化学を長年やっている助教や博士課程の学生にとっては当たり前のことでも、学部生や修士の学生がやってみると、全くうまくいかない。困った。という実験の一つに、スケールアップが挙げられます。
先輩の実験ノートや論文の実験項にはOrganic Synthesesのように懇切丁寧な説明書きがあるわけでも無い事が多く、書かれている通りにやったのだが、反応が汚くなってしまった。精製する気も失せた。もう帰ろう。。。といったことは誰もが経験することかと思います。プロセス化学はスケールアップを研究する学問ですが、アカデミックでその研究を行なっている例は少なく、そういったケムステ記事もこれまでに無かったので今回は量上げについて書いてみたいと思います。
反応容器について
反応容器はスケールアップに合わせて、大きいものを使いましょう。フラスコに並々反応溶液が入っているといった状態は、突沸、ガスの発生、反応熱の処理など様々な観点から危険です。特に、反応容器を選ぶ際は後処理で水溶液を入れることまで勘案したうえで、選ぶとよいと思われます。
一方でそもそも、フローを使えば、スケールアップで問題ないじゃないかという意見もあります。もし、フロー装置をお持ちの場合はその利用も検討するといいかもしれません。
反応熱について
反応に用いる化合物の量を10倍にした場合、冷却バスによる冷却効率や、オイルバスによる加熱効率は反応容器の表面積依存なので100倍となる一方で、発生する反応熱は反応容器の体積に比例するので1000倍となります。そのため熱交換のために小スケールに比べて10倍の時間を要することにまります。加熱反応の場合はあまり問題になりませんが、特に、冷却を必要とする反応の場合、反応温度や冷却装置の温度をさらに下げたり、反応剤の滴下速度を遅くしたりすることで反応をコントロールする必要があります。また、普通の常温での反応でも、通常は発熱反応であることが多いので、スケールアップに伴い反応熱が蓄積され、反応温度が上昇、選択性が落ちたという話もよくあります。さらに、気体が発生する反応、例えばSandmeyer反応やLAHのクエンチなどの場合、発生する気体の容量が反応に供する液体または個体に比べて圧倒的に大きくなるので注意が必要です。
スケールアップの際に注意を怠ると、熱交換の効率が下がっているために発熱反応が急速に進行し、反応が汚くなったり(副生成物や選択性の低下)、反応の暴走による吹きこぼし、最悪の場合爆発につながります。スケールアップを行う際は、以前行ったことのあるスケールの10倍スケール程度に留めるのが基本です。また、当たり前のことですが、大量スケールの場合は反応容器には温度計を差し、内温を測定するのに加え、反応剤の滴下の際には温度コントロールを正確に行うようにすると良いかと思われます。場合によっては、犠牲基質を用いて先に大半の試薬を殺してから、水などを加えることにより反応を完全に停止させるなどの処理が望まれる場合もあります。(例えば、DIBAL還元をAcOEtでクエンチや、THFの蒸留窯をIPAでクエンチするのと同様です。)
攪拌について
攪拌効率についても、スケールアップの際に10倍大きいスターラーバー(撹拌子)を使うことはほぼ無いので攪拌方法についても考慮の必要があります。特に、DIBALやLAHのクエンチでは激しい攪拌が求められますし、2層系の反応、例えばPinnick酸化などは攪拌により反応速度が大きく影響を受けるので、スケールアップにはメカニカルスターラーを使い、効率的に攪拌するべき場合もあります。
濃度について
スケールアップの際は、たくさんの溶媒を使うと分液後のエバポが面倒臭い、分液漏斗が重い(疲れる)、単純に用いる溶媒量が多く費用がかさむ、など問題があり、できれば反応の濃度を一般的な0.1Mから1M程度に上げてやりたいところです。しかし、濃度が変化することにより、反応速度が早くなったり、分子間反応が加速したり、反応温度のコントロールが甘くなり反応が暴走したり、と副反応が起こる場合もあります。そのため、濃度を変える場合、必ずこれまでと同じスケールで、濃度を変えて反応を行うことが重要です。また、その際のwork upや精製でもさらに10倍量の化合物を用いて量上げした際に、どの程度の溶媒量が抽出や精製に必要なのか考えながら行うと、スケールが上がった時に困る可能性が減ります。
抽出について
通常、量上げすると化合物の量に比して使用する溶媒量が少なくなる傾向があるので、スケールアップ後の抽出の際にはどの程度の溶媒が必要なのか、あらかじめ考えておくべきです。特に以下の3点については気をつけるべきかと思います。抽出操作はカラム精製などに比べて圧倒的に簡便です。化合物の極性がかなり低い場合などは、低極性の溶媒、例えばAcOEt/Hex 1:20などの混合溶媒を用いて抽出操作をすれば、極性が高い不要物、例えばDMFやDMPUなどの溶媒や副生成物をより簡単に取り除くことができます。以下の三点はよくあるケースとその対応。
- 大量スケールの抽出でエマルジョンができる場合は、溶媒量や水層のpHが適切か検討が不足している場合がある。(–> 小スケールで溶媒量とpHの検討、最悪のケース、大量のセライトを混ぜて、セライトろ過。詳しくはこちらの記事などを参考にしてください。)
- 水層の容量が不十分で不要なbyproductsが全て水層にいききらずcrudeの純度が低下する場合がある。(–> 複数回washするなど)
- 水層および有機層の溶媒量が少なく、もしくは水層が塩で飽和しており析出物ができてくる場合がある。(–> 小スケールで溶媒量とpHの検討、水の追加など)
精製方法について
大量スケールでのカラム精製は骨が折れます。使用する溶媒量も半端なく多くなります。それに応じて、溶媒留去などにも時間がかかります。そのため、再結晶や蒸留による精製が可能かどうかもスケールアップの前に検討するべきです。(そもそも、そういった精製方法が使える逆合成を考えるべきという意見もあります。また、林先生のようにPot Chemistryを極めるという方法、カスケード反応を利用する方法などもあります)反応が汚くなり、精製する手間よりも新たに仕込み直した方が早い場合は、同じ失敗をしないように仕込み直しましょう。
場合によっては、精製を行わなわずそのまま次の反応にcrudeを用いる方法、溶媒抽出を複数回行うことで不純物を除去する方法を考慮する必要もあるかと思います。また、精製するタイミング、例えばsensitiveな触媒反応の前に精製するなど、次の反応にどの程度の純度の中間体が必要とされているのかについても検討する場合もあります。
最後に
スケールアップの際には、準備、work up、精製どの点においても予想以上に時間がかかるものなので十分に余裕を持って行うことが肝要です。バズーカカラムを仕込んだら、溶媒の濃縮に半日かかるといったこともあります。また、研究初期の反応スクリーニングなどは例外ですが、スケールアップや反応のチューニングなどの際、変更するパラメーターは一つまでというのも反応条件のスクリーニングにおける鉄則の一つです。
スケールアップでうまくいかなくなった場合は必ず、サンプルを少しとり、小さいスケールでどうすれば問題が解決するかミニ実験をすると、失敗の拡大を防ぐことができます。少々化合物を失っても、ミニ実験をした方が時間を抑えることが可能です。詳しいことはプロセスケミストリーに従事されている方が詳しいので、そういった友達や先輩などから話を伺ってみてください。また、こういう問題があったけど、この点に気をつければ問題が解決するなどの指摘がございましたら、コメント欄にお願いします。本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
関連リンク
- 有機合成テクニック集[ケムステ版] (ケムステ記事)
- 小スケールでの反応 (ケムステ記事)
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