携帯電話やコンピューターなど、昨今私たちの身の回りの装置の小型化がすすんでいます。小型化によって、持ち運びなど利便性の追求だけでなく、エネルギー消費・排出物質の削減が可能です。そのため、機能を発現する最小単位の分子素子、すなわち分子マシンの開発とその実用化は、様々な可能性を秘めており多くの研究者の夢となっています。
近年、外部エネルギーを単一方向の回転運動に変換し仕事を取り出すことの出来る分子モーターの研究が盛んに行われています。このような分子モーターの開発は分子マシンの動力源としての応用につながり、分子マシンの実用化に重要な役割を果たすと考えられます。1999年にFeringaらは、光を外部エネルギーとして用いたアルケンのシス-トランス異性化による単一方向の回転に初めて成功しました(図 1(a))[1]。さらに彼らは2005年に、化学反応によるラクトン環の開閉を足がかりとした単結合の単一方向への回転を報告しています(図1 (b))[1]。
ラクトン環の開閉による回転では化学反応を用いてアトロプ異性化を精密に制御することにより、単結合の単一方向への回転を実現しています。しかし、ヒドロキシ基の保護・脱保護やラクトン環の開環・閉環を決められた順番で行わなければならず手順が煩雑であることに加えて、各段階において単離精製が必要であるため連続回転を行うモーターとしての実用化は困難です。
これに対し、最近Feringaらはパラジウムのredoxを組み込んだ新たな仕組みによるビアリール化合物間単結合の単一方向回転を実現しました(以下の論文)。従来のものより操作が簡便であり、より短い反応時間での一回転を達成しました。以下に、本手法の秘訣を紹介します。
“A chemically powered unidirectional rotary molecular motor based on a palladium redox cycle”
Collins, B. S. L.; Kistemaker, J. C. M.; Otten, E.; Feringa, B. L. Nature Chem. 2016, 8, 860. DOI: 10.1038/nchem.2543
Unidirectional Rotation
ビアリール化合物の単結合周りの回転を考える際、オルト位同士の置換基のすれ違いを考慮する必要があります。そもそもすれ違いはどのようにして起きるのでしょうか。一般に、ビアリールのオルト位に置換基がある場合、多少回転することはできても立体障害のためにすれ違うことはできません。このためビアリール化合物にはアトロプ異性体と呼ばれるエナンチオマーが存在します(図 2)。しかし、ビアリール上のオルト位同士が例えば図 1(b)のように架橋されると異性化障壁が低下し、アトロプ異性化(すれ違い)が可能になることがわかっています。すなわち架橋されるオルト位同士の置換基の組み合わせによって単結合周りの回転が可能になると考えられます。さらにアトロプ異性化の平衡を偏らせることができればすれ違う方向が単一に定まるため、単一方向の回転が達成されます。
〜すれ違いの実現〜
著者らは、Pd(II)による選択的なC–H結合活性化とPd(0)へのC–Br結合の選択的な酸化的付加という反応性の違いを利用することで、図 3のStep 1, 3においてPd(II)と水素原子、Pd(0)と臭素原子のそれぞれの組み合わせでの選択的な反応とアトロプ異性化を可能にしました。
〜すれ違いの方向の制御〜
さらにビアリールにキラルスルホキシドを導入することでアトロプ異性体がジアステレオマーとなり、ジアステレオマー間の安定性の差によってStep 2, 4においてアトロプ異性化の平衡を偏らせることに成功しました。これらによってキラルスルホキシドに対してすれ違う置換基の種類および方向を制御することに成功し、単一方向への回転を実現しています。金属の酸化還元反応を回転に用いた例は以前に報告されているものの[2]、有機金属化学の素反応(酸化的付加、C–H活性化、還元的脱離)を応用して単結合の単一方向への回転を達成した分子モーターは今回が初めてです。
Precise mechanism
今回報告された分子モーターの回転機構を以下に示します(図 4)。まず(S,M)-1に対して酢酸パラジウムを作用させることでスルホキシドを配向基としたC–H活性化が進行し、Pd[(R,P)-2]XL錯体が生成します。その後スルホキシドに結合するパラトリル基とパラジウム周りとの立体反発によって、より安定なアトロプ異性体が生成する方向に平衡が偏り、Pd[(R,M)-2]XLが得られます。続いてNaBH(OAc)3を作用させることで生成したH–Pd[(R,P)-2]L錯体の還元的脱離によって (S,P)-1が得られ、時計回りの180度回転が達成されます。残りの180度回転も、系中で発生したPd(0)へのC–Br結合の酸化的付加、アトロプ異性化の平衡移動、NBSによるC–Br結合の再生を経て達成されます。1H NMRと19F NMRおよびHRMSによって各段階の反応の進行が確かめられており、種々の条件検討の結果one-potで本反応を行っても360度の回転がおこり元の(S,M)-1が収率19%で得られています。
Summary and future prospects
今回著者らは、パラジウム錯体を用いた酸化還元反応と不斉配位子を組み合わせることで、新しい分子モーターの開発に成功しました。連続的な回転は収率の観点から困難であるものの、有機金属化学の素反応を組み込むことで回転する新たな分子モーターの構築法が提案された点で本論文は非常に興味深いと思います。今後さらなる条件検討がなされ、系中で発生するPd(II)とPd(0)が触媒サイクルを構築すれば、外部エネルギーによって連続回転を行う分子モーターとして応用可能になると考えられます。しかし、連続的な回転の達成だけでなく分子のブラウン運動によるゆらぎの制御など実用化に向けて克服すべき課題はかなりあります。遠い未来、私たちの身の回りのものがすべて分子マシンに取って代わる時代が来るのでしょうか。今後どのようにこの分野が発展を遂げていくのか、その成長から目が離せません。
参考文献
- [1] (a) Koumura, N.; Zijlstra, R. W. J.; Van, D. R. A.; Harada, N.; Feringa, B. L. Nature 1999, 401, 152. DOI: 10.1038/43646 (b) Fletcher, S. P.; Dumur, F.; Pollard, M. M.; Feringa, B. L. Science 2005, 310, 80. DOI: 10.1126/science.1117090
- Browne, W. R.; Feringa, B. L. Nature Nanotech. 2006, 1, 25. DOI: 10.1038/nnano.2006.45