酸素官能基や窒素官能基が高度に密集した化合物の合成には、通常の有機合成とは一線を画した難易度があります。
炭素骨格の構築と官能基変換を繰り返して合成する手法が一般的ですが、反応しやすい官能基を空間的に密接した位置に有しながら多段階の反応を施していくことは、現代の精密有機合成技術を駆使しても非常に困難です。一方で、そのような化合物(天然物)ほど特有の機能をもっていることも疑いのない事実です。
この「官能基密集型天然物合成」という一大難関課題に対し、日本を、いや世界を代表して取組んでいるのが東京大学大学院薬学系研究科の井上将行教授のグループです。
ケムステでは2014年に「無限の可能性を合成コンセプトで絞り込む –リアノドールの全合成-」という記事で井上先生の研究を紹介させていただいています。(未読の方はこちらの記事・論文もご覧あれ。個人的にはシビれます。) リアノドールも官能基密集型天然物のひとつで、その合成を可能にした発想・技術、いわば「匠の技」に当時個人的にも魅せられましたが、今回、また新たな「匠の技」が井上研究室からなされました。
“Direct assembly of multiply oxygenated carbon chains by decarbonylative radical-radical coupling reactions”
Kengo Masuda, Masanori Nagatomo, and Masayuki Inoue, Nature Chem. in press. DOI:10.1038/nchem.2639
みなさん、酸素官能基が高度に密集した、、、と聞いて何を思い浮かべますか?世の合成・天然物マニアの方々は色々と思い浮かぶかもしれませんが、みなさんの最も身近にある酸素官能基密集型分子といえば糖ではないでしょうか?糖は様々な構造のものが容易に入手可能であり、近年の合成化学の進歩のおかげで誘導化や不斉合成などの多様化も可能となりました。
下図の天然物は論文で登場する分子ですが、これらの赤でハイライトされている部分は一種類もしくは二種類の糖鎖を連結させることで合成することができます。言うのは簡単ですし最も効率的な合成法に思えますが、実際にはそんなに都合のよい方法論が存在しなかったがゆえに、これまでは他の方法で合成されてきました。つまり、直接糖鎖を連結させる手法があれば、これら酸素官能基が密集した天然物の合成が一気に拓けます。
今回紹介する井上研の報告では、糖鎖の連結手法が開発され、上図のような酸素官能基が密集した多種多様な天然物がいとも簡単に合成されています。詳しくは原著論文を参照したいのですが、素晴らしい成果だと思うのでケムステでも簡単に紹介させてください。
論文内容
糖鎖のような、α位に酸素原子をもつ分子同士の連結がなぜ難しいか。同じ分子を上記の切断部分でホモカップリングをさせたければ、合成シントンとしてはラジカルを生成した単量体を考えるでしょう。これまでもそのような試みはあったようですが、α-アルコキシカチオンもしくはアニオンになる反応が速く、制御が難しいという問題がありました。
リアノドールの全合成において、分子の非対称化というコンセプトとともにキーポイントだったのは、橋頭位ラジカルによる炭素鎖の導入でした。(まだ読んでないひとは….ry) これにも代表されるように井上研ではラジカル、特に近年ではα-アルコキシラジカルを駆使した炭素–炭素結合形成を一つの軸、オリジナリティとして展開されており、O, Se-アセタール、O, Te-アセタール、α-アルコキシアシルテルライド、とα-アルコキシラジカル前駆体を開発されてきた歴史があります。[1]-[3] 糖鎖の連結においても、井上研でこれまでに培われたα-アルコキシラジカルの化学が存分に活かされています。まずα-アルコキシラジカル前駆体として、α-アルコキシアシルテルライド構造をもつさまざまな糖鎖誘導体が合成されています。それらをトリエチルボラン、酸素というラジカル生成の条件に付すことでα-アルコキシラジカル種(図ではA)を生成させ、そのホモカップリングを実現させることに成功しています。
生じたAがホモカップリングするだけのようにみえますが、系中がエチルラジカルやCOという反応性の高い化学種に溢れている中、望みのホモカップリングを高収率で生成させるのは簡単ではありません。著者らは、Aが比較的安定なラジカル種であったこと=系中でのAの濃度が他のラジカル種に比べて高くなったことがホモカップリング体が良好な収率で得られている要因だとされています。Aに対する知見は、これまでの研究で得られていたのでしょう。単純に見えて、巧妙に設計された反応というわけです。
糖鎖は立体化学が面白い分子でもあります。ホモカップリング体にはαα、αβ、ββ体がありますが、用いる糖鎖によって生成比が変わってきます。つまり、合成したい複雑分子の立体をもつ足場(ホモカップリング体)を優先的に生成させる糖鎖を選んで使うことも可能です。生成比に関しては論文に詳しく述べられているのでご参照をば。
論文のハイライトは、最後に記されている糖鎖のクロスカップリングかと思います。ラジカル-ラジカルカップリングなので、望みのクロスカップリング体のみを得ることはまず不可能です。しかし著者らは、望みの立体化学をもつクロスカップリング生成物を、理論上最高と考えられる収率で得ることに成功しています。なぜか、というところは、それぞれのα-アルコキシラジカルの反応性と立体化学に起因していると考えられます。またクロスカップリング体を既知の立体化学をもつ分子に誘導し、望みの立体化学で合成できていることを確認しています。
というわけで、簡単にでしたが論文紹介でした。本論文は、酸素官能基の”rich reservoir”である糖鎖を連結させ、その連結分子を足場にして複雑な分子をつくる、という酸素官能基密集型天然物合成の新たなパラダイムになる可能性のある成果だと思います。
最後になりますが、ありがたいことに、井上先生から本成果に関してコメントをいただくことができました。論文と合わせてお楽しみください!
著者等によるコメント
ヒドロキシ基は、水素結合ドナーおよびアクセプターの双方の役割を担うため、ポリヒドロキシ化された炭素骨格はタンパク質などとの多点相互作用を可能とします。したがって、そのようなポリオール化合物には、多様かつ強力な生物活性を示すものが数多く存在します。そのため、ポリオール構造を含むさまざまな有機分子の構築は、世界中で行われています。
従来、ポリオール構造の構築は、順次カルボニル基を足がかりとした増炭反応と、オレフィンのジヒドロキシ化またはエポキシ化経由によるヒドロキシ基の導入を繰り返して合成されてきました。しかし、この戦略は大きく二つの課題を残していました。一つは、逐次的合成戦略であるがゆえにヒドロキシ基の保護・脱保護を含めた工程数が増大する点。もう一つは、ヒドロキシ基導入の際に厳密な立体化学の制御が必要となる点です。
一方、グルコース(ブドウ糖)に代表されるような、4あるいは5個のヒドロキシ基を持つ糖類は自然界に豊富に存在するため、ポリオール化された有機分子を合成する際の出発物質として極めて適しています。したがって、α-アルコキシ炭素ラジカル種を介した2種の糖鎖間でのカップリング反応を、その構造情報を保持したまま実現できれば、ポリオール構造を有する天然物の迅速な合成が達成できるはずです。
しかしながら、この様な方法論の実現は極めて困難であることが知られています(図1)。すなわち、元来α-アルコキシ炭素ラジカル種AおよびA’は、その前駆体であるカルボン酸Bからの一電子酸化や、ヘテロアセタールCおよびアルデヒドDの一電子還元反応を経て生成します。しかし、これらラジカル種AおよびA’は酸化ならびに還元条件下、さらに一電子酸化/還元を受け、α-アルコキシカルボカチオン/カルボアニオンへと変換され、別の反応を引き起こすことがあります。
今回、我々は、α-アルコキシアシルテルリドを基質に用いた、非酸化/非還元条件下での分子間ラジカル-ラジカルカップリング反応を開発しました(図2)。まず、安価に入手可能な糖類から調製したカルボン酸Bを、ラジカル前駆体として化学安定性に優れたα-アルコキシアシルテルリドFへと変換しました。次に、アルコキシアシルテルリドFに対し、酸素存在下、室温でトリエチルボランを作用させると、比較的弱い炭素‒テルル(C-Te)結合の均等開裂が起こり、α-アルコキシアシルラジカル種Gが生じました。Gは、隣接する酸素原子によるラジカル種の安定化を駆動力として、容易に脱一酸化炭素を起こし、Aを生成しました。最後に、生じたα-アルコキシ炭素ラジカル種A同士の、ラジカル–ラジカルホモカップリング反応(二量化)が高収率かつ、高い化学・立体選択性を伴って進行し、一挙に分子構造が複雑化した化合物Eが得られました。本反応を応用し、海洋産天然物であるサジタミドD、マイトトキシン(神経毒)に含まれるポリオール構造の迅速な構築が可能となりました(図3A)。さらに、本反応を異分子ラジカル種間でのラジカル-ラジカルクロスカップリング反応に応用し、ヒキジマイシン(駆虫薬)の分子骨格を一挙に構築することに成功しました(図3B)。
本研究は、従来困難であった、分子間でのラジカル-ラジカルカップリング反応を実現したことで、糖鎖を構造変換の起点とする、新しい収束的合成戦略を提供しました。本研究成果の特長は、出発物質である糖類の構造情報を保ったまま分子骨格の複雑化ができる点です。すなわち、高酸化度をもつ有機分子の迅速な骨格構築に威力を発揮します。炭素-炭素結合形成反応の開発は、医薬分子を始めとする、あらゆる有用物質の革新的合成法の創出に直結します。本研究における革新的合成戦略は、合成の短工程化や廃棄物の低減、それに伴うコスト削減など、現代の有機合成化学に求められる要求を高いレベルで満たすプロセスです。したがって、本研究成果は、天然物や医薬分子を研究対象とする医学、薬学、理工学にわたる幅広い基礎学問分野のみならず、関連産業分野の飛躍的な進展に貢献する重要な成果です。
本研究は、枡田健吾博士と長友優典助教が実践し、発展させてくれたものです。長友助教は、ラジカル–ラジカルカップリング反応の可能性を見出し、その礎を築いてくれました。枡田博士は、膨大な実験によって、混沌としているように見えた結果の中から規則性を見出してくれました。彼は、整理した規則性を元に、ラジカル-ラジカルクロスカップリング反応のために最適な基質を設計し、ヒキジマイシン(駆虫薬)の分子骨格を合成しました。この反応では、10種の化合物が様々な量で生じますが、彼は卓越した実験技術と集中力を発揮し、粗生成物の中から分取TLCのみで、望みの主生成物とすべてのその他の生成物を分離・同定しました。両氏の努力と熱意と洞察に、深い敬意を感じると同時に、あらためて感謝いたします。
井上将行
参考文献
- Urabe, D.; Yamaguchi, H.; Inoue, M. Org. Lett. 2011, 13, 4778. DOI:10.1021/ol201758a
- Kamimura, D.; Urabe, D.; Nagatomo, M.; Inoue, M. Org. Lett. 2013, 15, 5122. DOI:10.1021/ol402563v
- Nagatomo, M.; Nishiyama, H.; Fujino, H.; Inoue, M. Angew. Chem., In. Ed. 2015, 54, 1537. DOI:10.1002/anie.201410186