皆様、いかがお過ごしでしょうか。学部4年生の筆者は院試験も終わり、卒論作成が本格的に始まるまでの束の間の平穏を楽しんでおります(記事執筆11月)。
大学院試験準備のため、4年間の講義範囲を見直す事で、大学教育は一つ一つの講義が繋がって、一つの到達目標(化学学士)を目指していることに気がつきました。このことにもっと早く気付き、全貌を意識しておれば、もっと講義を楽しめたのではないかと後悔しました。
そこで、ケムステ読者の高校生、大学1.2年生に向けて、私が受けた講義を紹介したいと思います。自分がこれからどのようなことを教わるのか俯瞰できたらいいかもしれません。筆者の所属学科はいわば工学部応用化学科(正式名称は違いますが…)であり、純粋な理学部化学科とはわずかにカリキュラムは違いますが、一つの化学系学科の例として読んでいただけたら幸いです。
とは言っても、大学の授業は自分で選んで取るものであり、同じ学部学科にいても学ぶことは一人一人違うでしょう。そこで、ここでは私の学科が、必修科目・特別推奨科目に設定した”化学系の”講義に絞り紹介いたします。
講義一覧
私の学科の必修科目・特別推奨化学系科目は以下のようになります。
第1学年
基礎物理化学(量子論) | 必修 |
基礎物理化学(熱力学) | 必修 |
基礎有機化学I | 必修 |
基礎有機化学II | 必修 |
基礎化学実験 | 推奨 |
工業化学概論 | 推奨 |
第2学年
物理化学基礎及び演習 | 推奨 |
有機化学基礎及び演習 | 推奨 |
基礎無機化学 | 推奨 |
化学プロセス工学基礎 | 推奨 |
物理化学I | 推奨 |
有機化学I | 推奨 |
無機化学 | 推奨 |
分析化学 | 推奨 |
高分子化学基礎I | 推奨 |
化学数学 | 推奨 |
第3学年
創成化学実験I | 必修 |
創成化学実験II | 必修 |
物理化学II | 推奨 |
有機化学II | 推奨 |
機器分析化学 | 推奨 |
高分子化学基礎II | 推奨 |
生体関連物質化学 | 推奨 |
統計熱力学入門 | 推奨 |
物理化学III | 推奨 |
有機化学III | 推奨 |
錯体化学 | 推奨 |
最先端機器分析 | 推奨 |
高分子化学I | 推奨 |
高分子化学II | 推奨 |
化学生物学 | 推奨 |
第4学年
化学のフロンティア | 推奨 |
工学倫理 | 推奨 |
化学実験の安全指針 | 必修 |
特別研究 | 必修 |
大きく分けて、有機化学系、物理化学系、無機化学系、分析化学系、生化学系、高分子化学系、実習、その他に分類できることが分かります。
結局化学系の学科というのは、これらの分野をそれぞれどのようなバランスで学ぶかで特徴付けられるのかもしれません。例えば、筆者の学科では、材料科学を意識した高分子化学の講義が多めで、その分、生化学分野が削られているイメージがありました。
それでは、それぞれの分野について振り返っていきましょう。
【有機化学分野】
12単位
対象科目
- 基礎有機化学I ~ II
- 有機化学基礎及び演習
- 有機化学I ~ III
有機化学分野では、3年生までの6セメスターの全てに1コマずつ講義がありました。そのうち前半3セメスター(基礎有機化学I ~ II、有機化学基礎及び演習)
で、「マクマリー有機化学(生体反応へのアプローチ)」の内容を説明し、後半3セメスター(有機化学I ~ III)で「Solomons Organic Chemistry」の内容が説明されました。
[amazonjs asin=”4807906917″ locale=”JP” title=”マクマリー有機化学―生体反応へのアプローチ”] [amazonjs asin=”1119248973″ locale=”JP” title=”Solomons’ Organic Chemistry”]基本的には教科書に載っている内容が網羅されましたが、マクマリー有機化学後半部の生化学分野(アミノ酸/タンパク質/代謝/核酸)や両教科書の分光学分野(NMR,IRの読み方など)は抜かされました。代わりに代謝は後述する生化学科目、分光学は「有機分光学」という非必修科目にて学ぶ場が与えられました。
前半部、基礎有機化学I ~ IIは、かなり丁寧にやってくれていて、高校知識の復習がメインで、それに加えて命名法、立体化学、芳香族の基礎知識が説明されました。いずれも「反応」を教えることは少なく、有機化学の単語・概念を教えることを目的にしていたことがわかります。
そして基礎を学んだのち有機化学基礎及び演習にて、「反応」についてマクマリーに載っているものを網羅します。
後半、有機化学I ~ IIIではSolomonsの分光学範囲以外を綺麗に三等分し、反応機構をベースに詳しく説明します。教科書に載っている知識に加えて、金属触媒によるカップリング反応や、保護基についてなど、実際現場で使われている反応も紹介されました。こちら3科目は「反応」の理解に力が入れられていました。
まとめると、有機化学教育は物理化学と並んで力が入れられており、二つの教科書の内容を効率的に網羅することが目標とされていました。
基礎的な部分を一年生でじっくり学ばせてから、教科書中の反応の理解が進められました。
二冊の教科書を使う為、同じことの繰り返しになる点は非効率だったと思いますが、その分、知識の定着を目指しているのではないかと思います。
【物理化学分野】
14単位
- 基礎物理化学(量子論/熱力学)
- 物理化学基礎及び演習
- 物理化学I ~ III
- 統計熱力学入門
必修単位数なら1番の分野です。基礎物理化学で「ベーシック物理化学」、それ以外では基本「アトキンス物理化学」内の分野が説明されました。
[amazonjs asin=”4759811508″ locale=”JP” title=”ベーシック物理化学”][amazonjs asin=”4807909088″ locale=”JP” title=”アトキンス物理化学〈上〉”]有機化学と同様に前半3セメスターが基礎物理学、物理学基礎及び演習で、後半3セメスターで物理化学I ~ III、統計熱力学を学びます。
基礎物理化学(量子論)では、量子論への導入、運動の量子論、原子の構造とスペクトル 、分子構造、分子軌道法までを一気にやりました。教員の意向で教科書に載っていない範囲まで、量子論の根本的理解が求められました。(正直、当時は全く理解できませんでした。)
基礎物理化学(熱力学)では高校範囲の復習に加えて、熱力学関数の説明や関係式を熱力学第一、第二法則とともに学びました。
そして、後半3セメスターでアトキンス物理化学の内容を学びます。有機化学と違い、それぞれの授業が繋がっておらず、1分野ずつ説明されました。つまり、熱力学分野(アトキンスでいう「第1部:平衡」分野)、量子論(アトキンス「第2部:構造」分野前半)、統計熱力学(アトキンス「第2部:構造」分野後半)、反応速度論(アトキンス「第3部:変化」分野)を学びました。
いずれの授業も教科書には厳密に従わず、教員の重要だと思う点のみがピックアップされて後は演習重視でした。
総じて、物理化学分野では、有機化学同様の基礎と応用の2教科書制をとっていましたが、どの講義も繋がりは希薄でした。これは物理化学分野自体が有機化学と比べて分化している為でしょう。
とはいえ、前半に基礎を学び、後半にその繰り返しになりながらもより深いところまで説明される形ではありました
ただどの授業も演習を重視しており、授業を通した教科書理解というより、学生の自習を促す目的の授業だったのだと感じます。
とはいえ、講義型、演習型の違いはあっても、教科書の内容を網羅しようとする目的は一緒ではないかと思います。
【無機化学分野】
6単位
- 基礎無機化学
- 無機化学
- 錯体化学
無機化学分野は、前述した分野と違い、基礎→応用の流れはあまりなく、3つの授業それぞれで、「シュライバー・アトキンス無機化学」内の別の章を学びました。
[amazonjs asin=”4807906674″ locale=”JP” title=”シュライバー・アトキンス 無機化学〈上〉”]具体的には
「基礎無機化学」の授業で、原子構造(アトキンス1章)、分子構造(2章)、固体の構造(3章)
「無機化学」で固体の構造(3章)、測定機器(6章)、高次酸化物(アトキンス第3部全体からピックアップ)
「錯体化学」で酸塩基(4章)、酸化還元(5章)分子対称性(7章)配位化合物(8章)dブロック金属(アトキンス2部全体からピックアップ)
です。
結果アトキンス第1部1〜8章が網羅され、2部、3部からはピックアップされた説明が与えられました。
つまり、1つの教科書が、網羅されなくとも、効率的に読み込まれています。
時間の関係上、ピックアップになってしまう部分はありますが、無機化学科目全体の目的は「アトキンス無機化学」の網羅であったのだと考えます。
【分析化学分野】
6単位
- 分析化学
- 機器分析化学
- 最先端機器分析
分析化学分野では「Harris Quantitative Chemical Analysis」を教科書にしていました。
[amazonjs asin=”131915414X” locale=”JP” title=”Quantitative Chemical Analysis”]「分析化学」では化学平衡論/塩基滴定/EDTA滴定(Harris 6-12章) 酸化還元(13章)
「機器分析化学」ではHPLC(24章・ほとんど教科書にない話)吸光分析(教科書なし) ポテンシオメトリー/電極/還元滴定(14-15章)
「最先端分析化学」では電気泳動(25章・ほとんど教科書にない話)IR/Ramann/MS(教科書なし) Amperometry/Voltammetry(16章)
このように、教科書は酸塩基分野・電気化学分野(6-16章)のみに絞って教えられ、教科書に載っていない・詳しく説明されていない測定機器についての説明が多いです。
分析化学分野では、細かい理論を知ることよりも、実際研究を始めた際に用いる測定機器の原理について理解することが目標にされていると感じられます。
【生化学分野】
4単位
- 生体関連物質化学
- 化学生物学
生体関連物質化学の授業は「ヴォート基礎生化学」を教科書に、化学生物学は教科書なしでした。ただどちらの授業も殆ど教科書を参照することはありませんでした。
[amazonjs asin=”4807909258″ locale=”JP” title=”ヴォート基礎生化学 第5版”]どちらの科目も3年生になってから学びますが、弊学科の学生は生物・生化学にそれまで触ったことのない者が殆どのため、超基礎的な部分から応用まで一気に学ぶことになります。
「生体関連物質化学」では核酸の構造・セントラルドグマ・細胞膜構造・情報伝達・代謝・タンパク質・酵素の基礎を学びます。
「化学生物学」ではタンパク質・酵素・糖・細胞内オルガネラ・代謝・細胞骨格・免疫・幹細胞・細胞外マトリクス・再生医療・DDS・バイオイメージングについて基礎から応用まで学びます。
このように莫大な生化学範囲をただ2科目でカバーする為、詳しい内容には触れず概念を知ることが強調されました。応用化学・材料化学で切り込む生物分野(再生医療・DDS・バイオイメージング)の説明に入るための前提知識を教えることが目的であったのだと考えます。
(生化学を一時期専門にしていた筆者的には「生体関連物質化学」で生体材料について全く教えず、「化学生物学」でケミカルバイオロジーに触れないのは問題だと思います。なぜ普通に「生化学」と名付けないのでしょうね。)
【高分子化学分野】
8単位
- 高分子化学基礎I ~ II
- 高分子化学I ~ II
実習を除き、有機化学、物理化学に次いで力が入れられている分野です。この分野こそが、「応用」化学科として特徴付けられている点でしょう。なんと教科書はありません。
まず高分子化学基礎Iで高分子合成をテーマに高分子の概念・合成方法の分類から始まり、逐次重合(合成法・量論)について掘り下げます。後半は高分子物性をテーマに高分子の分子構造(分子量・立体規則性)、高分子の形(高分子1分子の排除体積の計算)、高分子溶液の性質、混合の熱力学を学びます。
高分子化学基礎IIでは、合成分野として連鎖重合(ラジカル重合・共重合)について学び、物性として固体構造・光学的性質・熱的性質・力学的性質がカバーされます。
高分子化学Iでは連鎖重合の応用として配位重合・イオン重合・開環重合・リビング重合を学びます。
高分子化学IIでは高分子化学基礎で学んだ物性分野を復習したのちに、高分子多成分系の自己組織化について学びます。
教科書がないため、全体的に材料化学研究を念頭においた応用寄りの内容でした。例えば高分子合成分野では、リビングラジカル重合を用いた配列制御合成の話なども紹介されました。弊学科は高分子研究が多めのため、この科目は研究を始めた際の高分子基礎知識の教育と、どのような研究が実際されているかの紹介の二つを目的に設置されていると考えます。
【実習】
29単位
- 基礎化学実験
- 創成化学実験I ~ II
- 化学実験の安全指針
- 特別研究
実習は主に1年の「基礎化学実験」(週3時間)、3年の「創成化学実験I ~ II」(週15時間)および4年での「化学実験の安全指針」「特別研究」になります。
「基礎化学実験」では無機定性分析(無機金属イオンの基本反応)、容量分析(各種滴定やそれによる反応速度解析)有機化学(蛍光物質、有機合成)に関する実験を行い、レポートを書きます。
「創成化学実験I ~ II」では分析化学実験(各種滴定、吸光測定、サイクリックボルタンメトリー)有機合成実験(エステル合成,Grignard反応,カルボニル化合物の還元,Diels-Alder反応)高分子合成実験(リビングラジカル重合,逐次重合,高分子反応)、生物化学実験(タンパク質とDNAを用いて生体高分子の特性・機能の測定・解析操作)、無機化学実験(固相反応による酸化物高温超伝導体の合成と物性,固体分解反応の熱分析,溶融冷却法による非晶質酸化物の作製と光吸収,固体中にドープされた不純物イオンの光スペクトル,ゾル-ゲル法による非晶質酸化物の作製に関する実験)、物理化学・高分子物性実験(高分子溶液の浸透圧,反応速度の決定,紫外可視分光法と拡散現象,高分子材料の粘弾性とゴム弾性,配向と複屈折に関する実験)、計算機実験(プログラムの書き方)を行います。
「化学実験の安全指針」では、過去の事故の例などから、研究を行う上でやってはいけないことや、心構えがとかれます。
「特別研究」では学科内の研究室に配属され、研究→卒業論文までのプロセスを体験します。(らしいです。)
実習科目の印象としては、どの実験もそれ自体は、特に役に立つものではないというのが正直な感想です。どちらかというと、そのあとに課されたレポート課題が、自分で考察、調べる力を育てるという点で重視されていました。
ただ現在研究している身としては、TLCの打ち方や実験器具の使い方・洗い方、再結晶方法などはここで学んだことを活用していると思います。
また、3年生の実験はそれらに加えて、どの分野の研究室が自身にあっているか考える場として与えられていた印象です。教授方や先輩とお話しできる機会が大事にされていました。
【概論・その他】
8単位
- 工業化学概論
- 化学のフロンティア
- 工学倫理
- 化学数学
- 化学プロセス工学基礎
これら概論こそが、トップダウン型の最も大学らしい授業でした。ここにあげた必修科目以外にも、「概論系」の授業は用意されており、そこでは教授陣がリレー方式で研究紹介を行います。
これらの授の目的は明白で、学生に将来の研究分野を知り、それらについて知る機会を与えることだと考えられます。
総評
以上のように、有機化学、物理化学、無機化学、生化学、分析化学、高分子化学それぞれの分野が、一つの教科書の読み込みや、研究に入るための基礎知識の習得などが目的とされています。
そして、それぞれの授業は、それらの目的を果たすために分野内全体でつながっていることが分かります。
同時に、実習・概論を通して、最新の研究を紹介してもらう場が常に与えられていることがわかります。
総じて、大学学部教育とは、研究者を育成するための基礎知識を網羅しそれを研究に繋げられる学生を育てる場なのでしょう。
これはおそらく当たり前のことなのでしょうが、それぞれの科目に集中していた三年生まではこの事に気づけませんでした。
全科目を俯瞰する事で見えてくることもありましたので、「○○大学○○学部コースツリー」とでも検索し、今一度自身の学問的「立ち位置」を確認してみてはいかがでしょうか。