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化学者のつぶやき

「アニオン–π触媒の開発」–ジュネーブ大学・Matile研より

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「ケムステ海外研究記」は節目となる第10回目を迎えました!記念すべき本寄稿は、第6回目の志村さんからのご紹介で、ジュネーブ大学化学・生命化学科(Stefan Matile研)博士研究員の赤松允顕(あかまつ まさあき)さんにお願いしました。

Matile研は、主に非共有結合(noncovalent bond)を利用した分子の挙動や触媒開発を行っています。さらに、生命化学系の研究プロジェクトも多数あり、研究の幅が非常に広いです。同研究室において、赤松さんは有機合成のプロジェクトに携わっており、特にアニオン–π相互作用を鍵とする触媒の研究をされています。赤松さんの研究やスイスでのライフスタイルなどを伺いましたので、ぜひご一読を。

 

Q1. 現在、どんな研究をしていますか?

Matileグループは、アニオン–π相互作用を用いた有機分子触媒、膜透過性ジスルフィドポリマー(過去にChem-Stationで取り上げて頂きました)、蛍光性生体膜プローブ、基板表面上での機能性分子システムの構築などのプロジェクトに取り組んでいます。私は1つ目にある有機分子触媒の研究に携わっています。

研究室のボス:Stefan Matile教授

 

カチオン種と電子豊富な芳香環との間には、引力的相互作用が働く事が古くから知られています。最近では、このカチオン–π相互作用を触媒反応に応用する研究が活発に行われています(文献1)。一方、アニオン種と電子欠乏性の芳香環との相互作用も理論的に提唱され、約10年前に実証されました(文献2)。この新しい分子間力であるアニオン–π相互作用は、芳香環の四極子モーメントQzzの値が負である場合に働きます(Figure 1)。特に、ヘキサフルオロベンゼンやナフタレンカルボキシジイミド(NDI)はQzzが大きな負の値を取るため、代表的な分子骨格として用いられています。

 

Figure. 1. 電子豊富および欠乏性芳香環のπ電子雲とそれぞれの具体例

 

Matileグループは、この相互作用をアニオン性反応中間体の安定化に利用したアニオン–π触媒を開発し、化学反応の促進やその化学的選択性を制御できる事を初めて報告しました(文献3、4)さらに、私が実際に行った研究で、キラルな置換基を触媒分子内に導入する事により、エナンチオ選択的な触媒反応にも成功しました(文献5)。アニオン性反応中間体を制御する新たなツールとして、我々はさらにアニオン–π触媒の研究を進めています(Figure 2)。

 

Figure. 2. アニオン-π触媒を用いた不斉エナミン付加反応

Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う(続ける)選択をしたのですか?

「知らない世界を覗いてみたい」「国内外関係なく面白い研究をしているグループに行きたい」というのが理由でした。この考えを実行するにあたって、出身研究室の環境が背中を押してくれたかもしれません。私は大学の連携大学院制度を使い、物質・材料研究機構の国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA)という研究所で学生生活の大半を過ごしました。この研究所は一風変わっていて、名前に”国際”と付くだけあり職員の半分以上が海外からの研究者でした。私の所属していた超分子グループ(有賀克彦PI)も国際色が豊かで、グループミーティングや飲み会などは英語で行われていました。この様な環境に身を置いていたので、日本にいながら科学は世界の共通概念であると実感できました。

 

Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。

日本にはあまりない大学や研究室のシステムから、多くの事を学べています。ラボ管理(試薬整理、エバポ修理、原料合成など)を行うテクニシャンやNMRやMSを管理する専門家がいるのはとても助かります。また、大学内に”MAGASIN”(マガゾン)と呼ばれる売店があり、一般的な実験備品や溶媒・試薬をいつでも手に入れる事ができます。欧米では主流かもしれません。余談ですが、MAGASINの店員さんはおそらくフランス語を話す一般人なので、商品名を英語で言ってもたまに通じません。ただ、意外と日本で使っている用語(例えば、パスツール)を使った方が理解してもらえる場合があります。日本は幕末・明治期にドイツ語やフランス語で科学を学んだ事が分かる面白い体験でした。また、私生活ではワインが安くて美味しいです。

 

悪い事は非常に高いスイスの物価です。例えば、レストランで一品頼むだけでも約3000円かかります。そのおかげで自炊のスキルは上がります。また、基本的に事務処理(大学、保険会社、移民局など)がとても遅いので、「せかせかしないで、のんびり生きよう」と日々自分に言い聞かせています…

 

Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?

私の暮らしているスイスのジュネーブは、湖の辺りにありアルプス山脈も望める風景の美しい街です。フランス語圏ですが、国連を持つ国際都市であるため、ほとんど英語で暮らせます。また、電車やバスで簡単にハイキングや登山のコースに行ける事はスイスの魅力です。

Figure 3. ジュネーブのシンボルである大噴水(Jet d’Eau)

 

私が所属するMatileグループはとても国際色が豊かで、メンバーはスイス、イタリア、スペイン、フランス、カナダ、イラン、ベトナム、中国、日本から集まっています。昼ご飯を一緒に食べたり、頻繁に飲みに行ったりと、比較的まとまったグループだと思います。ボスのMatile先生は、アメリカでのポスドク時代にコロンビア大学の中西香爾先生の下で働いていたためか、日本人を始めアジア人が好きである印象を受けます。

Figure 4. スイスらしく研究室旅行はハイキングです。左端にいるのがボスのStefan Matile先生。”ピース”という日本の文化が浸透しています。

Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。

スイスの社会システムについて渡航前によく調べていました。国や特にスイスでは州ごとにルールが違うので、理解するのに骨が折れました。例えば、スイスでは日本と異なり、自分の住むカントンに認可された健康保険に自身で加入しなければなりません。これは渡航後に現地の人と相談して加入するのが簡単です。加えて、年金も書類を提出すれば給料から天引きされなくなる国もあるので、よく調べた方が良いでしょうか。また、渡航前にフランス語を少し勉強しました。上で書いた様に英語だけで生きる事は出来ますが、役所や保険会社からの書類は全てフランス語で来るため、使えた方が確実に楽です。

 

Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?

ジュネーブ大学やスイスの他の大学は、ケミカルバイオロジーに強みがある様に感じます。私の学生時代の専門とは大きく違うので、グループミーティングや講演会は新鮮なトピックばかりです。新しい視点が将来の研究に生きると信じています。また、ここで知った日本と海外の違い(大学システムやラボ運営など)を自分なりに咀嚼して、将来の糧にしたいと思っています。さらに、研究者に限らず、ここで出会えた世界中の友人は一生の宝物です。

 

Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。

今までの方々が書かれてきたように、私も海外でのキャリアが必ずしも正しいとは思いません。研究は競争ではないはずなので、某サッカー選手が言うのとは違い、とりあえず海外に出てもまれれば良いというものではないでしょう。ただし、外の世界に出てみると、自分の育った環境では経験できない事に巡りあうはずです。それは将来の研究生活に限らず、自身の生き方にも影響を与えてくれると思います。

 

【関連論文・参考資料】

  1. Kennedy, C. R.; Lin, S.; Jacobsen, N. E. Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 2. DOI: 10.1002/anie.201600547
  2. Giese, M.; Albrecht, M.; Rissanen, K. Chem. Commun. 2016, 52, 1778. DOI: 10.1039/c5cc09072e
  3. (a) Zhao, Y.; Domoto, Y.; Orentas, E.; Beuchat, C.; Emery, D.; Mareda, J.; Sakai, N.; Matile, S. Angew. Chem. Int. Ed. 2013, 52, 9940. DOI: 10.1002/anie.201305356 (b) Zhao, Y.; Beuchat, C.; Mareda, J.; Domoto, Y.; Gajewy, J.; Wilson, A.; Sakai, N.; Matile, S. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 2101. DOI: 10.1021/ja412290r
  4. (a) Zhao, Y.; Benz, S.; Sakai, N.; Matile, S. Chem. Sci. 2015, 6, 6219. DOI: 10.1039/C5SC02563J (b) Cotelle, Y.; Benz, S.; Avestro, A.-J.; Ward, T. R.; Sakai, N.; Matile, S. Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 4275. DOI: 10.1002/anie.201600831
  5. (a) Zhao, Y.; Cotelle, Y.; Avestro, A.-J.; Sakai, N.; Matile, S. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 11582. DOI: 10.1021/jacs.5b07382 (b) Akamatsu, M.; Matile, S. Synlett. 2016, 27, 1041. DOI: 10.1055/s-0035-1561383

 

【研究者のご略歴】

名前:赤松 允顕(あかまつ まさあき)

所属:

2009–2010年 東京理科大学 理工学部 工業化学科 阿部・酒井研究室(学士)

2010–2015年 東京理科大学大学院 理工学研究科 工業化学専攻 酒井・酒井研究室(修士・博士)

同時期に

2009–2015年 国立研究開発法人 物質・材料研究機構 (NIMS) 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 (MANA) 超分子グループ(有賀克彦PI)

2013年 オーストラリア・シドニー大学 化学科 Prof. Gregory Warrグループに留学

2015年–現在 スイス・ジュネーブ大学 有機化学科 Prof. Stefan Matileグループ 博士研究員

研究テーマ:アニオン-π相互作用を用いた有機触媒の開発

海外留学歴:1年

 

Orthogonene

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有機合成を専門にするシカゴ大学化学科PhD3年生です。
趣味はスポーツ(器械体操・筋トレ・ランニング)と読書です。
ゆくゆくはアメリカで教授になって活躍するため、日々精進中です。

http://donggroup-sites.uchicago.edu/

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