第112回のスポットライトリサーチ。今回は早稲田大学理工学術院中井研究室の五十幡 康弘先生にインタビューを行いました。
量子化学計算は電子と原子核の量子論的な振舞いを理解する上で重要な手段ですが、これを大きな分子や分子の集合体に適用しようとすると計算量が膨大になり、煩雑化してしまいます。中井浩巳教授の研究グループでは、分割統治 (divide-and-conquer; DC) 法と呼ばれる手法を用いることによって、量子化学計算を高精度に保ちつつ計算コストを落とし、比較的大きな分子や反応系に対しても適用できることを見出しています。
五十幡先生は、分割統治法を活用した量子化学計算を駆使することによって、分子量が大きい有機分子ラジカルの光吸収の説明を行うことに成功しました。
この成果は、以下の論文や、プレスリリースで発表されています。
Near-infrared absorption of π-stacking columns composed of trioxotriangulene neutral radicals
Y. Ikabata, Q. Wang, T. Yoshikawa, A. Ueda, T. Murata, K. Kariyazono, M. Moriguchi, H. Okamoto, Y. Morita, H. Nakai
npj Quantum Materials, 2017, 2, 27. DOI: 10.1038/s41535-017-0033-8
それでは早速、成果をご覧ください!
Q1. 今回の受賞対象となったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究は、CREST『元素戦略』領域における早稲田大学中井浩巳教授の研究チームと、愛知工業大学森田靖教授の研究チームの共同研究として行われました。森田教授のグループでは、トリオキソトリアンギュレン(TOT)という空気中で安定な有機ラジカルの研究を行っています。TOT誘導体は不対電子に由来する物性を示しますが、その1つに結晶の近赤外光吸収が挙げられます。この性質は学術的にも、センサーなどに応用できる可能性からも興味深いものです。
私達は、結晶におけるTOTの1次元積層構造(π積層ラジカルポリマー)について量子化学計算を行い、結晶の吸収波長の再現に成功しました。また、TOTのSOMOが相互作用して分子間で結合性・反結合性の軌道を生成し、それらの軌道間の電子遷移として近赤外光の吸収を説明しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
中井研究室では、量子化学計算の理論、計算手法、プログラムを開発する研究を行っています。私は学生の頃、密度汎関数理論(DFT)におけるファンデルワールス力の記述を改善するために、分散力補正の方法に取り組んでいました。この手法の精度検証の一環として、TOTとよく似たフェナレニルという有機ラジカルを計算したことがあったため、共同研究に参加することになりました。森田先生から共同研究のお話を頂いたとき、TOTの構造式や積層構造を非常に美しいと思ったのをよく覚えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本研究では積層構造を有限の長さで打ち切って光吸収波長を計算しましたが、計算に時間がかかり過ぎる問題がありました。解決策となったのは、中井研究室で開発に取り組んでいる分割統治(DC)法です。この方法では計算対象を小さな部分に分割し、部分系に対して行った計算を統合して全体の計算時間を減らします。
一般的に分割型の計算手法は、TOTの積層構造のように励起子が非局在化する場合には適用できません。しかし、中井先生と当研究室の吉川助教がグリーン関数を用いた表式に基づいてDC法を拡張し、この困難を克服しました(H. Nakai and T. Yoshikawa, J. Chem. Phys. 2017, 146, 124123.)。最大で60分子、4,380原子からなる積層構造を計算したところ、光吸収波長は結晶の吸収ピークとよく一致し、分子数に関する吸収波長の収束も確認できました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
中井研究室では量子化学計算の理論およびプログラムの開発と、応用計算や実験グループとの共同研究を並行して行っています。今回は研究室で開発した計算手法を応用でき、大変嬉しく思います。一方で、ラジカルやその集合体の量子化学計算は難しく、特にDFT計算には改良すべき点が多く残っています。今後はDFTを中心とした理論・手法開発と応用計算の両方でレベルの高い研究をする研究者になり、様々な分野の化学に貢献したいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究では、私はTOTの量子化学計算を行うとともに、第一著者として論文をまとめる立場となりました。量子化学の理論や計算手法に関する論文を書くのとは全く異なり、共同研究の困難さと楽しさを感じることができました。結果的に時間はかかりましたが、大変貴重な経験になりました。また、共同研究は個々の専門を組み合わせて成果を生み出すだけでなく、専門分野で取り組むべき課題を意識する機会にもなりました。この場をお借りして共同研究者の皆様に感謝申し上げます。
関連リンク
•有機分子集合体による近赤外光吸収を実現太陽電池やセンサー、医療分野における検査技術の開発への貢献に期待(早稲田大学プレスリリース)
•CREST『元素戦略』中井研究チーム「相対論的電子論が拓く革新的機能材料設計」
研究者のご略歴
五十幡 康弘(いかばた やすひろ)
所属:早稲田大学/理工学研究所/電子状態理論研究室/次席研究員(研究院助教)
研究テーマ:量子化学、理論化学、計算化学
略歴:
2013年3月 早稲田大学大学院先進理工学研究科 博士課程修了 (中井浩巳教授)
2013年1月~2015年3月 早稲田大学先進理工学部 助手(中井浩巳教授)
2015年4月~2017年3月 早稲田大学大学院先進理工学研究科 次席研究員(研究院助教)(中井浩巳教授)
2017年4月より現職