近年、反応機構をサポートするために計算化学を用いた論文が多数発行されています。しかし、ひとりで実験も計算も両方できる研究者は少ないため、その多くが共同研究であると思われます。
こういった形の共同研究で論文を出す際に問題となりやすいのが、オーサーシップです。
最近の傾向では、実際に実験した人が 筆頭著者になることが一般的です。
では、
「実際に計算した人」は 筆頭著者にはなれないのでしょうか??
…計算化学者は、便利屋さんでも有機合成化学者の奴隷でもありません!計算した人も評価されるべきだと考えます。しかし、計算化学というのは、実験化学よりも下に見られることが多いです。(同様のことがバイオインフォマティストと生物学者の間にも言えると思います。…トランスクリプトーム解析とか簡単じゃないんだぜ?)
こういった問題の背景にあるのは、
多くの人が計算化学の大変さを理解していない
という事実に尽きると思います。
実際に複雑な計算に取り組んだ人ならば、その大変さは実験と同程度と感じていると思います。(ワンステップで終わるような低分子触媒反応は除く)
しかし、未経験者にはその苦労はわからないでしょう!実際、わたしも若くて魅力的だった頃は、「計算ってワンクリックで終わるんでしょ!全自動なんでしょ?」と思ってました(笑)。
今回は、知られざる計算化学の大変さの一部分を紹介したいと思います(注:オーサーシップの順番は、研究に対する貢献度であり、大変であるということとは直接因果関係がないです。)
書いていたら、止まらなくなり非常に長くなってしまったので、3回に分けてお届けします。
Part 1 計算と実験には共通点が多い!
Part 2 コントリビューションの決め方(予定)
Paer 3 計算または実験。なぜ二者択一?(予定)
計算と実験には共通点が多い!
計算化学というと、全自動化・洗練されていて、実験のように地道な検討、個人のテクニックなど必要ないと思われがち。しかし、実際には違います。個々人のセンスが要求されますし、毎日ひたすら検討に次ぐ検討!です。しかし、こういった苦労は論文には載りません。一発で正解が出るわけではなく、試行錯誤しながら求めていく点において、苦労があり、実験化学と通じるものがあります。
有機化学者にとって最も身近なのは、反応機構解析の論文だと思いますので、まずは反応経路探索を例としてお話しましょう。
- 初期検討
反応経路探索では、遷移状態の構造を求め作業が研究全体の中で大きな比重を占めています。反応の種類にもよりますが、そんなに簡単には求まりません。逆に、遷移状態さえ求められてしまえば、あとはルーティーンワークとも言えます。
まずは軽い計算レベルで初期検討します。 遷移状態構造を最適化する際の初期構造を探索します。いきなり重たい基底関数での DFT 計算や MP2 なんて使いません。
反応点周りの結合長や結合角度などを少しずつ変えて、どのようにエネルギーが変化するかなどを調べます。この時点で、この後の計算がうまくいくかどうかほぼ分かります。この段階では、正確性よりも手数の多さ、計算量の数・スピードが問われるため、パラメーターも若干落とします。RMSDP の threshold 下げるとかね。
このような初期検討は、有機合成でも同様に行われると思います。
- 計算レベルを上げる
続いて、高い計算レベルで計算します。ここからは、一つ一つの計算に時間がかかります。原子数や計算レベルにもよりますが、一つの計算に半日以上〜数日かかりますので、同時に数十個計算を投げます。この点は、反応開発などに近いと思います。半日以上かかる反応を同時に何個も仕込むような感覚です。でも計算レベルを変えた瞬間に遷移状態が求められなくなったり、構造が変わってしまったりすることも時々おこるので、その場合また初期構造を求め直さなくてはなりません。実験でもスケールアップして反応がおかしくなってしまうことってありますよね。
- 確認作業
遷移状態構造が最適化できたら、それが望みの遷移状態構造であるかを確認しなければなりません。まずは振動計算で虚振動があることを確認した後、IRC計算を行います(確かめ算のようなものだと思ってください) 。有機合成でも合成・精製できたっ!と思ったらMSや各種スペクトルで構造を確認しますよね。
その後、一点計算を行ったり、DFT計算の場合様々な汎関数を検討したりします。ちなみにアルゴリズムによっては、 IRC 計算には 1 週間以上かかる場合もあります。
- さらなる検討
また、紙の上で構造式を書く場合、2次元になってしまいますが、実際の3次元の構造は非常に複雑です。微妙なコンフォメーションの違い、置換基の角度、向きなどちょっとした構造の違いにより、全く異なる計算結果が出てしまいます。
例えば、Kendal Houk は Diels-Alder 反応に対し、200 通りもの経路を計算することもあると講演で述べてました。[1] どんだけ Diels Alder 好きなんだよって感じですよね。
考えられる構造全てを計算する、これが計算化学の強みでもあり、苦労する点でもあります。
また、よくある間違いとしては、初心者が予想中間体と遷移状態をそれぞれ構造最適化して求めて、IRC計算をせずにエネルギーを求めることです。
また、構造最適化 ひとつとっても指定すべきキーワードはたくさんありますし、エネルギー計算でも指定するキーワードにより値が変わってきます。どのようなキーワードを指定して計算をしているかは論文には記載する必要がないため、正直言って、計算をきちんと学んだことのない人の計算結果は疑わしいです。
以上述べた、反応遷移状態の求め方は、すぐできる量子化学計算ビギナーズマニュアルに書いてあります。
大きな誤解
「計算投げたら、あとは計算機がやってくれるから暇」というのは、間違っています。計算結果(過程)は、数時間おきに確認し、変な方向に進んでいないか確かめる必要があります。これは、有機合成で TLC 取るような感覚ですね。
また、初期検討を行う場合などは、一時間数十個のジョブを投げます。さらに、その後数十個のlog ファイルを解析しなくてはなりません。
実験で同時に何個も反応を仕込むのと同じように、同時に何個も計算を投げるため、だんだんと頭が混乱してきます。要領の良い人は、常時数十個の計算を投げ、それらを解析し、まとめていきます。一方で、要領の悪い人は、2つジョブを投げて2つ解析してといった感じで、解析中はジョブ回ってないィィィイ!!みたいな感じになつため進みが遅いです。
これも実験と同じですよね。
また、解析が終わって時間に余裕があるときは、自分でプログラム書いたりしています。市販のソフトウェア(Gaussian)使って「結果出ましたぁ!」なんて言っているのは、計算化学者ではないです。自分の使っているソフトウェアの内容をあまり理解せずに、ブラックボックス的に使用し、出てきた結果を鵜呑みにするなんてのは、あまりよくないですよね。
計算したことない人は、「ワンクリックで終わるんでしょ!」と言いますが、「ワンクリックで解析できているようにその解析プログラム書いたのわたしですよぉぉぉ!!」っていつも思っています。
実験だって、「試薬混ぜて一定温度で放置するだけだから、暇だろ!」なんて言われたら気分よくないですよね?
参考文献
- Kersey Black, Peng Liu, Lai Xu, Charles Doubleday, Kendall N. Houk, Proc. Natl. Acad. Sci. 2012, 109, 12860–12865. doi: 10.1073/pnas.1209316109