2016年、プリンストン大学・Abigail G. Doyleらは、可視光レドックス触媒とニッケル触媒を併用することで、系中生成したクロロラジカルを水素移動触媒(HAT)として用いるC(sp3)-Hクロスカップリング反応を達成した。
“Direct C(sp3)−H Cross Coupling Enabled by Catalytic Generation of Chlorine Radicals”
Shields, B. J.; Doyle, A. G.* J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 12719-12722. DOI: 10.1021/jacs.6b08397 (アイキャッチ画像は冒頭論文より引用)
問題設定と解決した点
クロロラジカルは不活性なアルカンのC(sp3)-H結合を活性化できるが、一般的には塩素ガスやNCSなどの高活性試薬から発生させる。このような条件はは共触媒の失活やアルキルラジカルのクロロ化など、望ましくない反応につながる可能性がある。ゆえに精密有機合成に用いるには、温和な条件下、安定な前駆体からクロロラジカルを生じさせることが望まれる。
その一方で、高原子価遷移金属ハライド、特にNi(Ⅲ)トリクロリド錯体[1]から、光照射下にクロロラジカルが放出されることが知られていた。
Doyleらはこの塩化ニッケル錯体の光照射によるクロロラジカル生成、引き続くC-H引き抜き過程を通じてアルキルラジカルを系中生成させ、C(sp3)-Hクロスカップリングへと用いることを達成した。
技術や手法のキモ
上図のような触媒サイクルを想定し、反応を開発した。
まず、Ni(0)にAr-Cl結合が酸化的付加しNi(Ⅱ)錯体を生じる(2)。ここで、光励起されたIr(Ⅲ)(E1/2 =1.21 V vs SCE in MeCN)(4)がNi(Ⅱ)錯体(Ep = 0.85 V vs SCE in THF)を酸化し、Ni(Ⅲ)錯体が生じる(5)。このNi(Ⅲ)錯体から光照射下でクロロラジカルが放出され(6)、HATとして働き(BDE:H-Clは102 kcal/mol、THFは92 kcal/mol)、エーテルの酸素のα水素を引き抜いてアルキルラジカルを生じ、Ni(Ⅱ)錯体がトラップすることによって7が生じる。そして、還元的脱離によってクロスカップリング体が生じるとともにNi(Ⅰ)(Ep = -1.17 V vs SCE in THF)(8)が生じるが、これはIr(Ⅱ)(E1/2 = -1.37 V vs SCE in MeCN)(9)によって還元され、Ir(Ⅲ)(3)とNi(0)が再生することで触媒サイクルが完結する。
主張の有効性検証
①反応条件の最適化
検討の詳細はほとんど言及されていないため不明であるが、Ni(cod)2 (10 mol%)、dtbbpy (15 mol%)、Ir[dF(CF3)-ppy]2(dtbbpy)PF6 (2 mol%)、K3PO4 (2 eq)、blue LEDを用いることで反応を達成した。
②基質一般性について
Ar側は電子不足でも電子豊富でもヘテロ芳香環でもよく、ニトリルやケトン、アルデヒド、アミド、アルケンは許容される。一方、エーテル側は環状でも鎖状でもよく、第2級C-H結合だけでなく、よりBDEの大きな第1級C-H結合までも切断されうる。また、エーテルの代わりにトルエンのベンジル位や不活性なシクロヘキサンのC-H結合もクロスカップリングに用いることができた。
エーテル基質は原則として溶媒量必要だが、ベンゼンを溶媒として用いるとクロロラジカルが安定化されるためか、10当量のTHFでもクロスカップリング体が71%得られる。
③反応機構に関する示唆
上述の触媒サイクルは、主には下記実験データから支持される。
- 青色光、光触媒、ニッケル源のいずれかが欠けると反応は進行しない。また、可視光レドックス触媒としてIrの代わりに酸化ポテンシャルの小さなRu(bpy)3Cl2(E1/2 = 0.77 V vs SCE)を用いた場合も、反応は進行しない(おそらく酸化力不足のため)。
- Ar-Clの代わりにAr-Iを用いると反応はほとんど進行しない(5%)。しかしながら、Ar-Iを基質として用いた時に、Bu4NClを1当量添加するとクロスカップリング収率が向上する(51%)。
- 反応機構の5に相当すると考えられるNi(Ⅲ)錯体からの等量反応を行った。Ni(Ⅱ)錯体出発(1電子酸化剤無し)、もしくは光照射だけではクロスカップリング体は得られず、Ni(Ⅲ)生成と光照射の両者がそろってはじめてクロスカップリング体が得られた。
議論すべき点
- 1, 2-ジメトキシエタンをエーテルとして用いた反応では第2級C-H結合が切断されたものだけでなく、第1級C-H結合が切断されて生じたクロスカップリング体も生じており、選択性はほとんど見られなかった(その比は1.35:1)。クロロラジカルは精密合成用HATとしては少し強すぎるのかもしれない。
- 遊離ラジカル同士がカップリングしているわけではなく、HATによって生じたアルキルラジカルがNiにトラップされて還元的脱離で進む機構。Niの配位子をdtbbpyの代わりにキラル配位子にすれば、原理的には不斉反応が達成できるはず。ただNi(Ⅲ)-Clの光応答性機能が失われないチョイスが求められるため、創造的な探索が求められるかもしれない。
- 今回の例では第2級C-H結合ばかり切っていたが、炭素ラジカルがより安定な第3級C-H結合を切ることができれば、4置換炭素が構築できるかも知れない。ただ、Niでのトラップや、還元的脱離過程が難しいのかも。
次に読むべき論文は?
- キラルな配位子を用いたクロスカップリング反応に関する論文
- ニッケルを用いたC(sp3)-C結合形成に関するレビュー[3]
参考文献
- Hwang, S. J.; Powers, D. C.; Maher, A. G.; Anderson, B. L.; Hadt, R. G.; Zheng, S.-L.; Chen, Y.-S.; Nocera, D. G. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 6472. DOI: 10.1021/jacs.5b03192
- Tsou, T. T.; Kochi, J. K. J. Am. Chem. Soc. 1979, 101, 6319. DOI: 10.1021/ja00515a028
- Tasker, S. Z.; Standley, E.; Jamison, T. F. A. Nature 2014, 509, 299. doi:10.1038/nature13274