第 201回のスポットライトリサーチは、九州大学理学府化学専攻 恩田研究室 修士課程の西郷将生さんにお願いしました。
恩田研究室は超高速分光装置を用いて物質の変化するプロセスを詳細に解明する研究に取り組んでいます。今回の研究は、フェムト秒レーザーを用いて有機ELに使われている発光材料の分子立体構造変化を捉えたもので、The Journal of Physical Chemistry Letters誌に掲載されるとともにプレスリリースされています。またSupplementary coverにも選ばれており、掲載号のページからダウンロード可能です。
“Suppression of Structural Change upon S1–T1 Conversion Assists the Thermally Activated Delayed Fluorescence Process in Carbazole-Benzonitrile Derivatives”
Saigo, M.; Miyata, K.; Tanaka, S.; Nakanotani, H.; Adachi, C.; Onda, K. J. Phys. Chem. Lett. 2019, 10, 2475-2480. doi:10.1021/acs.jpclett.9b00810
指導教員の恩田健教授から、西郷さんについてこのような紹介を頂いています。
西郷君は、私が2年前九州大学へ着任して最初に受け入れた学生です。研究室配属が着任前だったため匿名での募集だったにもかかわらず私の研究室を志望してくれたことから、純粋に研究への興味と新しい環境へ飛び込む勇気がある学生だと感じました。その後も1年間、研究室唯一のメンバーとして研究室や実験装置の立ち上げに幅広く活躍してくれました。今回の研究テーマは、九州大学発の技術である第三世代有機EL発光材料を理学的な観点から分析するという内容です。それに対して西郷君は、基礎的な原理解明に留まらず、それが実際の応用にどう結びつくかまでを考え、今回の論文を仕上げてくれました。実際今ではこの成果を元に複数の民間企業との共同研究にまで発展しています。
それでは研究について質問していきましょう。
今回の論文・プレスリリース対象となったのはどんな研究ですか?
所属研究室で開発してきた時間分解赤外振動分光法という方法を用いて有機ELに使われている発光材料のスピン転換過程における分子立体構造の時間変化を観測したという研究です。
有機ELの発光材料として注目を集めている熱活性化遅延蛍光(Thermally Activated Delayed Fluorescence:TADF)材料は一重項励起状態(S1)と三重項励起状態(T1)のエネルギー差(ΔEST)を小さくすることで、通常の有機分子では起こりにくい一重項状態と三重項状態の間のスピン転換過程を起こすように設計されています[1]。しかし、小さなΔESTを実現するだけでは十分な説明ができないことも分かってきており[2]、より詳細なメカニズムの解明が求められていました。
本研究では100フェムト秒(10-13秒)という非常に短い時間幅を持つパルスレーザーを用いた時間分解赤外分光装置(TR-IR)を適用することで、TADF材料のスピン変換過程における構造変化の観測を行いました。それによりTADFの起こりやすさを決める要因を解明しました。励起状態における分子構造の変化が大きいと、スピン変換を起こすための障壁が大きくなり、スピン変換過程が起こりにくくなっているというものです(図1)。今回の結果は、スピン転換過程における分子の構造変化を実時間で観測した初めての例でもあります。今回の結果が材料開発の効率化にも応用されることを期待します。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
分子の励起状態における吸光度の変化は非常に小さな変化であるため、とらえることが非常に困難です。論文に掲載できるだけのきれいなシグナル/ノイズ(S/N)比のデータを得るのに非常に苦労しました。深夜まで実験を行い長時間の積算することでその改良を試みたりしましたが、最終的には最適な励起光源の模索といった測定条件の改良や装置の改良を行うことでこの問題を大幅にクリアすることが出来ました。
また、研究の本質的なところとは関係ありませんが、私は研究室の立ち上げと同時に本テーマを開始しました。研究室の立ち上げは机も何もない実験室から始まり、そこに光学台が運びこまれ、レーザーが置かれて行くことで実験室が完成していきました。立ち上げ当初の1年間は学生が1人だったため、研究室の立ち上げにもとても時間がかかりました。ところどころ他研究室の先輩に協力をいただき装置を組み立てていきました。研究室の立ち上げに際して、あまりノウハウが確立していない中で、試行錯誤しながら測定手法の確立や装置の改良を行っていったことも本研究を遂行する上で重要なポイントとなりました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
TR-IRを用いて励起状態構造について議論している先行研究は少なく、得られた結果をどのように解釈するのかというのが課題でした。さらに、TR-IRを用いたTADF材料の研究はほとんど例がありませんでした。我々の研究室ではこれまでに、金属錯体触媒に対しては励起状態の構造を決定するためにTR-IRで実験的に得られるスペクトルと量子化学計算によって得られるスペクトルを比較する、ということをよく行ってきました。
今回もそれに倣って量子化学計算を行ったのですが、なかなか実験的に得られる励起状態スペクトルを再現する計算結果が得られず苦戦しました。私たちは理論の専門家ではないので複雑な計算はできなかったため、ひたすら計算条件を変えて結果を比較することで最良の再現結果をもたらす条件を模索していきました。その中でより再現性の高い結果を得ることが出来ました。様々な系で計算が使えるようになるために、専門家との議論なども通じて計算の勉強も続けていきたいです。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私はレーザーを用いた超高速分光によって実験を行っていますが、超高速分光は化学反応を実時間観測できる強力な武器だと考えています。これまでの分光では、モデル分子を対象として行われることが多かったのですが、実際のより複雑な機能性分子でも観測を行っていくべきだと思っています。その観測・解析手法の確立のためにも幅広い分野に興味を持ちいろいろな研究者と協力して強みを生かしていけたらと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
実験・研究が成功するためにはたくさんの時間がかかると思います。しかし人に与えられた時間は有限です。限られた時間をどのように使うか、ひたすらに手を動かして朝から実験を行うことも大事ですが、ある程度見立てを立ててから賢く実験を行うことも必要だと感じました。楽をしようとして手を抜くのは違うと思いますが、時間が作りやすいようにある程度工夫しておいて、それから全力で研究に取り組むことは大切だと思います。
最後になりましたが、本研究を遂行するにあたって熱心にご指導いただきました、恩田健教授、宮田潔志助教、および試料の提供や有意義な議論をしていただきました九州大学の安達千波矢教授、中野谷一准教授にこの場を借りて感謝申し上げます。
参考文献
- Uoyama, H.; Goushi, K.; Shizu, K.; Nomura, H.; Adachi, C. Nature 2012, 492, 234–238. DOI:10.1038/nature11687
- Hosokai, T.; Matsuzaki, H.; Nakanotani, H.; Tokumaru, K.; Tsutsui, T.; Furube, A.; Nasu, K.; Nomura, H.; Yahiro, M.; Adachi, C. Sci. Adv. 2017, 3, e1603282. DOI:10.1126/sciadv.1603282
研究者の略歴
名前:西郷 将生
所属:九州大学理学府化学専攻 恩田研究室 M2
専門:超高速レーザー分光
略歴:2018年3月 九州大学理学部化学科 卒業
2018年4月 九州大学理学府化学専攻 修士課程入学