第130回のスポットライトリサーチは東京大学統括プロジェクト機構・大学院理学研究科化学専攻中村研究室の岡田 賢博士(現在:国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋生命理工学センター研究員)にお願いいたしました。
岡田博士の所属していた中村研究室では、原子分解能電子顕微鏡を用いた有機化学の新研究領域の開拓,ありふれた元素を用いた有機合成や有機太陽電池の開発を行っています。
最近、中村栄一特任教授、原野幸治特任准教授、山内薫教授らの研究グループは、確率論的に起こる一つ一つの分子の反応挙動を顕微鏡で見ることで、その挙動が量子力学の理論の予測に合致することを初めて明らかにしました。本結果はアメリカ化学会のJ. Am Chem. Soc.に掲載され、プレスリリースも行われました(冒頭の画像はプレスリリースから引用)。
Direct Microscopic Analysis of Individual C60 Dimerization Events: Kinetics and Mechanisms
Okada, S.; Kowashi, S.; Schweighauser, L.; Yamanouchi, K.; Harano, K.; Nakamura, E. J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 18281–18287.
DOI: 10.1021/jacs.7b09776
この第一著者である岡田博士にこの度インタビューを行いましたので紹介させていただきたいと思います。
指導教授である中村栄一先生からも以下のコメントをいただきました。
岡田君とは,学部から6年間共同研究をし,博士課程3年の春にこのテーマにぶち当たりました.
電顕観察下のフラーレン多量化イベントの生データは10年来手元にありましたが,あるとき何気なくデータを見直してみて,「反応はランダムに見えるが,もしかすると全体としては一次式に載るのではないか」と彼に提案した所,彼の集中力の賜物,2週間で方向性が出ました.
しかし,それからが大変.Eyring式しか知らない我々にRRKM理論をご教示いただいた同僚の山内先生,困難な温度可変実験を成し遂げた修士の小鷲さん,原野准教授との共同研究を2年続け,今回の成果となりました.ここでの経験が,深海での化学反応に関する岡田君の今後の研究に役立つものと期待しています.
ではインタビューをお楽しみください!原著論文も、ぜひ合わせてごらんください。
Q1. 今回のプレスリリース対象となったのはどんな研究ですか?
化学で扱う物性値は,分光などによりバルクの分子の平均値を測定することで得られています.2017年のノーベル化学賞であるクライオTEMによる生体分子観察も,凍った分子を多数見て平均像を取ることで高分解能化しています.一方,計算化学や理論では,しばしば分子1個で物事を考えます.
では,分子1個を見ることで,バルクの物性値を知ることはできるのでしょうか?例えば,個々の分子の反応を見ることで,反応速度論を知ることはできるのでしょうか?そのためには,多数の反応を,原子分解能の動画で見ることが必要でした.
中村研究室では,カーボンナノチューブ(CNT)の内に分子を閉じ込めて動きを抑制し,これを透過電子顕微鏡(TEM)で観察することで,一つ一つの分子を原子分解能の動画として撮影するという手法を開発してきました.反応を「見る」ために残っていた問題は,実験的に何分子の反応を見れば良いのか,理論的に反応をどう理解すれば良いのか,という点でした.
今回の研究では,CNT中の[60]フラーレンがTEM観察中に[2+2]環化するという反応をモデルケースとして上記の2問題を解決し,単分子レベルでの遷移状態理論であるRRKM理論を用いることで,わずか数十分子が反応する様子から,反応の活性化エネルギーを求めることが可能となりました.
さらに,400K以上の高温か,200K以下の低温かで活性化エネルギーが約20倍異なる,つまり反応機構が異なるということも明らかになりました.詳しくは論文をご覧頂ければと思います.
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
フラーレン二量体の構造と,それが温度可変TEMでの観察中に生じるという現象論は,2010年時点で報告されていました.
中村先生とのディスカッションの中で,温度が分かり,二量化が起こるために必要な電子線量が分かっているなら,活性化エネルギーが求まるはずだと考え,仮のデータとして,論文のグラフから測定点を読み取って数値に起こし,プロットしてみました.
すると,一次反応として説明できる曲線が浮かび上がってきました.既存の測定データを見返す重要性を痛感すると同時に,これは面白いぞと思い,この研究に注力することにしました.
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
研究を始めた当初は,反応機構研究に関しては教科書を頼るだけの全くの素人でしたので,考え方が正しいのか非常に不安でした.
量子化学のプロである山内薫先生に教えを請うことで,最終的にRRKM理論にたどり着き,当初の考えが一部間違っていることが分かりました.付け焼き刃で研究するよりも専門家を頼ったほうが良いと痛感しました.
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
見ることの面白さと,見えたものから考えることの重要性を広めていきたいです.
私は現在,海洋研究開発機構というところで深海底の科学およびソフトマター研究を行なっています.ソフトマターは言わずもがな,生物の機能も遺伝子からではなくナノ構造から,高分解能観察を元にして紐解いていければと思っています.
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
他のスポットライトリサーチでもしばしば触れられていますが,様々なバックグラウンドを持つ人と話をすることは非常に重要です.とは言うものの,分野が違うと話が噛み合いにくいのもまた事実です.和書で良いので,話の取っ掛かりとなるような広く浅い知識があると役立つように思います.
また,TEMに限らず顕微鏡観察では,きれいな絵が取れるとそれだけで喜んで満足してしまいがちです.百聞は一見に如かずで,顕微鏡像1枚でスペクトル1枚以上のインパクトがあります.
しかし,撮像技術を磨くことはもちろん重要ですが,それではプロカメラマン,職人でしかありません.科学者としては,どうしてその絵が撮れたか,どうしてそのような構造になったか,などを想像して,仮説を立てて実験していくことが重要だと思っています.
最後に再度,素晴らしい研究環境とご指導を頂いた中村栄一教授,多大なご助言を頂いた山内薫教授,原野幸治先生,また多量の追加実験を根気よく行なってくれた小鷲智理さんにこの場を借りて感謝申し上げます.
研究者の略歴
岡田 賢
国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋生命理工学センター 新機能開拓研究グループ 研究員
現在の研究テーマ:深海底熱水環境でのナノ化学,バイオミネラリゼーション
【略歴】
2011/03 東京大学 理学部化学科 卒業(中村栄一教授)
2012/02–2016/03文部科学省 博士課程教育リーディングプログラム 「フォトンサイエンス・リーディング大学院」コース生(佐野雅己教授)
2013/10–2014/01 Visiting student, École Supérieure de Physique et de Chimie Industrielles de la Ville de Paris, France (Prof. Ludwik Leibler)
2015/03 Visiting student, Saint Petersburg State University, Russia (Prof. Igor V. Murin)
2016/03 東京大学大学院 理学系研究科化学専攻 博士課程終了(中村栄一教授)
2016/04– 国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋生命理工学研究開発センター 新機能研究開拓グループ 研究員