【筆者注:向山先生のご氏名を誤って記載しており、大変申し訳ありません 9/20訂正済です】
Tshozoです。
人生を振り返って見性をしてみると、筆者は「気の小さい、手の速い盗人」という言葉がぴったり当てはまる人間だということに気づき、ひどく得心しております。ベルセルクで言うと蝕の時に真っ先に殺されるあの狡猾な小隊長。映画「Cube」で言うと最初におっ死ぬ脱獄囚。前世というものが存在するならば、筆者は第二次世界大戦中に東部戦線で露機甲師団にぶっ殺された逃亡兵という気がしていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
で、そういう風に色々想いを巡らしておりますと、大学時代研究室に所属後遊び倒したため諸般の事情を言い訳にProceeding程度しか書けなかった小人に比べ、一流化学者の方々は一体どのような第1歩を歩まれたのか、疑問を持つようになりました。
ということで今回ノーベル賞・ウルフ賞など、国際的に権威ある賞を受賞された方々、又はそれに準ずる功績のある方々が研究者人生の第1歩となる論文第1報を、どのような論文誌に載せたのかを少し調べてみました。やや短い記事になりますがお付き合いください。
調査対象
基本的に下記のルールで調査しました。若干の例外は含まれますが・・・特に分野については生物学を含んでいない点がアレで偏りがありますが筆者の力量の限界ということで、どうかご理解ください。
◎分野 :有機化学・無機化学・分析化学・錯体化学・一部物理化学
◎調査対象 :ノーベル賞受賞者及び候補者 ウルフ賞受賞者 コプリメダル賞受賞者
又は同等の業績を持つ方々
◎調査対象期間:1930年~2000年
◎調査方法 :基本的にWeb 特に教授のCVを中心に最初期の論文リストを調査
◎備考 :CV上で明記が無い方についてはGoogle Scholarで年代を絞り、
Bachelor~Doctor期間で最初期の論文を第1報として記載
ということで結果発表です。
論文タイトルが切れてるのはスペースの都合です ご勘弁を
これらで、少なくとも昭和中期~近年に至り猛烈に成果を出されている研究者の方々の8割程度はカバーできたのではないかと思っております。もし、「***氏が載ってない!」等ありましたら追記いたしますので是非ご指摘お願いいたします。
ともかくこれを見ると、色々面白いことがわかります。主に言えるのは、
1.IF(Impact Factor)が極めて高いNSにはどなたも全く掲載されていない
2.化学雑誌の最高峰のひとつJACSに最初の掲載されたのは7名で、全体(31名)の3割にも満たない
3.結構な数の科学者が、第1報と違ったテーマで最終的な業績を挙げている
の3点ですかね。筆者が尊敬するWhitesides教授と向山先生の1報目がご両人ともにJACSというのが怪物の片鱗を存分に示されていてお腹一杯という感じがしますけど。なお1.については2000年前後まではNature・Scienceには純然たる化学論文は載りにくい傾向だったため、という理由があるためでもあるので別に書かんでもええでないか、という気もしますが。ただ、下記は推測ですが、1950-1970年くらいの年代は当時は未だIFが重視されず、勿論科学者同士の競争はあるものの一部牧歌的な感じだったためかあまり先を争ってNCSやJACS, ACIEなど高IF誌へ載せようという雰囲気ではなかったのではないでしょうか。
ということで筆者から見ると神様レベルの方々の第一歩は、予想に反し結構フツウの第1歩の方々が多かったな、というのが正直な印象です(オイ。 筆者の持っていたこういうクラスの方々に対する勝手なイメージとしては「第1報目からNCS、続いてガンガン有名誌に連続掲載」ってのだったのですが、冷静に考えてみりゃさすがにそりゃあないですね。そこまで単純明快一直線のアウトプットを出せるような方は50年か100年に1人クラスしか出てこないのでしょう。
なんでこんなことを調べたか
「1報目の論文で人生が決まるわけがない、くよくよしなさんな」
と昔の自分に言ってやりたかったためです。きっかけとしては少し前にBiomedicircus殿のサイトに掲載された、「無題」と称するおそらくは事実8割、つくりごと2割くらいのリアルなエッセイを読み(こちら)、筆者も学力的にそんな高レベルではないですが精神的には全く同じレベルで阿呆だったなぁと考え、そんな阿呆の後悔と逡巡を色々まぜこぜにした結果今回の調査を思い立った次第で。
ともかく、これら先生方の凄まじいのは第1報の位置付け以前に、その論文の多産ぷり。(Dan Shechtman教授はちょっと特殊な例で論文を多数は出されていないのですが)某Nicolau教授で約700報、比較的若いHartwig教授でも350報程度というとんでもなさ。なお「化学の神様」Woodwardが250報程度に留まっていたのはちょっと驚きでしたが1本1本の論文の内容が濃すぎるのでまぁこういうレベルになると本数だけで語るようなもんではないのでしょう。
そしてこうした方々は1報目がどうのこうの、入った研究室がどうのこうのいちいち気にせず、雪の中をガンガン走るラッセル車のように突き進んで行かれた結果前人未到の高みに達したのだという気がします。こうした「そのようにしか生きられない人々」は筆者が昔から憧れる存在でしたが、自分が「憧れの分野」で生きるのに本当に向いているのかは、やっぱりその入口で十分に考えねばならなかったのだなぁと色々反省しきりでありました。
この点、どなたかが言われていましたが、「憧れと得意は別」。そうとしか生きられない人々にはどうにも敵わないことばかりを思い知ってきた人生でしたが、憧れであり続ければまた彼の場所とは違った辿り着く幸運もあろう、と考えて足元を見ながら歩き続けていきたいもんです。
今回は筆者の趣味レベルでの調査だったわけですが、色々な点についても自分が如何に固定概念に捉われているかを思い知った次第でした。その意味で、今回の内容が読まれている方の何かの一助になれば幸いです。
それでは今回はこんなところで。