今回は、アルドール反応を起点としてかなり広範囲に反応を俯瞰します。具体的には、アルドール反応から、ベンゾイン縮合、Claisen 縮合、Robinson 環形成反応などの反応を横断的に見ます。ざっくり言えば、これらはエノラートやエノラート等価体が関係する反応と位置付けることができます。そのような反応は枚挙にいとまがなく、今回とりあげるすべての反応の反応機構を “記憶” する必要はないでしょう。しかし、出発物の構造と反応条件を見たときに、どんな反応が起こり得るかをちょっと見積もれる力は、役に立ちます。
アルドール反応
さて、今回の記事の出発点はアルドール反応に置きます。アルドール反応とは、2 分子のカルボニル化合物の反応において一方を求核性 (- 性)の化学種へ変換し、それをもう一方のカルボニル化合物へ付加させるという反応です。
しかし、このアルドール反応だけを語るにしても、話題は尽きません。というのも、「交差反応をコントロールする」あるいは、「立体選択性を発現させる(ジアステレオ選択性だけでなくエナンチオ選択性も含む)」ために様々な派生法があるからです。(ケムステ内でもアルドール反応について熱く語られた連載 (全 5 回の大作!) がありますので、興味がある方はどうぞ (第 1 回 : 炭素をつなげる王道反応 : アルドール反応 (1) )。今回は、あくまでもアルドール反応における “電子の流れ” だけに注目することにします。
前置きが長くなってしまいましたが、アルドール反応の反応機構をまず見てみます。アルドール反応には、酸触媒条件と塩基触媒条件がありますが、今回は塩基触媒条件を詳しく解説して、そこから視点を広げます。
エノラートの発生 -負電荷を引き受ける-
塩基性条件では、その塩基がカルボニル化合物に作用することで、本記事の主役であるエノラートが発生します。カルボニル基に隣接する水素が塩基によって引き抜かれると、反応機構の矢印で示すように、C-H σ 結合に使われていた電子は、より電気陰性な酸素原子へと流れ込むことができます。
ここで、一旦立ち止まりしょう。通常、炭素からプロトンが放出されることは滅多にありません。なぜなら、炭素は電気陰性度の小さい原子であって、通常、炭素は負電荷を安定に保つことができないからです。しかし今回のように、カルボニル基に隣接した炭素 (α–炭素) 上で脱プロトン化を受けると、先ほども説明したように酸素原子に負電荷を流し込むことができます。酸素は炭素よりも電気陰性度が大きく、負電荷を安定に受けもつことができるので、エノラートを書く時は酸素上に負電荷をおいた構造で描く方が適切なのです。
エノラートによる求核攻撃 -負電荷を押し流す-
さて、続いてこのエノラートは酸素の負電荷を C–C 二重結合上へ押し流して、別のカルボニル化合物へ攻撃します。が、有機化学を学び立ての学生にとってやっかいなのは、「ついさっきエノラートは酸素が負電荷をおく方が適切とか言っておいて、なんで反応するのは酸素原子じゃないんだよ!」ということでしょう。これについては、イメージ的には下の図ように解釈できます。
つまりさきほどの 2 つの共鳴構造式のうち、酸素に負電荷を置いた構造式は、より負電荷を内側に引き込んでいるとみなして、反応に駆り出されにくいと考えます。むしろ炭素に負電荷を置いた “不安定” な構造式の方を表面で浮き足立った構造とみなし、反応に関与すると考えます。 (分子軌道論の言葉を使うなら 炭素に負電荷を置いた構造が HOMO であるということ。もちろん酸素側がカチオン性の化学種と反応する場合もありますが、ここでは深入りしないことにします。)
これで、塩基触媒条件でのアルドール反応の最も重要な部分である「エノラートによるアルデヒドへの求核攻撃」の段階の説明を終えました。この後は、アルコキシドが溶媒などからプロトンを受け取って、生成物のアルドールを与えます。反応条件によっては、この後脱水反応が進行する場合もありますが、今回はここまでにとどめます。
引き受けて、押し流す
さて、今回の一連の電子の流れのハイライトは、こちらになります。
この反応機構上の巻矢印は「酸素が負電荷を引き受けて、再び電子を炭素上に押し流す」と読みます。1 つの段階に複数の矢印を書いており、かえって混乱のもとになるかもしれませんが、このように反応機構を書く習慣をつけることは 2 つの利点があります。
1 つ目は青色の矢印が示しているように、「なぜ塩基がそのプロトンを引き抜いても良いのか」を明示できることです。すなわち炭素上の水素は基本的に塩基の作用を受けないという原則を理解した上で、「より電気陰性な原子が負電荷を引き受けるのだから、その脱プロトン化は合理的である」ことを説明できます。そして、このように「負電荷を受け入れる」のは、カルボニル基上の酸素に限らず、ニトロ基の酸素、シアノ基の窒素など不飽和結合を持ち電気陰性な原子から成る置換基において可能です。
もちろん、実際にどのくらいの強さの塩基で、どの程度脱プロトン化が進行しうるかはそれぞれ違っていますが、以上に示したのは水酸化物イオン程度の塩基であっても反応が進行するのに十分な “エノラート等価体” を与えます。
次にエノラートによる求核攻撃を「押し流す」表記で書くことの利点を説明します。その利点とはこの種の求核攻撃が、エノール、エナミン、1,3-ジカルボニル化合物のような活性アルケンの反応に普遍的に見られるということです。例えば、向山アルドール反応の求核種はシリルエノールエーテルであり、エナミンを活性種として発生させる有機分子触媒系は近年数多く開発されています 。また 1,3-ジカルボニル化合物から生じるエノラートは、様々な反応に利用されるソフトな炭素求核剤です。これらが活性アルケンであることを明確に示すには、反応機構の矢印を二重結合に隣接したヘテロ原子のローンペアから出発させるのがよいでしょう。
もちろん上の図を眺めても、反応機構の中のほんの一部分が垣間見えるだけです。しかし、できるだけたくさんの反応の実例をこうして見通すことは、有機化学を学ぶ近道だと思いますし、新たな反応に出会ったときに反応機構を合理的に推察する手がかりにもなります。
というわけで、不飽和結合にローンペアを有するヘテロ原子が隣接するときは、電子の動きをそのローンペアから初めて不飽和結合に押し流して書くというアイデアについてお話ししました。この電子の動かし方に慣れていると、エノールやエナミンを見たときにその反応性を見逃さないようになります。さらに、エノラートの負電荷を酸素に置く習慣を身につけると “電子求引基が負電荷を引き受ける” という発想を定着させることができると思います。以下に、エノラートや活性アルケンが関与する反応の反応スキームと反応機構を列挙します。反応機構では、電子の流れを “詠む” ことができるように矢印の色を統一しています。またこの記事では電子の流れのみに着目していましたので、詳しい応用例などもリンクからご覧下さい。
反応名 | 反応スキーム |
エノラートの α-アルキル化 | |
アセト酢酸エステル/マロン酸エステル合成 | |
Stork エナミン合成 | |
向山アルドール反応 | |
Claisen 縮合 | |
Henry 反応 (ニトロアルドール反応) | |
Reformatsky 反応 | |
ベンゾイン縮合 | |
Darzens 縮合反応 | |
Robinson 環形成反応 | |
関連反応
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- もっとも単純な触媒「プロリン」
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本連載の過去記事はこちら
- 第一回 有機反応を俯瞰する ーシグマトロピー転位
- 第二回 有機反応を俯瞰する ー[1,2] 転位
- 第三回 有機反応を俯瞰する ー付加脱離
- 第四回 有機反応を俯瞰する ー芳香族求電子置換反応 その 1
- 第五回 有機反応を俯瞰する ー芳香族求電子置換反応 その 2
- 第六回 有機反応を俯瞰する ー挿入的 [1,2] 転位
- 第七回 有機反応を俯瞰する ーエノラートの発生と反応 (本記事)
- 有機反応を俯瞰するシリーズーまとめ