第110回のスポットライトリサーチです。前回に引き続き、横浜国立大学大学院からの成果です。今回は横浜国立大学大学院工学研究院淺見研究室の伊藤傑助教(現在は同研究室准教授)にお願いしました。
淺見真年先生の研究室では、キラル化合物の合成法や低環境負荷型反応の開発が主な研究対象です。同研究室において、伊藤先生は新規キラル蛍光色素が特異な円偏光発光の性質を示すことを明らかにしました。この化合物の光化学的性質が暗号通信技術へ応用できるのではないかと期待されています。この成果は論文やプレスリリースとして取り上げられています。
Concentration-dependent circularly polarized luminescence (CPL) of chiral N,N′-dipyrenyldiamines: sign-inverted CPL switching between monomer and excimer regions under retention of the monomer emission for photoluminescence
S. Ito, K. Ikeda, S. Nakanishi, Y. Imai, M. Asami
Chem. Commun. 2017, 53, 6323. DOI: 10.1039/C7CC01351E
また、ボスの淺見先生、および共同研究者の近畿大学・今井喜胤先生から、伊藤先生について次のコメントをいただいています。
淺見先生からのコメント
伊藤傑さんは、有機合成化学を専門とする私どもの研究室に卒業研究生として配属された当初より実験の手際もよく、天然物の不斉合成や固体酸触媒反応の研究において次々と成果を挙げました。博士課程後期は短縮修了し、博士研究員として東工大岩澤伸治先生のもとで超分子化学の分野で研鑽を積み、助教として本学に戻ってからは、新たに発光性有機色素の研究に取り組んでいます。新たな知識の獲得や共同研究にも大変意欲的であり、今回の結果に繋がりました。また、学生の成長を第一に考えて熱心な指導を行っており、篤い信頼を得ています。今後、優れた研究者・教育者として活躍してくれることを大いに期待しています。
今井先生からのコメント
伊藤傑先生とは、一昨年より、円偏光発光(CPL)に関して共同研究させて頂いております。先生の新しい視点からの研究展開には、いつも勉強させて頂いております。励起状態のキラリティーを扱うCPL研究は、まだまだ始まったばかりです。伊藤先生には、CPL研究における新しい領域を開拓していって頂きたいと期待しております。
それでは研究成果をご覧ください!
Q1. 今回の受賞対象となったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
新しいキラル有機蛍光色素を創製し、「見た目の発光(PL*)を同一領域に維持したまま、円偏光発光(CPL**)の波長と回転方向を切り替える」、前例のないCPLスイッチングを実現しました。
キラルな発光体からは、右円偏光と左円偏光に偏りの生じた円偏光が発せられます。円偏光は、3Dディスプレイなどの次世代光情報技術へ応用できるため、CPL色素に関する研究は最近注目を集めていますが、従来のCPL色素は多くの場合、PLと同じ領域にCPLが観測されます。
本研究では、新規に合成したキラル有機蛍光色素のCPL特性を評価したところ、低濃度条件ではPLと同じ領域にCPLが観測されるものの、色素濃度を増加させると、PL極大からのCPLが小さくなるとともに長波長領域からの回転方向の異なるCPLが増大することを見出しました。これは、ピレン環のモノマー発光と分子間エキシマー発光との間で、CPLの効率が大きく異なることが原因であると分かっています。
PL強度の小さい領域でCPLのみが大きく増大する本成果は、将来的には、CPLのみで検知可能な暗号通信などの次世代セキュリティ技術への応用を期待できます。
*PL…Photoluminescence
**CPL…Circularly polarized luminescence
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
2013年10月に助教職に着任してからは、学生・ポスドク時代とは異なる新たな研究を始めようと模索していました。本研究のCPL色素は、2014年の夏頃に別の目的で不斉合成した分子だったのですが、期待した機能を示さなかったため「お蔵入り」となっていました。
その後、発光性有機色素の研究で成果が出始め、CPLにも興味を持つようになりました。2015年秋の学会で、今井先生にCPLの測定をお願いしたところ、初めてお会いしたにも関わらず、『サンプルを送って頂ければ測定しますよ!』と快諾して下さいました。
そこで、研究室の冷蔵庫で約1年間眠っていた「お蔵入り」のサンプルを取り出し、円二色性(CD)が活性であることを確認した上で、CPLの測定をお願いしました。当初は、お試し程度にCPLの溶媒依存性を評価するつもりでしたが、意外なことに、色素濃度を変更した際にCPL特性が大きく変化するという、全く予想していなかった結果が得られました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
CPLに関しては全くの素人だったので、実験により得られた「予想外の結果」の解釈に時間がかかりました。
最初は、『高濃度条件でエキシマーを形成することで、エキシマー領域のCPLが増大するのは当たり前なのでは?』と感じました。しかし、“circularly polarized luminescence”のキーワードでヒットする1,000件程度の文献を順番に調べていくと、そもそも、「PL強度の弱い波長領域から強いCPLが観測されることが稀である」ことに気が付きました。
そこで、CPLスイッチングにおけるPLとCPLとの関係性に着目して改めて文献を調査してみると、「PLを同じ領域に維持したまま、CPLを二領域間でスイッチングできる前例が無い」ことが分かってきました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
これまでの研究では、「有機合成化学」を中心として、キラル化学、触媒化学、超分子化学、ホスト−ゲストの化学、結晶化学、光化学と、比較的幅広い研究に携わってきました。現在、アカデミアの共同研究先を増やしながら、産学連携にも取り組み、さらに研究の幅を広げつつありますが、中心に据えているのは「機能性有機分子の創製」です。今後も、有機分子の秘めたる可能性を探求するとともに、各分野との共同研究を積極的に推進し、将来的には、実社会の役に立つ分子を創出したいと考えています。
また、私が大学で研究をすることを選んだ最大の理由は、学生の教育に携わることができるからです。学生と一緒に「化学」を楽しみながらも、各方面で活躍する研究者として送り出すことができるよう、精進したいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
挑戦的な研究課題を設定し、努力を重ねて実現することも大切ですが、やはり、実験により「予期せぬ結果」を得ることが、研究の醍醐味だと思います。
そのために大切だと感じているのは、あまり深く考えずに、「うまくいっても面白くなさそうなこと」をも実験してみることです。また、もっと大切なのは、どんな状況でも楽しみながら研究することです。学生の皆さん、笑顔で前向きに研究を楽しみましょう!
最後になりましたが、本研究を進めるにあたり終始ご指導頂いた淺見先生・今井先生、合成実験と各種スペクトル測定を行ってくれた生田君・中西君に、この場を借りて御礼申し上げます。
関連リンク
・世界初!光暗号通信に応用可能な、円偏光発光(CPL) の回転方向と色をスイッチングできる色素を開発(横浜国立大学プレスリリース)
研究者のご略歴
伊藤 傑(いとう すぐる)
所属:横浜国立大学大学院 工学研究院 機能の創生部門 准教授
研究テーマ:機能性有機分子の創製
略歴:
1985年 神奈川県茅ヶ崎市生まれ。
2007年3月 横浜国立大学 工学部 物質工学科卒業
2009年3月 横浜国立大学大学院 工学府 機能発現工学専攻 博士課程前期修了
2009年8月〜2010年1月 南洋理工大学理学院(シンガポール)研究留学(奈良坂紘一教授)
2011年3月 横浜国立大学大学院 工学府 機能発現工学専攻 博士課程後期短縮修了、博士(工学)(淺見真年教授)
2011年4月〜2013年9月 東京工業大学大学院 理工学研究科 化学専攻 産学官連携研究員(岩澤伸治教授)
2013年10月〜2015年3月 横浜国立大学大学院 工学研究院 機能の創生部門 研究教員(助教相当職)
2015年4月〜2017年6月 横浜国立大学大学院 工学研究院 機能の創生部門 助教
2017年7月〜 現職