Tshozoです。これまでと少し毛色の違う窒素固定の論文が発表されたのでご紹介します。
“Nitrogen fixation and reduction at boron”
Marc-André Légaré, Guillaume Bélanger-Chabot, Rian D. Dewhurst, Eileen Welz, Ivo Krummenacher, Bernd Engels, Holger Braunschweig
Science 23 Feb 2018: Vol. 359, Issue 6378, pp. 896-900 論文リンク
Julius-Maximilians Universität Würzburg(通称ヴュルツブルグ大学)の有名研究者、Holger Braunschweig教授のチーム(リンク)によるホウ素を用いた窒素分子開裂の報告です。これまでの背景含め諸々書いてまいりますのでお付き合いください。
今回の主役 Braunschweig教授
本論文の背景
繰り返しになりますがNitrogen Fixationとは窒素固定のことでFritz HaberとCarl Boschにより創出されたHaber-Bosch法が人工的窒素固定のほぼ全てを支配していますが、これより生産されるアンモニアからその99%を得る農業肥料の工業化は人類の歴史を大きく塗り替える転換要因となりました。とは言え、より簡便な設備で需要に対し生産を柔軟に調整できる窒素固定法が引き続き求められているのは昨今の状況をみてもご理解頂けるでしょう。
あんまり見られたことのなかろうHaberとBoschの写真
そうした温和な条件での窒素固定方法の開発方向性としては「窒素+水素→アンモニア」 又は 「窒素+光(電気)+水→アンモニア」の2本がこれまで紹介してきた主な研究ですが、その一方で
●ヒドラジンなどの大量貯蔵するのが憚られるような材料を窒素分子からその場で供給する
●分子内に「後から」窒素原子を放り込めるようにする
などは高度な合成法開拓という観点から粘り強く開拓されつつあり、今回紹介する論文は後者の色彩が強いもの。ただ従来のものと違うのは、その主役になった元素です。
後者の代表例 干鯛研究室から発表されたイミドピリジン合成(左側・JACS・こちら)と
西林研究室によるシリルアミン合成法(右側・JACS・こちら)
論文上の新規性
これまで金属錯体による窒素固定の中心元素となっていたのは「金属」元素。つまり周期表では常温以下で開裂まで持っていけた元素は、金属リチウム(とウラン)を除いては下図のような最外殻にd軌道を持つ範囲でしか実現されていませんでした。
丸がついてるのが18年4月時点で窒素固定実績のある元素
6dと6fについては筆者が胡乱なため省略 ミスありましたらご指摘ください
(Ta周辺とランタノイド周辺については記憶が曖昧です・・・)
これに対し今回は最外殻にp軌道を持つ元素で何とか窒素固定反応が進行しないかという問題意識で進めた研究で、上図のように完全にノーマークな領域でした。そこに世界で初めて風穴を開けたという点の新規性が認められてめでたくScienceに載ったと考えられますです。
論文のポイント
実はこの論文に先立ちBraunschweig教授のライバルであるTübingen大学のBertrandBettinger教授により、フェニルボリレン(RB)という俄かには信じがたい分子構造をベースにしたホウ素を含む分子構造による窒素固定が実現していました。
BertrandBettinger教授の2017年の成果[文献2]
筆者の見識の狭さのせいですがSolid N2なんて有機合成系で初めて見ましたよ・・・
【’18/5/5 重ねて追記:Solid N2は正しくは「マトリックス分離(Matrix Isolation)」と呼ばれる手法で、放射線又は放射光による電子移動の状態を調査するのに広範に使用されているテクニック・もともとは1980年前後からプラズマ物理関係でガス分子の電子移動を観察するのに使用されていた手法でしたが、後にカルベンなどの配位子の電子状態を見るのに2000年あたりから多用されており、Y先生のご指摘によるとBettinger教授の常套手段とのことでした】
とは言うもののこれは10Kという極低温で光反応させるという極端な条件での話(原料もフェニルアジ化ボロンという爆発系で、筆者ならずともできれば触りたくない)。もっとマイルドなやり方はないものか。そこで適用したのがBraunschweigグループで以前から考えられていた「d軌道でのπ結合≒p軌道でのπ結合」という仮説です。たとえばJ. Chattによる窒素分子の開裂(Cleverage)モデルにおいては①窒素分子からの非共有結合電子対の供与と②窒素分子へのπ結合電子対の供与を同時に起こすことが前提になります。これまでみられた窒素分子を開裂する下記の触媒群においては、いずれもd軌道を持つ遷移金属原子が中心金属としてこの①②を担っていました。
窒素を開裂するためのChattによる配位の概念図 以前の記事からの再掲
図はHolland教授による本論文の解説記事[文献1]より引用
MoやFeで触媒的反応を起こせる材料は全てこの形式に依るとされている
では、これと同じメカニズムをホウ素のp軌道でも実現出来るのか? これは今まで実証されたことはありませんでした。
p軌道は果たして遷移金属のd軌道と同等の効果を出せるのか?
窒素固定の観点に加えて技術的にも重要な問い 同じく[文献1]より
んで一番上の諸々の検討の結果、「適用させることができた」のが今回の論文の成果になります。Braunschweig教授はこの成果の前にCO分子1個の配位が可能なホウ素錯体の論文を提出しており([文献2]・CO分子2個の場合はこちらの記事に詳しい)、Chattモデル類似の機構がホウ素のp軌道でも成り立つ可能性があることを示していました。更に遡れば過去Princeton大学のChirik教授が窒素固定金属錯体にCOが配位しうることを示していた[文献3]こともありましたから、COを配位しうるならば窒素固定の中心元素に使えるのではないか、ということは当然推定出来ていたのでしょう。
今回使用した出発材料(左)は[文献4]で作ったものから修正したもようだが
金城 玲 教授(南洋工大)がBraunschweigBertrand教授のもとで合成した構造(右)[文献5]がベースになっている
ただ筆者が昔酷い目にあったBBr3に似ているので少し複雑な気分
窒素を切った最初の反応の概要 本論文の図を少し改編
ただし5の非常に収率が悪かった
そこで出発材料の1を一電子還元した”6”の量を最大化してから窒素を開裂させるルートを見つけ、
安定な中間体7を得る条件を見つけたのが大きなポイント
メイン反応の中間体(7のカリウム塩)
やっぱり中心部を立体障害でバキバキに固めないと副反応が起きてしまうのだろうか
ということでこのホウ素錯体をもとに条件を絞り出し、特に大過剰のKC8を系内に加えて二電子還元を行うことが本反応のポイントであることを見出してめでたく2量体によって窒素を開裂したというわけです。
このカリウム原子がブリッジした窒素に配位することで中間体が安定化されて収率を上げることが出来るようになった点が大きなポイントでしょう。窒素を2分子で活性化して開裂するためには基本的にこのブリッジ状態を作らねばなりませんが、かなりエネルギー的に不安定なのは言うまでもありません。それを配位子とカリウムの関係性を考慮して開裂しかけの窒素を安定化させるような構成を持てば、ホウ素のような窒素固定の前例のない材料でも適用し得るということを見出した点は非常に興味深い結果と思われます。
今回手法の問題点と応用性の推定
筆者ごときが問題点を語るのはおこがましいのですが、まず第一の問題点として主反応が触媒的ではありません。最終ステップで加水分解してようやくヒドラジン形態になる程度で、窒素固定手法ならばこれを突破せねばなりません。アンモニアを得るためには錯体の中心元素酸化数をコントロールし得ることが前提となっているのがここ10年来の金属錯体による触媒的窒素固定法のメインストリームですが、だいいち窒化ホウ素という非常に安定な結合をつくり得るボロンがその窒素固定触媒的反応の中心元素として適しているのかというと正直疑問です。切り口としては今回のホウ素よりも配位した窒素原子そのものが窒素を配位する中心元素化するとかなると楽しいのですが、そんな原理は成立しないですかそうですか。
また第二の問題点として、極めて強い還元剤であるKC8を大過剰で使わねばならん点(CaltechのJ. Peters教授は結構ガンガン使ってますが・・・)は明らかに熱力学的・コスト的にも適用範囲的にもアレでしょう。ここまで強い還元剤を使うと他の官能基が壊れる可能性もありますから、もう少し緩い還元剤でも進むようなスキームを考えていただかねば適用範囲も広がらないままです。実際先行して公開されていた”Phys.org”のこちらの記事を見ると、
“Whether this will ultimately yield a method that is more favourable energetically is still an open question… It is only the very first step, albeit a major one, on the way to reaching the ultimate goal.”
と述べてますからまぁそこらへんのツッコミが入るのは想定済なのでしょう。
しかし、最初に述べた別の面、つまり今回の中間体が他の合成物への橋頭堡(論文の最後で”Bridge-Head”と述べられていますが)の中心となり今まで考えられなかった、又は非常に合成しにくかった窒素含有物質への合成ルートが開拓され得るならば、今回示した原理が別の元素でも成り立つのならば、反応開発面で大きな意味を持ち得るでしょう。実際Braunschweig教授の研究傾向を見ていると狙いの重心はそっち(ボロンを活かした反応や新しい結合形式)にありそうですし。筆者の知識範囲がかなり怪しいのでこれ以上言及するのは避けますが、この論文を嗣ぐ案件は引き続きウォッチしていきたいところです。
というか、今回のように「main group元素での窒素固定」と「新規化合物の提案」という形で2個の大きなテーマを同時にやっつけるという論文のスタイルは面白いですね。片方だけだと回らないコマを、2つパーツを組み合わせて重心をうまくとって回したようなイメージがあり、テーマのターゲッティングという面でも非常に面白い側面を持つと思います。
いずれにせよ、今後もこうした新たな知見を含む窒素固定を中心とした「窒素化学」の隆盛が更に進むことを祈りつつ今回はこんなところで。
【注記・’18/5/5 方々よりご指摘頂き、訂正線→赤字として間違い部分を訂正致しました 大変申し訳ありません >>Y先生、ご指摘有難う御座います 大変恐縮ですがこちらにて御礼申し上げます】
参考文献
- “Boron compounds tackle dinitrogen”, Patrick Holland et al., Science 23 Feb 2018: Vol. 359, Issue 6378, pp. 871 リンク
- “Photoreactions of Phenylborylene with Dinitrogen and Carbon Monoxide”, J. Am. Chem. Soc. 139, 15151–15159 (2017). リンク
- “N2 cleavage and functionalization by carbon monoxide promoted by a hafnium complex”, Nature Chemistry, vol2, 30–35 (2010) リンク
- “Generation of Dicoordinate Boron(I) Units by Fragmentation of a Tetra‐Boron(I) Molecular Square”, Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 1 – 6 リンク
- “Synthesis and Characterization of a Neutral Tricoordinate Organoboron Isoelectronic with Amines”, Science 29 Jul 2011, Vol. 333, Issue 6042, pp. 610-613 リンク