第155回目のスポットライトリサーチは、北海道大学総合化学院有機元素化学研究室(伊藤肇研究室)博士後期過程3年の岩本紘明さんにお願いしました。
岩本さんの所属する伊藤研究室の研究につきましては以前、伊藤先生ご自身にご寄稿頂き研究紹介をして頂きましたのでそちらをご覧ください。
(ケムステ記事:第12回 金属錯体から始まる化学ー伊藤肇教授)
岩本さんは、伊藤肇先生のご指導の元、銅触媒を用いた不斉ホウ素化反応を精力的に研究され、大津会議フェローにも選出されるなど多くの成果・業績を残されております。
今回ご紹介するのは、その難易度の高さゆえに達成されてこなかった末端アルケンのマルコフニコフ型不斉ホウ素化反応についてです。
筆者のみならず、読者の皆様も反応開発の難易度のみならず、DFT計算を最大限に活用したその成果に驚かれたかと思います。
プレスリリース詳細はこちらのページよりご覧ください。(計算化学による合理的設計で高性能なキラル触媒を開発 ~60 年におよぶ未解決課題を計算と実験で解決~ )
論文はこちらです。(加えてNature Communications Editors’ Highlightsにも選出されています。ページはこちら)
Computational design of high-performance ligand for enantioselective Markovnikov hydroboration of aliphatic terminal alkenes
Iwamoto, H.; Imamoto, T.; Ito, H. Nature Commun. 2018, 9, 2290.
また、伊藤先生ならびに共同研究者でいらっしゃる今本先生に岩本さんに関するコメントを頂きました。
伊藤肇先生からのコメント
学生さんたちが、実験だけでなくDFT計算も活用できる環境(教育とハード)を整えて来たのですが、岩本君から「DFT計算の条件をチューンしたら、数パーセントの誤差でエナンチオ選択性を再現できました。設計もできますよ。」と聞いた時は「ほんまかいな」と半信半疑でした。今本先生の手厚いご協力も賜ることができ、結果的に大成功のプロジェクトとなりました。彼は「最新論文を読むのが趣味」という研究ギークで熱い情熱をもつ学生です。今回のように、研究のやり方そのものをメタ的視点から更新したことは驚きです。今後スケールの大きな研究者に成長してほしいと願っています。
千葉大学名誉教授・日本化学工業株式会社技術顧問 今本恒雄先生からのコメント
岩本君と研究討論した時に、彼の研究に対する並々ならぬ情熱を感じとりました。彼は有機合成化学と量子化学計算の両面で圧倒的な力量をもつと同時に、ずば抜けた研究センスの持ち主です。今回の研究成果は、卓越した研究者である伊藤肇教授のご指導にもとに、彼の能力が遺憾なく発揮されて結実したものです。彼の恵まれた才能がさらに磨かれ、研究者として大きく成長されるのを楽しみにしております。
研究推進力だけでなく、その情熱や発想力も含めて先生方から絶賛される素晴らしい活躍ぶりであるということがうかがえますね。
それでは、今回のプレスリリースについての岩本さんからのメッセージをご覧ください!
Q1. 今回のプレスリリース対象となったのはどんな研究ですか?
ヒドロホウ素化反応は1950年代にHerbert C. Brownらによって報告され、有機化学の教科書にも載っている大変有名な反応です。通常、末端アルケンにおけるヒドロホウ素化反応では、末端選択的にホウ素置換基が導入される「anti-Markovnikov選択性」を示します。この逆の「Markovnikov選択性」を示すヒドロホウ素化反応は通常進行しませんが、光学活性触媒を用いて不斉反応にできれば、光学活性有機ホウ素化合物を与えるため非常に有用な反応になります。スチレン型の基質に対しては、1989年に林民生・伊藤嘉彦先生らが光学活性ロジウム触媒を用いて初めて達成しました。[1]しかし、単純なアルキル基を有する脂肪族末端アルケンに対して、高い選択性を示す不斉Markovnikovヒドロホウ素化反応の報告例はありませんでした。[2]
私が所属する伊藤肇研究室では銅(I)触媒とジボロン反応剤を組みわせた新たなホウ素化反応を開発しています。この反応系は脂肪族末端アルケンのような不活性なアルケンに対しても非常に高い反応性を有します[3]。そこで、不斉配位子を適切に設計することで、脂肪族末端アルケンに対する不斉Markovnikovヒドロホウ素化が行えるのではないかと考えました。日本化学工業株式会社研究開発本部技術顧問・千葉大学名誉教授今本恒雄先生と共同で、リン原子上にキラリティーを有する不斉ホスフィン配位子の設計と合成を行いました。ここで、不斉ホスフィン配位子の設計法として、DFT計算による設計と実験による検証を組みわせる方法を企画しました。最初の配位子(第一世代)の実験結果を計算で解析し、選択性発現の要因を抽出、これをガイドラインとして新しい配位子(第二世代)を設計します。これを繰り返すと、徐々に選択性が向上していき、最終的に第三世代の配位子で 99% eeとほぼ完璧なエナンチオ選択性で目的の光学活性有機ホウ素化合物を得ることに成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
計算化学による反応選択性の再現です。
私たちは今回の研究発表の2年前にラセミ反応を報告しています。[4]続く不斉反応開発にあたって、このラセミ反応に用いた配位子を参考にして不斉配位子を調べたところ、2012年に今本先生らによって報告された三象限遮蔽型配位子(S)-3H-QuinoxP* [(S)-Quinox-tBu3]が目に止まりました。[5]今本先生からこの不斉配位子をいただいて、反応を行ってみると、予想通りある程度の選択性で生成物が得られることがわかりました。次に、その選択性をDFT計算を用いて再現することを試みました。C1対称の平面触媒錯体と末端アルケンの接近方法は8通りの組み合わせがあり、それらの活性化エネルギーから選択性を算出すると実験結果と非常に高い一致(誤差4%ee)を示しました。なお、分散力を考慮した計算メソッド[ωB97XD/6-311G(d,p)]で最も精度よく計算できることもわかりました。この計算メソッドは第二世代の不斉配位子を用いた時も高い一致を示しました。これらのことから改めて計算化学が持つポテンシャルを強く実感しました。また、この結果は不斉配位子の設計および共同研究における提案を行う際にも、非常に可能性と説得力のあるデータとなりました。なお、私が所属する北海道大学大学院総合化学院では、量子化学計算の実践的な手法を学べる授業があり、伊藤肇研究室では量子化学計算のためのインフラがありましたので、自然な流れで自分たちの研究に計算化学を取り入れることができました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
不斉ホスフィン配位子の合成に最も苦労しました。
パソコン上で高い選択性を示す配位子を見出せたとしても、実際に合成できなければ意味がありません。ホスフィンの原料につきましては一部、今本先生からご提供いただいていましたが、いくつかの配位子の合成に必要なリン原子上にキラリティーを導入するステップは自分で合成しました。この時、リン化合物の取り扱い方(毒性など)も含めて、わからないことだらけで非常に苦戦しました。しかし、今本先生からのアドバイスや、今本先生らによって報告された論文をもとに合成することに成功しました。改めて、今本先生らによって確立されたホスフィン合成法の完成度の高さに感嘆させられました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
今回、紹介させていただいた研究は、最先端の「ホウ素化学」、「ホスフィン化学」、「計算化学」を用いて達成することができました。また、研究室内外にかかわらず、これらの分野における一流の先生方のご指導のもとで研究を行えたことが、大きな経験となりました。その中で、有機化学やその周辺の分野の最先端技術を組み合わせると、有機合成化学の新たな可能性を見出すことができることを実感しました。しかし、一人で全ての分野をカバーすることは難しいので、将来的には様々な背景を持つ研究者達と共に、有機合成化学の新たな可能性を追い求めてみたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
研究は、常に自分のオリジナリティーを発揮できるチャンスが多くあります。それを見逃さず、指導教官(私の場合では伊藤先生です)と議論しながら研究方針に取り込んでいくことは非常に有意義なことだと思います。なかなか学生が自分の意見を言うことは勇気のいることですが、後でこうしておけばよかったと思う後悔の方が大きいと思います。失敗を恐れずにガンガン挑戦していきましょう!
最後に、本研究を含むこれまでの研究において研究指導をしてくださった伊藤肇先生、不斉ホスフィン配位子の合成を熱心にご教授してくださった今本恒雄先生(日本化学工業技術顧問、千葉大学名誉教授)、配位子の原料をご提供してくださった日本化学化学工業株式会社様、計算化学について適切なアドバイスをくださった前田理先生(北海道大学教授)に深く御礼申し上げます。また、研究室の皆様、この研究を紹介する機会をくださったケムステーション運営の方々に深く御礼を申し上げます。
研究者の略歴
名前:岩本 紘明(いわもと ひろあき)
所属:北海道大学 総合化学院 有機元素化学研究室 伊藤肇研究室 博士後期過程3年 (日本学術振興会特別研究員 DC1)
研究テーマ:銅(I)触媒によるホウ素化反応における合理的配位子設計を駆使した新規ホウ素化反応の開発
経歴:
2010年3月 神奈川県立平塚江南高校 卒業
2014年3月 北海道大学工学部 応用化学コース(伊藤肇研究室) 卒業
2016年3月 北海道大学大学院総合化学院総合化学専攻(同研究室) 修士課程修了
2016年4月―現在 北海道大学大学院総合化学院総合化学専攻(同研究室) 博士課程
2016年4月―現在 日本学術振興会特別研究員 DC1
2016年9月―2016年11月 訪問研究員 (Stockholm大学、Kálmán J. Szabó教授)
参考文献
- Hayashi, T.; Matsumoto, Y.; Ito, Y. J. Am. Chem. Soc. 1989, 111, 3426.
- 本研究を遂行中に、NHC配位子を用いた不斉ホウ素化の研究が報告された。Cai, Y.; Yang, X.-T.; Zhang, S.-Q.; Li, F.; Li, Y.-Q.; Ruan, L.-X.; Hong, X.; Shi, S.-L. Angew. Chem. Int. Ed. 2018, 57, 1376.
- Kubota, K.; Yamamoto, E.; Ito, H. J. Am. Chem. Soc. 2013, 135, 2635.
- Iwamoto, H.; Kubota, K.; Ito, H. Chem. Commun. 2016, 5916.
- Zhang, Z.; Tamura, K.; Mayama, D.; Sugiya, M.; Imamoto, T. J. Org. Chem. 2012, 77, 4184.