たまには化学者のコーヒーブレイク的な話でも。昨年の有機合成化学協会の編集委員会で、阪大の安田先生との雑談からの話です。
実験化学ではフラスコなどをはじめとしてガラス器具を多用しますが、ガラスなのでやはり割れます。「形あるものいつかは壊れる、ああ、諸行無常!」
といいたいところですが、実験用のガラス器具なので壊れると1つ数千円や数万円もするものも。研究費を考えると、「怪我がなくてよかったよ!」と心にもない言葉をかけることも、「あ、そうですか。」とさらっと傍観もできないわけで、なんらかの対策をたてているのが現状です(*「化合物は無事か?」と問いかけることは多々有り)。
勝手に割れるわけはないので、例えば「割った」理由を先生に述べる、それに対する対策を立ててもらう、実験台をキレイにする、実験器具の価格を教えて考えながらやってもらうなどいろいろあると思います。先日公開した記事「真空ポンプはなぜ壊れる?」この、”壊れる問題”に近いものがあります。気をつけていても割れるときは割れるのですが、どーにも研究室は数人「デストロイヤー」や「クラッシャー」「破壊王」とよばれる人種が存在するのもよくある話。
さてどうしてその話になったのか記憶にないですが、急にそんな話になり、助教であったときに安田先生はどうにかならないものかと対策を考えたそうです。その対策とは、
「器具破損時は、その日時、対象器具およびその値段をノートに記録すると同時に事故の因果関係を正確に把握すること。また、その状況をグループ全員に公開すること」
普通ですね。多分どこでもやられていると思います。これじゃオモロロナイというのが関西人。加えて、
「反省の意を込め、歌を詠むこと。いずれは百人一首にして、器具の供養をしようではないか」
と考えたそうです(苦笑)。
「これはガラス器具を割ることを防げるのだろうか??」と、さっそくツッコミたいですが、さすが関西人です。どんなときでも笑いを追求しているのですね。と感心してしまいました。
というわけで、読み出された数々の歌?の迷作の一部を安田先生のコメントとともにここに紹介したいと思います。
名作?迷作?ガラス器具への鎮魂歌
ナスをつい すべり落とすも 涙干し 集めるほかに なすすべもなし
−−掛けことばはうまいが、果たして生成物はうまく回収できたのだろうか。
うたかたの 如き消えゆく チューブから たゆみ知らされ 初心にもどる
−−せっかく合成した試料のNMRチューブを破損。心を引き締めて反省している様がよみとれる。
清水の 舞台とまでは いかねども 桶よりバンジー 自決するナス
−−器具洗浄中の典型的な事故例。反省の度合いの薄さがやや気になる。
次第に器具破損だけでなく、実験操作等による失敗に関しても反省の歌が詠まれるようになってきた。当時、有機スズ試薬を用いた反応がテーマであった彼は、
フラスコに 仕込み損ねし スズ試薬 鳴りはせずとも 我を泣かせり
−−実験室の鈴は鳴りませんが、臭いますよ!
単離する カラムの口を 閉め忘れ 気付いた時は 辺りびしょ濡れ
−−危険です! 注意して下さい。
愛情を かけて育てし わが原料 親に刃向かい 突如湧き立つ
−−一週間の努力が突沸でパー。しかしその後、彼はこの合成のスペシャリストに成長しました。
春の風 吹かれて落ちる 反応器 (田○君)
−−自分の過ちを春の風に例えてしまうとは。反省しているのか!田○君。
この試薬 針は詰まるし ガラスまで (西○君)
−−扱いにくい試薬は、経験の蓄積が必須。不可抗力とは言え今後のための参考にして下さい。その試薬要注意。
夏休み前で気もそぞろで器具洗い中、器具の入った洗面器をひっくり返してガチャーン。そして一句。
盆前に 盆を返して 響く音 (齋○君)
−−齋○君によれば、「響く」は「ヒビ」を掛けているとの由。嗚呼...
身はたとひ 千里の山に 朽ちぬとも
とどめおかまし 三口フラスコ (○田松陰)
−−盗作はいけません。ともども反省しましょう。
ただひとつ 我が目に映る 砕身(くだけみ)に
運命(さだめ)の重み ひしと 噛みしめ (○崎君)
−−○崎君、君が化学を選んだのは間違いだったね。今から文学部に行きなさい!
予期せぬことに、この「歌会」を通して学生さんたちのスバラシイ能力の一端に触れることができた。概して、よく実験する人はよく歌を詠んでいるようである。裏を返せば、活き活きと研究生活を送っているかどうかのバロメータなのであろう。
時には、許しがたい事態が起こる。洗浄用のバスに、器具が破損したまま放置されていた。この様な責任の所在のはっきりしない器具破損事件は、徹底的に調査追及されるべきである。原因は必ず存在する。筆者は学生を集めコトの重大さを伝えた。もちろん賢明な学生諸君もその事態の深刻さを理解し、調査を開始した。程なくして現れた学生さんが「残念ながら、原因はわかりませんでした。でも、句は詠みました」 なんと律義な?学生さん。
割れた器具 アルカリバスに 入れないで (割り人知らず)
予期せぬことに、この「歌会」を通して学生さんたちのスバラシイ能力の一端に触れることができた。概して、よく実験する人はよく歌を詠んでいるようである。裏を返せば、活き活きと研究生活を送っているかどうかのバロメータなのであろう。
次なるは反省の歌ではなく、「良い成果をあげて喜びの歌を詠もう!」という意気込みであるが、これはかなり難しそうだ。
「きんか」誌
以上この内容は、実は「近畿化学工業界」誌、俗に「きんか」誌と呼ばれる近畿化学協会に安田先生が投稿されたエッセイから引用したものです[1]。筆者も会員なのですが、ほとんどみていなかったのでこれを聞いてみるようになりました。全く化学が関係ないことやこういったエッセイものっているので意外と暇つぶしになりそうです。
ちなみに筆者も研究生活でガラス器具数個破壊していますが、いつも実験数に対する「破壊数」は誰よりも少ないと豪語していました。
折角なので私も記憶に残る破壊行為を1句。
フラスコを 落とし損ねて ちからいれ にぎりつぶした D2 年の暮れ
博士後期課程の時、エバポからナスフラスコをとった後、たまった溶媒を捨てようとしていたところ、手が滑ってナスフラスコを落としそうになりました。落とすまいと思って、力がはいりそのままナスフラスコを握りつぶしました。フラスコは粉々になりましたが、手は全く無傷で、握りつぶしたたため化合物も手の上で無事でした。その時からあの人は人間ではないと影で言われるようになりました(苦笑)。
ああ、鎮魂歌。
参考文献
- 安田 誠、「過ぎ去りし器具への鎮魂歌 レクイエム 」「きんか」誌 2003, 2, 17-18.