「ケムステ海外研究記」の第28回目は、スクリプス研究所(Ryan Shenvi研)研究員・大多和正樹先生にお願いしました。大多和先生は、北里大学薬学部の講師として天然有機化合物の全合成および構造活性相関の研究をする傍ら、上原記念生命科学財団のリサーチフェローとしてShenvi研で2年間研究されていました。
Q1. 留学先ではどんな研究をしていましたか?
Shenvi研では、天然物の全合成研究1)と水素原子移動 (HAT) を基盤とした反応開発研究2)の2本柱をメインに、他にもケミカルバイオロジーなど多岐に渡る幅広い研究を行っています。また近年、天然物の官能基を少しだけ変換することで、活性を維持しつつ短工程での合成を可能とする’Dynamic Strategic Bond Analysis’の概念の提唱も行っています3)。
私は留学中、神経栄養/保護作用を有するセスキテルペンである(–)-11-O-debenzoyltashironin (2) とbilobalide (5) の2つの天然物の全合成研究に携わりました (Fig. 2)。(–)-11-O-Debenzoyltashironin (2) の全合成研究は、2014年にShenvi研で達成された (–)-jiadifenolide (1) の全合成4)のハイライトでもあるブテノリドヘテロダイマー 9 を原料にして、(–)-11-O-debenzoyltashironin (2) の効率的な合成を目指すといったものでした。図を見て頂くと分かるかと思いますが、そのヘテロダイマー 9は既に(–)-11-O-debenzoyltashironin (2) の基本骨格のほとんどを有しており、半ば反則的な原料とも言えます。合成経路をよほど工夫しないと最初のヘテロダイマーの合成のインパクトに負けてしまうという危機感を持ちながら研究を進め、何とかその全合成を達成することが出来ました5)。結果的にブテノリドヘテロダイマー合成を超えるインパクトは残せませんでしたが、無駄のないスリムな合成経路に仕上がったと思っています。また詳細は割愛しますが、イーライリリーとの共同研究でそれらの新たな作用機序も明らかとなってきました5,6)。
2つ目のプロジェクトであるbilobalide (5) の全合成研究では、大学院生2人とチームを組んで進めました。当時の葛藤は後述することとして、帰国前までにラセミ合成ではあるものの10-des-hydroxybilobalide までのルートを通す事が出来ました7)。最後の酸化反応は一度だけ成功したものの再現性が取れずにタイムアップとなりましたが、その後チームの院生が頑張ってくれて、不斉合成を含めてもうすぐフィニッシュとなるようです。詳細は、近い内に公開されるであろう論文を参照して頂けると幸いです。
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?
自身の研究の視野(幅)を広げる、一流研究者の研究発案法/その取り組み方/ラボの運営方法などを学びそれらを帰国後所属研究室に還元する、ことを目的に留学を決めました。有機化学は他の基礎学問と比べ、良い意味で成熟した完成に近い分野であると個人的に考えています。その中でも新規性の高い先駆的な研究を進めているPIの元で、柔軟な思考で斬新なアイデアを出す術を身に着けたいと考えました。
研究室選びは大変悩みましたが、最終的に、合成だけでなく反応開発など広い分野の研究を展開していること、大規模なラボでないこと(少人数、もしくは1人でプロジェクトを進めたかった)、後はPIが若いことを条件としました。今思えば他にも該当する研究室は数多くありますが、結果的にShenvi研を選んで心から良かったと思っています。
あと一点は、大変意識の低い動機です。私は幸運にも修士卒で博士課程を経ずにアカデミアの世界に飛び込みました。入職後数年は幸いにも自ら手を動かす時間が少なからずありましたが、研究に没頭できる博士課程の数年間を経験しなかったことに負い目を感じていました。ある程度経験や知識が蓄積してきた今、トップレベルの環境でどこまでできるのか挑戦してみたいと単純に思ったこともきっかけの一つです。
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
<良かったこと>
私の場合はこれまでに海外研究記を書かれている多くの方々とは事情が少し異なり、アカデミアに所属しながらの留学でした。従って留学後のポストを気にすることなく研究に没頭出来たことは本当に幸いでした。また、アカデミアでの現場の経験年数をある程度持ってからの留学だったので、もっと若くして (いわゆる博士課程修了直後のポスドクとして) 留学する場合と比べ、見えた景色は少し違ったのかなと思います。一般的にこのタイミングがベストとは思いませんが、私個人としては得るものが多かった留学でした。
また月並みではありますが、人間関係が広がった、広がるきっかけになったと毎違いなく言えます。その成果の一つが、まさにこの海外研究記ではないでしょうか。
一方、Scrippsの大学院生と共にプロジェクトを進める機会があったことで、日本と海外の大学院生の教育文化の違いを肌で感じることができたと同時に、どの様にチームの大学院生と接するか最初の頃は大いに悩みました。悩んだ末に、どんな些細なことでも一つずつ確認し、取捨選択は彼らに任せるとして、私の考えや細かい手技などは全て伝えようと決めました。自主性を重んじる (≈放任主義?、語弊があったらすみません) アメリカにおいて、敢えてのこのようなスタンスは彼らにとっても良い経験になるのではないかと考えての結論でした。これは同時期にShenvi研に留学されていた八木さん(現在は名大伊丹研助教)から頂いたアドバイスで、私の悲惨な英語力でどこまで彼らに伝えられたかは疑問ですが、その成果も多少はあってか良い関係でチームとして研究を進められたと感じています。
<悪かったこと>
大学に籍を残しての留学であったため、所属研究室の先生方や残してきた学生達には本当に迷惑を掛けてしまいました。当初は留学直前まで指導していた学生の卒論関係の添削等も行っていましたが、途中から所属長の長光教授からScrippsでの仕事に集中できるようご配慮を頂きました。感謝の気持ちもありつつ、学生達を最後まで指導することが出来なかったことと先生方の仕事を増やしてしまったことを本当に申し訳なく思っています。その分しっかり結果を出そうとギアを上げたことは言うまでもありません。
あとは、強いて言うのであれば家族 (妻と子供2人) での渡米となったため出費が嵩んだことでしょうか。上原記念生命科学財団よりフェローシップを頂いていましたが、それでも2年間で結構な出費となりました (ローンの繰り上げ返済資金がサンディエゴの青い空と海に消えました)。しかし留学で得た経験はプライスレス、何の後悔もありません。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
サンディエゴ特有なのか分かりませんが、老若男女問わず家族連れにとても優しい人達ばかりでした。子供が泣き叫んでいても嫌な顔一つせずにむしろあやしてくれたりと、何度見知らぬ人達に助けられたか分かりません。またバリアフリーも徹底されているので、子連れ (特にベビーカー) での外出のハードルは日本よりも遥かに低いです。ブリュワリーにも子連れがたくさん!
Shenvi研の雰囲気は私が思い描いていたアメリカの研究室のイメージとは少し異なり、思ったより日本的だったという印象です。Ryanはコアタイムにメンバーがちゃんとラボにいて実験しているかをよく見ていましたし、例え結果が出なくてもその過程をしっかり評価している様に感じました。とはいえガチガチな堅苦しい雰囲気でもなく、時にはラボメンバーを巻き込んでジョークで盛り上がったりと、個人的には自由と秩序のバランスが絶妙でした。また、PIとしては勿論ですが、Ryanは大変素晴らしい人格者でもあります。そして同時に4人の子供を持つ親でもあり、全てをハイレベルにこなす彼は本当に同じ人間なのかと思うことが多々ありました (年齢は私とほとんど変わらないので尚更です)。
Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
研究関係では必要そうな細かい実験道具類を送ったくらいでしょうか。正直なところ研究よりも生活関係を重点的に準備しました。家族全員同時の渡米で、かつ当時下の子がまだ8ヶ月だったため、なるべく早く現地での生活基盤を作れるよう事前に可能な限り徹底的にリサーチしました。また当時Scrippsに在籍していた日本人の研究者の方々と渡米前に連絡を取り、家財一式を引き継がせて頂いたり、貴重なアドバイスを頂戴したりと、本当に色々と助けて頂きました。もし今後ご家族でアメリカ(特にサンディエゴ)に留学される予定のある方は、ご連絡頂ければ色々と情報を提供できるかもしれません。
困ったことは、留学終盤になってShenvi研の人数が増加してラボのスペースが無くなり、途中から隣のBoger研のスペースを借りて実験しなければいけなかったことです。おそらくBoger 研で実験しても迷惑を掛けないだろうと評価して下さっての結果だとポジティブに考えてはいますが、それでも残り4,5ヶ月のところで全く実験環境が変わったことは多少なりともストレスがありました (しかも研究も山場を迎えていたので)。ですが、Boger研の方々とも交流を持つこともでき、2つのラボで研究生活を送るという貴重な体験が出来たので、結果的にむしろ良かったと感じています。受け入れて下さったBoger先生に感謝申し上げます。
プライベートでは、WBC観戦に家族でロサンゼルスへ行った際に車で自損事故を起こしてしまったことが最大のトラブルです。幸いにも怪我などはなく多少の修理とバンパー交換で事なきを得ましたが、旅先でのレッカー移動、現地のディーラーでの修理など大変な目に会いました。今では笑い話ですが、当時は顔面蒼白で、無事にサンディエゴに帰れるのかという不安から、肝心の試合内容はあまり覚えていません(笑)。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
アカデミアの人間として、まずは私が経験したことを学生達に伝えていくことが大事だと思っています。海外で経験を積むことが必ずしも正解とは思いませんが、人生の選択肢の一つとしてもう少し身近なものになってほしいと考えています。
またQ3でも述べた経験を基に、特に教育面において今後どのように学生と向き合っていくかというビジョンは鮮明になったと感じています。もちろん時代や環境に合わせて柔軟に対応する必要はありますが、決してぶれてはいけない根幹の部分は確立できたと思っています。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
これまでに海外研究記を書かれている諸先輩方も述べていますが、海外での研究生活は人生において必須ではないと私も考えています。やりたい/興味のある研究を行っている場所へ進むべきで、それが国内であろうと海外であろうと、大事なことは場所ではありません。とはいえ、海外に行かないと経験できないことが多々あることも紛れもない事実です。もしチャンスが有れば、あまり深く悩まずに飛び込んで見るのもアリではないでしょうか。意外と何とかなりますし、得るものも大きいかと思います。
最後に宣伝的なものを。Ryanは日本人の持つクオリティーをとても信頼していて、誰か良い日本人ポスドクはいないかとよく言っています。もし分野がマッチすればShenvi研を是非候補に入れてみては如何でしょうか。
この秋に来日した際、北里大で講演を行って頂きました。
最後にこの様な機会を頂き、ケムステスタッフの皆様と、推薦して下さったScripps研究所Baran研の苅田くんに心より御礼申し上げます。
【関連論文・参考資料】
- 最近発表された全合成の論文 (a) Reiher, C. A.; Shenvi, R. A. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 3647-3650. (b) Lu, H.-H.; Pronin, S. V.; Antonova-Koch, Y.; Meister, S.; Winzer, E. A.; Shenvi, R. A. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 7268-7271. など
- 最近発表された反応開発の論文 (a) Shevick, S. L.; Obradors, C.; Shenvi, R. A. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 12056-12068. (b) Green, S. A.; Vásques-Céspedes, S.; Shenvi, R. A. J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 11317-11324. など
- Roach, J.; Sasano, Y.; Schmid, C. L.; Zaide, S.; Katrich, V.; Stevens, R. C.; Bohn, L. M.; Shenvi, R. A. ACS Cent. Sci. 2017, 3, 1329-1336.
- Lu, H.-H.; Martinez, M. D.; Shenvi, R. A. Nature Chem. 2015, 7, 604-607.
- Ohtawa, M.; Krambis, M. J.; Cerne, R.; Schkeryantz, J. M.; Witkin, J. M.; Shenvi, R. A. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 9637-9644.
- Witkin, J. M.; Shenvi, R. A.; Li, X.; Gleason, S. D.; Weiss, J.; Morrow, D.; Catow, J. T.; Wakulchik, M.; Ohtawa, M.; Lu, H-H.; Martinez, M. D.; Schkeryantzs, J. M.; Carpenter, T. S.; Lightstone, F. C.; Cerne, R. Pharmacol. 2018, 155, 61-70.
- 第16回 次世代を担う有機化学シンポジウム 講演要旨集 (2018)
【研究者のご略歴】
名前:大多和 正樹 (おおたわ まさき)
略歴:
2005年: 北里大学薬学部製薬学科卒業
2007年: 北海道大学大学院薬学研究院博士前期課程修了 (松田 彰 現名誉教授、市川 聡 現教授)
2007年: 北里大学薬学部薬品製造化学教室 助手
2008-2014年: 同 助教
2013年: 慶應義塾大学理工学部 非常勤講師
2014年: 博士 (薬学)
2015年-現在: 北里大学薬学部薬品製造化学教室 講師 (長光 亨 教授)
2016年4月-2018年3月: The Scripps Research Institute, Professional Scientific Collaborator (Prof. Ryan A. Shenvi) (上原記念生命科学財団 リサーチフェローシップ<2年助成>)
留学中の研究テーマ:複雑な構造を有するセスキテルペン類の全合成研究
海外留学歴:2年
現所属(大学・学部・研究室):北里大学薬学部薬品製造化学教室