Tshozoです。 また随分と地味で僻地的なお話をしようと思います。
まずタイトルのWisconsin Processをご存知の方はお見えでしょうか? 1956年に20歳くらいだった方ならご存知かもしれませんが十中八九お見えにならんでしょう。そんな昔のことを振り返って何をするのだと思われるかもしれませんがまぁお聞きください。
【Wisconsin Processの初期知識】
Wisconsin Processとは、早い話が第二次世界大戦中にアメリカで開発された窒素酸化物の合成プロセスのことです。特徴は、現代からみると正直エライプロセスだなという印象を与えるその無茶っぷりにあります。
そもそも窒素酸化物は、フツーは筆者が大好きアンモニアを酸化して合成される、所謂「Ostwald法」に依るのが一般的。この合成法は概念自体はオストワルド(Willhelm Ostwald)によるものでしたが、プラントの基礎は例ごとくBASFのボッシュ・ミタッシュ(Bosch,Mittasch)らにより構築されたことは意外と知られてませんね。開発された当時はミタッシュが見つけた鉄ービスマス酸化物を使っていましたが、現在では白金線の上で加熱する方式によっているのが主流です。
図はWikipediaより引用(こちら)
この製法による窒素酸化物は圧倒的な生産シェア(ほぼ100%)を誇っており、結論を先に言ってしまうのですが、Heterogeneous Catalysis系でのこれ以上の合成法を創出するのは驚天動地、空前絶後の大発見が無いとしんどいでしょう。
一方、今回取り上げる”Wisconsin Process”では、窒素と酸素を直接石の上で強加熱(~2000℃)するという相当乱暴な手法を採っています。不思議なのはこの開発がスタートしたのは1920年前後で、アメリカでも既にBASFから引き抜かれた技術者経由でハーバー・ボッシュ法(Haber-Bosch法)の情報が流れ、プラント建設も進み既に軌道に乗っていたタイミングであったのに、ということ。何故先祖帰りするようなことをしたのか、背景を含めて書いてみようと思います。
【プロセス概要】
昨今世間を騒がしたVWによるNOx騒動。Wisconsin Processの基本はアレで、ディーゼルエンジンのように窒素と酸素を含んだガスを高温に持って行くとNOxが出やすくなるのと同じ原理に基づいていますです。もっともWisconsin Processは軽油をエンジンで燃やして取り出すのではなくガンガンに加熱(~2000℃)した石(高純度酸化マグネシウム)に酸素と窒素をバッチ的に流し込む、というやり方でした。
プロジェクト初期のWisconsin Process 反応炉の模式図(参考文献から引用)
確かにぱっと見お手軽ですがどうも熱収支的・熱安定性的にスジが悪そう。だいいちこのように高温で無理矢理合成するというのは歴史的に見てBirkeland-Eyde法(下図)という形である程度成立していたはず。何故なのか、それには当時の状況を知らねばなりません。
Birkeland-Eyde法の産みの親 お二人(こちらの記事より再掲)
第一の重要な背景としては、当時もなおアンモニア合成プラントは重化学工業の粋を尽した非常に高度なお値段の高いプロセスであったこと(当時価格でプラント1式 4000万ドル・車が300ドル/台だった時代)。石油・石炭とスチーム等の必要物資を継続的に供給できる地域や湾岸周辺でないと効率的にオペレーション出来ず、また原料をクラックして効率的に水素を取り出すための設備がとんでもなく高度であったために初期投資もエライ額になってしまうことから現代ほど低コストになっていなかったわけです。
(参考文献より引用)
第二に立地と採算性。特に中国の旺盛な化学肥料の需要を念頭に入れていたこのプロジェクトリーダの物理化学者Ferrington Daniels(当時ウィスコンシン大教授)らは、何とか硝酸プラントを小規模・低初期投資・簡易運用化して中国をはじめとした発展途上国への商売展開を念頭に置いた硝酸合成法の開発を考慮していたとのこと[参考文献より]。Birkeland-Eyde法だと水力発電が盛んな地域でしか実現できず、現Statoil(当時NorskHydro)だけがしばらく続けていたものの合成できる地域が限定されていたため、新しいプロセスの開発を必要としていたわけです。
以上の2点の要請から、「燃料さえあれば窒素酸化物が合成できる」ようにしたかったのがこのプロジェクトの基本的な目的でした。以下ではその詳細を描いてみます。
【Wisconsin Process 試みの時系列と顛末】
ぐだぐだと時系列を描くのは参考文献の論文そのものを訳すのに等しいのでポイントのみ簡略化した形で記載します。結論としてはおそらく予想できると思いますが、要旨としては「反応率が思ったより上がらなかったのに加え(最大で2vol%未満に留まった) & NOをどうやってうまく吸着して分離するかの手段に猛烈にカネがかかったうえ、最後まで断熱材とPebbles(反応用の石)の材料性能未達に苦しめられた」ということです。
(1)プロジェクト発足時(1930’s )
⇒米国窒素固定研究所(United States Fixed Nitrogen Research Laboratory)の元開発リーダで、ライプチヒ大時代のオストワルド研究室に居た経験のあったフレデリック・コットレル(Frederick Cottrell)により固定床式直接加熱窒素酸化物合成法、つまり”Wisconsin Process”が発案される。コットレルは同研究所の研究者だった上述のダニエルズ(元々、固定床式加熱装置の発案者だった)を口説き落とし、同プロジェクトを開始させる。
(2)プロジェクト初期(1940’s)
⇒ダニエルズと研究室の学生であるネイサン・ギルバート(Nathan Gilbert)とで初期型水平炉(記事の上の方に示した反応炉)に取り組み、最大収率を初期の0.86vol%(@2040℃)から1.36vol%(@2030℃)まで上昇させたが、断熱能力不足と断熱材&容器のクラック(特に余熱炉と反応炉の間の部分)に苦しめられる。結局最大で4hr程度しか継続して稼働できなかったとのこと。その後1940年代の後半にギルバートが大学を離れたため主要研究者がダニエルズとウィリアム・ヘンドリクソン(William Hendrickson)となったを契機に下の図に示した垂直炉ベース(↓)に戦術を変更。材料変更などで断熱性を上げ収率を1.70vol%(@2300℃)まで向上できたが、相変わらず断熱材&容器のクラックや断熱性低下に苦しみ、オペレーション可能時間は1週間程度に留まった。また高温のため、固定床の材料(石)である酸化マグネシウムが蒸発して後プロセスでクロッギングを発生させる問題も発生。
図は参考文献より引用
(3)プロジェクト中期~後期(1950’s)
⇒反応炉の問題もなお残っていたが、低コストで窒素酸化物をトラップさせる工程の効率化も進まず。当初水でトラップさせていたが最終的にとんでもなく巨大な反応塔が必要と試算されたため、①冷水スプレー中で反応ガスを冷やした後②水分をとばしてシリカゲルにNOを吸着し③シリカゲル上でNO2に酸化し④同時に吸着させ⑤別の反応塔でゲルを加熱してNO2を水に溶かし出し、煮詰めて濃硝酸を得るという複雑で多段なプロセスを考案。これにより、反応した窒素酸化物の90wt%程度を回収出来たが如何せんコストが成り立たず、下記に述べる試験的プラントでも結局本プロジェクトは「アカン」という結論となり表舞台から消えることとなった。
(オマケ)軍隊関係の関与
⇒このプロセスはハーバー・ボッシュ法を必ず要するオストワルド法と異なり、炉ひとつと燃料だけで窒素酸化物、最終的には火薬が作れる可能性を秘めていました。時は冷戦直前で、ソ連との衝突を見越しこのプロセスを中国近傍の企業へ技術供与したいという意図が米国軍部の中(材料調達委員会的なところ/War Production Board)に特にありました。一方の中国でも、中国近辺に廉価に窒素酸化物を作れるプラントを設置すれば硝酸化合物の商売(!)が出来ることから、香港に本社を置く企業が軍部と接触し開発プログラムが開始されます。結局第2次国共内戦によって中国が鎖国状態となるため尻切れトンボに終わったのですが・・・。
⇒また、戦後も窒素酸化物の供給不足が続いていたことから、軍部の”Sunflower”プログラムに採択されて実際に最大80トンの固定床(石)を搭載でき、硝酸最大合成量40トン/日レベルの試験的プラントまで完成させたものの結局低コスト化に失敗し、市場化ならずとなりました。低コスト化出来なかった核心は、参考文献によると上述のシリカゲル吸着プロセスを簡便化出来なかったことに加え合成した硝酸の単価が当時の3倍近くしてたみたいですから全体としてプロセスのスジが悪かったとしか言い様が無い結果だった気がします。
[写真は参考文献より引用]
そしてこれらの最後期に、天然ガスという安価な材料を取り扱って水素を比較的低コストで取り出せる技術の完成度が高まっていき、原材料のアンモニアがかなりのコストダウンに成功。その結果、Wisconsin Processは息の根を止められてしまったわけです。
以上が本件の顛末でした。
【彼らは愚かだったか】
というわけで「一応窒素酸化物は合成出来たけど、コストで大きくオストワルド法に負けちまいましたよ」「熱とか回収とか、色々無茶があったんすねぇ」という結果に終わりました。
・・・で終わってはあんまりにもつまらんので少々個人的意見を追加。ぱっと見で批判がいっぱい出てきそうですが、それでも評価されるべきはオストワルド法が(一見)複雑でムダなプロセスであることにメスを入れようとした点です。何をムダとぬかしよるか、ですが、「一旦還元してアンモニアにした窒素を今度は酸化する」ということ自体はエネルギー的に相当なムダをしていると考えねばなりません。実質エネルギー的に非常に重要な水素を苦労して苦労して取り出してアンモニアにしたってのに、実質的に燃やして水にして、しかも得られる合成物に水素原子が含まれてないんですからこれほどムダなことは無い(注:熱交換をしまくってプラントの全体効率を上げるようにはしているはずですが)。下の④のように直接酸化出来るのが(一見)最も効率的なはずです。
これに加えて、当時はまだNOの詳細な反応解析は出来てませんでしたので、とりあえず温度を上げれば上げるほどNOの濃度が上がる、くらいしか実質的知見は無かったもよう。反応解析も本件のような過渡的で見えないもんについては適用できなかったから「やってみないとわからん」という位置づけで、特攻せざるを得なかったのは無理からぬように見えます。ですが「人間と言うのは見当違いのことをやらないと本当のところには至らない」「本当のところにすら至らず別の境地に至る場合もある」というのが歴史が示すところであり、筆者はこのWisconsin Processの挑戦は決して愚かだったとは言えないと思います。むしろアメリカらしくフロンティアを目指した事業の一つだったのではないでしょうか。
なお筆者ごときが敢えてケチをつけるとすると技術的な点ではなく、オストワルド法という極めて完成度の高い競合相手が居る中、10年近くもこのプロジェクトを引っ張ってしまったそのプロジェクトの「やり方」でしょうか。まぁ当時はまだ鷹揚な時代だったのでズルズル続けたのでしょうけど当初見積もってた収率も確保できず、グダグダと合成ステップが増えていくのに開発を引っ張った、ってのはいかにもデスマーチっぽいですよね。なおここらへんの成否を早期に判断できる「嗅覚」は開発プロジェクトを成功に導く、或いはスパっと道を切り替えるのに非常に意義を持ち(俗に言う「第六感」的なもんですので非論理も甚だしいですが)将来各組織の指導者になっていかれる方々に大きな意義を持つもんのはずのため、こうした失敗事例を眺めるのも何らかの意義があるのではないかと考えている次第です。
蛇足と今後の期待
結局この開発の失敗により中国を含む発展途上国での窒素酸化物合成プロセスの展開には至らず、アメリカからの窒素化合物及び合成法の提供については毛沢東とキッシンジャーによる米中会談を待たねばならなくなります。農業近代化を目指していた毛沢東と中国共産党は農業の基盤としての重化学工業の必要性を強く認識しており、関係文書によると米中国交回復に際し中国側の要求の一部として出ていたのが合成肥料、つまりハーバー・ボッシュ法、オストワルド法に基づく化学プラントの供与です(文書上はKBRの前身であるKellogg社が提供したことになっていましたが、ホントかなと思う部分が少しあります)。化学技術で国家として大きく出遅れていた中国は当時は自前で作れなかったのですね。そこらへんの詳しい所はここでは割愛。ともあれ、昔も今も合成肥料の位置付けは国家的にも極めて重要なことを推測できるトピックでもあります。
んで、最後に今後の状況を考えてみると、上述のようにHeterogeneous Catalysisではまず大量合成新技術、ってのは難しいでしょう。一方、Homogeneous Catalysisでの試みはあまり行われていないもようです(筆者調べ)。Ostwaldプロセスが完成しまくっているので何を今さら、的な考えはどうしても根強いのでしょうが、大量プラントでドカッと大量に作って売りさばく商売モデルは今後の世界にとって適当でないことを考えると何らかの進化はしていかねばならんのではないでしょうか。
そこで前々から書いているとおり(こちら と こちら など)、MIT Schrock教授や東京大学西林教授、CaltechのPeters教授らの成果を中心に窒素の3重結合を室温で切断する試みが実を結び開花しようとしている状況を鑑みると、有機金属錯体系からの小規模・低コストな硝酸合成法は開発されてもいいのではと考えるのは筆者だけでしょうか。もちろん下図に挙げるような触媒類は基本的に中心金属をかなり還元側に持ってっているため直接酸素を使った合成は難しいかもしれませんが、Schrock教授がアンモニア合成で切り拓いたプロトン/還元剤の分離戦略と同様、レドックス系のマイルドな酸化剤(あるのか?)をうまく選べば何か新しい道が拓けるんではないでしょうか。うまくいきゃ化石燃料フリーの硝酸合成法、という強みも創造できるかもしれません。ちなみに筆者の好きな映画は「ニッポン無責任時代」です。
図は日本化学会の「ディヴィジョン・トピックス」ページ(こちら)より引用
という筆者の戯言は置いておき、硝酸は肥料の原料としてだけでなく様々な用途で引き続き根強いニーズのある基礎材料。また新しい切り口での合成方法が現れることを期待します。
それでは今回はこんなところで。
【参考文献】
・”Farrington Daniels and the Wisconsin Process for Nitrogen Fixation”,
Anthony N. Stranges, Social Studies of Science, vol.22, 317-337, 1992 リンクこちら