「ケムステ海外研究記」の第13回目は、第6回目の志村さんのご紹介で、マックス・プランク量子光学研究所・ミュンヘン大学(Ferenc Krausz研)博士研究員・森本 裕也さんにお願いしました。森本さんは現在、ドイツに研究滞在されており、我々の目には見えない非常に短い時間で起きる化学現象を明らかにしようとされています。本寄稿を通じて、研究の内容や留学生活について詳しくお話を伺うことができました。ぜひご覧ください!
Q1. 現在、どんな研究をしていますか?
私の所属するFerenc Krausz研究室では、最先端のレーザー開発とその応用研究が行われています。特に、アト秒科学の研究が有名です。物理化学の研究には、しばしば、フェムト秒(=10のマイナス15乗秒)レーザーが用いられますが、アト秒とは、さらに3桁短い、10のマイナス18乗秒(=100京分の1秒)で、原子・分子・固体内で電子が動く時間に相当します(図1)。2001年に世界初のアト秒レーザーが、Krausz研究室で開発されて以来[1]、非常に活発な研究分野となり[2,3]、今や世界中にアト秒科学を研究するグループがあります。
Krausz研究室の強みは、研究室内に10を超えるサブグループがあり、ミラーなどの光学素子の製作、レーザーの組み立てから、応用研究までを一貫して研究室内で行えることです。特に光学素子の開発技術はアト秒科学の発展に欠かせないもので、その技術を基にしたベンチャー企業[4]も設立されました。また、最近のKrausz研究室では、これまでに培ったレーザー技術を用いて、呼気や血液からの病気の診断、患部の可視化技術、レーザーで生成した陽子やイオンビームによる腫瘍の治療、などの医学的な応用研究も活発に行われています[5]。
私は、Peter Baumが率いるサブグループに所属しています。サブグループと言っても、人や予算の規模では、一般的な研究室と同程度です。Baumグループでは、アト秒”レーザー”ではなく、アト秒”電子”パルスの発生・応用技術を研究しています。光学顕微鏡と電子顕微鏡の比較から分かるように、電子線を使うとレーザーでは不可能な、オングストローム(10のマイナス10乗メートル)やピコメートル(10のマイナス12乗メートル、電子回折法)の分解能で物質を観ることができます。アト秒レーザーでは観測できなかった、アト秒・オングストロームの世界を可視化することが、Baumグループの目標です。そのために、極めて時間幅の短い電子パルスを発生させる独自の技術を開発しており[6]、世界初のアト秒電子パルスの生成が目前に迫ってきています[7]。物質中の電子の動きは、化学反応や光が関わるあらゆる現象の初期過程に深く関わっています。我々の技術によって(図2)、オングストローム・アト秒の世界で物質中の電子が動く様子を観測できるようになれば、多くの化学・物理過程のメカニズムの理解が進むと期待して研究しています。
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う(続ける)選択をしたのですか?
私は、学部・大学院でも、電子線を使ったフェムト秒・アト秒の超高速イメージング手法の研究をしていました [8,9]。その仕事は気体原子・分子を対象としたものでした。卒業後は、固体にも研究対象を広げたいと思い、その分野で唯一、本気でアト秒に挑戦しようとしているのがKrausz研究室のBaumグループだったので、海外に行くという選択をしました。もし、日本でも全く同じ研究を行えるのであれば、海外に出るという選択をしなかったかもしれません。どうしても日本に留まらなければならない理由(家族の健康状態など)はなかったので、海外に長期間滞在するという選択に何の迷いもありませんでした。
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
良かったことは、語学力(英語・ドイツ語)が上昇したこと、そして、知り合い、特に同じ研究分野の外国人や異分野で活躍されているヨーロッパ在住の日本人研究者、が増えたことです。また、ご質問の意図から逸れるかもしれませんが、本場バイエルンのビール(図4)やソーセージ、ドイツ風ケバブ(図5)、シュパーゲル、ノイヤーワインなど、美味しい料理や飲み物に出会えたのも、良かったです。
悪かったことは、強いて挙げるなら、技術職の方が大学や研究所には大勢いらっしゃるため、好きだった金属工作や電気回路製作をする機会がなくなったことです。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
現地の方々は非常に親切です。例えば、言葉が通じない場合でも、何とかして身振り手振りで伝えようとしてくれます。テロと思われる事件が数件、ミュンヘンやその近郊で起こってはいますが、それでも治安は非常に良いと思います。夜中に街中を歩いても、身の危険を感じることはありません。唯一、身の危険を感じたのは、サッカーチーム、FCバイエルン・ミュンヘンの試合日に、ビールを飲みながら、歌い、飛び跳ねる大柄のドイツ人で満杯の電車に乗ってしまった時だけです。研究所のあるGarchingという街は、バイエルン・ミュンヘンの本拠地、アリアンツ・アリーナから電車で数駅のところにあり、稀にそのような電車に出くわすことがあります。
私が所属しているKrausz研究室は、20カ国以上から100人以上の研究者と学生が集まった、国際色豊かで大規模な研究室です。研究者・学生は非常に意欲的で、休日やバケーション・シーズンでも、働いてる人がいます。研究室は、研究テーマごとに10以上のサブグループに分かれており、グループリーダーが大きな権限を持っているため、研究はスピーディーに進んでいます。逆に、Krausz教授と直接話す機会はほぼなく、ディスカッションの時間をもらえたのは、これまで1度だけです。研究室が大規模なため、物の貸し借りが容易で、また、様々なバックグラウンドの人がいるため(分子生物学の研究者もいます)、困ったことも、研究室内で解決できることがほとんどです。
Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
渡航前は、学位審査、研究の引継ぎ、引っ越し等で非常に忙しく、ビザ取得に必要な書類をインターネットで調べた程度でした。現地で必要なこと、例えば、住居探しや銀行口座の開設などは、秘書さんに手伝って頂きました。
取り立てて生活や研究で困ったことはありません。渡航から半年間くらいは、言葉(英語・ドイツ語)が通じないことが頻繁にありましたが、それでも平穏な日々でした。
友人や同僚から聞くところによると、ミュンヘンやその近郊で生活する上で外国人が最も困るのは、住まい探しのようです。住宅の数が非常に不足しているため、住まい探しは非常に大変で、詐欺に遭うケースもあるそうです。ようやく空き部屋が見つかったとしても、貸主や同居人が風変りな方であるとか、全面ガラス張りの珍物件であった、という事例を耳にしたことがあります。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
ドイツに限らず、日本での経験も含め、これまで学んだことを最大限、将来の研究に活かしたいです。知識や実験技術は勿論ですが、これまでの研究生活で学んだ最も重要なことは、オリジナリティの大切さです。日本でもドイツでも、他のグループと競合することのない、本当にオリジナルでチャレンジングな研究に携わる機会に恵まれました。将来は、これまで行った研究の延長ではなく、これが自分の仕事だと胸を張って言えるような、自分しかできない研究を行いたいです。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
わずか2年間の体験記でしたが、少しでも、留学を検討されている方の参考になれば幸いです。海外学振についての体験談も最近書かせて頂きましたので、ご興味のある方は、[10]をご覧下さい。研究者としてのキャリアを考えた場合、海外に出ることがプラスになるかマイナスになるか、私には分かりません。しかし、海外で長期間生活し、“外国人”として働く経験は、人生にとっては必ずプラスになるのではないかと思います。
関連論文・参考資料
- M. Hentschel, R. Kienberger, C. Spielmann, G. A. Reider, N. Milosevic, T. Brabec, P. Corkum, U. Heinzmann, M. Drescher, F. Krausz, Nature 414, 509 (2001). DOI: 10.1038/35107000
- 日本化学会編、「強光子場の化学」、化学同人 (2015).
- 大森賢治編、「アト秒科学」、化学同人 (2015).
- http://www.ultrafast-innovations.com/
- http://www.cala-laser.de/
- C. Kealhofer, W. Schneider, D. Ehberger, A. Ryabov, F. Krausz, P. Baum, Science 352, 429 (2016). DOI: 10.1126/science.aae0003
- Y. Morimoto, P. Baum, submitted (2016).
- Y. Morimoto, R. Kanya, K. Yamanouchi, J. Chem. Phys. 140, 064201 (2014). DOI: 10.1063/1.4863985
- Y. Morimoto, R. Kanya, K. Yamanouchi, Phys. Rev. Lett. 115, 123201 (2015). DOI: PhysRevLett.115.123201
- https://www.jsps.go.jp/j-ab/ab_sptaikendan.html
関連リンク
研究者のご略歴
森本 裕也(もりもと ゆうや)
2010年、東京大学理学部化学科 卒業
2015年、東京大学大学院理学系研究科化学専攻 博士課程修了、理学博士、山内 薫 研究室
2012年から2015年まで、日本学術振興会特別研究員(DC1)
2015年から現在、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン物理学科およびマックス・プランク量子光学研究所、Ferenc Krausz研究室、Peter Baumグループ、博士研究員
うち、2015年から2017年まで、日本学術振興会海外特別研究員
研究テーマ:電子線を用いた超高速イメージング法の開発とその応用
海外留学歴:2年1か月(2017年5月時点)