第161回目のスポットライトリサーチは、早田敦 (はやた あつし)さんにお願いしました。
早田さんはかつて東京大学大学院薬学系研究科・井上将行研究室に所属し、巨大ペプチド天然物・ポリセオナミドBの合成研究に従事してきました。大半の部分構造は固相合成で準備されるものの、あまりにも巨大な分子であり、なおかつ非天然型アミノ酸も多数含まれるため、その合成は全く一筋縄ではいきません。
今回早田さんは合成法を格段に磨き上げることで作用機序解明研究に十分となる量を供給し、ポリセオナミドBがどのように細胞死を引き起こしているかを初めて明らかとしました。本成果は、J. Am. Chem. Soc.誌に掲載されるとともに、プレスリリースとして公表されています(冒頭図はこちらの論文より引用)。
”Solid-Phase Total Synthesis and Dual Mechanism of Action of the Channel-Forming 48-mer Peptide Polytheonamide B”
Atsushi Hayata, Hiroaki Itoh, Masayuki Inoue, J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 10602–10611. DOI: 10.1021/jacs.8b06755
早田さんを直接現場で指導された伊藤寛晃 助教から、コメントを頂いています。
早田君は、明るくさっぱりとした人柄ながら、運動部出身者らしい情熱を秘めた人間的にも大変魅力のある学生です。ポリセオナミドに関する研究を進める上では、未知の分子作用を明らかにするという研究の性質上、個々のデータをどう捉えるか、次の一手をどう打つか、が極めて重要でした。早田君は、予想とは異なるデータが得られた際も、むしろその状況を楽しみながらディスカッションを重ね、課題を解決してくれました。
本年3月に卒業され、現在は製薬企業に勤めていますが、本研究で得られた経験を新しい環境でも大いに活かしてくれるものと期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
ポリセオナミドBは分子量5kDaという巨大なペプチド系天然物です。本化合物は、タンパク質を構成するアミノ酸とは異なる多数の非天然型アミノ酸からなり、β-ヘリックスと呼ばれるナノチューブを形成します。また、本化合物は、脂質二重膜中でイオンチャネルとして機能し、がん細胞に対して極めて強力な毒性を示します。抗がん薬シーズとしても期待される本化合物ですが、入手性の乏しさから細胞死誘導メカニズムの詳細は分かっていませんでした。
今回、我々は、ポリマー上で連続してアミノ酸を縮合する固相合成を駆使し、ポリセオナミドBを迅速に供給できる方法を新たに確立しました。さらに、合成分子を用いた解析により、本化合物が従来想定されていた細胞膜への挿入に加え、エンドサイトーシス経由でリソソームに集積することが分かりました。これにより、本化合物は細胞膜でのイオンチャネル形成によりイオン濃度の勾配を乱す上、リソソーム膜でのイオンチャネル形成によりリソソーム-細胞質間のpH勾配を消失させる効果を示し、これらの複合的な効果により細胞死を誘導することが初めて明らかになりました。このような作用を示す化合物は、ポリセオナミドBが初めての例です。
本研究成果は、巨大複雑天然物の創薬応用への新たな可能性を提示するものであり、ポリセオナミドBの特異な構造と機能を応用した抗がん薬シーズへの展開が期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
ポリセオナミドの特異なイオンチャネル機能に興味を抱いていたため、生物作用解析に対する思い入れは大きいです。当初は、「細胞膜でイオンチャネルを形成し、細胞死を誘導する」という従来の仮説に対する検証実験から開始しました。しかし、蛍光標識体が細胞膜ではなく細胞内で観測された時点で、未知の生物作用の解明実験へと発展しました。どのように細胞内に移行し、細胞内のどこで何をしているのか。このような次々と浮かぶ疑問に対し、細胞内挙動という「空間軸」と、各イベントが起こる「時間軸」を意識して研究を進めました。その結果得られた「点」としての実験データを「線」として繋いだのが、ポリセオナミドの示す細胞死誘導メカニズムです。細胞膜およびリソソーム膜でのイオンチャネル形成を示唆する本メカニズムが解明できたことは、非常に運に恵まれたと感じています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
固相合成法の確立です。本合成法は、固相合成の長所を最大限利用し、合成開始から75工程の固相反応と1回の液相反応を経た後、1回のHPLC精製により目的物を得るという極めてシンプルなものです。しかし、操作のシンプルさゆえに、合成収率が76工程後にしか分からない点が、本法を確立する上での大きな課題でした。そこで、合成中間体のLC/MS解析を活用しました。固相合成、フラグメント縮合、脱保護の各工程で生じる副生成物をはじめとする様々な問題を、分子量という僅かな手掛かりから考察し、議論し、時に閃きで解決しました。
その結果、76工程の平均収率が96%という目的物が極めて高効率的に得られる合成法を開発することができました。大きな問題を1つずつ原因と結果に切り分けて考察することを繰り返した結果、本合成法を確立できたと思っています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
多様な分子を合成供給できることは、有機化学の持つ大いなる強みだと思います。その上で、有機化学に+αを組み合わせて新たな価値を創造したいと考えています。その一つの到達点が「薬」だと考えています。本経験を生かし、中分子創薬という新たな薬のモダリティ確立によって、最先端の科学技術を社会還元していきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究は、専門領域(有機化学)から一歩踏み出した境界領域(ケミカルバイオロジー)に位置づけられると思います。私は、専門領域から半歩踏み出せば世界は変わり、新たな発見に出会えると信じています。学生の皆さんには、ぜひ好奇心・探求心を大切に研究を進め、チャンスがあれば、半歩踏み出した境界領域の面白さを体験してほしいと願っています。
最後になりましたが、本研究を遂行するにあたり、多大なご指導を賜りました井上将行教授、伊藤寛晃助教にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前: 早田 敦
前所属: 東京大学大学院薬学系研究科・有機反応化学教室
研究テーマ: ポリセオナミドBの合成と機能解析
経歴:
2013年3月 東京大学薬学部 卒業
2014年4月-2018年3月 ライフイノベーションを先導するリーダー養成プログラム(GPLLI)コース生
2015年3月 東京大学薬学系研究科薬科学専攻 修士課程修了(指導教員:井上将行教授)
2016年4月-2018年3月 JSPS特別研究員(DC2)
2018年3月 東京大学薬学系研究科薬科学専攻 博士後期課程修了(指導教員:井上将行教授)
2018年4月- 製薬会社研究所勤務