スウェーデン王立科学アカデミーは4日、2017年のノーベル化学賞を、欧米の研究者3氏に贈ると発表した。授賞理由は「溶液中の生体分子の構造を高い解像度で観察できるクライオ電子顕微鏡の発明」。授賞が決まったのは、スイスのジャック・デュボシェ氏、英国のリチャード・ヘンダーソン氏、米国のヨアヒム・フランク氏。(引用:毎日新聞)
今年のノーベル化学賞は、「クライオ電子顕微鏡の開発」に授与されました!今年は構造生物学の可能性高いか!?プレゼンターの傾向予測から膜タンパクか!?・・・とまでは予想してたんですが、ここが来たかー!またもや斜め上!!というべきか・・・。「解析対象」じゃなくて「解析法」が受賞しちゃいました。
とはいえ本分野も前々からノーベル賞鉄板たる下馬評だったのも事実。予想よりも遥かに早く受賞したなーというのが率直な感想です・・・
化学賞の予想はほーーんとーに難しいーいーぃー!!orz
・・・気を取り直して、今回の受賞対象となった研究成果と、受賞者の業績を紹介していきましょう。
近年のホットトピック!クライオ電子顕微鏡
構造生物学の研究目標は、タンパク質に代表される生体分子の3次元構造を精密に解析し、生命現象の理解や人類に役立つ応用に示唆を与えることです。成果のもっとも分かりやすい応用先は、医薬開発です。なぜならほとんどの医薬品は、生体分子に結合する化合物をデザインすることで作られているからです。医薬分子の結合先である生体分子の構造を原子分解能で知ることは、何にも増して重要となってきます。
原子レベルでの生体分子構造解析を成し遂げてきた分析手法は、歴史を眺めても二つのみ。X線結晶構造解析(XRD)と核磁気共鳴(NMR)です。
しかしながらこの勢力図は、近年になって急速に様変わりを見せ始めています。すなわち、今回の受賞対象にもなったクライオ電子顕微鏡(Cryo-Electron Microscopy, Cryo-EM)(以下クライオ電顕)が”第3の構造解析法”として台頭しはじめたのです。この普及速度は実に目覚ましく、2016年に新しくタンパク質構造データバンク(PDB)に追加された構造のうち,1000個に1個は電子顕微鏡によるものとされています(下図)。
クライオ電顕ではその名が示すとおり、サンプル水溶液を極低温に附し、周囲の水を急速凍結させたうえで電子顕微鏡測定を行ないます。普通の電子顕微鏡測定は,高度真空状態にて行われます。空気中の分子によって電子線の反射が起こってしまうと,解析が妨害されてしまうからです。しかしながら生体分子を対象とした場合、水中で機能を発揮するものがほとんどなので,真空状態での解析は科学的意味が薄れてしまいます。また、生体分子にそのまま電子線を当ててしまうと簡単に壊れてしまい、結合情報や立体情報が失われてしまいます。
サンプルを極低温・凍結状態で測定することで、こういった問題がかなりの程度解決されるのです。
クライオ電顕を使うメリット
クライオ電顕が急速的普及を見せる背景には、既存の解析法ではどうやっても解決出来ない困った点があります。
XRDの問題点は、「化合物を結晶化させなければならない」「均質なサンプルが必要」ということです。一方で技術の成熟度は高いため、結晶さえ取れてしまえば比較的簡単に、ダイレクトに高分解能(1~2Å)解析像を得ることが出来ます。
NMRの問題点は、「分解能が低い」「直接の3次元構造が得られない」「巨大な分子・複合体(>30kDa)が解析できない」ということです。「この原子はまさにここにある!」というほどではない、ぼんやりと全体としてこんな感じかなー程度の大まかな立体構造が分かるのみです。一方の利点としては、「溶液状態での構造が分かる」「分子の動的挙動・相互作用を追跡できる」などが挙げられます。
さて、クライオ電顕ならではの利点としては、以下が代表的です。
- 生体環境に近い状態の水和サンプルを測定できる
- 巨大なタンパク質や複合体が解析できる
- 構造の議論に十分な分解能がある(数Å)
- 極低温測定によって電子線によるダメージから生体分子を保護できる
- サンプルを結晶化が不要、そのための均質なサンプル調製が必要無い
- 必要なサンプル量が少なくて良い(濃度は0.1-5.0 μMで十分)
- 様々な配座・フレキシブルな領域を解析できる
このような生体高分子解析と親和性が高い解析特性は、結晶化がきわめて困難な膜タンパクの構造解析などに圧倒的な威力を発揮します。今となっては多数の膜タンパク構造がクライオ電顕で解析されています。
クライオ電顕の発展を阻んだボトルネック
電子顕微鏡を用いても原子分解能での構造解析が可能であること自体は、早い段階で示されていました(1995年に「100 kDaまでの分子であれば可能」ということが理論的に示された)。また上で述べたとおり、原理自体も言ってしまえば「冷やした高性能顕微鏡」以上のものでは無く、非常に単純明快です。しかしごく最近まで、分析法としての発展は遅々として進みませんでした。一体なぜなのでしょうか?
主には、サンプルの2次元投影像のコントラストが非常に低いことが問題とされてきました。
これは周囲の水分子による電子散乱(=ノイズの発生)が避けられないためです。強い電子ビームを用いるとコントラストは強くなりますが、サンプルの損傷というジレンマがあります。サンプルが損傷しない程度に弱く、しかし解析可能な程度の強さの電子線を用いる必要がありました。この制限下に十分なコントラストの投影像を得るためには、数千~数万枚、場合によっては数十万枚の投影像を取得した上で、これらを平均化する必要があります。
こういった事情から、電子顕微鏡による構造解析の研究初期においては、対称性を有している分子、あるいは巨大な複合体(リボソームやウイルスキャプシドなど)を対象として研究が行われてきました。しかし2011年以降の5年間で、ハードウェア・ソフトウェア双方が大いに進歩したことで革新が起こります。
まずハードウェア面では、電子を検出するカメラに大幅な進歩が起こりました。
2000年代初期に用いられていた電子検出器では,入射電子を検出できる確率は1/5ほどしかありませんでした。しかしながら2012年に開発されたものでは、それが1/2にまで上昇しています。これにより、ノイズを一挙に減少させることができるようになりました。また、連射機能が搭載されて迅速な画像取得が可能になったことも、検出確率向上・ノイズ減少に貢献しました。さらに、迅速に取得した数多くの2次元投影像の中からコントラストの良い画像を選んで構造再構成に供し、分解能を向上させることも可能になりました。
ソフトウェア面では、2次元投影像を復元するアルゴリズムが大幅に進歩しました。
既に述べたとおりクライオ電顕サンプルの中には、様々な構造のタンパク質や複合体が含まれます。このような混合物の2次元投影像を3次元構造へと再構成するために、統計学を用いてデータ分類するアルゴリズムが採用(2011)されて以来、原子分解能での解析がはるかに容易になりました。
上記2点の進歩に加え,性能の向上した電子検出カメラが購入可能になったり(2013)、専門家でない人にも容易に扱える画像解析アルゴリズムが出現したりしたことも相まって(2012)、2014年以降より多くの研究グループが参入し、原子分解能でのタンパク質複合体の構造解析の報告が激増しました。分子量200 kDa以下の小さいタンパク質複合体の構造解析や(2015)、最大2 Åの分解能での構造解析(2016)などがその代表例です。
つまり、クライオ電顕の発展を後押ししたのは実のところ測定の考え方ではなく、機械部品の小型化・高性能化や、IT技術の進展にこそあったのです。
ノーベル賞受賞者それぞれの業績
続いて、各受賞者の業績をざっと眺めて見ましょう。
Richard Henderson博士はX線結晶解析で博士号を取り、その方法をタンパク質のイメージングに使っていました。しかし、膜タンパク質の構造決定には上で述べたような問題がありました。
Hendersonは、膜タンパク質を膜ごと電子顕微鏡に置き、グルコース溶液で乾かないように保護しつつ弱い電子ビームを当てて電子顕微鏡で観察するという方法をとりました。最初はぼんやりした画像(解像度7Å)しか撮れませんでしたが、彼は世界中の電子顕微鏡を駆け回って、15年かけてバクテリオロドプシンの構造を初めて原子レベル解像度で決定しました。これは電子顕微鏡でタンパク質を観察した中では最高の成果で、クライオ電顕でもX線結晶解析と同じ(解像度3Å)くらい詳細な画像が得られることを証明したのです。
この成果には、バクテリオロドプシンが膜の中で規則的に配向していたことも手助けしています。このおかげで電子回折が観測でき、X線結晶解析と同じような方法で数学的にタンパク質の構造を計算できたのです。しかし、バクテリオロドプシンのようにすべてのタンパク質が規則的に並んでいるとは限らないので、この方法を一般化することができません。
ここで、Frank博士が開発した画像解析法が登場します。サンプル調製の過程では、様々な方向を向いたタンパク質が包摂された測定サンプルが作られます。これに電子線を当てて二次元の画像を多数撮り、似ている粒子同士を集めて高解像の二次元画像をコンピュータで再構成します。さらに、その二次元画像ごとの相関関係を計算し、三次元画像を再構成します(下図)。
つまりは何千何万という画像をコンピューターで解析・処理することで、”おそらくこうなっているだろう分子モデル”を、データ量にものを言わせて強引に導き出してしまうのです。この画像解析アルゴリズムは、単粒子再構成法とよばれます。
Hendersonはグルコース溶液を使うことで電子顕微鏡での乾燥に対処しましたが、水溶性のタンパク質には不十分でした。多くの研究者が水を凍らせて試したのですが、氷の結晶が電子ビームを散乱してしまうため、タンパク質の画像を得ることができません。そこで、Dubochetが「氷のように結晶化するのではなく、ガラスのように非晶にすれば良いのではないか?」と考えつきます。これを実現したのもDubochetで、水分を含んだサンプルを金属のメッシュに貼って薄いフィルム状にし、液体窒素で-190℃まで冷やしたエタンに突っ込むことで、結晶化していない「ガラス状の水」を生成することに成功します。この方法で、電子顕微鏡のサンプル調製が格段に簡単となり、現在のクライオ電子顕微鏡の基礎となり、多くの生体分子の構造決定に寄与しました。
クライオ電顕の発達年表(下図)を眺めて見ると、いずれの3氏もクライオ電顕の発展初期に大きな貢献を果たした科学者であることがわかります。
クライオ電顕の問題点
さて、これまで良いことばかり書いてきましたが、クライオ電顕にも避けがたい問題があります。重要なのは以下の2点。
コストが高い
原子分解能での構造解析を達成するためには,高性能の電子顕微鏡を導入する必要があります。電子ビーム発生時の電圧の強さが分解能の高さに直結していますが、原子分解能を達成するためには200 kVの電圧が必要とされています。このような電子顕微鏡を購入するとなると、数億円もの出費が必要となります。電圧が弱い電子顕微鏡はもっと安く購入できますが、こういったものでは力不足です。
データ量が膨大
1日で蓄積されるデータは数テラバイトにものぼりますので、保管の問題がまずあります。また、そういった巨大データを解析できるだけの高い性能がコンピュータにも必要とされます。クラウドコンピューティングの活用などが、この問題の解決につながるかもと考えられています。
こういった事情ゆえ、どこの研究機関でもお手軽に設置・測定できるタイプの分析機器ではないというのが実情です。これからどこまで改善が進んで普及するかは、興味の持たれるところです。
おわりに
1968年出版されたジョージ・ガモフらの科学啓蒙書「Mr. Tompkins Inside Himself」。主人公のトムキンスが自分の体の中にはいり、細胞やオルガネラの構造を調べながら探検する。これは実は、当時開発されていた最新鋭の電子顕微鏡の知識に基づいて書かれた書籍です。
[amazonjs asin=”0045700060″ locale=”JP” title=”Mr. Tompkins Inside Himself: Adventures in New Biology”]トムキンス少年は一緒に同行していたガイドに尋ねました。
「それって原子を視ることができるほど強力なの?」
「それはちょっと難しいけど、大きなタンパク質分子はみることができるよ。それでも十分印象的だよね。」
そんな壮大なフィクションを現実にした、今回のノーベル化学賞受賞者3氏に心から敬意を表します。おめでとうございます!
謝辞
情報提供にご協力いただきましたケムステスタッフの皆さん(アセトアミノフェン、みねちゃん)、および学生S君に感謝申し上げます。
関連論文
- Rafael Fernandez-Leiro and Sjors H. W. Scheres, “Unravelling biological macromolecules with cryo-electron microscopy.”Nature 2016, 537, 339. doi:10.1038/nature19948
- Eva Nogales, “The development of cryo-EM into a mainstream structural biology technique” Nat. Methods 2016, 13, 24. doi:10.1038/nmeth.3694
- 岩崎憲治,「新時代:クライオ電子顕微鏡による近原子分解能での解析」領域融合レビュー 2016, 5, e010. DOI: 10.7875/leading.author.5.e010