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アメリカで Ph.D. を取る –結果発表ーッの巻–

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本連載ではアメリカで Ph.D. を取得することを目標に奮闘してきた学生の様子を記録してきました。本記事は、その結果発表、これまでの振り返り、および抱負などを記した雑記です。

結果発表ーッ!

もったいぶっても仕方がないので、結論を先に書きます。

残念ながら出願した6つの大学院全てにおいて、不合格の通知を受け取りました。というわけで、この夏からカリフォルニア大学バークレー校のある研究室で 1 年間お世話になることになりました。

話の展開がおかしいですね。以下にその経緯や出願プロセスの反省などを記録します。今後留学を希望する読者は、同じ轍を踏まないための資料として活用ください。

なお、これからお話しする内容は次の通りです。

不合格の通達と留学実現の経緯

出願準備の反省

今回の連載の意図

学位留学の出願を決意するまでの経緯

僭越ながらのアドバイス

謝辞

不合格の通達と留学実現の経緯

(1) 不合格通知のメールは学校から

今回の留学先となる学校の不合格通知が来たのは2月の末のことでした。実はそれまでに、3つの学校からお祈りメールをいただいていて、その度に落胆する日々でした。とはいえ、実はそれらは本命ではなかったため、「まだ大丈夫」という楽観的な考えを持っていました。そんなある朝、その本命の学校から不合格の通知メールが来ました。

直後はあまり現実を受け止めていませんでしたが、これまで取り組んで来た努力を改めて振り返って、次第に落ち込みました。しかし、決まったことをいつまでも落ち込んでいても仕方がないので、とりあえずその学校で希望していた研究室のボスと研究室訪問の際にお世話になった日本人の方に、挨拶のメールを送ることにしました。

(2) 希望研究室のボスに挨拶メールを送ると…

ボスにメールを送る前に、その研究室の日本人研究員の方に現在の状況をお伝えして、それまでの準備に関してのお礼のメールを送ったところ、「諦めきれないようなら visiting student なりなんなりの形でこちらに来て、次回再挑戦しては?ラボの財政も絡むので、実現できるかはわかりませんがお願いする価値はあるかと。」と言った内容の返信をいただきました。こういった助言を真に受けて、ダメ元でボスにメールを送ってみると、次のような返事が返ってきました。

「うん。どのプロジェクトからお金を出せるかわからないから、研究費が確定するまでちょっと待ってね。」

びっくりするほどあっさり受け入れを許可してくださいました。お金の出所によってボス側から研究テーマを指定されるようなのですが、見方を変えればお客様待遇ではなくラボの一員として迎えてくれるということだと考えています。せっかくいただいた機会なので精一杯がんばります。

というわけで次の1年の表向きの目標は留学先の研究室で、少しでも多くの知識を学ぶことです。裏の目標はこちらの先生から推薦状をいただいて、次回こそ正規の大学院生として入学することです。大学院出願の結果については悔しい思いがありますが、そもそも出願しなければ今回のチャンスを得ることができなかったため、結果オーライだと考えています。とはいえ、内心は、これまでの努力が合格が結果に繋がらなかったために虚しい気持ちと、「次は絶対通るぞ、今回落とした大学の審査委員会どもは今に見てろォ!」という穏やかでない意気込みが混じった感じです。

力添えをいただいたChem-Stationスタッフの方々、お世話になったすべての皆さん、応援してくださった読者の方々、ありがとうございます。これからたくさん勉強して、そこで得たものを Chem-Station に還元しながら、成長した姿をお見せしたいと思います。

出願準備の反省

留学自体は実現できることになりましたが、大学院の合格審査には不合格だったことは事実であるため、出願準備について反省します。

(1) ラボ訪問は効果絶大

まず、研究室に訪問したことは効果絶大だったようでした。「一部のラボではボスとの口約束で、入学審査のまえにあらかじめ採る学生を決めている」という噂は本当だったようです。後日談になりますが、今回お世話になる予定の研究室のボスは、大学院の審査委員会側にこっそり口裏合わせをしてくださったようでした。

(2) スピーキング能力が悪かった (?) 

ではなぜ審査委員会が不合格の判決を下したかというと、「英語力を懸念して」らしいです。TOEFL iBT のスコアは、足切り点 90点 届いていたのにおかしな話ですが、思い当たる節はあります。最終的に提出したスコア 97 点の内訳をみるとReading, Listening, Speaking, Writing = 28, 27, 18, 24 であり、致命的にスピーキングが悪かったのです。話すだけなら現地にいればそのうち習得できるだろうと甘く考えていましたが、日常生活もままならないような人間を合格させて、ちゃんと卒業できるのか不安だったのでしょうね。私の認識があまかったです。

(3) 想定していた武器を揃えることができなかった

もちろん英語力だけが不合格の理由だとは思いません。大学院側は総合的に判断しているはずで、実際、不足していた要素がたくさんあったのではないかと振り返ります。

1つ目は、研究実績としての論文がなかったことです。去年の今ごろ頑張って書いており、投稿するところまでは行きました。しかしリジェクトのお知らせが来てからリバイズするのが間に合いませんでした。そんなに甘くないですね。残念。

2つ目は日本人の先生以外からの推薦状を用意できなかったことです。もともとは用意できる予定でした。ツテを使って、短期の留学受け入れを許可してくださった先生を見つけることができており、去年の夏ごろに 1 か月ほど留学できるはずでした (今回、お世話になる研究室とは違います)。もしその先生から推薦状をいただければ強力な武器になるはずでした。

しかしいざ VISAの手続きを進めると、向こうの大学の方針として「Bachelor Degree を持ってない人に VISA を出せねえよ」と言われ、あえなくこの短期留学は断念。同時にその先生から推薦状をもらうという計画も破綻しました。

3つ目は奨学金を取れなかったことです。こちらの記事で、面接まで進むことができたと書きましたが、最終面接でダメでした。奨学金を持っていれば向こうの大学院の審査委員会に、自分の実力を説得できたかもしれません。残念。

というわけで、アメリカ大学院への出願を決意したときに想定していた武器を揃えることができなかったことが敗因です。見切り発車していた部分がありました。かなり無謀な出願ではあると思いながらも、どうにか出願まで気持ちを切らすことなく頑張って、玉砕したという次第です。しかし、実際にはどんな理由で不合格だったのかはわかりません。大学院側は色々な面から判断していると思うので、これらの要素を持っていてもダメだった可能性もありますし、別の要素で補えた可能性もあります。

(4) 出願校の選び方が悪かった

また、全落ちという結果になった理由として、UC バークレーやシカゴ大学のようなトップ校数校にしか出願しなかったことも挙げられます。有名なラボへ行きたいという欲望のせいで、いわゆる中堅校には出願していませんでした 。もちろん、トッポ校でなくても有名な先生はいらっしゃるので、このような差別は本当はよくないです。しかし、「トップ校に行けないのなら、わざわざ留学しなくても次の年に日本の大学院へロンダリングする方がいいや」という考えを持っていました。そういう意味では、今回の大学院全落ちは起きるべくして起きたという面もあります。全落ちを避けるためには、どこかには引っかるようにもっと数を打つべきだったのかもしれません。

今回の連載の意図

この連載を始めた本当の意図は、「一歩踏み出す行動力さえあれば、学位留学は可能ですよ!」という教訓を作るためでした。私自身、整った研究環境で学部時代を過ごしたわけではなく、むしろ高専というへんぴな学校で過ごしています。「そんな人間でも、きっちり計画して勇気を持って行動すれば留学を実現できました。やったね!」というオチを持って来たかったのです。というのも、アメリカ大学院への学位留学は、出願までたどり着くだけでも大変だと聞きます。この連載が学位留学に対するハードルをさらに上げてしまっていたら、それは本来の意に反するものであり、申し訳ないです。

一方で、私が今回出願までたどり着けた理由を振り返ると、次の 3 つが思い浮かびました。まず (1) 日本の大学院は受けずに背水の陣で行こうと決めていたことと、(2) ケムステでこんな連載を堂々と始めてしまい、後に引けなかったことだと思います。そして 3 つ目は留学の動機です。それはあまりにも個人的な内容であると思い、今までの連載で全く触れませんでした。しかし、ケムステ海外留学記のような記事を私が一読者として拝見したときには、「これを書いている人はどんなスーパーマンなんだろうか」と思うことがあります。なので、「この連載を書いたのはこんな人間ですよ。」と自己紹介してみるのも面白いかなと考え、私なりの留学の動機を記しておきます。いつか留学したいと漠然と考えている人にとって、参考になれば幸いです。

学位留学の出願を決意するまでの経緯

(1) きっかけはノーベル化学賞

私が最初に留学に憧れを持ったのは、たぶん中学3年生のときです。「はやっ」と思われそうですが、ちょうど 2010 年に根岸英一先生と鈴木章先生がノーベル化学賞を受賞した年です。その知らせを大々的に取り上げるニュースを見ながら、「化学ってなんかすごいんだな、自分もノーベル賞を取れるような化学者になりたいな」と夢見ます。ここから超単純ナイーブミーハーな性格が伺えますね。理由はともあれ、中学卒業後の進路として、化学の専門分野を若い時期から勉強できる教育機関である高等専門学校 (高専) を選びます。

きっかけはノーベル化学賞 (図はケムステ記事から抜粋).

そんな夢を抱いたと言っても、それは野球少年が「しょうらいのゆめは、プロやきゅうせんしゅです !」と言うのと似た心境です。つまりただ憧れているだけで、本気で実現できるとは思っていませんし、現実を知るにつれて諦めてゆくはずの目標です。

(2) ノーベル賞受賞者の言葉を信じる

無事、高専に入学できた私は、化学者の卵として格好つけかったのか、ちょうど中高生がプロ野球選手のプレーやトレーニングをマネる感覚でノーベル賞受賞者のマネをしようと考えます。色々と調べていると鈴木先生と根岸先生のどちらも留学経験があり、若者の留学を奨励していることを知ります。(その記憶が正しいかどうか確かめるためにいろいろ調べていると、いつの日にか読んだことがある気がする記事を発見したので紹介しておきます Science Portal 「夢を追い続けて (根岸先生へのインタビュー)」「有機化学の道を選ばせた 2 冊の本 (鈴木先生へのインタビュー)」。)

長いものには巻かれろ思想の私は、ノーベル賞受賞者の言葉を信じて、いつか自分も留学したいと思い、こつこつ英語の勉強を続けます。それが化学者の卵のあるべき姿だと思って。具体的に当時していたことを紹介すると、科学英語用単語集の英単語を一週間で50-100個ずつくらいひたすら覚えることです。面倒ではありましたが、「重要単語 3800」みたいな単語集を 1 年ほどかけて制覇することができる現実的なペースです。おそらく夢見る少女的なメンタルを持っていたのでしょう。努力している自分にも酔えながら取り組めました。

化学者への道のりは地味だなーと感じながらも、努力を一度始めてしまうと終わらせるタイミングに困ってしまうものです。「ここまでやったのだからもうちょっと続けるか」と思いながら、勉強方法の手を替え品を替え、高専1年生から高専4年生 (B1 相当) くらいまで、コンスタントに英語の勉強を続けました。ちなみに、高専という教育機関にいたため大学受験は経験しておらず、マイペースに勉強していました。もちろん、英語だけでなく化学の勉強についてもまじめに取り組んでました。

(3) 単なる「英語の勉強」が徐々に「留学準備」に

そんなこんなで、高専を卒業した後の進路を考える時期になります。「ここまで英語の勉強を続けたのだから、留学の方法くらいは調べてみるか。検討もしないで諦めたら、時間を投資してくれた過去の自分に申し訳ないし。」と考えます。アメリカの大学の学部へ入学することも制度上は可能でしたが、大学院で行けば TA, RA が出るため学費などがかからないことを知ります。もし本当に留学するのなら大学院から行くほうが経済的だということで、高専専攻科という道に進み、そこで学士号を取ることを選びます。そうすれば、留学への選択肢は残りつつも、実力的にそれが不可能だと悟れば日本の大学院へ受験する選択肢も選べるからです。

留学準備の第一歩として、一応 TOEFL iBT を受験してみます。しかし、まだ本気でアメリカ大学院へ出願するとは思っていません。繰り返しますが、挑戦もしないで諦めたら過去の自分に申し訳ないのです。もし専攻科 1 年生 (B3 相当) のうちに、それなりの点数 (90 以上)  を 取れなければ諦めようと思っていると、幸運にも 2 回目の受験 (B3 の 1 月) で 91 点を取得できました。

(4) 出願するだけならできそう

さぁ、いよいよ後には引けません。「 TOEFL が本当に足切りのためだけに利用されるということなら、一部の超トップ校を除いて足切られることはなくなった。後の必要なテストや書類は、出来を気にしなければ、なんとかなるだろう。学校の成績 (GPA) は悪くないし。可能性が少しでもあるのに諦めたら、今までの時間が勿体無いし。」というわけで、当たって砕けろ精神で出願してみるかという結論に至りました。あとは、今回の連載の通りです。

上のお話から分かる通り、私の場合は「研究目的ありきの学位留学」というよりは、「留学ありきの留学」という動機です。こちらの記事 (「Taxol の Two phase synthesis」–スクリプス研究所 Baran 研より) にもある通り、行きたい研究室が海外にあるから留学するのが、理想的な研究留学の動機だと思いますが、私にとっては「せっかく今までコツコツ準備してきたのだから挑戦しよう」という動機です。逆に言えば「そうだ 海外、行こう。」と急に志して留学できるほどの実力はなかったと思います。一方で、「私のように何年も前から準備する必要があるか」と聞かれれば、NO だと思います。最低でも 1 年くらいあれば準備できるらしいです。

私をここまで動かした動機はあまり高尚なものではありません。そんな動機でも偉そうにこんな連載を書いているのです。留学した後のことをあまり考えていなかったため、果たしてこれがよい態度かはわかりません。しかし、「日本の大学院ならば後先を考えずに進学して良い」というわけでもないと自分に言い聞かせました。なので、漠然と留学したいと考えている人も、変に尻込みせずに挑戦してみてもよいのでは、と思います。

僭越ながらのアドバイス

(1) 千里の道も一歩から

もし学位留学に関して、勇気を踏み出せずにいるならば、私がアドバイスできることは、とても小さな一歩でいいから手と足を動かすことです。たとえば、試しに TOEFL だけ受けてみるのです。それよりも小さな行動として、TOEFL 対策本を買うだけでよいかもしれません。もっともっと小さな行動として、興味のある研究室やその大学のホームページを訪れてみるだけでもよいかもしれません。

エッセイの執筆、成績表の送付など、必要な書類は多いですが、アメリカ大学院への出願はすべてオンライン上で完結します。なので、行動を 1 つ 1 つ進めていくと、「え、あとはここをクリックするだけ?」という段階がやってきます。そこまで来れば「エイヤッ!」とクリックして、良い結果が来るのを待つだけです。アメリカの大学院受験という、途方も無いような道のりは、小さな一歩に始まり、小さな一歩に終わった感じです。特に GRE や TOEFL の試験が出願の 1 年前くらいに済んでいれば、出願手続きは相当に楽だと思います。

(2) 不合格でも失うものはない

海外の大学院で合格すること確率自体は低いですので、落ちることは恥ずかしいことではないと思います (そのように自分に言い聞かせています)。たとえ落ちたとしても、留学を夢見ていた頃の現状維持になるだけです。失うものは特にないと思います。ただし、落ちた時のバックアップのプランは練っておく方が良いです。私の場合は背水の陣作戦をとりましたが、これはオススメしません。出願する際に、心の余裕がなくなります。

…うーん、読み返すとハッピーエンド調の文章になっている気がします…。注意していただきたいのは、上に書いていることは「全落ちした人」の言葉です。この連載に書かれていることは、参考にするもよし、しないもよし、です。

謝辞

最後に、今回の留学準備には多くの方々からお力添えをいただきました。Chem-Stationのスタッフの方々でいうと、代表の webmaster 先生には推薦状を書いていただきました。副代表の cosine 先生からは留学先の研究室で活躍されている日本人の研究員の方を紹介していただきました。Orthogonene さんは、奨学金申請の添削、エッセイの添削していただき、さらに大学院訪問でシカゴに訪れた際には大学の案内をしてくださいました。kanako さんにはエッセイの添削を協力してくださいました。また、Chem-Stationスタッフ以外にも留学経験のある多くの方々からもたくさんの協力をいただきました。そして、この連載を読んでくださった読者の方々の応援なしには、出願までたどり着くことはできませんでした。力添えしていただいた全ての方々に感謝の気持ちを表します。ありがとうございました。

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やぶ

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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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