【2016/10/8 再 歴史的経緯を中心に重大な誤りがありましたため、図を含め大幅に訂正いたしました 先駆者であられる干鯛先生、ご指摘頂きましたK先生はじめ関係各位のお気持ちを害してしまいましたことを改めてお詫び申し上げます】
Tshozoです。 窒素固定のはなしを書いていたところ東京大学大学院 システム創成学専攻の西林研究室(こちら)から興味深い内容の論文がNature Communicationに掲載されましたので紹介いたします。
“Catalytic transformation of dinitrogen into ammonia and hydrazine by iron-dinitrogen complexes bearing pincer ligand”
Shogo Kuriyama, Kazuya Arashiba, Kazunari Nakajima, Yuki Matsuo, Hiromasa Tanaka, Kazuyuki Ishii, Kazunari Yoshizawa & Yoshiaki Nishibayashi
Nature Communications, 7, 12181
論文リンクこちら
西林教授はこれまで何回か採り上げてきた「常温」「常圧」「触媒的」窒素固定反応における第一人者であり、ノーベル賞受賞者のRichard Schrock 教授らと鎬を削る研究成果をここ数年で立て続けに出されています。特に触媒的反応を世界で2例目として実現したPNP Pincer 型Mo触媒は、Richard Schrock教授のFreiburg大学での講演会でも数年前に紹介されており(サイトこちら・動画リンク)、筆者を始め一部窒素マニアだけでなく研究者の間で注目を集めています。
まずは本件の経緯と背景を前半に、後半に成果の内容を記述していきましょう。
経緯と背景
元々この話は前回書いた最後のトピック、元東京工業大学の山本明夫先生が世界で初めて「空気中窒素を有機金属錯体により常温でトラップできる」ことが実証されたことを発端とします。その後、現在の窒素固定触媒の中心材料であるMo触媒を見出した干鯛眞信先生の研究により拓かれた本件の歴史をアンモニア周辺合成に絞ってすごく短縮して書くと(かなり省略してあります ご容赦ください/一部敬称略)、下記のような変遷と経緯を経て今年に至ったわけです。
干鯛眞信先生(東大名誉教授)と故Chatt教授とは当時激しい競争を繰り広げたライバル
故溝部教授と今回紹介する西林教授は干鯛先生の教え子 またLeigh教授は故Chatt教授の弟子
一方Cummins教授はSchrock教授の教え子で、Peters教授はこれまたCummins教授の教え子
そして現在この課題(窒素分子切断/窒素分子触媒的反応)に対し現在日欧米の3極で継続して研究活動が行われており、メインプレーヤを敬称略で書かせていただくと
日本:西林仁昭(東大), 桑田繁樹(東工大), 川口博之(東工大), 増田秀樹(名工大), 大木靖弘(名大), 清野秀岳(秋田大), 侯召民(理研)
北米:Paul Chirik(Princeton), Patrick Holland(Yale), Richard Schrock(MIT), Christpher Cummmins(MIT), Jonas Peters(Caltech), Michael Fryzuk (UBC), David Tyler(OSU)
欧州:Kastern Meyer(Erlangen), Sven Schneider(Goettingen)
のようにいずれも第一線で活躍する金属錯体化学者が参戦しています。今回の成果は触媒的反応としては溝部, Schrock, 西林, Petersに次いで世界で5例目、鉄錯体を用いたアンモニア・ヒドラジン「触媒」としてはJonas Peters教授によるものに次いで世界で2例目となります。
今回提案された触媒的反応サイクルの図 本論文より引用
これらの意義は一体どこにあるのか。まず以前採り上げた、窒素固定菌内の酵素、Nitrogenaseを振り返りましょう。
今回の成果の意義
アンモニアは、前の記事に描いたように世界を変えた、そして世界を変え得る材料です。合成法がほぼ完璧に近い状態にまで磨き上げられた現在は天然ガスから合成されていますが、まずもって資源リスクをはらみ、そのプラントは高価なうえ、需要は伸びていると言っても投資回収に少なくとも十年はかかる重厚巨大な設備です。また、あまり話題には上がらないのですがこうした高圧/巨大プラントを安全かつ高効率で動かすためには定期的にシャットダウンして保全をしなければなりません。その再開作業は結構難儀なことが多く、電気スイッチのように押しポンとはいかないのは容易に想像出来ると思います。
こうしたことから、将来的には経済的負担の少ない小型・分散型・低コスト・再生エネルギー利用合成プラントが有り得るのではないか、という見方があるわけです。しかし最終的に外部エネルギーを再生エネルギーにした場合、その変動幅は強烈なケースが多く不安定です。要は風が吹いたら高圧に上げて強加熱して、風がやんだらまた止めて、を繰り返していたら変換効率が上がるわけがないし装置がすぐ壊れかねない。そのため、常温常圧かつ高効率でアンモニアを合成できるルートと触媒の構築は、こうした将来的な再生型プラントに適用し得る意味で重要な意義を持つわけです。
んで、それを土の中でやってくれてるのがこのNitrogenase。
2011年に構造が修正されたNitrogenase
文献1から引用
これらはマメとかの根っこに住みついている根粒菌の中にある酵素で、窒素を常温常圧でフラフラとアンモニアへと固定してくれます。その際、この得体の知れない構造を持つ金属原子のどこで窒素が切れるのか、そしてプロトン及び電子がどうやって供給されるのか未だにほとんどそのメカニズムがわかっていません。ただ、MoとFeが介在しているのだけは事実。
これに対し、化学の取り得る道は基本的に二つ。一つは、この酵素をもとに反応機構を調査しデータを積上げ、反応を突き止め新反応・新酵素を提案する帰納的な方法。もう一つは、「これがキー反応だ」と仮定を立て、そこでモデル反応を提案しつつ窒素を切断・反応させるより優れた反応機構を求める方法。西林教授はこのうち後者の「モデル反応」を探索されている研究グループになります。
しかし、こりゃ全く簡単な話ではない。遡って1970年代にChattにより理想的な反応形態が提案されたものの、触媒反応は想像以上に困難で、結局「できた」となるまでに40年の月日を待たねばなりませんでした。
Chatt-Cycle 文献2より引用
その理由は主に2つ。
「窒素分子を反応させようとするとスカッと金属から逃げる」
「(反応途中の)窒素原子が金属と窒化物化して反応しなくなる」
・・・考えたら当たり前のはなしですね。前者は分子の安定性を考えたら逃げるのが当然。後者は、金属窒化物が概してめっちゃ硬くて耐摩耗材とかに使われてることを考えたらそら反応しにくいだろ、ということは推定できると思います。常温常圧でHaber-Bosch法に対抗しようとすると、どこかで高温・高圧条件を代価するトリックが必要になり、長い間その切り口が見いだせなかったということでもあるでしょう。
Cummins教授の取組例 文献3より引用
疑似窒化モリブデンが出来てしまってここから反応が進まなくなったもよう
加えて、反応中の寄り道の多様さ。N2をくっつけて切断出来たとしても、その後可能性のある中間体は星の数ほどあり、フラフラ副産物が出来てしまう極めて難易度の高い反応機構。これをぐるっと一周回して触媒的に反応させようとするとなんかもういいやって気になるというのもうなずけます。
Schrock教授 Ottawa大学講演での資料より引用(文献4)
触媒的反応のためには橙色の枠のとこが一応スタート/ゴールだが、
見るだけで吐き気熱いものがこみあげてくる
結局紆余曲折あったものの、基本的にはモリブデンMoとタングステンWを中心とする取組みが続き、最終的に2003年の世界初のSchrockによる触媒反応の提案・実現によりようやく一区切りがつきます。
Schrockによる世界初の触媒的アンモニア合成 同じく文献4より引用
中心金属を立体障害でバッキバキに固めて
反応ルートを固定化する方策だったが、TONは7程度に留まった
なおSchrock教授がこの時提案した「マイルドな還元剤(コバルトセン)により中心金属を還元し、水素を直接使うのではなくピリジン系材料を用いてプロトンを供給する」という方法論は触媒的反応の実現に極めて重要な意味を持ち、西林教授も基本的にこの路線で研究を進めておられます。還元剤は後で分離して、低電圧の電解還元でもすりゃ価数が戻りますから(コバルトセンの理論還元電位は-1.33Vと、水の理論電解電圧-1.23Vとほぼ同等なので水素を発生させるのとほぼ同等のエネルギーで還元可能と思われます)、基本的にはアンモニアへの等価反応とみることはできますね。なおこのプロトンと電子を分けて反応させる、という点は光合成 の基本原理とも考えられます(PCET/Proton Electron Coupling Transfer という経路もあるようですが今回は割愛)。
一方Feを中心とした材料でも先のHolland教授、Peters教授を中心に色々出てきていたのがここ数年のトレンドでした。特にPeters教授による成果はNitrogenase内の鉄原子も触媒反応を示しうるという点で画期的な成果です。
文献5の図と内容を推定・編集して引用
ここにプロトンソースと強還元剤(KC8)を添加して触媒的にアンモニアを合成
しかしPeters教授の成果ではそのメカニズム詳細は明らかに示されていませんでした。今回、西林教授は別系統のモデル錯体として使うことで、同様の反応を成立させ、加えてアンモニアだけでなくヒドラジンを合成してそのメカニズムまで提案した、というのが大枠の要旨になります。
ちょっと長くなってしまったので論文の詳細は次回に・・・。
【参考文献】
1. Spatzal, D. T.; Aksoyoglu, M.; Zhang, L.; Andrade, S. L. A.; Schleicher, E.; Weber, S.; Rees, D. C.; Einsle, O.
Science 2011,334 , 940
2. 溝部裕司, “金属酵素活性部位をモデルとした高活性金属クラスター触媒の創製”, 生産研究 56巻5号 2004
3. “Scission of Dinitrogen by a Molybdenum(III) Xylidene Complex” MIT advanced lecture in chemistry, リンクこちら
4. “Catalytic Reduction of Dinitrogento Ammonia” Richard Schrock, University of Ottawa, May 11, 2006
5. “Catalytic conversion of nitrogen to ammonia by an iron model complex”, Nature, 2013, 501, 84-87.
6. (全般にわたってこの資料を引用)”CATALYTIC REDUCTION OF N2 TO NH3″ Alex Kendall, Tyler lab. lecture note.