研究者以外のケミストリー(もしくはサイエンス)に関わるお仕事を積極的に紹介・応援するシリーズ「カガクのオシゴト」。もう1年前になってしまいましたが、前回はサイエンスコミュニケーターのお仕事を紹介しました。
第二回目となる今回は、名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)の比留川治子さんにインタビューさせていただきました。比留川さんは同研究所で「サイエンスビジュアリゼーション」というお仕事をしています。科学を素敵なイラストやCG、ムービーでわかりやすくかつ魅力的にみせる仕事です。
そんな科学を魅せる仕事に携わっている比留川さん。どういう経緯で今の仕事をはじめたのか。現在の仕事や、今後の目標などについてインタビューしました。それでは御覧ください。
デフラグの画面をみるのが好きな子供時代
−まずは現在の仕事に至る経緯を教えてください。できれば子供の頃から。
比留川 生まれは東京都多摩市出身です。サンリオピューロランドがあるところといえばわかるでしょうか?(わかりません)。そこで大学2年まで暮らしました。小学校の時から、パソコンが好きでメタセコイア(3Dモデリングソフトウェア)やシェイドでモデリングをして遊んでいました。暇な時はデフラグの画面をみて楽しんだり(笑)。
−(笑)。それって最近の人にも通じるんですかね?完全にデジタル・ネイティブですね。
比留川 そうなんです。とはいってもパソコンの中身というよりは、もっぱらデザイン系のことばかりでしたけど。高校の時はイラストレーターを使って文化祭のポスターやグッズなどをつくったもしていました。オリジナルキャラをデザインして業者に頼んでタオルハンカチなどのグッズに印刷してもらったり。
−今の仕事にいきなりつながってきますね。部活とかはやっていたのですか?
比留川 中学と高校は美術部に所属していました。それと生物部。美術と同じぐらい生物が好きだったんです。将来は生物の勉強も続けたいし、美術もやりたいと悩んでいました。
美術の大学に入ってみたが…
比留川 結局ぎりぎりまで悩んだのですが、高校卒業後、美術の道を選び、家から通える女子美術大学メディアアート学科に入りました。大学では3Gモデリングやイラストレーターなどの基本的な部分を改めて学びました。もちろん知らないことも多かったのですが、あまり上級者向けという感じでもなく、基本的な機能のみを教えて、あとは個人の興味にまかせる感じでした。あとはアニメーションをつくってみたりだとか。
-そうなんですね。ところで美大のこういう分野って誰が教えてるんですか?
比留川 NHKの映像系の出身の先生が多かったですね。何十年も働いて定年後に移るなど、映像系のプロの方が多かったです。そういう人の講義や実習も面白かったのですが、やっぱり生物のことが忘れられなかったんです。
−生物についても勉強していたのですか?
比留川 そうですね、講義が終わった後に図書館で生物の勉強をしました。あとは放送大学で生物系の単位とったりだとか。勉強していると生物へのあこがれが更に強くなり、最終的に意を決して生物の大学に編入しようと決めました。
生物を本格的に勉強したい
比留川 3年生から宇都宮大学農学部生物生産科学科生物学コースへ編入しました。名前からもとにかく生物ができそうじゃないですか?ただ、実際編入したはいいものの、美大からの編入だったので単位がとっても大変でした。編入時に変換できる単位が30単位ほどしかなくて(卒後単位は120-130単位ほど)。実際、講義は1限〜8限までとって必死でした。生物の講義はまだしも、一般教養的なものが足りなくて。例えば、卒論を書いている4年の後期に柔道の授業をうけてるという状態でした。
−それは大変ですね。では、希望の大学では、どんな研究をしたのですか。
比留川 研究室に3年生の終わりごろから所属しました。もともと微生物に興味があったので、植物病理学研究室を希望しました。植物に病気を引き起こす微生物を探す研究です。ファイトプラズマという植物に寄性して害を引き起こす細菌がいるんですね。大学内とか近隣などで、そのような状況がみられた際に、サンプルをもらってそこにファイトプラズマが関連していないか調べていました。
−えっ、それで細菌に感染していたことはあったのですか?
比留川 それがなかったんです(笑)。この研究は細菌に感染して、これまでに例がなければ研究が始まるのですが。4年生から1年間であったのでしかたがないところではありますが。
−そうですか。大学を卒後したあとは?
比留川 大学院に進学しました。柏キャンパスにある東京大学大学院の宇垣研究室です。結局多摩市から栃木、そして柏と関東を転々とする生活でした(苦笑)。
大学院からは同じ植物病理学ですが、細菌ではなくてウイルスの研究をしました。植物のなかでどのように細胞間を移動しているのか。ジェミニウイルスというウイルスの細胞間移行をウィルスに蛍光物質をつけて可視化、イメージングしたり。
アルバイトからサイエンスビジュアリゼーションへ興味
−完全に研究になりましたね。デザインとか美術への気持ちはなくなってしまっていたのですか?
比留川 いや、デザインは、先生も私の経歴を知っていたので、東大の研究科内で入試説明会のポスターをつくったりしていました。あと、学部横断型のサイエンスコミュニケーションのプログラムがあったので、行きたかったのですが、場所が本郷の方だったので先生からはそれよりも研究をやってほしいといわれ断念したこともありました。研究は面白いという気持ちはあったのですが、研究者としてやっていけるかという不安がありました。
でも、ここで就職してしまったら美大に行っていた時とあまり変わらない気がしていました。そこで、もうちょっと極めたいと思い、結局研究者になろうと思って博士課程に進学しました。その後、研究を続けたわけですが、残念ながら研究が思うようにいかず、また研究者としての続けていけるかという葛藤にかられたわけです。そこで悩んだ結果、自分の能力をいかせる職業を奮起して博士の2年に留学しますということで中退したんです。
サイエンスビジュアリゼーションのメッカに留学
−ここで研究からいまの仕事の流れにシフトしたわけですね。では、どちらに留学したのでしょうか?
比留川 カリフォルニ州立大学モントレーベイ校です。サイエンスイラストレーションで有名なところがカナダとアメリカにいくつかあるぐらいなんです。アメリカだとジョンズ・ホプキンス大学の修士課程。メディカルイラストレーション分野ではトップのところです。もうひとつはカナダのトロント大。本当はこれらにいきたかったのですが、修士課程だと2年間かかることと、応募の時期を逃したこともあって、1年間で学べる、カリフォルニア州立大学を選びました。
−ここにはいるにはどういうプロセスが必要なんですか?
比留川 学士の称号と志望同期などの書類、ポートフォリオ、推薦書3通を提出するんです。推薦書は宇垣先生と、美大の時の先生と、博士課程の時のバイト先の先生(坊農秀雅先生)に書いていただきました。実は坊農先生のもとで「Togo picture gallery」(ライフサイエンス分野の無料イラスト集)をつくるためにアルバイトをしていたことも、この道を進んだひとつのきっかけになりました。
−実際に留学してみてどうでしたか?
比留川 びっくりするぐらいハードでした。はじめはひたすら鉛筆画を描いたんです。毎日宿題、毎日講評会で何時間も議論する。家に帰っても何時間もひたすら書く。デジタル専門で手書きはあまりやっていなかったので大変でした。もちろんアナログ(手書き)だけでなくデジタル化するところも全力で。通勤する車の中で、教室行く前に塗りなおしたり。講義のギリギリまで。面白かったけどハードすぎて引きました(苦笑)。
−それを1年間すごしたんですね。
比留川 いや、実は授業は9ヶ月で、インターンを加えて1年でした。そのインターン先が、現在の所属のITbMだったんです。
インターン先を探して
−えっ!はじめはインターンだったんですか?
比留川 そうなんです。インターン先をどこにしうよかなと探していたら、ちょうど佐藤健太郎さんがTwitterで、ITbMサイエンスデザイナー募集中みたいなことをツイートしていて、これは私のためにある募集だと思って、急いで応募しました。
−なかなかの巡り合わせですね。それで日本に帰ってきたわけですね。
比留川 とりあえずスカイプで面接しましょうとなり、気に入っていただいたわけですが、インターンとしていかなければ卒業できないので。まずはインターンとして雇っていただきました。ですので、最初の三ヶ月はインターン、正式に”研究員”として働き始めたのは2013年の9月からでした。
現在のお仕事
−では、現在の仕事を教えていただけますか?
比留川 ITbMの研究者が出す論文の画像やカバーピクチャーをつくったり、プレゼン資料やポスターをつくったり。あとはホームページをつくったり、主にサイエンスを外にアピールするためのサポートです。実は分子はあまりわからない(忘れていた)ので、はじめは戸惑いました。いまでは慣れてきましたが。
ーそれらはどんなソフトウェアでつくっているのですか?
比留川 メインはAutodesk社のMaya(マヤ)というソフトですね。動かしやすいんです。サイエンスビジュアリゼーション分野だけでなく建築系でもよく使っているソフトウェアです。あと、教育用ですと安いですね。個人で購入すると数十万しますが、教育機関だと1万円ぐらいで買えちゃう。他にもCINEMA 4Dとか使いたいソフトがあるのですが、ちょっと高価ですね。
−今の仕事で研究費を申請してはいかがですか?ユニークなので通る気がします。
間接的にではありますが、それも既にやっています。通るかどうかはわかりませんが、通るといいですね。
−では、自分のイメージしていた仕事内容といまの仕事はどうですか?
比留川 まさに完璧に一致しています。いろいろ調べていて、大学やイラスト専門の出版社もあったのですが、丁度募集が締め切られていたり、なにかしっくりこなかったり。アメリカでフリーランスで働くという手もあったんです。友人にもアメリカの研究所で働いている人がいます。本当に偶然の巡りあわせでしたが、日本、特に大学では殆ど無い職業であったので、ここで働けることはとても嬉しいですね。
−確かに、いま現状では活躍されている方は数人居ますが、普通の就職!みたいな道がないのでそこを開拓するところから初めなくてはいけないのは大変だと思います。
比留川 現状、日本ではこのようなサイエンスイラストレーションの教育課程もほとんどないですからね。海外ではやはり教育課程があるのでフリーランスで働いている方は多く、仕事もあります。
行う側から指導者へ
−将来どうやってこのサイエンスビジュアリゼーションに関わっていきたいですか。
比留川 サイエンスイラストレーションの教育に携わりたいです。美大で思ったのは、絵がうまくて才能があっても、方向性を明確にすることができない。例えば、科学や情報などとタッグを組むことができたら、その術を学ぶことができたら、絵の巧さが生きてくるんです。そういうポジションに将来就きたいと思っています。
−教える側ということですね。それなら博士を取得したいところですね。
比留川 実は既に計画しています。例えば、名古屋大学情報科学研究科で博士をとりたいと考えています。いろいろ今の職もあるので、難しいところですが、とにかくサイエンスビジュアリゼーションを教える職業を創ることを夢見て、頑張りたいと思います。
−今後は化学(科学)を学ぶ学生のキャリアパスとしても重要なので、教育課程はつくられる方向に行くと思いますよ。
比留川 その時に向けて、いろいろ勉強していきたいと思います。
−では最後に読者へのメッセージと今後の豊富を。
比留川 海外だと、ダブルディグリープログラムがあるじゃないですか。メインがサイエンスでもそれ以外にアートとか心理学とかとれちゃう。それに憧れてたんですが、日本ではそれができないので紆余曲折してしまいました。いまは日本ではそれがないからオリジナルになれるのかもしれません。ただ、この分野でオリジナリティーといった面ではまだまだなので、常に勉強していきたいと思ってます。科学をひとに伝えるための方法論を究めたいです。勝手なことをいいますが、みなさんも、興味があればぜひ紆余曲折してでも一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
−−長い時間ありがとうございました。比留川さんの今後の益々のご活躍を期待したいと思います。
というわけで、今回はサイエンスビジュアリゼーションというお仕事とその仕事に従事している比留川さんを紹介しました。私も論文のカバーなどでお世話になり、サイエンスを魅せることの難しさと重要性を感じています。複雑系となった学問をわかりやすく表現するためには、今後とても重要な位置を占めていく職業になり得るのではないでしょうか。その道のプロとして走りだした、比留川さんを、ケムステでは応援したいと思います。
比留川 治子
1985年東京都多摩市生まれ. 桐蔭学園高校卒業後, 女子美術大学メディアアート学科へ進学, 3年次に宇都宮大学農学部へ編入する.
大学院から東京大学新領域創成科学研究科に進学し修士号を取得. 同大学院博士課程2年の時に自分に合った将来の道を模索することを決意し大学院を中退, カリフォルニア州立大学モントレーベイ校サイエンスイラストレーションコースに入学する.
卒業後, 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所でサイエンスデザイナー・イラストレーターとなる. サイエンスの研究を, アートを通じて活性化できるような活動を行っていきたいと思いながら日々奮闘中.
関連リンク
- 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所
- haru.co : 比留川さんのサイエンスイラストレーションのポートフォリオサイト
- Togo picture gallery
- 日本サイエンス・ビジュアリゼーション研究会
サイエンスビジュアリゼーション関連の有名人
- David Goodsell: スクリプス研究所。タンパク質を水彩で描く
- Janet Iwasa:ユタ大学。サイエンスアニーメーション関連
- Graham Johnson:UCSF。分子のビジュアライズツールの開発