第17回目の海外研究記は、第3回の曽 明爍さんからのご推薦で、スクリプス研究所・大学院生の苅田譲さんにお願いしました。
苅田さんが所属するPhil Baran研究室は難関天然物の全合成研究で非常に著名な研究室です(参照:Palau’amineの全合成)。また、最近では、遷移金属触媒や電気エネルギーを用いたラジカル種発生を鍵とする分子変換法にも着手し、様々な分野で高い成果を挙げています(参照:オレフィンの還元的カップリング反応)。
苅田さんは天然物の全合成研究を行っており、詳しい研究内容ならびに生活環境についてお話を伺いました。
Q1. 留学先では、どんな研究をしていますか?
タキソールのTwo phase synthesisをしています.タキソールは1980−90年代に熾烈な合成レースが起こった抗がん作用を持つ天然物です.その強力な活性と特徴的な構造から,名だたる10のグループがその合成を達成しました(Figure 1).多くのグループが高度に官能基化されたA環とC環をつなぎ合わせるという,最も効率的な合成戦略を取っています.一方,その生合成模倣的合成戦略,すなわち炭素骨格構築(cyclase phase)と続く位置選択的C-H 酸化(oxidase phase)による合成戦略は未だ試みられたことがありません.
我々は今日まで培ったC-H酸化のノウハウを以ってこのTwo phase synthesisの達成を目指しています(Figure 2. A. C.).一見すると非効率な合成に見えますが,この戦略は類縁体の合成に威力を発揮します.それぞれのC-Hに対応する酸化反応を確立することで,あらゆる酸化状態にある天然/非天然タキソール類縁体の位置,立体選択的かつ網羅的合成が狙えます.この合成戦略の有用性が実証されれば,創薬化学が新しい部類の分子,戦略へ手を伸ばせるようになる手がかりになるかもしれません(Figure 2. B.).
これまでに骨格の合成[1],高酸化状態の類縁体合成[2][3]を報告しており,本プロジェクトを以って残る二つの酸素(C1, C7,Figure 2. C.)を導入し,タキソールの合成を完了させようとしています.去年に通りそうなルートは確立したのですがダサい(Phil談)ということで現在新しいルートの開拓に勤しんでいます.
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?
国内で自分が本当に行きたいと思う研究室が見つからなかったからです.
有機化学で有意義なことをするには分野にかかわらず,1. 分子にどんな機能を持たせることができれば面白いか,2. どんな分子ならその機能が発現するか,3. どうしたらそのような分子が作れるか,を理解していなければならないと思います.また有機化学の一番の美徳は,既存のものを観測するのではなく,自分の設計したものを創造できることにあると考えています.基本的な反応性を知らずに分子を狙って作ることはできないと考え, 大学院で全合成を学ぼうと思い立ちました.最初は国内で研究室を探しましたがなかなか思うように行かず,(しぶしぶ)海外の研究室をあたりはじめました.
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
良かったことは人脈が広がったことです.アメリカの著名な有機化学者を週一ペースで迎え,生で講演を聞き,一緒にご飯を食べ,一対一で議論できるのは留学せずに得られなかった貴重な機会だと思います.
悪かったことは日本の友達(結婚式に呼ばれたい),研究コミュニティーから置いてきぼりを食らっている気持ちがすることです.一学生の見解ですが,日本のアカデミア席取りは完全にコネ勝負になっています.助教,准教授を雇うことは大きな投資であり,よく見知った人物を取りたいというのも妥当です.しかしどうしても機会の不均等からくる疎外感を感じざるを得ません.留学人口が少ない現状,このような意見は圧倒的少数派だとは思いますが耳を傾けてくださる方が増えることを願います.
あとコンビニスイーツと二郎系,家系ラーメンが食べられないのが本当に悲しいです.
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
みな異文化に理解のあるいい人達です.サンディエゴは特に文化的によく混和された場所であり,研究所も街も非常に居心地がいいです.一定に割合でレイシストがいるのでそれは非常に不快ですが,アメリカの他の地域に比べればずっとマシだと思います.
研究室では常に化学の話題が飛び交っています.うちの研究室の特徴の一つとして,研究進捗報告会がないこと挙げられます.これは学生/ポスドク同士皆が化学の話をしてお互いのプロジェクトについて把握することが求められているからです.自分のプロジェクトについてオープンで,普段の何気ない会話でも互いにアイディアを出し合う雰囲気が自然と出来上がっているのは非常に健全なことだと思います.
学年,研究室の垣根を超えてなんでも質問をする文化があるのがもう一つの良いところです.スクリプスには全世界から様々な背景を持つ学生やポスドクが集まります.そのためみなが何かしらの分野のエキスパートで,実験で困ったことがあればその人にすぐ聞いて解決することができます.まるで自動検索機能のある最新のChem. Rev.が建物をウロウロしているようです.知りたい反応の最新情報に即アクセスできるのはスクリプス特有の環境と雰囲気がなせる利点だと思います.また,はじめはあまり知識や技術がなくても,質問することをいとわない人は大いに実力を伸ばしています.
Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
特にありません.生活面の変化が少し不安だったので早めに渡米したくらいです.スクリプスは6月から研究室に所属することができたので5月31日に赴き,そこから新学期がはじまるまでに研究と生活環境の設定を並行して行いました.
研究面でいえば,はじめの半年はとても苦労しました.ただの勉強不足も否めませんが,背景知識も実験技術も全くなく,思ったように実験が進められず先輩やポスドクの方達にかなり助けてもらいました.今はなんとか半人前くらいに合成ができるようになったと思いたいです.
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
将来教育に携われる機会があれば,留学することのハードルを院試受験と同程度に下げたいです.日本/海外で博士をとったからといってすごい/すごくないということはありません.分野によって自分のやりたい研究をしている研究室はアメリカにあったり日本にあったり色々です.しかし言語の壁,情報不足のせいでアメリカ日本間の留学がたやすくできないことは事実です.自分が国際化の一助となり,留学を大学/大学院進学時の一選択肢にできればと思います.
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
上で述べたように,留学することは必ずしも必要ではありません.留学経験があるからもてはやされる風潮は早く廃れるべきだと思います.益川先生ではありませんが,英語が話せなくても,一歩も日本を出なくとも世界一の化学者になることは可能だと思います.また,トップレベルの研究をしている研究室が知識や技術を伸ばす上で最適な研究室とは必ずしもいえません.実際に研究室を訪れて人と話し,そこで自分が5年間過ごす様子が想像できるか,何が学べそうかを考えることが自分の成長にとって最も大切なことだと思います.
あと海外にいる我々のことも忘れないでください.もし論文が出たらいっぱい引用してください.
末筆ながら,論文一本もない自分にこのような記事を書く機会をくださったChem―Stationの方々に感謝します.
【関連論文・参考資料】
- Nature Chem. 2012, 4, 21-25. DOI: 10.1038/nchem.1196
- J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 4909-4912. DOI: 10.1021/ja501782r
- Angew. Chem. Int. Ed., 2016, 55, 8280-8284. DOI: 10.1002/anie.201602235
【研究者のご略歴】
名前:苅田譲
所属:スクリプス研究所 Baran研
研究テーマ:タキソールのtwo phase 合成
海外留学歴:2年10ヶ月