先日より公開している「ケムステ海外研究記」、引き続き数人に依頼を進めております。知人づてですのでそこそこ有機化学系が多くなってしまうのですが、徐々に多分野に広げて行ければと思っています。
さて第3回目は米国Yale大学・大学院生の曽 明爍さんにお願いしました。(冒頭写真はYale大学化学科の建物。こちらから引用)
大学時代からカガクシャネットという留学支援団体でアクティブにご活躍されていました。そんな彼女のお誘いを受け、以前筆者もそのイベントに参加させていただいたことがあります。そもそもの設立趣旨からして当然かもしれませんが、グローバルな視野を当たり前としつつアカデミック意識の高い、大変刺激的な方が多く在籍しており、貴重な知り合いが多くできました。個人的にはなかなか有意義な会だと感じられました。
そういった縁もあって今回依頼させていただいたところ、快くお引き受けくださいました。是非ご覧ください。ちなみに彼女は子供の頃から日本で過ごされ、日本語も大変堪能です。
Q1. 留学先では、どんな研究をしていますか?
私の在籍するHerzon研は、興味深い生物活性天然物の全合成を中心に、そこから派生した反応開発や天然物の生体内での反応機構の解明などの研究を行っています。Herzon研では少し異端な研究内容ですが、今回は、自分の研究を紹介させていただきます。
私は現在大学院4年生が終わる段階ですが、初めの2年半はルテニウムを用いたanti-Markovnikov型末端アルキン官能基化反応の開発を行っていました。
工業的価値の高い直鎖アルコール・アミンを多重結合変換で得る反応は、非常に重宝されるプロセスです。しかし、直鎖系化合物を得るには速度論的/熱力学的に不利なanti-Markovnikov型修飾が必要です(参考:Chem-Stationの過去記事)。野崎グループの開発されたRh/Ru-Dual catalystシステム1 やGrubbsグループによるPd/Ru Triple Relay 触媒反応2 などが直鎖アルコールを獲る方法として知られていますが、複数の触媒・試薬と、高圧・高温といった激しい反応条件が必要です。そこで私たちは、より反応性の高い末端アルキンを使うことで、温和な条件で合成できるのではないかと考えました。
適切な金属触媒によって得られるmetal-vinylidene中間体を経ることで、末端アルキンを選択的にanti-Markovnikov型修飾できる(図1)ことは以前から知られており、水和反応によってアルデヒド合成を行えるルテニウム触媒が過去開発されていました。3 しかし触媒を用意するため配位子を数ステップかけて合成する必要がありました。そこで私たちはまず、より単純なリガンドを有する触媒の開発を目指し、5,5’-CF3-bipyridine配位子を備えるルテニウム触媒(1)を見いだすことで、室温下にて末端アルキンのanti-Markovnikov型水和反応を実現しました(図2左)。4
また、直鎖型アルコールの直接的合成を目指し検討を行なった結果、還元剤としてギ酸を加えることで望む還元的水和反応が進行することがわかり、それに適した三座配位子を備えるルテニウム触媒(2)を開発することができました(図2右)。5 この配位子は触媒を安定化させるだけでなく、プロトンシャトルとして働くことで還元を容易にして、室温反応を実現させます。
いずれも温和な反応条件であるため、高い官能基許容性があります。後者の触媒は、近年Herzonグループで全合成が達成されたanti-HIV活性を持つアルカロイド(+)-batzelladine Bの合成にも用いられました。6 開発した触媒は現在Sigma-Aldrichから市販されています。
また前者の触媒系で得られるアルデヒドを系中で変換するという発想に基づき、還元的アミノ化によって直鎖アミンに、酸化的条件によって直鎖カルボン酸へと、ワンポットで変換することも可能になりました(図3)。7
このプロジェクト完了後、去年からガラッと研究テーマが変わり、新規抗生物質として注目されるテルペノイドの全合成を目指して研究をしています。
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?
大学院留学しようと決意したのは、大学3年生の冬に参加した、海外大学院留学説明会の直後です。実際にアメリカの大学院で留学しながら研究している先輩方の体験談を聞いて交流するイベントだったのですが、直感で「行きたい!」と思ったのがきっかけです。「どうしてもやりたい研究があって」とか、「ノーベル賞を取れるような世界的に名の知られた教授になりたくて」とか、「新しい薬を開発して、多くの人々を救いたくて」とかいった、はっきりとした大きな夢を実現させるために留学しました・・・とカッコイイことを言ってみたいのですが、実際は全然そんなことはなく、本当にただの直感でした。
大学3年生の夏、アメリカのMITで毎年開催されている、学部生用の合成生物学の国際大会であるiGEM competitionに東大チームの一員として参加したのが少し影響していたかもしれません。その活動で研究の楽しさを知り、世界中から集まった学部生たちと交流するexcitementを体験することで、海外に少し目を向けるようになりました。そんな折に参加した説明会で、授業料免除でなおかつ給料をもらいながら研究できるなんともオイシイ環境がアメリカにはあることを知り、しかも実現不可能ではないと感じ、そこから大学院留学の準備を始めました。大学4年生の時に所属していた福山研の先生方や先輩方は留学に対して非常に理解があり、大学で有機化学の授業を何コマか履修したぐらいしかなかった私に有機化学の知識や実験の技術をみっちり叩き込んでいただき、大学院留学では、その経験がとても役立ちました。
実は大学4年生の秋に、今のボスであるSethが東大に講演しに来ていて、その時に留学する意思があることを伝えました。その流れでHerzon研で働かせていただいている次第です。
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
良かったこと
研究環境は本当に充実しています。大学院生は学費が免除で、なおかつ毎月生活するのに十分な給料をもらいながら研究できるので、金銭面で心配することは全くありません。Yaleの化学科はここ最近ずっと建て替えをしているので、建物は新しくて、一人一人に研究スペースがたくさん与えられます。毎日清掃してくれる人がいて、定期的に床のワックスの塗り替えもしてくれるので、建物内はいつも清潔に保たれています。研究設備も非常に整っていて、NMRを管理してくれる専門の方もいるので、何か不都合があったり、特別な測定がしたかったりするときにはいつでも相談にのっていただけます。化学科の全研究室で試薬を共有しているので、ふと思いついた反応をしたい時、たいていどっかの研究室に欲しい試薬があるのですぐに実験できます。
悪かったこと
ご飯はあまり美味しくないです。日本食のように健康的で美味しい食事にはなかなかありつけません。あと、これはYale特有のことですが、比較的田舎なので、交通の便があまり良くありません。普段の生活は大学周囲でまかなえるので全く不便ではないのですが、New Yorkまで出ないと大きな空港がないので、遠出しようとすると時間がかかります。
残念ながらNew Havenは治安の悪さで悪名高い街ですが、個人的に危険を感じたことはありません。夜中の11時、12時ぐらいに研究室から一人で寮に戻ることもたまにあるですが、夜になるとパトロールしている警察がちらほらいるので、安心です。また、大学内だと夜の6時以降は行きたいところまで連れて行ってくれる無料のタクシーみたいなものがあるので、それに乗れば安全です。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
Herzon研は国際色豊かな研究室です。現在所属している大学院生で留学しているのは私と後二人、中国からの留学生です。残りはアメリカ人ですが、たいてい両親がどこか別の国からアメリカに移民してきたりしている人たちなので、多くの人が複数の言語を話せます。ポスドクはカナダ、アイルランド、インド、韓国、中国、といった、世界中の国から来ています。みんな様々なバックグラウンドがあるので、外国人だからといって特別な目で見られることはなく、とても過ごしやすい環境です。もちろん普段は英語で会話しなくてはいけないのですが、文法がおかしかったり、単語がわからなくて、遠回りな表現をしなくてはいけなかったりすることが多々あるのですが、それに対してみんなとても寛容です。実験がうまくいかない時、周りのラボメイトに相談にのってもらって、解決することもたくさんあります。
ボスのSethはアメリカ人ですが、日本が大好きで、日本酒をお土産で持って行くととても喜びます。学生やポスドクからのアイデアを非常に歓迎してくれて、そこから次の研究段階につながることがよくあります。研究で行き詰っている様子を見ると、逆に色々とアイデアを出してくれたりして、学生の状況に合わせてバランスを取った対応をしてくれるのはとてもありがたいです。実験が大好きな人で、忙しい中、無理矢理時間を作って、ラボコートを着て学生のスペースを借りて実験をすることが年に数日あります。
Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
アメリカに来てからの住まいは渡航前からしっかり準備しました。1年生からずっとキャンパス内の大学院生用の寮に住んでいるのですが、結構高倍率なので、4月の応募開始直後に応募しました。銀行口座の開設、携帯電話の契約、運転免許取得などはこっちに来てから、周りの人たちに助けてもらいながら、どうにかなります。
アメリカに来てから一番困ったことはやっぱり英語です。最初は日常会話についていくので必死でした。化学科の卒業規定として、最低2学期はTA(学部生用の授業のアシスタント)をしなくてはいけないのですが、留学生がTAをするには一定の英語水準を満たしている必要があります。TOEFLで基準点に達するか、もしくは学内の英語のスピーキングテストに合格する必要があるのですが、私のTOEFLのスコアは酷かったので、学内のテストを受けることになりました。これになかなか通らず、3回も受けました。これだけ聞くと、不安になるかもしれませんが、Yaleには留学生の英語を上達させるためのプログラムが充実しており、英語の授業を受けさせてくれたり、1対1のチューターをつけてくれたりして、無事に乗り切ることができました。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
もう4年目が終わるころなので、そろそろ卒業後のことを考えなくてはいけないのですが、正直、何をするのかまだはっきり定まっていません。でも、どんな選択肢を取るにしても、大学院で海外に留学した経験は貴重なものになると思います。5年間、テーマに打ち込んで、試行錯誤をして科学の最先端を切り開いていくことで得られたPhDは大きな自信になります。また、慣れない土地で慣れない言語を使い、大小様々な問題を解決して何かを成し遂げる経験そのものが今後の人生にとって大きな糧になると思います。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
大きな夢があって、それを実現するために海外に留学して学位取得に励んでいるような、はっきりと目標を持って留学している人は素晴らしいと思いますし、憧れます。私も是非そうありたいと思うのですが、残念ながらそうではありません。
先ほども書きましたが、「留学、いいな!」と比較的軽い気持ちで思いたち、それから色々と幸運に恵まれて留学が実現できました。アメリカに渡ってから、面白そう!と思える研究に出会い、今、PhD取得を目指し、日々研究に励んでいます。私は、大きな目標が定まっており、それに向かって一直線に進むというというよりも、目の前に与えられたものを必死にこなし、その都度その都度自分がいいなと思える選択肢を選んで少しずつ進んで行くような人なので、いろいろ悩むことは多いですが、留学したことを後悔したことはありません。
もし、留学したいな、でも、自分なんかそんな実力ないんだろうな、と思って尻込みしているのであれば、とりあえず挑戦してみればいいと思います。知らない土地で苦労することも多いですが、周囲にいる大学院生たちも同じような状況なので、時には一緒に悩んで、時には楽しく、気づいたら困難を乗り越えています。みんなが個々のアイデアを生かして、違った問題を違った手法で解決して、オリジナリティにあふれた自分の成果を作り上げていく。それが研究の面白さなのだと思います。なので、自分の心に素直に、いいなと思った選択をするといいと思います。
関連論文
- Takahashi, K.; Yamashita, M.; Nozaki, K. J. Am. Chem. Soc. 2012, 134, 18746. DOI: 10.1021/ja307998h
- Dong, G.; Teo, P.; Wickens, Z. K.; Grubbs, R. H. Science 2011, 333, 1609. DOI: 10.1126/science.1208685
- Hintermann, L.; Kribber, T.; Labonne, A.; Paciok, E. Synlett 2009, 15, 2412. DOI: 10.1055/s-0029-1217734
- Li, L.; Zeng, M.; Herzon, S. B. Angew. Chem. Int. Ed. 2014, 53, 7892. DOI: 10.1002/anie.201404320
- Zeng, M.; Li, L.; Herzon, S. B. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 7058. DOI: 10.1021/ja501738a
- Parr , B. T.; Economou, C.; Herzon, S. B. Nature 2015, 525, 507. DOI:10.1038/nature14902
- Zeng, M.; Herzon, S. B. J. Org. Chem. 2015, 80, 8604. DOI: 10.1021/acs.joc.5b01220
研究者の略歴
所属:
2011年-2012年:東京大学薬学部 天然物合成化学教室/福山研究室所属(理学学士)
2012年-現在:Yale Graduate School of Arts and Sciences, Department of Chemistry Herzon Group所属
研究テーマ:有機金属反応開発及び天然物合成化学
海外留学歴:4年