重い元素を上に置き、軽い元素を下に置く周期表が提案されました。この記事では、その上下逆転周期表の利点をお話しします。さらに周期表の発展の歴史を踏まえて、周期表の今後について考えます。
今回の主役.この周期表は 2019年4月にイギリスの科学者 Poliakoff らが Nature Chemistry に発表しました1。
周期表は天地無用か?
上の上下逆転周期表を見せられたときの個人的な感想は「なんじゃこりゃ。何を見せられているんだ? 」という感じでした。左上に配置されたフランシウム Fr や上部中央のマイトネリウム Mt あるいはダームスタチウム Ds など、名前しか知らない元素のあたりを視線がウロウロして困惑してしまいます。一方、炭素 C や酸素 O 、窒素 N など身近な元素は右下の方に埋もれています。この配置は人間の視線の動きに反する気がしてなりませんでした。というのも、人間は視線を Z 字型に左上から右下に移すと言われています。そんなことなので買い物の広告などではお買い得商品を左上に配置することが多いそうです。
人は Z 型に視線を動かすと言われています. こんなふうに記事冒頭の周期表を眺めて困惑してしまった人も多いのでは?
こんな周期表だと、化学に不慣れな人たちにとって全く馴染みのない元素たちが初めに目に飛び込んできてしまいます。酸素 O や窒素 N などの身近な元素が上部に位置する現在の周期表が、人の視線の心理には沿う気がします。
というわけで、周期表は天地無用だ!
待て待て。頭ごなしにアイデアを否定することは簡単です。提案者の意見にも耳を傾けてみましょう。
周期表を水素を原点に持つグラフに見立てる
この周期表の提案者は上のような批判に対して、周期表は買い物のリストではないと反論しています。そして周期表を数学的なグラフ (散布図) に対応させたいと主張しています。どういうことかというと、正の数を変数にもつ二次元のグラフを書くときには、普通原点を左下に置き、y 軸を上に伸ばします。したがって、周期表の族を x 軸に対応させ、周期を y 軸に対応させる方が適切では? というのが上下逆転周期表の基本的なアイデアです。なるほど。身近な元素を上に配置したいという単なる人間の心理を理由に軽い元素を上部に配置するよりも、こちらの筋が通っています。
上下逆転周期表は水素を原点に持つ散布図のようなもの.
しかし不思議ですね。仮想的な軸を記入するだけで、グラフの原点である左下に視線が行くではありませんか。もともと提案された上下逆転周期表に、このようなグラフの軸は描かれていなかったため気づかなかったのですが、この記事を書くために軸を記入した上下逆転周期表を試しに作成したところ、案外わるない上下逆転、という気持ちになってしまいました。
個人的に水素の位置も気に入っています。この上下逆転周期表では、水素はグラフの原点に位置します。実は、水素って宇宙が誕生してから初めに誕生した原子なんですよね2。文字通り水素を “原点” に置くことで、周期表に宇宙史をも反映させることができたとさえ解釈できます。 (やや無理がある?)
上下逆転周期表の “軸” は原子番号にのみ当てはまる
冷静になって「周期表=グラフ」理論を深掘りして見ましょう。従来の周期表の優れている点として、原子半径や電気陰性度の周期性があります。例えば、従来の周期表では周期表の下に行くほど原子半径は大きくなり、右に行くほど原子半径は小さくなります。これを上下逆転周期表に当てはめると、「周期表の上に行くほど原子半径が大きくなる」と改められます。上下逆転周期表の y 軸は原子半径に対しても機能しているようです。ただし、周期表の右に行くほど原子半径は小さくなる関係は変わりません。なので周期表の x 軸は原子半径に対して負の相関を持ってしまいます。
一方、電気陰性度はどうでしょうか。もともとの周期表では下に行くほど電気陰性度は小さくなりました。これが上下逆転すると、「周期表の上に行くほど電気陰性度が小さい」ということになります。これらのことから上下逆転周期表の y 軸は、元素のすべての性質について正の関係を示すものではないとわかります。「周期表=グラフ」の理論は、原子番号に限って当てはまる関係なようです。
上下逆転周期表における原子半径や電気陰性度の関係.
電子数が多い元素を上に置くことで構成原理を直感的に表現
では周期表を上下逆転する利点は、周期表が原子番号を軸に持つグラフになることだけでしょうか。提案者らは、「上下逆転周期表は、周期表がなぜこのような構造を持つかを直感的に表している」とも指摘しています。周期表が中央に凹みを持っているのは「構成原理」に由来します。構成原理は、原子核に電子が収容される順序を表したルールです。ものすごくざっくりと説明すると、コップに水を注ぐと当然下から順に水が満たされるように、原子核に電子を満たすとエネルギーの低い軌道から順に電子が詰まっていくのです (下のイメージ図を参照)。構成原理は Aufbau principle と言いますが、これは積み上げ原理という意味です。原子番号が大きい元素ほど周期表の上にあることは、それらの元素では下部の元素よりも電子がより多く積み上がってることを表しているわけです。
上下逆転周期表は構成原理 (Aufbau Principle) を直感的に表している.
原子核が持つ電子の軌道のエネルギーを表した模式図 (左). 高校化学では「原子核に近い殻から順に電子が収容される」のように習うかもしれませんが、厳密には少し違います。実際には同じ殻の中にもいくつかの電子の “軌道” があり、同じ殻の軌道同士でもエネルギーが異なっています。新たに加わる電子がどの軌道に詰まるかに基づいて, 周期表のブロックが形成されます (ただしこの図の軌道の色は, 上の図の周期表のブロックと対応してません).
周期表の向きは任意
ここまでの考察をまとめましょう。上下逆転周期表は、次の特徴があります
- 周期表を、x 軸および y 軸方向に原子番号が増える二次元の散布図に見立てているため、周期表の向きに理屈がある
- 上下をひっくり返しただけなので、周期表の本来の目的である元素の周期律を保っている
- 電子が原子核に満たされていく様子を直感的に表しており、原子の構造と周期表での元素の位置が対応している。
これらの特徴を見る限り、周期表の上下を逆転したことによる弊害はほとんどなさそうです。それもそのはず、メンデレーエフが一番最初に提案した周期表は元素が縦に並んでいたではありませんか。結局周期表の向きは任意であって、上から周期を下るか、下から周期を積み上げるか、はたまた左から右へと縦に周期を並べるかによって、不都合は生じないのです。
メンデレーエフが最初に考案した周期表は元素が縦に並んでいた.
上下逆転周期表が現在の周期表を淘汰する事はあり得るか?
これだけ上下逆転周期表のメリットを説明してまいりましたが、実際この周期表が普及する日は来るでしょうか。個人的な結論は、「あるかもしれないが、すぐに起こる可能性は小さいだろう」です。その根拠は過去の周期表の進化の歴史にあります。一番最近に周期表の形が大きく変化したのは、短周期型周期表から長周期型周期表に変わったときです。
短周期型周期表における亜族の名称の廃止が, 実質的に短周期型周期表の廃止につながりました (詳細はこちら: 周期表の歴史を振り返る).
そのときの周期表の変更の駆動力となったのは、次の2点でした。
- 当時使われていた周期表(族の名称)についての混同
- 族の名称の混同による学生の混乱
では、現在の周期表において大きな混乱はあるでしょうか。私の知る限り、今のところありません。教育的な面では、上下逆転周期表の方が原子構造の仕組みを教える上でやや優れているかもしれません。しかし、その利点だけだとすでに大きく普及してしまった周期表を廃止するほどの動機にはならないかなと思います。
一方で、インターネットが普及した現代では、非公式に上下逆転周期表が広がっていく可能性はゼロではありません。”非公式に広がる”というのは、教科書などで採用される前に、ケムステのようなネット記事であったり、教育系の YouTube 動画で広がるという意味です。今や誰でも情報を発信できますから、みんながいいね! と思った周期表は教科書に現れる前にネット上で拡散されるかもしれません。うーん、周期表の未来を予測するのは困難です。
まとめ:周期表の形は1つに決まっていない
周期表は、科学者が元素の性質をなるべくわかりやすく説明するために発明した表であり、科学者は今もまだその改良案を模索しています。したがって「周期表の形はこれでよいのか」という記事タイトルにある質問の答えは「周期表の形は1つに決まっていない」というあまのじゃくな答えになるかもしれません。実際、今回は取り上げられなかった個性的な周期表が世の中にはたくさん提案されています。この記事をきっかけにお気に入りの周期表を探してみてはいかがでしょうか?
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参考文献
- Poliakoff, S.; Markin, A. D. J.; Tang, S. L. Y.; Poliakoff, E. Nature Chemistry 2019, Accepted. DOI: 10.1038/s41557-019-0253-6
- 科学技術週間, 宇宙図, http://stw.mext.go.jp/common/pdf/series/diagram/uchuzu2018-ja_A3.pdf.