今回の「ケムステ海外留学記」は、ジャン ロッシェ材料研究所 博士研究員の佐々木俊輔さんにお願いしました。本連載も今回で第 20 回目を迎えることが出来ましたが、はじめてのフランスからのお便りです。
現在、佐々木さんは無機固体材料である遷移金属カルコゲナイド化合物に関する研究を行っておりますが、留学以前は典型的な「分子化学者」でした。というのも高専時代には有機電池材料開発に取り組み、学部から大学院では有機蛍光色素開発に取り組んでいたのです。
いったい、なぜ佐々木さんは無機固体材料に関心を持つようになったのでしょうか。今回の海外留学記では、「分野統一的思想」とでもいうべき佐々木さんの研究哲学にご注目ください (Q2 および Q6)。一方、これまでケムステでは取材されなかったフランスでの研究生活についてもお話を伺うことができました (Q3–5)。佐々木さんの最先端分野を広く見通す姿勢や充実したフランス留学生活をぜひご覧ください!
Q1. 留学先では、どんな研究をしていますか?
私は現在Institut des Matériaux Jean Rouxel の材料・ナノ構造物理チーム (L’équipe PMN) におけるComplex Materials with non-conventional electronic properties というグループにて、Laurent Cario先生、Etienne Janod先生、Benoît Corraze先生の指導のもと新奇トポケミカル反応の開拓とこれを用いた層状遷移金属カルコゲナイドの開発を行っています。
図1 Institut des Matériaux Jean Rouxel (IMN) の外観
層状遷移金属カルコゲナイドは電荷密度波、高温超伝導、トポロジカル物性、その他強相関電子系が関わる興味深い物理現象の舞台となっているのみならず、透明p型半導体や光触媒といった材料としても大きな注目を集めています。しかしカルコゲナイドや酸化物は一般的に1000度近く又はそれ以上の高温で合成されるため、複雑な層状構造をもつ物質を思い通り設計・合成することは容易ではありません。有機合成のように、基本的な結晶構造(分子骨格) は残したまま狙った部位の構造だけを変換できないものか?というのは固体化学者の長年の夢でした。このような合成戦略のツールとして、原子の挿入・脱挿入・置換によって特定の構造・組成だけを選択的に変換するトポケミカル反応が今、大きな注目を集めています。特にぺロブスカイト酸化物においては、酸素の脱挿入等によって新たな配位幾何を実現するような反応が見つかっており、従来の反応では困難であった物質合成が次々と達成されています [1]。
私の研究は、このような遷移金属周りの配位幾何を変換・制御できるトポケミカル反応が層状カルコゲナイド化合物で出来ないか?というものです。カルコゲナイドは酸素と異なり容易に出し入れ出来ないため、脱挿入ではない全く新しいアプローチで構造変換を行わなければなりません。ではどうしたか?それは・・・・・・近日論文にて公開予定です、乞うご期待!(すみません、本プロジェクトのアイデアは論文発表前まで秘密にしておく決まりとなっていますので・・・)
私の所属するグループは合成、物性、デバイス開発をちょうど同じくらいの比率で研究しています。モット絶縁体の絶縁体-金属転移がアヴァランシェ崩壊を伴う伝導フィラメント形成によるものだと示した研究が近年だと有名です[2]。最近はこのような電気パルスによって絶縁体-金属転移を示すモット絶縁体を利用して次世代メモリ[3]や単一素子型の人工ニューロン[4]を開発しています。また、本グループはIM-LED (Impacting Materials with Light and Electric Fields and Watching Real Time Dynamics) と呼ばれる日仏間の国際共同研究所に参画しており、モット絶縁体の電子相転移における超高速ダイナミクスを日本の研究者の方々と共同で研究しています。
図2 (a) 本グループでよく研究されているAM4Q8 (A=Ga, Ge; M=V, Nb, Ta, Mo; Q=S, Se) 系化合物。(b) 異なる電圧のパルスを印加した際のGaTa4Se8結晶における電圧の時間発展。 (c) モット絶縁体を利用した単一素子型人工ニューロンの概略図。図は論文[2]、[4]より引用。
ところで、IMNは低次元カルコゲナイド化合物の合成や電荷密度波の研究で世界的に有名なJean Rouxel (1935-1998) によって、低次元化合物合成の世界的拠点として設立された経緯があります。従って低次元化合物、とりわけ層状カルコゲナイド化合物の専門家が多数在籍しており、この分野の研究を始めるには理想的な環境となっています。フランスにはこのような特定の分野が異常に強い研究所が多数あり、自分のやりたい研究とマッチすれば地方の小さい研究所でも世界トップレベルの研究が行えると思います。
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う(続ける)選択をしたのですか?
色々理由はありますが、海外で研究したいという漠然とした気持ちは元々からありました。元々学部時代は米国の大学院を目指していましたが、結局英語が駄目であきらめてしまいました。それでメンタル崩壊した後も、修士卒業後は欧州の博士課程に進学しようかななどと画策していました。私は学部からずっと有機合成系の研究室で蛍光色素の開発を行っており論文もいくつかあったので、この経歴を活かして近い分野の研究室に留学しようと考えていました。
その一方で、当時取り組んでいた研究を通し、分子でないものの分子的描像とその相互作用、例えば励起状態間の状態間相互作用を電子状態間の化学反応とみなして分子設計できないか等といったものの見方に強い興味を持つようになりました。そのような中、強相関電子系と呼ばれる、固体中の無数の電子がそれぞれ分子のような個性的な性質を有し、まるで化学反応のように複雑に相互作用することによってバルクの物性が決定付けられる物質系の存在を知り、すっかり魅了された自分はこの分野の研究に関わりたいと強く思うようになりました。
とは言っても分野が大きく異なるので、ひとまず博士を当時の研究でとってからポスドクで行こうという戦略に切り替えました。同時に海外に行ってしまえば一石二鳥!ということで、海外の強相関電子系に関わる研究室で、物理方面で大きな成果もあげつつ化学系のジャーナルにもインパクトある研究を発表している所を調べました。そこで洗い出した研究室へ「強相関電子の分子的描像は自分のやってる蛍光色素開発に近いものがある、当該分野の専門家で化学的アプローチも分かるあなたと是非研究したい」といった趣旨のメールを送りました。その結果唯一IMNの先生方から会ってもいいよとの返事を頂いたので早速ナントに向かい、研究内容のプレゼンを行いました。全く畑違いの研究を紹介して大丈夫か不安でしたが、構造-物性相関の研究者が必要なので歓迎するとの返事を頂き受け入れてもらえることとなりました。見ず知らずの全く他分野の人間がお気持ちだけのメールで特攻してもなんとかなる、という点は海外での研究留学ならではの長所ではないかなぁと思います。
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
図3 2月に行った、強相関電子系材料の化学および物理に関するワークショップのポスター。初心者から専門の研究者レベルまで段階的にレベルが上がっていくので、完全に理解できなくても分野全体を俯瞰できるようになる。
良かったことは色々ありますが、一番は固体化学や物性物理といった元々の専門とは大きく異なる分野の研究をきめ細かい指導・手助けの下始めることが出来たという点に尽きると思います。IMNでは68人の博士課程学生+ポスドクに対し、78人のPI相当の研究員、44人の研究補佐員および技官が所属しているため (2018年1月時点)、PIと学生ないしポスドクがマンツーマンで研究を進めていくケースが多く、PI自ら実験をするグループも珍しくありません。自分のグループは2人の学生+1人のポスドク(自分)、教授相当のCNRS研究員3人、ナント大学の教授1人、産学連携の研究員1人で構成されており、困ったとき、何気ない疑問や興味が湧いたときに何時でも質問できる環境にあります。だいたい隔週の研究報告会は各々の学生・ポスドクがプロジェクトに関わる教員を集めて個別に開催します。自分の場合は他のチームの先生も集めて7人の教員の前で報告するので、議論が白熱して報告が数時間にも及ぶことも多く、終わるといつもクタクタになってしまいます(笑)
悪かったことですが、何でも一人でやっていく主体性や独立心といったものは少し弱まってしまったかもしれません。日本の研究室は独立性が高く、研究の方針や実験、機器のトラブル等で壁にぶちあたった際、自分でなんとかしないといけない場合が多いかと思います。こちらではチームで何でも共有して解決していき、機器のトラブル等も技官が何とかしてくれる場合が多いので、どうしても頼りぐせがついてしまいます。また直ぐにアイデアをぶつけられるので、教員に隠れて闇実験をする・・・といったマインドが無くなってしまったことも、これはこれでどうなのかなぁと考えてしまいます。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
図4 所属グループのみなさんと。グループの先生のライブへ行ったときの様子です。
グループの雰囲気は極めて開放的でフラットです(図4)。材料・ナノ構造物理チームではそれぞれの常勤研究員がPIとして独立に研究していますが、本グループではCario先生、Etienne先生、Corraze先生の3人がPIとして、グループメンバー全員の研究を主導したり、主な予算を取ってきたりしています。3人の先生全員がある学生の主査をやっていて最後まで気付かない等、最初はトラブルもあったようですが今は阿吽の呼吸でうまくやっているようです。先述した通り、IMNにはパーマネントの職員が学生+ポスドクの倍近くいるため、年齢層は高めで、夜や週末は基本的に家族と過ごす方が多いです。
ちなみに、フランスで研究室 ( = Laboratoire) と言うと日本でいう研究所や専攻レベルの研究者集団を指し、一般に数十人-百人以上で構成されます。私の例でいうとIMNが研究室に相当します。多くの研究室はUMR( = Unités Mixtes de Recherche)と呼ばれ、大学の教授やフランス国立科学センター(CNRS)研究員、その他官民の研究機構に所属する研究員がごちゃまぜになっています。そのため研究室の運営方式は各々の機関の裁量に任せられます。IMNの用に完全に横並びでフラットな組織もあれば、研究室のディレクターが大まかな全体の研究方針を決めるピラミッド型の組織もあり、はたまた日本のようにそれぞれのPIに多くの学生・ポスドクがついて中規模のグループをつくっている組織もあるなど千差万別です。私の見た限りの偏見ですが、学生やポスドク比率の高い研究室は外国人も多く国際的な雰囲気になりやすい傾向にあるようです。フランスの研究環境については日本で学位取得後CNRS研究員となられた成田哲治さんの記事が非常に参考になりますので、興味のある方は是非参考にしてください。
図5 (左)ナントは現代アートで有名な町で、一風変わった巨大建造物が定期的に現れます。町の中央には機械仕掛けの巨大な象が闊歩しており、町の目玉です。(右)近くの海に牡蠣が無限に取れる場所が多数あり、勝手に採ってそのままいただけます。
Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
渡航前に一番苦労したのは研究者ビザの申請に必要な受け入れ証明書 (Convention d’accueil) の入手です。2015年のパリでのテロ事件以降、受け入れ証明書の申請プロセスも急速に厳しくなり、受け入れ証明書1枚手に入れるのに半年近くかかってしまいました。もしフランスに3ヶ月以上研究で滞在する予定ならば、是非早めに動き出すことをお勧めします。
現地で困ったことは言葉の壁です。ナントではほとんど英語が通じないため、生活の全てをフランス語で行うこととなります。先生方は皆英語が話せるので研究する分には問題ありませんが、研究所のメンバーもほとんどがフランス語話者なので、日常会話や学生・事務方との議論は基本的にフランス語になります。携帯の契約など日常のあれこれは事前にグーグル翻訳で単語を調べていけば後はボディランゲージとノリで何とかなりますが、いかんせん現地の言葉が喋れないと会話に混ざれず、友達が出来ないという問題は如何ともしがたいものがありました。なるべくランチタイムや学生の飲み会などに顔を出してなんとか彼らの会話を理解しようと努めています。
図6 (左)山です。(右)島です。言葉の壁による孤独感でどうしようも無くなったときはこういう人里離れた田舎へ行くことをおすすめします。村の人々がいたるところで話しかけてきて下さり、つたないフランス語でも他愛のない世間話に延々と付き合ってくれます。そしてみなさんお酒をおごってくれます。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
研究面で言うと、フランスに来てから始めた固体化学・物性物理に関する知識や研究ノウハウをしっかり学び、有機合成も無機合成も出来る研究者を目指したいと思います。最終的にはこちらに来た動機でもある「分子でないものの分子科学」のようなものができると良いなぁ等と考えています。
海外での経験という点では、折角こちらでフランス語を学びはじめたので積極的に仏語圏の研究者コミュニティと繋がりを作っていきたいなと思っています。仏語圏の研究者コミュニティは日本と同様、母国語で行われる交流が重要な役割を果たしています。フランス語をしっかりマスターし、彼らと密な関係を構築することで最終的には日仏の研究者コミュニティの交流に一役買えると良いなと思います。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
ケムステの記事をざっと検索したところ、フランスの研究生活に関する記事はあまりないようでしたので、長々と説明してしまいましたが如何でしたでしょうか。自分の興味と相手方の研究が上手くはまれば、例えその分野に詳しくなくても歓迎されると思いますし、研究環境としてもかなり良いと思います。興味があれば是非ご検討ください。自分が分かることであればなんでも相談に乗ります(個人サイトにアドレスを載せてます)。
外国人として生活してみて日々痛感するのは、日本で日本人と同じように研究し、日本語で学会発表し、日本人コミュニティへ普通に溶け込んでいた留学生や外国人研究者の方々は実はとんでもなく凄い方々だったんだなぁという点です。どうやってそんな曲芸じみたことをやっていたのか、どうやって困難を乗り越えたのか、色々聞きたいことばかりです。そこでちょっとした提案なのですが、日本にいる留学生や外国人研究者の方々にもこの「海外研究記」を書いてもらうというのはどうでしょう?「海外」としての日本の研究生活はどういうものなのか、皆さんも興味ありませんか?もし良ければご検討いただけると幸いです。
関連論文
- Tsujimoto, Y., Tassel, C., Hayashi, N., Watanabe, T., Kageyama, H., Yoshimura, K., Takano, M., Ceretti, M., Ritter, C. & Paulus, W. Infinite-layer iron oxide with a square-planar coordination. Nature 450, 1062-1065 (2007).
- Guiot, V., Cario, L., Janod, E., Corraze, B., Ta Phuoc, V., Rozenberg, M., Stoliar, P., Cren, T. & Roditchev, D. Avalanche breakdown in GaTa4Se8-xTex narrow-gap Mott insulators. Nature Commun. 4, 1722 (2013).
- Janod E., Tranchant, J., Corraze, B., Querré, M., Stoliar, P., Rozenberg, M., Cren, T., Roditchev, D., Ta Phouc, V., Besland, M.-P. & Cario, L. Resistive switching in Mott insulators and correlated systems. Adv. Mater. 25, 6827-6305 (2015).
- Stoliar, P., Tranchant, J., Corraze, B., Janod, E., Besland, M.-P., Tesler, F., Rozenberg, M. & Cario, L. A leaky-integrate-and-fire neuron analog realized with a Mott insulator. Adv. Funct. Mater. 27, 1604740 (2017).
研究者略歴
名前:佐々木 俊輔
所属・研究テーマ:
2011-2012年 神戸市立工業高等専門学校応用化学科 小泉研究室「N,N‘-ジアリールオキサミド及びそのジチオ誘導体の充放電挙動」
2013-2017年 東京工業大学 物質理工学院応用化学コース 小西研究室 (学部・修士では高分子工学科、有機・高分子物質専攻にそれぞれ所属)「分子幾何構造の利用による典型的な芳香族炭化水素の蛍光機能化」
2017-現在 Institut des Matériaux Jean Rouxel, L’équipe PMN「新奇トポケミカル挿入反応を利用した層状遷移金属カルコゲナイドの開発」
海外留学歴:1年