昨今特に有機合成化学界隈で言われていることですが、従来通りのアカデミック合成化学研究(複雑化合物を簡単に作る方法論を開発するというお題目)には、研究費が下りづらくなっています。本技術を正当化する最も分かりやすい応用は低分子医薬なのですが、そもそもこの開発成功率が低下傾向にあると言われています[1]。これを反映して、従来通りのやり方では薬が出ないのではないか?有機合成に頼らない別のやり方のほうがイケてるんじゃないか?と投資側が考え出しているのです。
この見方は変化の速い米国で顕著なようで、超一流有機合成ラボでも生物応用研究を絡めない限り、予算獲得に四苦八苦するケースが多いとも聞きます。有機合成化学研究に転換期が訪れているという見方は間違いないようです。
そんな中で研究費を継続的に獲得し、最先端のアカデミック合成化学研究を持続していくにはどうすればいいのでしょうか?
今回はそのための優れたモデルを確立させているPhil Baranラボの取り組みについて、解説論文[2]を要約する形で取りあげてみたいと思います。
企業とアカデミアの共同研究が促される背景とは
そもそも日米欧問わず公的なfunding機関は、基礎科学よりも応用科学に投資を増やす傾向にあります。納税者への説明がしにくいからです。こうなるとアカデミアは応用研究にテーマをシフトせざるを得なくなるわけで、その弊害が各所で取りざたされています。・・・この辺りについては、読者の皆さんも何となくご存じのことと思います。
しかしその一方で、応用科学を突き詰めてきたはずの企業側はというと、より基礎科学へと回帰する傾向がみられるようです。近年では知的財産権がきわめて競合的になっており、ライバルを出し抜く創造的手法が常に求められているからです(例えば製薬企業にとっては、新たなケミカルスペースを生み出す方法などがそれに相当します)。
この背景にあって、企業・アカデミア双方とも、研究開発の効率向上に向けたプレッシャーに常時晒されているわけです。
双方の共同研究は解決法の一つになりえますが、うまいリソース投下戦略を考えることは必要不可欠です。昔ながらの絨毯爆撃投資は非効率と言うことで、近年は企業ニーズに合致するアカデミア技術開発に対し、特化的に投資するケースが増えているようです。オープン・イノベーションという名前で我が国でも最近普及しつつある考え方です。ただこれは解決者をランダム公募する都合上、解決者の興味を広く引くような幾分ぼやけた課題を設定しなくてはなりません。
それと比べて文献[2]では、もう一段踏み込んだ共同研究方式が提案されています。この方式を投資(研究費)の流れという視点で眺めた際、以下の循環的サイクル(①→②→③→①・・・)に従って進められることが想定されています。問題発見段階から双方が密接に関わって進めていくスタイルが特徴的です。
① Confidentialなリソース・知見を交換し、密接なコミュニケーションを取ることで、企業・アカデミア双方にとって最先端といえる課題を見いだす
② 見いだした課題を、企業側の意見を取り入れながらアカデミアの目線でスマートに解決し、それを企業側へ迅速にフィードバックさせて利益を産む
③ 得られた利益は、アカデミア側へ投資的に還元していく
企業側の問題が、持てる基盤技術の限界や基礎的理解の不足といった学術的制約によって生じているならば、この方式に基づく解決はWin-Winな成果を双方にもたらす可能性があります。
しかしアカデミアと企業の距離感が遠いこと、お互いの評価スキームと利益確保方針が合致しにくいこと、Confidentialとみなすべき成果がそれぞれ異なること・・・などなどが障壁要因となり、思いのほかこういった融合は進んでいないのが実情のようです。
Phil Baranラボでの取り組み事例
文献[2]では多くの事例が取りあげられていますが、スペースの都合上、代表的なものに絞って紹介してみます。
LEO Pharmaとのコラボレーション:Ingenolの全合成
皮膚病に効く複雑天然物合成・誘導体化を目的として、2011年にBaran研とLEO pharmaと共同研究契約を締結しています。双方の興味がマッチする標的として、Ingenol mebtate(Picato®)が選ばれました。Picatoは皮膚ガン(日光角化症)の薬としてLEO Pharma社が開発しましたが、C3位エステルの加水分解が早いため、投与法に制限があります。将来的に経口投与への展開を目指すべく、構造活性相関研究の必要性に迫られていました。しかしインゲノール母核の全合成は難度S級課題であり、そもそも誘導体合成などできる状況ではありませんでした。
この革新を目指し、アカデミアとのコラボが決断されました。
果たしてBaran研では、独自の「2-phase 合成戦略」に基づくことで、その工程数を14まで短縮することに成功しました。またこの経路は多様な誘導体にアクセス可能なものに仕上がっています。開発過程では、隔週の遠隔会議や頻繁なeメールのやりとりを通じ、LEO Pharma側からも中間体設計や合成戦略レベルのアドバイスがなされ、実際に取り入れられているそうです。
Pfizerとのコラボレーション:新しい医薬ビルディングブロック提供法の創成
Pfizer社は2011年、スクリプス研究所の個々のラボと特化型パートナーシップを締結しました。この結果Baranラボは、PfizerのもつConfidentialプロジェクトへのアクセス権を得、内部で活用することが可能となりました。また、Baranラボの非公開知見もPfizerの化学者に提供され、自由に活用できる体制になっています。
この過程でヘテロ環のC-H(フルオロ)アルキル化試薬が開発されました。また「Magic Methyl Effect」と呼ばれる医薬効果をねらったC-Hメチル化反応のニーズを踏まえ、それに適した試薬へも発展させています。試薬に使われるスルフィン酸は特殊官能基ですが、入手容易なカルボン酸から合成できる手法もこの過程で開発しています。いずれも独創的なビルディングブロックを与える試薬として重宝され、創薬の現場で広く使われているようです。
Sigma-Aldrichとのコラボレーション:開発した試薬の迅速な市販化
多くの製薬企業は時間的制約があるため、自前で試薬を調製して使うことを嫌います。果たして試薬が入手容易でなければ、いくら新しい方法論が良くても採用されない傾向にあるわけです。
こういった事情を踏まえると、「科学的発見を広く活用して貰う有効策は、発明した試薬をグローバル企業から市販化することだ」との考えに至るのも必然です。Baran研はこの為の提携をAldrich社と持っています。未公開データはAldrich社と隔週ベースでやりとりされ、一方のAldrich社は市販化検討に要する試薬や消耗品の全てを提供しています。Aldrich社からしてみると、世界初の新規試薬提供を通じてマーケットシェアが拡大し、結果的に売上増に繋がるわけで、Win-Winの関係になっています。
この結果はご存じの通りで、Baran研の反応開発論文には既にAldrichカタログ番号が併記されていることが多々あります。極端なケースでは公開直後の論文を見た瞬間に、新規試薬を発注して試すことすら可能になっているわけです。ちなみに下記のDFMSとTFMSの試薬二つだけで、論文公開後18ヶ月間に$100,000以上の売り上げがあったそうで、この方式の実効性を物語っています。
他研究室での取り組み事例
このように密接な企業―アカデミア間共同研究を行なっているラボは、米国にはいくつかあるようです。例えば、Buchwald研とMerck社(クロスカップリング用パラジウム触媒の開発)、Molander研とJanssen Pharma社(有機トリフルオロボレート試薬の開発)、Chirik研とMerck社(コバルト不斉水素化触媒の開発)、Hawker研とDowChemical社(光触媒によるポリマーブラシ構造創成)などの例が挙げられています[2]。
もともとは企業ニーズの充足に端を発しているのかもしれませんが、いずれもトップジャーナルに多数論文がアクセプトされているわけで、学術的価値も高い仕事にきっちり仕上げていることがうかがえます。要はやり方次第なのかも知れません。
終わりに
このようなコラボを上手くいかせるには、当然ながら好き勝手やってはダメで、双方とも相応のエネルギー・コミュニケーションコストを割いて実施する必要があるようです。アカデミア側には〆切意識、企業側には困難に直面したときの忍耐・寛容さなども求められると結ばれています。アカデミアの教授がベンチャーを立ちあげ、社会へ技術移転することや、人件費込みで研究費が支払われるスタイルが一般的な米国では、こういった仕組みは普通に着想し得るものなのでしょうか(会社がまるっと面倒見てもよいほど実績ある研究者ぐらいしか、現実的には実施対象になりそうな気はしませんが・・・)
一方の日本では、ベンチャー奨励・産業復興政策が上手く行くならば、長い目で見て研究費を稼ぐモデルの一つになって良いとは思えます。企業側としても、自前で抱える子会社に力任せにやらせるよりは、頭脳クリエイティブ集団であるアカデミアに問題解決をアウトソーシングしていく利は確かにあると思えるからです。しかしながら今のところ、企業ニーズをアカデミア研究者(特に頭の柔らかい若手)とやりとりする機会自体、日本ではさほど多くない気がしており、少しばかり残念です。
今の国内アカデミアでは、学術価値製造研究とグラント取得研究を切り分けているところが多いように思えます。往々にして後者はお金を稼ぐための研究と割り切られ、大した人材も当てがわれないような気がします。この2つを融合してやりたくない仕事・二線級の人材を切り捨てられれば、当然ながら生産性は格段に上げられます。トップラボはこのような「仕組み作り」にも余念がないわけです。
産業復興という観点からも日本を盛り上げていくべく、企業―大学の関係性にもモデル転換が求められているタイミングかも知れません。いろいろな仕組みの良いところを積極的に取り入れていきたいものですね。
関連文献
- “Trends in clinical success rates” Smietana, K.; Siatkowski, M.; Møller, M. Nat. Rev. Drug Discov. 2016, 15, 279. doi:10.1038/nrd.2016.85
- “Academia-Industry Symbiosis in Organic Chemistry” Michaudel, Q.; Ishihara, Y.; Baran, P. S. Acc. Chem. Res. 2015, 48, 712. DOI: 10.1021/ar500424a