Tshozoです。おはなし1の続き、早速いきましょう。
1の中にも書いた点を考慮すると、窒素の触媒的変換の場合、基本的に以下の3つのことが最低限必要になると考えられます(④は必ずしも必要ではなさそうですが一応記載しておきます)。
① 触媒上に窒素分子を捕捉する
② 捕捉した窒素分子が外れないように還元→プロトン→還元→・・・を最後まで行う
③ ①②でリガンドが外れたり分解しないようにする
(④ ③の中で窒化物又は副生成物が出来ないようにする)
プロトン+電子は水素分子で表現
考えただけでぞっとしますがSchrock教授の例を見るまでもなく、これらは「最低限」の必須事項。実際には①の段階では往々にして中心金属は高い還元性を持たねばならないため、④に対し致命的な影響を与える可能性があります。このように常温常圧で窒素を触媒的にアンモニアへ変換しようとするというのはとんでもなくめんどくさい高い難易度を持つ触媒開発である、とされ続けてきたわけです。
なお①については若干蛇足ですが、窒素を配位可能な錯体の中心金属は電子軌道形状にあるパターンがあり、本触媒系においては”Dewar-Chatt-Duncanson”モデルに沿い「窒素分子に対し電子を供与/逆供与出来る」ことが前提となります。
以前作成した記事から引用 窒素分子の場合に多用されるEnd-on型
ターゲットとなる分子のLUMOと、
中心金属の電子軌道のカタチと電荷を合わせるのが基本義
先に挙げたChatt教授の提案による
これはRoald Hoffmannが提唱した”Isolobal”と言う概念とも相関があるそうですが、筆者の不勉強のため今回は割愛。まずは本論にまいりましょう。
今回の成果 詳細
本論文ではPeters教授の触媒とどこに相違があり、何が成果のポイントだったのか。
先に挙げたように、西林教授が2011年にSchrock教授に次いで2例目の触媒合成を成し遂げた際、使用したのはピンサー型のリガンドでした。このリガンドは市販レベルで購入出来るうえ、1で述べたSchrock教授による「反応活性部をリガンドの立体障害で守る」という概念を「窒素分子をリガンドにする」と置き換える妙手により触媒として成立させた点で画期的な結果でした。
2011年のNature Chemistryに掲載された触媒構造
今は更に進化しているもよう
その後もこのシンプル化したピンサーリガンドを適用した錯体を中心に検討を進めておられ、今回の鉄錯体もその延長にあるものになります。この触媒構成がまず異なりますね。
今回の触媒一覧(本論文より引用) メインで触媒性能を示したのは1だが、
2,3,4も触媒と成りうる いずれも構造はシンプル・平面様で
本論文によると平面構造で関連反応を回せる鉄触媒は前例が無いもよう
その点で何が違うかというと、配位子の戦略。西林教授が合成した今回の触媒はFeに対し窒素がアクセスしやすい分子構造を持ち、加えて電子供与性の高いリガンドを用いて中心金属を還元性が高い状態に保つ方針を選んでいます。上記に挙げた2011年の成果に示された触媒に基づくものと言ってよいでしょう。一方Peter教授の触媒は前回述べたように鉄原子Feの後ろにホウ素原子Bを配置し原子の「背面側」を全て固めつつ中心金属の電子状態を摂動させるような構成を狙っていました(今年3月にはJACSに窒素固定の最中に「ヒドラジンがリガンドに付いた」鉄錯体の存在を示すなど鉄錯体に関しては先行していましたが、今なおヒドラジンを合成することは出来ていない状況です)。
今回の触媒の基本立体構造 本論文より引用
次にポイントとしては、その結果。本論文では最終的にアンモニアに加えヒドラジンの合成も実証、同時にそのメカニズムを推定したことがキーになります。その中でPeters教授の提案する方向とはまた異なるタイプの反応、特にヒドラジンがChattサイクルの早いタイミングで発生しうることを提案しています。
今回提案された反応サイクル 再掲
合成されたヒドラジンが窒素と入れ替わる可能性があるというルートがキー
このキーポイントとしては溶媒として用いたTHFに対するヒドラジンの親和性が強いために上記網掛け部のサイクルが回り得ることを提唱されています。ここについては未だ本論文では詳細な解析が行われておらず、中間体の詳細解析などが待たれるところでしょう。直観的には、配位された窒素分子の1個ずつが「等確率でプロトンと電子を受け取る」のは非常に起こりにくい反応であるという印象を受けるため、何か今回の触媒に限った面白そうな現象が隠れているのではと期待していますが、いかがでしょうか。
ただ今回の触媒系の問題として、サイクルの一番最初のプロセスでリガンドの水素化という副反応が起こってしまう点があります。これについては九州大学吉澤一成先生と協力、DFT計算(関連記事:こちら)を用いた反応推定を行っており、現状の反応系で熱力学的に上記副反応が避けられない可能性が高いことを突き止めています。最終的にエーテルをカリウム塩化することで「配位した窒素がプロトン化される可能性の方が高い」、ということを活性化エネルギーの試算を含めて提示されていますが、現状のTON(TurnOver Number: 触媒としてサイクルが回った回数)の値を考えるとやはりこれ以外の副反応は大なり小なり生じていると考えるのが妥当な気がします。ここらへんはもしかしたらリガンドの選定に加えて還元剤の選定によってもっと効率的な触媒が選定される余地があるのかもしれません。
電位分布計算(ESP)結果 基底状態ではリガンドの背面側から
プロトンアタックを喰らいやすい電位(負側)になっていることが示されている
なお今回の触媒のアンモニアに関するTONはN原子当量ベースでまだ20回に満たないレベルです。Peters教授のもTONは12程度(筆者追記:つい先日TONで64に迫るFe触媒を開発されたそうです)で、いずれにせよ雛鳥と言うか、タマゴがようやく出来上がったレベルなのかもしれません。
しかし西林教授が提案するように、本件の窒素固定触媒化学の進化の果てには、本件の1.で書いたような常温常圧で反応できてかつスタートアップ・クールダウンが極めて容易な分散型低コストアンモニアプラントの実現を見据えることができ、これは今後を考えた上で最も必要になる技術の一つです。以前描いたように、燃料としても使えるアンモニアが自由に、低コストで貯められるエネルギー体として有用であり、肥料以外にも様々な意義のある材料であるからこそ、この分野での進展が重要なのだと考えます。
もちろん化学合成という点でも、ヒドラジンを空気中から触媒的に初めて合成したとい う点も改めて強調すべきと思います。言うまでもなくヒドラジンはロケット燃料や還元剤、添加剤として幅広く使用されていますが高い変異原性を持ち、正直あんまりオープンに使いたくない材料です。そこでもし上図の「ヒドラジンサイクル」だけを回す触媒系・反応系が見出せたなら、窒素ガスから小規模なリアクタを用い安全性が 高い状態でヒドラジン供給が出来る、ってな夢も描けるようになります。その意味で、アンモニア合成に加え面白い窒素化学の扉が開いた気がする、今回の成果でした。
それ以外の、色々疑問
FeがNitrogenaseの中心金属と成りうることを改めて示した今回の成果ですが、色々と疑問が浮かんできます。
- 1.還元剤はKC8でなければならなかったのはなぜか(コバルトセンでは反応が進行しなかったとのこと)
おそらくは電位的なものだろうが、どこまで緩和可能なのか - 2.ヒドラジン選択的ルートはかなり不安定な中間体の存在がキーになりそうだが、何故今回の構造では
それが成立したのか、また選択的にそのサイクルだけをまわせる可能性はあるのか - 3.低温でしか触媒的に回らないのはどうしてか
特に第1項・第3項は実際のNitrogenaseが存在する環境を考慮すると違和感を持つ点です。正直ここまで還元性の高い材料、低温状態が土中にあるとも思えない。そこを考慮すると、実際には今回触媒機能を示したFeは窒素固定の中心金属として機能するわけではなく、やはりマイルドな還元剤で回る実績のあるMoがアンモニア触媒としての主役であり、Feは何かしらの協奏反応のお相手として役割を補完し合っているのではないか、ということも考えてしまうわけです。素人の浅はかな考えではありますが・・・。
浅はかついでで言うと、同研究室においてTONで先行しているMo触媒では触媒が2量化したような「ブリッジング」がうまく触媒サイクルに挟まれていることを用いてN2開裂が進行していることを考えると、たとえば「単騎の触媒ではリガンドの不安定化が進行するが、例えばFe+Moの2成分系触媒だと2量化などの相互作用により触媒反応が安定して進んで云々」とかいった楽しそうなメカニズムが出てくることを期待したいところです。
おわりに
何度も採り上げていますがアンモニア合成工業化の祖 Carl Boschについて描かれた書物”In Banne der Chemie”に、下記のようなBoschの言葉があります。Boschはこの言葉を繰り返し従業員にも言っていたとのこと。
“Sieht mal hier das Eisen, was darin steckt!”
「まずそこの鉄を見てみろ、そこに(答えが)ある!」
これはBoschの基本的な信念とも言えるもので、本人がそもそも冶金学に長けていたというのと、Haber-Bosch法を産業化する過程で見つけたのが結果的に鉄を中心とする混合触媒(Fe・K2O・Al2O3)であった成功体験から上記のように言っていたのでしょう。今回の成果はこのBoschの言葉を地で行っていることになります。もちろん「Bosch本人のただの思い込み」と断じることもできますが、実際鉄は産業の屋台骨であり、人体内にも存在し、生態系でも大きな意義を持つ、誠に奇妙な材料です。その鉄が今回のような興味深い研究成果の主役として出てきたのには、何かこの分野でまだ見えていない意義があるのではないかと筆者も勝手に思い込んでいます。
本件で使われている有機金属錯体はBoschが活躍していた当時まだまだ存在しなかった新たな武器であり、また先にご紹介したマイクロリアクターやフラッシュケミストリーなども当時コンセプトすら無かったテクノロジーです。もしかしたらこうしたものを組み合わせることで新たな反応領域や性能を拓くことになるかもしれません。応用先としても「壊れにくい材料の温和な分解」、たとえばエンジニアリングプラスチック類の温和な触媒的分解、などの扉を開き得る可能性だってあるのです。
ともかく、同研究室をはじめ、これからも常温常圧条件におけるアンモニア大量合成の実現をはじめとした新たな社会の実現を目指されている方々のご活躍を期待いたします。
それでは今回はこんなところで。