「ケムステ海外研究記」の第8回目は、小田晋 博士にお願いしました。
小田さんは4年間のシカゴ大学・山本尚研での4年間でPhDを取得し、テキサス大オースティン校・M.J.Krische研で博士研究員として2年過ごされたベテラン留学経験者です。現在は関西学院大学理工学部(畠山研究室)で博士研究員として勤務されています。今年のケムステイブニングミキサーにも来訪されていた縁と、知人からの紹介もあって留学記を寄稿依頼しましたところ、快諾頂きました。今回の記事では、米国内の地理的に違った2箇所を渡り歩いた経験を綴って頂いてます。是非ご覧ください!
Q1. 留学先では、どんな研究をしていましたか?
間近に在籍したKrische研究室について紹介します。ここでは、水素移動を利用した炭素−炭素結合形成反応の開発を行っています。通常、求核剤および求電子剤のペアは別々に調製が必要です。しかし水素移動により両者を同時に系中発生させて反応を行うことができれば、有機金属試薬由来の副生成物を省くことができ、原子効率に優れた手法になります。これまでに、イリジウムやルテニウム触媒を用いた、ジエンなどの不飽和成分とアルコールとのカップリング反応により、ホモアリルアルコールが立体選択的に得られることを報告してきました。
Krische研に在籍中、私はイミンと不飽和成分との還元的カップリング反応の開発に取り組んでいました。結果として、ヘキサヒドロ-1,3,5-トリアジンをイミン等価体として用いることで、従来の手法では困難であったアレンやジエンのヒドロアミノメチル化を位置選択的に行い、種々のホモアリルアミンを収率良く与えることを見出しました。1,2
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?
特に明確な理由はなく、ただの好奇心からです.もともと海外の大学院がどんなものか、興味がありました。幼少期に父の仕事の関係で、アメリカに2年間住んでいた影響かもしれません。
京都大学の4回生のときに辻研究室に配属され、当時から海外留学を考えていた私は、冬休み前に研究室のスタッフに相談しました。幸いにも反対されることはなく、スタッフの皆さんからも手厚い協力を得ることができました。留学先の相談に乗って頂いたり、留学経験のある方を紹介して頂いたり・・・特に印象的だったのは、鎌谷朝之さんの「アメリカへ博士号をとりにいく:理系大学院留学奮戦記」という本を教えて頂いたことです、適性試験(Candidacy Examination)の存在やTAのシステムの違い、給料を貰えることなどを知り、海外の大学院に強烈な憧れを抱きました。修士一回生の春には、アメリカの大学院に進学することを決意し、本格的に受験勉強を開始しました。
[amazonjs asin=”475980868X” locale=”JP” title=”アメリカへ博士号をとりにいく―理系大学院留学奮戦記”]Q3. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
シカゴ大学では、入学の際に予防接種の証明が必須でした。MMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹)、Tdap(百日咳・ジフテリア・破傷風)、髄膜炎、B型肝炎など、中には複数回受けなければならないワクチンもあり、日程を計画して準備しました。渡航前に歯の治療はしておいた方がいいと思います。アメリカの医療費は高いですし、健康保険とは別に歯科保険に入る必要があります。6年間のアメリカ生活で特に病気にはかかりませんでしたが、歯はボロボロになりました。
困ったことですが、シカゴでは食事、治安、気候に悩まされました。
食事に関しては、キャンパス内で口に合うものが少なかったため、3日に一度のペースでサンドイッチかハンバーガーを食べ続けなくてはならず辛かったです。年に一度、山本先生主催で研究室の食事会があるのですが、ダウンタウンの(高級)レストランへ連れて行ってもらえるのを楽しみにしていました。
大学付近では強盗などの犯罪もよく起こるため、普段の生活にも緊張感がありました。まれに銃犯罪も起こるので、夜遅くなるときは研究室に泊まったりしていました。幸い大きな事件に巻き込まれることはありませんでしたが・・・。
冬の寒さは凄まじく、気温が−20℃以下になることもあります。「windy city」と呼ばれるくらい風も強いので、防寒対策が大変でした。
シカゴでたくましく成長したおかげで、オースティンで困ったことは特にありませんでした。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
シカゴは良くも悪くも本来のアメリカが残されている街だと感じました。現地の人々はとてもフェアに接していて、英語が拙いと横柄な態度をとられることも少なくありませんでした。
山本研には当時、中国・アメリカ・ロシア・インドなど多くの国から人が集まっており、研究室内においても多様な文化に触れることができました。また、優秀なポスドクが多く在籍していたため、現在助教になられた方々に囲まれて研究ができたのは、とても貴重な体験でした。
一方のオースティンはアメリカ南部ということもあり、陽気な人が多かったように思います。全米で最も住みやすい都市ベスト10にランクインするほど治安も良く、住めば住むほど好きになる不思議な魅力に溢れる街でした。
こちらの方も国際色豊かな研究室で、大所帯ということもあり、6~7つの部屋に分かれて研究を行っていました。私が実験していた部屋にはドイツ人が多く、飲み会についていくのに苦労しました。
Q5. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
良かったこと
当たり前かもしれませんが、英語が上達した点です。
シカゴ大学では入学初年度にTAとして、学部生10~20人のクラスを受けもちます。仕事内容は実験補佐・補習・宿題・試験の採点などです。学期末には学生から評価(evaluation)を受けるため、英語力や指導力が不足していると容赦なく指摘されてしまいます。学生はTAを選ぶことができ、気にいらないと他のTAのクラスへと移っていきます。そんな中、学生から最も評価の高いTAの一人に選ばれたのは、大きな自信になりました。これらの経験を通じて、英語でのコミュニケーションが徹底的に鍛えられたように思います。
悪かったこと
日本の化学者ネットワークから離れてしまう点です。留学中は帰国した回数も少なかったため、日本人化学者との交流がほとんどありませんでした。現在は辻研時代の友人たちのおかげで徐々に交友関係を広げることができています。その点、日本で修士号を取得してから留学したのは良かったと思います。
また、渡米して大学院に入学するのも苦労しましたが、帰国して職を探すのも大変でした。素性の知らない人を入れたくないという、日本の排他的な一面をみた気がします。日本でのポジションがなかなか見つからないときに、Krische教授に「アメリカに残ればいい」と言って頂けたのは、とてもうれしかったです。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
年会での英語発表が導入されているように、日本化学会も国際化を進めているようなので、私もそれに貢献できればと考えています。英語でのコミュニケーションに抵抗がないので、積極的に国際学会に参加したり、留学を支援したり、英語での授業などに取り組んでみたいです。海外で親切にしてもらった分、日本にいる留学生には優しく接したいと思います。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
日本では海外の大学院に進学することは珍しいですが、他の国では当たり前にある選択肢の一つです。海外の生活に興味がある人、現状に不満がある人、自分を変えてみたい人は留学してみてはいかがでしょうか。理由は何でもいいと思います。
関連論文
- S. Oda, B. Sam, M. J. Krische, Angew. Chem. Int. Ed. 2015, 54, 8525–8528.
- S. Oda, J. Franke, M. J. Krische, Chem. Sci. 2016, 7, 136-141. DOI: 10.1039/C5SC03854E
研究者の略歴
経歴:
2008年 京都大学工業化学科 卒業
2010年 京都大学大学院工学研究科 修士課程修了(辻研究室)
2010年 テキサス大学エルパソ校化学科 研究助手(三刀研究室)
2014年 シカゴ大学化学科 Ph.D.取得(山本研究室)
2014年−2016年 テキサス大学オースティン校化学科 博士研究員(Krische研究室)
2016年−現在 関西学院大学理工学部化学科 博士研究員(畠山研究室)
研究テーマ:ルテニウム触媒による水素移動を利用したヒドロアミノメチル化反応の開発
海外留学歴:6年