第90回のスポットライトリサーチは、東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 生命理工学系専攻(細谷 孝充研)の内田圭祐さん(博士課程2年)にお願いしました。
細谷研究室での取り組みの一つとして、3重結合を芳香環内に持つ化学種アライン(ベンザインなど)を活性中間体として活用する化学変換が研究されています。内田さんは、このアラインの発生に関する新規手法を開発されました。本成果はプレスリリースで取り上げられています。
K. Uchida, S. Yoshida, T. Hosoya
Three-Component Coupling of Triflyloxy-Substituted Benzocyclobutenones, Organolithium Reagents, and Arynophiles Promoted by Generation of Aryne via Carbon–Carbon Bond Cleavage
Org. Lett. 2017, 19, 1184. DOI: 10.1021/acs.orglett.7b00242
また、内田さんについて、吉田優准教授・細谷孝充教授よりコメントを頂いています。
内田君はひたむきで責任感の強い学生です。細谷研で一緒に研究するようになった当初は、朴訥でおとなしい印象でしたが、これは彼の仮の姿でした。研究の面白さに気づき始めてから、少年のような純粋な興味を化学に向けるようになっていきました。まっすぐに努力し続けてきた結果、私たち教員が予想もしていなかった化学を次々と発見できるほどの力をつけました。今や、名実ともに細谷研のエースです。それに伴って快活さも増していき、多数の後輩たちを引き連れるリーダーとして、たわいもない会話からまじめな議論まで、内田くんの声がよく聞こえるようになってきました。たまに、歌声も聞こえます。たまに、後輩と相撲をとってたりもします。そんな元気で前向きな学生です。4月からは、細谷研の学生で初めての学振特別研究員にもなりますので、頼れるお兄さんとして、ますますレベルアップしていってくれることでしょう。(吉田准教授)
内田君は普段は大人しい(ふりをしている?)のですが、ここぞというときに爆発的な力を発揮して物事にあたります。実験がうまくいかないと泣きそうになるくらい(実際にほとんど泣いている?)悔しがっていますし、うまくいったときは浮かれまくっています。今回の研究も、他のグループに類似の内容の論文を先に出されて一時はかなり落ち込んでいましたが、そこからのデータ収集や論文作成に向けた仕事のスピードが極めて迅速でした。内田君だからこそのエッセンスの詰まった、実に味わい深い研究成果だと思います。(細谷教授)
それでは、現場ではどのようなストーリーがあったのか見ていきましょう。
Q1.今回のプレスリリース対象となったのはどのような研究ですか?
芳香族化合物のベンゼン環の一部が三重結合になった短寿命化学種である「アライン」は、多彩な変換を可能にする有用な合成中間体です。その魅力的な反応性が、長年、有機合成化学に携わる多くの研究者を惹きつけてきました。
今回私たちは、トリフリルオキシ基(CF3SO2O- = TfO-)が結合し、カルボニル基を有するシクロブテン環が縮環したベンゼンを出発原料として用いて、さまざまな変換反応を検討する中、有機リチウム反応剤を作用させると、炭素–炭素結合の開裂を経てアラインが発生することを見いだしました。この反応を利用することで、アライン前駆体、有機リチウム反応剤、アライノフィル(アラインの反応相手;ジエン、1,3-双極子など幅広い分子を用いることができる)という3種類のシンプルな原料から、多様性に富んだ芳香族化合物を簡便に合成できます。さらに、低温で反応時間を1分、10分、1時間と変えて反応を停止することで、炭素–炭素結合の開裂によるアリールアニオンの発生とトリフリルオキシ基のβ脱離が段階的に進行していることを突き止めました。こういった反応機構に関する知見をもとに、出発原料としてシリルアセタールを用いて、フッ化物イオンを作用させることでも、対応するα−アリール酢酸エステル型のアラインを発生できることも明らかにしました。
Q2.本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
この反応の発見そのものです。この変換は、別の目的のために原料合成を行っている際に、目的物が得られなかった実験から見つけてきました。はじめは、トリフリルオキシ基が結合したベンゾシクロブテノールの合成を目指し、ケトンに対するフェニルリチウムの付加反応を試みたのですが、目的物が全く得られない、というがっかりする実験結果でした。このとき、反応混合物の1H NMRによる分析でも、TLCによる分析でも、かなり複雑な系であることが分かりました。ここまでは、一見すると、よくある残念な実験結果と思えるのですが、一旦、そこで立ち止まって、反応機構の矢印を考えてみました。そうすると、反応機構を書いているうちに、ひょっとして、炭素−炭素結合の切断によってアラインが発生しているのでは?、と思いついたわけです。その思いつきによる興奮も冷めないうちに、すぐさま、実際に、アラインを捕捉するためにフランを加えて実験を行ってみたときのことを今でも鮮明に思い出すことができます。実験を仕込み、TLC分析してみますと、反応系はきれいになっており、新たなスポットが現れてきました。このときは、うれしさを抑えきれず、吉田さんに急いで伝えたことをよく覚えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
今回の研究に関して論文執筆にとりかかり、あれこれ悩み、今年度中には論文投稿と、今思うと甘く考えていました。それが一転したのは、今年の1月2日です。Yang Li先生の研究グループによって、トリフリルオキシ基が結合し、シクロブテン環が縮環したシリルアセタールを用いたα−アリール酢酸エステル型のアライン発生に関する論文がJ. Am. Chem. Soc. のJust Acceptedに出ているのを見つけました(J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 623.)頭の中が真っ白になって、とてもお正月を楽しめる状態ではなく、お正月が明けてすぐに、細谷先生と吉田さんと対応を打ち合わせ、急いで投稿にこぎ着けました
Q4. 将来はどのような分野に関わっていきたいですか?
研究に関しては、今流行している研究に振り回されることなく、何十年後でも輝きを失わない、独自性の高い研究をコツコツと積み上げていきたいと思います。
将来は、産官学のどの道に進んでいるのかわかりませんが、有機化合物を扱う仕事の中で、可能な限り長い期間、化学を楽しんでいきたいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
うまくいかなかった実験にも、何かヒントが隠されているかもしれません。ポジティブに、よく考えるクセが大切だと思っています。本反応の発見の起点は、思い通りに進まなかった反応でした。「なぜ、うまくいかなかったのか」を、反応機構の矢印を書いて考えているうちに、アラインが発生しているのでは!?という考えに行き着きました。反応機構が重要だと、細谷先生や吉田さんに教わり、そのパズルが面白くなって毎日矢印を書くのが日課になっていまして、その毎日のトレーニングが実を結んだ発見だったわけです。こう振り返ってみまして、改めて、反応機構の大切さが身にしみました。
最後に、細谷孝充教授、吉田優准教授、そして細谷研究室のメンバーにこの場を借りて心より御礼を申し上げます。
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研究者の略歴
内田圭祐(うちだ けいすけ)
東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生命有機化学分野 博士課程2年
研究テーマ:ケミカルバイオロジーを推進する合成化学の開拓
1990年 福岡県久留米市生まれ
2013年3月 日本大学 生産工学部 応用分子化学科 卒業(清水正一 教授)
2014年3月 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 大学院研究生 終了(細谷孝充 教授)
2016年3月 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 医歯理工学専攻 修士課程 修了(細谷孝充 教授)
2016年4月〜現在 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 生命理工学系専攻 博士課程(細谷孝充 教授)
2014年11月 68回有機合成化学協会関東支部シンポジウム 若手講演賞