが、そういった直接反応・量論反応ではなく触媒反応として、しかもプロトンと電子に分けて反応する非常に難易度の高い反応を回せない限りこの電池の負極には燃料として供給できないのは容易に想像できると思います。
ということで常温付近で高活性なアンモニア分解触媒さえ見つけられたら、しかもきちんとその分解物がプロトンとセットで「電気化学的に」電子供与性を示すことを実証出来るなら、現在よりもずっと安全でかつ高エネルギー密度でスタートアップも容易な電池システムを実現できるということになるため、今回の触媒の発見が重要であるわけです。つまり西林教授が研究紹介に使われている下の画像、右半分の主要技術と成り得る要素を実現したということになるのですね。
西林研究室HPより筆者が編集して引用 リンク
同じく東京大学工学系研究科プレスリリース図より引用 リンク
モデル反応が上側の矢印、実際に電気化学的に還元剤として動き得る事を示したのが下側の矢印
【論文詳細】
ここから今回論文の詳細です。まずその難易度ですが、正直むちゃくちゃ難しい(かった)はず。以前Schrockが講演で使用していたアンモニア合成に関する資料の図を使いますが、この副反応が鬼のように出てくる反応系を今回はこれまでのアンモニア合成とは逆回転で高効率で成立させなければならないのですから。
以前の記事から再掲
とはいえこのサイクルを部分的にでも成立させるような論文は取組は2000年あたりに既に発表されており、たとえば代表的なものとして下図に示す[文献2][文献3]のように窒素が配位した中間体などから窒素分子またはそれに近い構造や反応系を示せる錯体が発見されたりしていました。
[文献2]の反応要旨 図は同論文より引用
窒素配位錯体から窒素分子を出せることを示したおそらく初めての例
よく見てみると今回西林教授が見出した触媒構成とよく似ている
[文献3]の反応要旨 図は同論文より引用 カルテック Peters教授による2004年の成果
要はこれを「連結」(???)させればいいわけだったが・・・
遷移金属では窒素と結合性が高いため、このルートでは開拓出来ていないもよう
ただ、結合エネルギーを考えても難しいことはPrinceton大学のChirik教授が少し前に発表した論文[文献4]でも示されており、例えば単純にMo錯体に配位したアンモニア-水素の結合を切断するにはかなりエネルギーを伴わなければならないことが主張されていました。つまりエネルギー的にも厳しい、副反応も多くある反応であるということで15年以上かかってやっとここらへん[文献4]まで来たというレベルに留まっていました。
[文献2]より編集して引用 (触媒的にではなく)量論反応的に水素分子を取り出せた最初の例
高温高圧HB法でのBFDE値はざっと15kcal/molであるのに対し
45kcal/mol前後というのは自発的に進むとは言い難い、かなり高い障壁
結局、高い難易度ともあいまってなかなか解となる分子は見つからなかったのですが「化学は必ず進歩してそれは誰にも止められない」わけで(Carl Bosch:”… Gentlemen, these questions are all useless. Progress in science and technology cannot be stopped.”)、奇しくもアンモニア合成産業化100周年を迎えてから活発にこのアンモニア直接分解錯体触媒の研究活動が行われていた気がします。実際2017年の時点でPNNLによる論文[文献5]の系で水素引き抜き系酸化剤を使うことで3本のN-H結合をちぎった触媒系や、[文献6]が登場しました。
[文献5]より引用 その後[文献7]まで発展させた
[文献6]より引用 なんかやったらまぁ出来た、感が残る系である気がする
発表時期を見るとどれもほとんど今回紹介しているNature chemistryの論文と同時期で提出されたのものと推定されますが、これまた偶然というもんは恐ろしい話ですね。受理日を見るとほぼ同時期で実際にどっちが早いのかとかは断言できないのですが、触媒としてのレベルは明らかに今回の論文の方が上回っている気がします。つまり、
[文献6][文献7]及び本論文から筆者が確認して作成
ほぼ同時期に原稿が受け取られているのはなかなか奇遇である
この一覧表を見ると先に発表されたSmith, Bullockらの結果に比し今回の成果の道徳的優位性はあきらか。もちろんそれぞれのポテンシャルはまだまだわかりませんが、今の時点では今回のRu系の錯体性能がかなりのリードをしているとみてよいでしょう。ではそのリードの鍵は一体どこにあったのか。
ここからはあくまで筆者の推定ですが、ピンサー系構造を持つことによる化学的安定性の高さはもちろんですが、構築した反応ルートの頑健性にあったものと思われます。SmithらやMockらの反応では配位子がプロトンを受け取らなければならなかったりラジカルが窒素へアタックする可能性があったりと、筆者ごときが言うのもなんですがあまりスジが良いルートとは言えない。これに対し西林研究室による論文を見ると反応ルートもそうですが予め安定性が高い錯体系でどうやって触媒的に回すか、をコンセプトにをメインに進めていたフシがあります。
今回構築された主要反応と主要触媒 本論文より引用 -40℃で回るのがおどろき
以前紹介したアンモニア合成と同じように窒素配位二核錯体を経由するのがポイント
上記の反応のフラスコ内でのモデル反応
プロトンアクセプタと電子引き抜き剤を用いて触媒的に回ることを証明
なおもともとこの触媒は、こちらの論文[文献8]で水を酸化して酸素を取り出すのに高い性能を持っていた錯体とほぼ同じ構造。まさか水の分解触媒がアンモニア分解にも使えるとは、というのが本論文を読んで一番面食らった点です。というかこういうの、どうやってスクリーニングして見出すんでしょうか。まさか勘に頼ってただひたすらに探すわけにもいかんでしょうし・・・こうした大きな橋をかけるには何らかの「嗅覚」というか、第六感という言葉でしか説明できない論理的ではない何かがきっと存在するのだとしか思えんです、門外漢には。
[文献8] 概要図より引用
人工光合成の半分を実現させることの出来るモデル触媒として登場した触媒
言われてみれば確かに酸素分子を架橋する二核錯体を形成するので
窒素分子でも同じことが出来るかも、発想は有り得る(有り得ない)
もちろん反応についても詳細に調査されており、サイエンス的にも大きな意義のある内容と言えます(この点、非常に重要だと思いますので本速報のあとに改めて記事を起こして書いてみます)。ともかくこの触媒系が成立したことによりまず考えられる電池系として、レドックスフロータイプの燃料電池の燃料極側として活用できることが思い浮かぶでしょう。つまりは下図のように、(1)必要なNH3量をリアクタに供給し(2)それを流体で燃料極側に運んでプロトンと電子を電極と電解質に供給し(3)燃料極側の反応が終わったらまた(1)に戻る、という使い方です。この系が成り立てばクソ高いアレを貯める超高級タンクなぞ全く必要なくなるわけで、うまくいきゃ燃料電池システムがガサっと低コスト化出来る可能性も出てくるわけです。その意味からもNature級の成果であることに疑いの余地はありません。
筆者が作成 アルカリ燃料電池の場合
ということで諸々の取組により室温以下でのアンモニア分解触媒が実現したわけで、これまで述べたような燃料電池への展開はもちろんのこと、個人的にはこの触媒を使えば、常温で水素へクラッキングするという反応及びリアクターの発見や適用によって着火性の高いアンモニア-水素混合燃料を高速に実現させることや、アンモニア含めたアミン系の脱臭が必要な環境での高性能脱臭剤(Fe系で見つかれば十分可能性ありでは、と勝手に思いこんでいるのですが、筆者の指摘を待たずともエネルギー関係以外の合成化学系はもちろん応用範囲がきっと出てくると思います。化学系の開発部隊の発想力が試されるところでしょう。
ということで速報がまた随分と長くなってしまいました・・・最後ではありますが、本論文には同研究室の中島一成准教授殿、博士課程大学院生 戸田広樹殿、坂田健教授(東邦大学薬学部)、西林仁昭教授殿が挙がっていますが、この成果には実質3年間かかったことがTL上で明らかになっており、また中島一成 准教授、戸田広樹 博士大学院生お二人の等分の貢献によるものと記載されております(“These authors contributed equally: Kazunari Nakajima, Hiroki Toda.”)。改めて今後の益々のご活躍を祈念して本記事を締めさせていただきます。
【おわりに】
今回の系についてつらつらと書いてきましたが、もちろんまだ課題や不明点はあると思います。ざっと頭に思い浮かべるだけでも、
・貴金属であるRuを使用しているため高コスト
・触媒濃度を上げられないと濃度過電圧が大きくなる可能性あり
・電解質は基本的に高極性で、そのせいで触媒が分解したり変な配位が起こったりしないか心配(なため電極構造に相当な工夫が必要)
・触媒Crossoverが心配(電解質を通じカソードへ漏れてしまう/避けるには同じく電極構成にかなり工夫が必要)
・とはいえ触媒を固定すると活性が下がる可能性大、またこの触媒は酸素極からのCrossoverに対し耐性はあるのか?
・燃料電池は基本的に高温で動かすことが多いが、その温度では変性が起こってしまうのでは?
・現状収率が80%だがこれを相当上げないと副生成物がすぐ溜まるなどで問題を起こす可能性あり
などなど・・・と、少し厳しいことも書いてしまいましたが特に元素の件はHaberが1908年一番最初に使った触媒は当時ウランとオスミウムという、今でも入手が難しそうな金属を使って「アンモニアが合成出来た!」と言っていたのですからあんまり気にしないでおくのが吉かと。代替元素はほとんどの場合必ず見つかるのが歴史の趨勢ですから。まぁ文句だけ言う輩は必ず存在しますし、第一長い検討を通して孵った「雛鳥」に向かっていきなり跳び立て、というのはそりゃムチャというもんでしょう。ジャパンでは雛鳥をしばきたおして潰すことが優先されるケースがよくありますが、i-phoneなどのスマホが発売開始当時、ほとんど全ての日本メーカからボロカスに批判されていたことを考えると経験や勘に頼った文句やしばき活動ほど意味の無いものはないので、皆様そうした雑音に惑わされずに研究開発活動を続けられますよう、お願いいたします。
最後になりますが、引き続きこうした窒素に関連する興味深い成果が次々と出てくることを祈りつつ、今回はこんなところで。
【参考文献/本論文除く】
- “液体燃料を用いる貴金属フリー燃料電池車”, ダイハツ工業による水素エネルギー協会への寄稿 2011年 リンク
- “Coordination-induced weakening of ammonia, water, and hydrazine X–H bonds in a molybdenum complex”, Máté J. Bezdek, Sheng Guo, Paul J. Chirik, Science 11 Nov 2016, Vol. 354, Issue 6313, pp. 730-733, リンク
- “Highly Electrophilic (Salen)ruthenium(VI) Nitrido Complexes”, Wai-Lun Man, et al., J. AM. CHEM. SOC. 2004, 126, 478-479″, リンク
- “A Tetrahedrally Coordinated L3Fe-Nx Platform that Accommodates Terminal Nitride (FeIVtN) and Dinitrogen (FeI-N2-FeI) Ligands”,
Theodore A. Betley, et al., J. AM. CHEM. SOC. 2004, 126, 6252-6254, リンク - “Ammonia Oxidation by Abstraction of Three Hydrogen Atoms from a Mo–NH3 Complex”, J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, Vol8, 2916-2919, リンク
- “Homogeneous electrocatalytic oxidation of ammoniato N2 under mild conditions”, PNAS, February 19, 2019, vol. 116 no. 8, 2849–2853, リンク
- “Catalytic Ammonia Oxidation to Dinitrogen by Hydrogen Atom Abstraction”, Papri Bhattacharya, et al., Angew. Chem. Int. Ed. 2019, 58, 1–7, リンク
- “A molecular ruthenium catalyst with water-oxidation activity comparable to that of photosystem II.”, Nat. Chem. 4, 418–423 (2012)., Duan, L. et al., リンク