第119回のスポットライトリサーチは、豊橋技術科学大学大学院 柴富研究室 博士後期課程1年の北原 一利(きたはら かずまさ)さんにお願いしました。
北原さんの所属する柴富研究室では、主に新規キラル触媒の開発および高エナンチオ選択的反応への応用を指向した研究が展開されています。
今回インタビューさせていただいた北原さんは、柴富研で培われてきた触媒開発のノウハウを活かし、カルボキシル基をエナンチオ選択的に塩素原子へと変換する手法の開発に成功しました。
その成果はNature Comminications誌に掲載され、プレスリリースとしても発表されています。
Kazutaka Shibatomi*, Kazumasa Kitahara, Nozomi Sasaki, Yohei Kawasaki, Ikuhide Fujisawa, Seiji Iwasa
Nature Commun. 2017, 8, 15600. DOI: 10.1038/ncomms15600
北原さんに対し、指導教員であられる柴富先生からコメントを頂いております。
北原君は,如何にも高専出身者らしく科学に対する強い情熱を持っています。修士課程在学中は他大学で薬学系の講義の単位を取るなど,専門の有機合成化学だけでなく周辺分野の知識も積極的に勉強していました。研究に関しても全般に良くできますし,実験が丁寧です。我々の触媒は合成に少し工程数がかかるのですが,北原君が合成を始めてから各工程での精製方法などを細かく見直してくれて,結果,合成にかかる労力とコストを大きく軽減してくれました。論文には現れない大きな貢献です。海外経験も豊富ですので,グローバルに活躍できる素晴らしい研究者となると信じています。
柴富 一孝
素晴らしい研究成果をあげられていますが、まだ博士後期1年ということで、今後の活躍が楽しみです。それではインタビューをご覧ください!
Q1. 今回のプレスリリースの対象となったのはどんな研究ですか?
カルボキシル基をエナンチオ選択的に塩素原子へと変換する手法を開発しました。カルボン酸のハロゲン化反応と言えばHunsdiecker反応が良く知られています[1]。Hunsdiecker反応は150年以上も前に報告された反応ですが,この反応を不斉反応への展開に成功した例はありませんでした。そこで我々はβ-オキソカルボン酸の反応性に着目しました。β-オキソカルボン酸は生体内でのポリケチド合成の中間体であり,容易に脱炭酸することが知られています。このことから,求電子的塩素化剤存在下でキラル触媒により同カルボン酸を脱炭酸させることで,エナンチオ選択的なハロゲン化反応が進行するのではないかと考えました。実際に当研究室で開発したキラルアミン触媒[2]を用いてβ-ケトカルボン酸の脱炭酸的塩素化反応を行ったところ,様々な第二級および第三級クロロケトンが高い光学純度で得られることがわかりました。また,得られた塩素化合物はSN2反応を用いて,光学純度を損なうことなくアジド化体もしくはスルフェニル化体へと変換できます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
鎖状のβ-ケトカルボン酸を用いた際に高いエナンチオ選択性と化学収率を達成するために、分子設計や反応条件を工夫しました。当初,鎖状のα,α-ジアルキル-β-ケトカルボン酸を反応基質とした場合には低いエナンチオ選択性が観測されました(下図a)。これはE体とZ体のエノレート中間体がいずれの場合にも,α位およびα’位の置換基間で同程度の立体反発を生じてE/Z選択性が低下したためと考えました。そこで,α-モノアルキル-β-ケトカルボン酸を用いれば立体反発が小さいZ体のエノレートが優先的に生成すると考えました(下図b)。実際に反応を行ったところエナンチオ選択性は大きく改善されましたが,一方で副生成物として多量のジクロロケトンが生成してしまいました。そこで,塩素化剤の添加速度を調整して反応系中のNCS濃度を低く保つことで副生成物の生成を抑制し,良好な収率でモノクロロ化体を得ることに成功しました。単純な理屈ですが,自分達の設計通りに反応が進行したことを嬉しく思いました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
推定反応機構をサポートする情報を集めるのに苦労しました。本反応は脱炭酸後に生じるエノレート中間体が塩素化される機構を経由していると考えています(下図上段)。しかしながら,このエノレート中間体の寿命は極めて短いと考えられ,NMR等での観測はできませんでした。そのため,考えられる他の反応経路の反証を得ることで我々の推定をサポートすることにしました。例えば,本反応ではエノレート中間体がプロトン化されることで生成するケトンから,エナミン中間体を経由して塩素化が起きる可能性が考えられます(下図下段)。そのため,アミン触媒存在下でプロトン化されたケトンの塩素化反応が進行しないことを確認しました。また,アミン触媒が塩素化されたのちに,キラル塩素化剤として機能する可能性や触媒活性種となっている可能性なども考え,アミン触媒の塩素化体を別途合成して対照実験を行うことでこれらの経路の反証を得ました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
有機合成を通して身に着けた知識を利用して,異分野との境界領域を開拓していきたいと考えています。不斉合成では特に,有機分子のふるまいを分子レベルでイメージすることが重要です。このイメージする力というのは有機物質を扱う様々な分野で有用だと考えています。そのため,今後は有機化学の知識を活かして,生化学や無機化学といった様々な分野の研究を行っていくことで,社会に役立つ技術を生み出していきたいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。当研究室ではシンプルかつ学術的インパクトの高い反応の開発を目指して日々研究を行っています。現在,今回発表した脱炭酸反応を利用した分子変換についても研究を進めており,学会での発表も予定しています。もし,この記事に興味を持っていただけた場合には,発表を見に来ていただけたら幸いです。
最後になりましたが,日頃から手厚いご指導を頂いている柴富一孝准教授にこの場を借りて心より感謝申し上げます。また,本テーマについて一緒に研究を行った佐々木希さん,川崎洋平さんに御礼申し上げます。
参考文献
[1] (a) A. Borodine, Ann. 1861, 119, 121; (b) H. Hunsdiecker, C. Hunsdiecker, Ber. 1942, 75, 291. [2] K. Shibatomi, K. Kitahara, T. Okimi, Y. Abe, S. Iwasa, Chem. Sci. 2016, 7, 1388. DOI: 10.1039/C5SC03486H
研究者の略歴
名前:北原 一利(きたはら かずまさ)
所属:豊橋技術科学大学 大学院工学研究科 環境・生命工学専攻柴富研究室 博士後期課程1年
研究テーマ:キラルハロゲン化合物の不斉合成
2013年3月 有明工業高等専門学校 物質工学科 卒業
2015年3月 豊橋技術科学大学 工学部 環境・生命工学課程 卒業
2017年3月 豊橋技術科学大学 大学院工学研究科 環境・生命工学専攻 博士前期課程修了
2017年4月 同大学博士後期課程に進学