2017年、ソウル大学校の Soon Hyeok Hongらは、C(sp3)-H結合の直接的チオカルボニル化をニッケル―可視光レドックス協働触媒系を用いることによって初めて達成した。
“Photoredox mediated nickel catalyzed C(sp3)–H thiocarbonylation of ethers”
Kang, B.; Hong, S. H. * Chem. Sci. 2017, 8, 6613. doi:10.1039/C7SC02516E
問題設定と解決した点
チオエステル合成法としては、以下が代表的なものとして知られている。しかし、これら従来法は高酸化度の炭素反応剤が必要であり、厳しい反応条件、チオ―ルの酸化されやすさなどといった課題を有していた。
- チオールとカルボン酸等価体との縮合反応
- チオ酸と求電子剤と反応(アルキル化)
- アルデヒドの酸化的チオエステル化
- COガス存在下、アルケンやハロゲン化物のチオカルボニル化
C-H結合を直接チオカルボニル化することができれば、チオエステル合成において理想的なアプローチになると考えられる。生体内においても炭素ラジカルを中間体とした転位反応によるチオエステル生成が行われている。しかし、有機合成において直接チオエステル基をC-H結合へ移す反応は知られていない。
今回著者らは、単純なチオエステルを原料としてC(sp3)-Hチオカルボニル化に取り組み、それを達成した。
技術や手法のキモ
上述のような反応を実現するにあたって最大の課題は、C(アシル)-S結合がC(アシル)-C結合よりも弱いことである。実際、有機金属種のチオエスエルへの酸化的付加が含まれる論文を著者らが調べた限り、すべての論文においてC(アシル)-S結合が切断されていた。
また近年Doyleらは、ニッケル―可視光レドックス協働触媒系による2-ピリジルチオエステルとN-アリールアミンの反応[1]を達成している。この場合においてもC(アシル)-S結合が切断されている(上図)。
著者らは、チオエステル側の電子的・立体的要因をチューニングすることによって、C(アシル)-S結合ではなくC(アシル)-C結合を切断し、チオカルボニル化が達成できるとの仮説を立て、検討を進めた。
主張の有効性検証
①反応条件について
チオエステル源を検討したところ、p-(トリフルオロメチル)フェニル基を脱離基として備えるチオエステルが、目的物を高い収率で与えた。アリール基でないものや電子不足でないものは収率が低下した。
またこのチオエステルを用いた場合、上記スキームで示す、Ni-SIPr錯体、Ir[dF(CF3)ppy]2(dtbbpy)PF6光触媒、溶媒量のエーテルの使用が最適条件となった。対照実験の結果、Ni触媒、NHC前駆体、可視光レドックス触媒が必須であった。事前調製しておいたNHCを用いる場合は、塩基なしでも反応は進行した。
②基質一般性の検討
・チオエステル側は、ベンゼン環上の置換基は(決して広くはないが)許容される。また、ナフチル基でも反応は進行する。ベンジルチオエステルも許容されるが、脂肪族チオエステルは許容されない。
・エーテル側は、環状でも鎖状でもよいが、環状の方が収率は高い。また、同様にヘテロ原子を有する保護ピロリジン、チオフェンも基質として試しているが、反応は全く進行しなかった。
③反応機構について
前述したように著者らはC(アシル)-C結合がC(アシル)-S結合よりも弱くなり、選択的に切断できるようになることで目的の反応を達成するつもりだったが、
・上記チオエステルにおいてBDEを計算したところ、やはりC(アシル)-S結合の方が弱く、想定していた選択的切断は考えにくい
・検討したチオエステル間のBDEの差は小さく、実験で見られた収率の劇的な変化は説明できない
といった問題があることが分かった。
そこで、反応系内でのニッケル触媒の酸化状態を調べようと試みた。すると、酸化的付加を起こしやすいNi(0)では反応が進行しないことや、NHC-Ni(Ⅱ)種が収率を向上させることなどから、Ni(Ⅱ)が主要な触媒活性種であると判断した。
次に、酸化的付加以外のチオエステル活性化経路としてチオエステルの一電子還元を想定した。チオエステルは電気化学的に還元されるとアシルラジカルとチオレートに分解されることが知られており、今回も同様の経路が可視光レドックス触媒によって進行している可能性があった。
チオエステル試薬のサイクリックボルタンメトリー測定によると、還元ポテンシャルは-1.65 V(vs SCE in MeCN)に相当し、これはIr(Ⅱ)→Ir(Ⅲ)(-1.37 V vs SCE in MeCN)では還元できない。著者らはカチオン性可視光レドックス触媒のルイス酸様性質や、ニッケル種によるチオレート捕捉などによって、この還元が進行するようになると考察した。
以上の考察とさらなるメカニズム解析実験の結果を踏まえ、著者らは次のような触媒サイクルを提唱している。まず、光励起したIr(Ⅲ)がNHC-Ni(Ⅱ)(+1.01 V)をNi(Ⅲ)へ酸化する。生じたIr(Ⅱ)はチオエステルを一電子還元し、Ir(Ⅲ)が再生する。還元されたチオエステルはアシルラジカルとチオレートに分解され、チオレートはNi(Ⅲ)にトラップされる。アシルラジカルの方はニッケルが関与した脱カルボニルによってアリールラジカルを生じ、生じたアリールラジカルがエーテルのC-H結合をHAT過程で切断する。こうして生じた炭素ラジカルがNi(Ⅲ)に結合してNi(Ⅳ)種が生じ、還元的脱離によって目的物が得られる。
議論すべき点
- アリールラジカルがHAT媒体となっているのなら、エーテル以外でも反応進行しそうに思えるが、どこが問題となっているのだろうか?金属への配位?
- チオエステル側の官能基は電子状態を変化させ、一電子還元に影響を与えるから拡張は困難か?
- 今回は結局達成できなかったが、C(アシル)- C結合をC(アシル)-S結合よりも優先して切断する方法としては、どういう戦略が取りえるのだろうか?
次に読むべき論文は?
- エステルにおいてC(アシル)-O結合とC(アリール)-O結合のいずれがニッケル触媒によって切断されるかは、リガンドによって変わり得る。それに関するメカニズム解析論文[2]は、今回目標としていたチオエステル基質の位置選択的結合切断を実現するための参考情報になるかもしれない。
参考文献
- Joe, C. L.; Doyle, A. G. Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 4040. DOI: 10.1002/anie.201511438
- Hong, X.; Liang, Y.; Houk, K. N. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 2017. DOI: 10.1021/ja4118413