Tshozoです。先日発表されたタイトルの件、今まで本ケムステで書かれてきた記事(こちら・こちら・こちら 及びスポットライトリサーチなど)の中身が実を結んだ本分野の大きなマイルストーンとなるであろう成果と感じますため急いで速報を書くこととしました。正確性には十分留意いたしますが、都度々々訂正していく可能性がある点だけご了承ください(4/28 諸々修正・追記しました)。
“Molybdenum-catalysed ammonia production with samarium diiodide and alcohols or water”
Yuya Ashida, Kazuya Arashiba, Kazunari Nakajima & Yoshiaki Nishibayashi, Nature, 568, 536–540 (2019), 論文リンク
(特に断りのない限り、本件に関係する図は本論文より引用)
【関連リンク】
〇”A fresh approach to synthesizing ammonia from air and water”, News & Views,
Prof. Paul Chirik(Princeton University), Nature ,リンク
〇東京大学プレスリリース 全体版(英語):リンク 工学系研究科版(日本語):リンク リンク
〇Phys.org リンク
〇DerStandard.de 本家ドイツでも古株のWebニュースで紹介されてます リンク
〇FAZ.net 同じく本家ドイツの結構な有力紙 Frankfurter Allgemeine紙でも リンク
〇NHKニュース リンク 朝のニュースでやっててびっくりしました
【今回の論文 要旨】
本論文は一言で言うと「窒素と水から常温常圧でアンモニアを合成!」なのですが、その中身は著しい内容を含んでいます。その特長としては主に下記3点。
1.これまで最高の触媒性能を持つ同研究室のこちらの論文の合成メカニズムを維持した有機金属錯体のもとで、TON※で10倍以上(~ 4400)、アンモニア合成速度で約100倍(~120NH3/cat./min)上回った
2.有機金属による窒素固定でプロトン供給源に水及びアルコール類が使えることを世界で初めて実証した
3.副反応の水素発生を非常に低いレベル(<数%レベル)に抑制した
(※TON:”Turn Over Number” 触媒1ユニットが 目標材料を何分子合成したかを示す値 大きいほどよい)
これは自然界の窒素固定能を持つ触媒ニトロゲナーゼを越えたレベルの反応系を実現したことと同値であり、またアルコールが使えるという「マルチリソース」化への道を拓いたという面からも重要で、世界最高峰の学術誌Nature への掲載に至ったのも頷ける中身となっています。以下、歴史的背景と共に今回の成果の意義を追ってみます。
【歴史的経緯】
窒素そしてアンモニアは人類の発展と増加を一番根っこで支える元素・化合物として認識されています(関連記事:こちら)。そしてアンモニアの世界初の大量人工合成方法はご存知「Haber-Bosch法/以下HB法」。基礎化学、触媒化学、化学工学、金属工学、材料工学、高圧合成技術、プラント設計技術、測定技術が詰め込まれた、BASF社による化学史上最大のマイルストーンです。またこのとき発明されたアンモニア合成触媒及びアンモニア酸化触媒など多数の固体触媒は偉大なHeterogeneous Catalyst時代の幕開けともなりました。HB法によるアンモニア世界生産量は今や約1億9千万トン/年に迫っており、約8割が肥料用途、残り2割が化学品等へ消費されていますが、近年ではエネルギー媒体(燃料や水素運搬体など)として国内外で注目を集める極めて重要性の高い化学製品となっています(上記の記事や、関連リンク:こちら、こちら など)。
いつもの図。
このHB法は天然ガス(を含む化石燃料)が元々持っている熱量をもとにアンモニアへと「加工」する方法で、エネルギーをかなり消費するイメージがありますが実は大量合成品の「反応効率」としては非常にハイレベルなのです。つまり天然ガスに酸素を混ぜて少し燃やし高温高圧のSyngas(CO+H2)を作ってから更に水素を分離し、高温高圧のまま窒素と反応させアンモニアを作るわけですが、この天然ガスとアンモニアの熱量比が基本的な反応効率と考えることができます(下図)。この図で示すOutput/Inputは2013年当時のおおよその平均値である62%程度ですが、とあるプラントでは諸々の熱交換技術を駆使し65~70%近い値までもっていっているとか。
[文献1]より引用 LHV基準なので少し値が違う場合があるかも
(厳密には原料が天然ガスに切り替わったのはWWⅡ後)
この合成プラントはKBRやUhde(Thyssenkruppグループ)、Haldor Topsoe、千代田化工、日揮、東洋エンジ、KHIといった一流の化学エンジニアリング会社が建設できますが上記の効率向上の目的で「熱交換おばけプラント」になっており、エントロピー分として発生した熱は出来る限りプロセスの中で回収したり、場合によっては他から出たプラントの廃熱を利用したりして効率をとにかく上げるようなしくみになっています。
熱交換おばけの例[文献2] 現在の標準的アンモニア合成プラントの一例
(オランダBAM社によるカタールプラント/・日産2000トン)
このほか日産4000トンに迫る超巨大プラントの建設プロジェクトも存在
そして100年で各技術が究極レベルまで磨き上げられているため原料を高い効率で“加工”出来るということがHB法の大きな特徴です。たまに「HB法では大量にエネルギーを消費してアンモニアを合成する」と書かれていることがありますが、実際には上記のように「天然ガス(含む他の化石燃料)というエネルギー体を、水素を経由しアンモニアというエネルギー体へかなり効率よく変換している」というのが妥当な気がします。余談ですがCarl Boschは1932年のノーベル賞受賞時に「(高温高圧HB法における)触媒開発はほぼ完了した(““… the conversion of the ready-made gas mixture into ammonia is only a minor cost factor.””)」という趣旨のことを言っており[文献3]、 高温高圧HB法のエネルギー経済的なカギは水素生成効率化であった、というBoschの認識を如実に示すものだったのではないでしょうか。
HB法でNH31トンを合成する際の必要熱量の歴史的変遷[文献4]
縦軸MWh/tonNH3なので注意
2015年の時点で理論値とほぼ同等のレベルまで来てる
ただこの高効率は「定常稼働」が成立している場合のみにあてはまります。スタートアップなどの変動が発生する場合は低下しますし、だいいちプラントの起動/停止もかなり面倒。毎日電源切るとかもってのほか。また途上国の未熟なプラントや古いプラントでは効率が50%を切ったりしていますから、それこそ貴重な原料(天然ガス)の1/2以上を捨てているに等しい。
さらにこうした大規模プラントの初期投資は極めて大きく(中規模サイズの2000ton/dayレベルで初期投資が約1000億円前後@2017年・前はもう少し低かったが人件費高騰などで上昇気味)もうけが出やすくなるまでの目安である減価償却期間が10年前後くらいで投資回収に時間がかかり、更に”原油スライド”制によりフラフラする天然ガス価格(売買契約によっては固定価格の場合がありますが)に悩まされつつ災害が起こらないよう高稼働率を維持するというヒリヒリするようなプラントオペレーションを継続しなければならない。また基本的に大口LNG供給ルートが存在しないところでは作れないため、大体産油国近くに作らなくちゃいけなくて地政学的なリスクが存在する。一方、肥料需要は底堅いものの、売り手の言い値で買ってくれるほどの需要増加は見込めないのであんまり値段を上げるわけにもいかない。だいいち、これ以上肥料作って人口増やして世界に厄災ふりまいて本当にどうすんだっていう根本的な問題に対する懸念もあります。要はええかげんに量を抑制しなきゃ人口自爆してしまうというのはおおよそ皆様気づいておられると思います。
というわけで出来るだけ小規模に、”地産地消”レベルで「本当に必要なだけの肥料やエネルギーキャリアを」「商売的にも低いリスクで」「LNGに頼らず再生エネルギーベースで」稼働できる”Sustainable Ammonia Synthesis”の実現は産業的にも商売的にも環境的にも、要は世界的にも重要な社会的要請であることに疑いの余地はないわけです。現状のような人口過多の状況だと、”本来必要な肥料上限からの溢れ分”をエネルギーキャリアとして振り分けるほうがずっとSustainableな状態に移行していけることになるでしょう。
アンモニア合成の将来プラントが目指す方向は
こういうかんじではないでしょうか
このためには「フツーの鍋」レベルの安い設備で効率よく、いつでも電源を切れるくらいの軽いノリで止めたり作り出したりできる合成法こそ真のSustainableなものとなります。電力とタンクさえあれば大量に長期間変質なく貯めておけるのがアンモニアの素晴らしいところで、系統接続のコストも原理的には要らないため今まで「繋げなかった」僻地や”比較的品質の悪い”電力も(ある程度平準化は必要ですが)少ない投資規模で貯められる可能性があり、たとえば自治体の災害時の貯蔵/非常/分散化エネルギー貯蔵体としても重要な意義を持つことになります。普段もちょこちょこ使いつつ常時1ヵ月ぶんとかの量をバッファしておき、万一の災害時にはしばらくそれを使うとか出来るなんて最高の危機管理対策じゃないでしょうか。
最終的には新たに得られるであろう上記のような価値とコストをひっくるめて商売として成り立ち得るかどうかがキモということになるでしょう。今回の論文はこうした課題に対し「水と、還元剤(=エネルギーと等価/詳細後述)と空気からアンモニアを常温常圧でかなり効率的に合成する」という、まさにSustainable Ammonia Synthesisの基軸になりそうな成果ではないかと予感させられる内容であることが大きな意義と考えます。
【論文詳細】
前置きが長くなりましたが詳細。今回の成果は、具体的には以前の記事(こちら)で紹介した触媒と反応を大きく進化させたことがポイントになります。西林研究室での触媒的窒素固定反応開発の歴史は10年以上に及び、今まで反応第1世代~第4世代のピンサー型アンモニア合成触媒を提案・合成してきました(下図・アニオンは省略)。
この第3-4世代で、触媒存在下で還元剤(Reductant・コバルトセン系還元剤)とプロトン源(Proton Source・ルチジニウム系プロトンドナー/アクセプタ)を加えて窒素開裂を先行して発生させつつ高い触媒性能によりアンモニアを生成する反応系を見出したのが従来の方向性。しかし性能向上の試みは難航していたようで、先日発表された論文(リンク)でも触媒のみを深堀りする方向性では芳しい結果は得られていませんでした。そこで今回、同研究室では(たぶん)思い切って2つの変化を系に盛り込みさらに進化した触媒を使用することとしました。一つは還元剤を従来のデカメチルコバルトセン系からヨウ化サマリウムへ変更したこと、そしてプロトン源をルチジニウム系から水又はアルコール系へ変化させたことです。
今回の大きな変化点 2点
正確にはProton Sourceは水だけでなくアルコール系も使える
これだけか、と思われるかもしれませんがこの変更には2個の大きなリスクが予想されます。
1点目は、比較的新しい優秀な還元剤として有機合成に多用されるヨウ化サマリウム(SmI2)ですが、これまで主に使用していたデカメチルコバルトセンに比べ還元力が劣るため(標準水素電極電位比[以下SHE比]で60%くらい還元力が低い)反応速度が低下する可能性があること、また2点目は今回進化させたピンサー型窒素固定触媒はカルベン配位子を持ち中心金属が非常に高い還元性を持つ状態を取りうるために、系内に水や高極性分子が存在すると水素が優先して発生する可能性があること。特に後者は反応が進まないとか触媒が失活するなど致命的な結果を生むことが予想され「常識的には選択しない組合せ」のようにみえ、玄人考えなら躊躇してしまって選ばない気がします。素人なら「水が酸化剤代わりになるんじゃないっすかねぇ」とか軽口叩きそうな気がしますが・・・
しかし、今回蛮勇とも思えるこの選択が大きな進化をもたらしました。それが冒頭で述べた3点のポイントにつながり、これまで最も高活性であった触媒性能を大きく凌駕したことになります。なんというか、こうした素晴らしい結果はいつも「論理外、言語外」から出るイメージがありますね。しかも筆者が産業化に必要と考えている「雑」な要素が入っている。流石に酸素は存在したらまずいでしょうが、水分が多少含まれていてもガンガン回る反応という「雑」さがある点も筆者好みなところです(今回の場合水分が無いと進みませんが・あとSmI2+H2Oはほっとくと水素を発生するのでブレンド後すぐ反応させないといけない厳密さはあります)。
今回の代表スキームと最高性能をたたき出した触媒構造
相変わらずかなりシンプルな分子構造なのが驚き
注目すべき点はまだあります。上記の触媒は第3世代と第4世代の”あいのこ”のような構造をしている点と、またヨウ化サマリウムを使っているからヨウ素原子の存在が前回同様キーになるはず、と思いきや塩素原子が中心金属に配位しているものが最高の触媒活性を示している点。こういう結果を見ると先入観と言うものはアテにならんものだと思い知らされます。なおこの触媒も以前の記事で示した「窒素配位→窒素開裂→ニトリド形成→還元&水素化→アンモニア合成」という機構を達成しており、この反応サイクルが還元剤に依存しないという点でも興味深いところでしょう。
以前の記事より再掲 「現代化学」 2017年5月号より引用
さらにその還元&水素化反応では一般的にも重要な反応機構であるPCET(Proton Coupled Electron Transfer)が関わっている可能性が高いもよう。詳細反応機構については示されていないため続報を待つしかないのですが、本論文にはSmI2とグリコール類の中間反応体の構造を明らかにしたうえで、重水素グリコールを用いてKinetic Isotope Effect(同位体効果)における反応速度比を算出することでPCETが触媒に配位した窒素の水素化反応に支配的であることを示唆するデータも含まれており、キーの反応機構の予想はおおよそついている感じがします。
反応が高速に進み、水素発生が抑えられた理由と推定されるPCET反応
触媒は最高性能を示したものと異なるが説明のため変更
このPCETについて最も気になるのが何故水素の発生量が極端に抑えられているのか、という点。以下は推定ですが、PCETが関わらない場合は電子を受け取った中心金属の還元性の高い状態が長く続いて窒素がすぐにプロトン化されないため、競争反応の相方である水素発生が起こりやすくなってしまうのに対し、一方中心金属が還元状態でいる時間が短いと予想されるPCETが成立していれば窒素がプロトンを受け取る反応が優先される、というリクツなのではないでしょうか。じっさいSmI2系でPCETが起きていることを示した文献は2016年以降何通か発表されており、この系がアンモニアの還元でも適用可能であることを実証した点も興味深いです。
非常に速やかに進んでいる様子が印象的な今回の反応の様子と
そのアンモニアで合成した代表的な肥料の硫酸アンモニウム(英語版PRより引用)
もちろん産業化には大きなハードルがいくつもあるでしょう。ですが、Haberだって1908年のカールスルーエでの最初期に合成出来たアンモニアはほんの数滴ずつだったのですから、「実際に少量でも肥料まで合成出来た」ということは大きな意義があると考えます。
いずれにせよ詳細反応機構の解明はここからですし更に触媒性能を伸ばすための置換基、溶媒、添加剤、副触媒、反応条件、また使用したSmI2の高効率再生など、深堀りすることが相当にありそうです。反応系を単純にした故の問題も色々発生するでしょうがプレスリリースをみるとこの触媒開発には日産化学殿が関わられるようで(参考記事:こちら)特徴ある製品を多数持ち、精密合成を得意とする同社ならきっと産業化までの道筋を見極めていけることでしょう。さらにより良い反応系が構築されることを願ってやみません。
【おわりに】
以上、過去の経緯含めて本件をラフに紹介したのですがHB法が「高温高圧のもとで窒素固定反応を非常に早く回転させる」系であるのに対し、今回の成果は「触媒金属中心が高い還元電位のもとで窒素固定反応を非常に早く回転させる」系のスタンダードに成り得るのではないかという気がします。
一般に常温常圧で窒素固定を行うにはHB法の高温高圧に相当するための何らかの「しかけ」が必要で、還元電位の高い中心金属に窒素を配位させた状態を出発点とする以外にその「しかけ」の候補は見当たらないであろうことは歴史的経緯から比較的容易に想像がつきます。しかし1970年代のChatt Cycleの提案から30年以上それを成立させる解は実質誰も提案できなかった、有機金属化学における最高レベルの課題でした。そしてその解決の端緒が2003年のSchrock・Yandulovによるモデル反応の提案と2011年の西林教授による第一世代触媒だったわけですがそこからようやく今回の成果に至ったことになり、粘り強い取り組みを継続されてきたということに対し心から敬服いたします。下図の性能上昇トレンドとそのインパクトを鑑みるにこの成果はきっと象徴的なものになり得るでしょう。
以前のグラフを修正して今回成果を追記
縦軸の最大単位がついに100,000TONに到達!!
またこれと同時自然界のニトロゲナーゼと同レベルの性能に到達したことにより生物内での酵素のモデル反応がほぼ成立したとも言えることにもなり、生物内の酵素のはたらきの機構を考えるのにも示唆を与えるのではないでしょうか。こうした二重三重の意味で今回の成果が大きな意義を持つことに疑いの余地はありません。窒素固定の情報を追っていた人間の1人として実に感慨深いものがあります。
最後になりますが、今回の論文は同研究室の博士課程大学院生 芦田裕也殿、荒芝和也特任主任研究員殿、中島一成准教授殿、西林仁昭教授殿が著者に記載されております。改めて今後の益々のご活躍を祈念して本記事を締めさせていただきます。
【蛇足:今回の技術的な疑問と残課題】
下記は完全に筆者の個人的疑問であり、論文趣旨などと意見を異にする内容ともなりますがご容赦下さい。
まず今回の反応においてアンモニアを合成するためのエネルギーが一切必要ないわけではありません。正確には、アンモニア合成のためのエネルギーを再生エネルギー由来とすることが相当に容易に成り得る可能性を示したというべきでしょう。プレスリリースの場では先生方も詳細を解説しておられるはずですがマスコミがインパクトを優先したか内容を理解していないかのどっちかで、間違って伝わっている感じがしますのでここで明示しておきます。今回の系ではSmI2という還元剤≒「エネルギー」の貯蔵体とも言うべきものを系に加えることでアンモニアを合成しているのであり、これすら無いまま一切何も消費することなく窒素と水からアンモニアができたらそれはもう錬金術とかマイナ〇イオンとかシリカパ〇ダーとか江戸しぐ〇とかいう、似非情報の類いです。
で、従来の方法で再生エネルギーからアンモニアを合成するためには、一般に基底状態にある水(または還元剤+プロトン源の混合体)などにエネルギーを与えて水素や中間体に変換し(α)、さらにそこから低温低圧HB法などの何らかの活性化手段を加えてアンモニアまで持って行く(β)必要があります(下図/HB法はあくまで参考に表示)。面倒ですね。なおHB法はもともとエネルギー的に高位にあるもの(LNG含む化石燃料)を加工するのでこの面倒が要らないから非常に安く合成出来るのです。
従来反応(①+②)の簡易熱力学的イメージ
実際には過電圧も考慮したダイアグラムにする必要があるが簡単のため省略
ともかく安くつくるには上の図のαとβを回すための必要エネルギーが低いほどよいわけで、つまり
①⊿E1:「水を活性状態[通常プロトン+還元剤(一般には水素)と酸素]に分ける必要エネルギー(活性化エネルギー分含む)」
②⊿E2 :「その分けたものと窒素をアンモニアに変換するための必要エネルギー(活性化エネルギー分含む)」
を下げねばならんことになります。合計のベースライン(目標値)となるのは歴史的にもアスワンハイダムなどで行われていた①水電解②高温高圧HB法、の合算値が良い例になるでしょう。①の水電解は90%前後と高効率でかつ比較的低いポテンシャル(理論値:~1.23V、一般に使われるアルカリ水電解で実際値1.70V前後)によって分解できますが実際にはこのための電力がかなり必要でありヘタすると全体のエネルギーの7割以上を占める場合もあります。加えて常温常圧レベルの純水素を高温高圧化してHB法に適用するための昇圧分とガス加熱分のエネルギーもあんまりバカになりません。というのも水素のような密度を上げにくいガスの昇圧と加熱は結構エネルギーを食う、めんどくさい工程であるためにこれは結構大きな障壁になることが予想されます(ので、低温・低圧化したHB法を目指す意義は十分ある気がします)。ただ水力発電のようなある程度まとまったフラットな出力が見込める発電形態ならともかく今はダムは環境負荷が極めて大きく作りにくい傾向がありますし、太陽光発電や風力発電などでは日中しか動きません&風が止まったら動きませんからプラントのON/OFFなどが頻繁に起こって基本効率が下がる懸念は常にあるわけです。
いっぽう、一般にこれまでの金属錯体による窒素固定は②のところの必要エネルギーが検討のメインになっていました。つまり電気分解などでプロトンと還元剤をつくり、それを利用してアンモニアに持って行く形式です。ここは実は結構やっかいで、たとえば自然界のニトロゲナーゼでは下図のように「少なくとも」水電解と同レベルの相当大きなエネルギーを②単独でも必要であることが推定されます(実際に従来の反応効率などを加味すると水電解の2倍くらいかかる見込みでした)ので、このままではとても太刀打ちできません。
Washhington大学の講義資料から引用
しかも水素をかなりの量発生するので実効率はもっと悪い
ところが今回の場合、水と窒素から一気に高収率でアンモニアまで合成させる系が実現可能であることを示した形になります(下図)ので別の形で必要エネルギーを考えなければならない。今回反応の核心のγの部分はエネルギーはそんなに要せず収率と触媒の回転数をどこまで安定的に伸ばせるかが問題になりますが、消費エネルギーはSmI2の還元反応後のSm3+をSm2+に戻すためのエネルギー⊿E3ということが重要になります。
今回の反応(③)の簡易熱力学的イメージ
電気化学的な必要エネルギーの比較イメージ
ただし反応条件などで大きく変わるので値や矢印の大きさはあくまでも目安
理論的にはSm3+→Sm2+には(文献によって差がありますが)SHE比で-0.74V程度のポテンシャル入力で進めることができるため、理論的には⊿E3は~1.97V(=0.74V+1.23V)程度という、水電解に必要な1.23Vの1.6倍程度のエネルギーによって昇圧も加温もせず圧力容器もヒータも要らず高速にアンモニア合成を実現できるという点で驚愕の成果だと考えることができます(上図)。これまで主に還元剤に使ってきたデカメチルコバルトセンのRedoxポテンシャルはSHE比でたしか-1.32Vですから、それに比較すると一気に半分近くまで還元力を下げ、理論値としては30%近く低減した形になります。加えてSmI2は一電子還元剤ですから電気化学的に還元する場合の負極過電圧がかなり低くできるはず。ここはまだ本論文未記載ですので今後の楽しみにとっておきましょう。ともかくまだまだ省エネルギー化は必要ですが、SmI2が使えたことで他にもSmI2より還元電位が低くてもアンモニア合成部分を回せる還元剤の探索の余地がありそうですし、色々と楽しみなところですね。
ただどうも腑に落ちないのが論文中の最後の活性化エネルギー比較表でこの③と上述の②を比較している点。これはPrinceton大学のPaul Chirik教授が2016年ころに窒素固定モデル反応へ当て嵌めたBDFE(Bond Dissociation Free Energy:結合解離自由エネルギー/基本的には反応プロセスの出発から終点までのギブスの自由エネルギーの変化を足し合わせたもの・・・のはず)でアンモニアの合成に必要なエネルギーを比較するという考えにのっとっており、それにもとづいて上記の②⊿E2を③⊿E3と比較していますが、この比較は今回の反応系には不利な条件ではないでしょうか。上で示したイメージが正しいとするなら、本来は①+②と③を比較しなければ熱力学的にリクツが合わないはず。
それとも、 Sm3+→Sm2+が現状未成立だからそういう比較をせざるを得ない状況だったのでしょうか。成果の質から考えて速報性が重視されるべきだとは思いますが、上記のBDFEの取扱いに疑問が残る以上、本論文の最後に書いてある文面(“Although this value is very far from the ideal reaction, this presents an opportunity for further research in the field of catalytic nitrogen fixation.”)はなんともその通りには受け取りにくい印象を受けます。ただ事実は決して嘘をつきませんから③がいくらで成立するかを淡々と示し、改良を加えていけばきっとこのあたりの優位性も明示していけることでしょう。
もちろん触媒のTONは伸ばさないといけないでしょうし副生成物の処理を考えておかなければならんでしょうし収率も上げねばならんですし反応系のロバスト性も高めねばならんでしょうし、アンモニアが出来たという事はヒドラジンですら触媒的に合成できるかもしれない可能性がありヘタすりゃ窒素酸化物ですら・・・と、こりゃもう「やることはなんぼでもある」わけですが、試行錯誤の末に辿り着いたであろう骨組みは見えてきた印象を受けます。あらためて益々の進化を期待したいと思います。
【参考文献】
- “Smarter Fertilizer Catalysts for the Future”, Johnson Matthey Catalysts, Dr. Yaqoob Kamal, 2010 (リンク消失)
- “Catalysts to drive environmental improvements in fertilizer manufacture”, John Brightling, Johnson Matthey Catalyst, 2008(リンク消失)
- “The development of the chemicalhigh pressure method during the establishmentof the new ammonia industry” Carl Bosch, 1932, Nobel Lecture, リンク
- “Innovations in Ammonia”, US Department of Energy, H2@Scale R&D Consortium Kick-Off Meeting Chicago, August 1, 2018 リンク
- Washington大学生物化学講義資料(2009)より引用 (リンク消失)