昨年より精力的に公開している「スポットライトリサーチ」は、いよいよ充実を見せています。普段埋もれがちな若手にフォーカスした研究紹介ですが、若手のモチベーション向上に役だった、アピール活動への向き合い方が変わってきた、などなど各方面から好評を頂いており、有り難いことです。
これを受け、さらに幅広い範囲から若手有望株の話を集め、化学・研究に絡むリアリティをもっと多角的に紹介できる場があると良いと考えました。
そこで類縁企画として、「ケムステ海外研究記」を新しくはじめることにしました。端的には、化学分野で研究留学中(もしくは留学終了直後)の若手研究者を対象としたインタビュー企画になります。
これまでにもスタッフの留学体験記は公開していましたが、依頼寄稿の形にすることでより広範囲の情報集約を図っています。また、海外でチャレンジしている優れた若手化学者(の卵)を、国内でもビジブルにすることも意図しています。
ともあれ、例がないとイメージしづらいと思いますので、第1回目はケムステスタッフでもある私=塚本 翔大(Orthogonene)がまずは自らインタビューに答えてみました。(冒頭写真はUT Austinの公式HPから)
Q1. 現在、どんな研究をしていますか?
私は現在、テキサス大学オースティン校(UT Austin)のGuangbin Dong研究室に所属し、遷移金属触媒を用いた炭素-炭素結合の活性化法の開発と、それを鍵反応とする天然物合成を研究しています。(*追記: 2016年にGuangbin Dong研はシカゴ大学に移転しました。)
炭素-炭素結合は、炭素-水素結合と並んで有機化合物を構築する主要な化学結合の一つです。そのため、これまでに、アルドール反応・環化付加反応・クロスカップリング反応などに代表される炭素-炭素結合形成反応が、有機物合成のための強力な手法として用いられてきました。もちろん、現在も、様々な反応が開発されています。
一方で、炭素-炭素結合の切断(活性化)は破壊的な手法でしょうか?当研究室の答えは「No」です。我々は、炭素-炭素結合の切断を行い、これを経由した新たな炭素-炭素結合形成反応に着目しました。これまでの報告例[1,2,3]を踏まえて、当研究室では、炭素-炭素結合を遷移金属触媒(+有機分子触媒)によって切断・再構築し、複雑な炭素骨格を持つ有用化合物に変換する反応を研究しています。この手法は原理的に100%の原子効率でユニークな炭素骨格を構築し得る、極めて有用な反応です。我々はこの反応を炭素-炭素結合の「裁縫 (cut and sew)」と便宜的に呼んでいます。当研究室では
・分子の裁縫(=結合の組み換え)を様々な布(=基質)に対して実施すること
・様々な布に適用できるように裁縫道具(=触媒)を増やすこと
を目的とし、これまでに様々な裁縫反応を開発しています[4,5,6]。
Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?
学部3年生の時に学内の留学説明会にふらっと立ち寄ったことが留学を志すきっかけになりました。当時は留学などの異文化交流にもともと興味があったので留学説明会に参加したのですが、留学された先輩方の体験談を伺って、海外で研究しながら学位を取得できるということを知りました。海外で学位を取るなんて全く考えてもみなかったことなので、「そんな選択肢があるのか!」と相当な衝撃を受けたことを憶えています。まだ学部の卒業研究も始めていない時期でしたが、授業を通じて有機化学が大好きでしたので、海外で有機化学を学ぶチャンスだと思いました。
その後、私は修士課程まで日本の大学で学びました。学部では天然物の全合成研究、修士課程では光触媒・金属触媒を協奏的に用いたクロスカップリング反応の開発をそれぞれ行いました。この3年間の研究を通じて、創薬を志向した天然物合成の重要性と、有機合成化学の根本である新規反応開発の重要性を実感しました。さらに、その根本には新規触媒の開発が重要であることも学びました。
私は、3年間で得た経験をもとに、新規触媒・反応開発を更に深く学び、さらにそれを天然物の合成に応用できるような研究室を探すことにしました。そこで見つけたのが、現在私が所属しているGuangbin Dong研究室です。アメリカでは助教になってからおよそ5年後にテニュア(終身雇用資格)審査があり、これを取得できないと所属大学を去らなければなりません。出願当時、Dong先生は、まだテニュアを取得していませんでした。そのような研究室に所属することのリスクはありましたが、様々な新規触媒系を用いた炭素-水素結合活性化・炭素-炭素結合活性化と、天然物の全合成を研究分野としており、私の研究目的と合致したので思い切って留学を決意しました。
Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。
良かったこと
アメリカの研究室の構成員は、学位留学の大学院生(大半がアカデミック志望)が多く、研究に対して非常に熱心です。そのため、学生同士で互いに競い合って良い研究ができています。また、私の所属する研究室はアメリカや中国出身の学生・ポスドクが多いのですが、彼らはとても効率的に仕事をこなすので、研究スタンスについてかなり勉強になることが多いです。日本では夜遅くまで研究することが当たり前で、私もそうしていましたが、彼らは8−9時くらいにはラボに来ていて、効率よく仕事を終えると21時くらいには帰ってしまいます。私は彼らの研究スタイルの良いところを吸収することによって、自分の研究を以前よりも円滑に進められていると思います。
また、先ほど、指導教員がテニュアを取得していないという話をしましたが、実は去年テニュアを獲得し、研究室の存続が決まったのでとても嬉しかったです。また、教授昇進に伴い、所属大学がUT Austinからシカゴ大学に変わることになりました。アメリカでは日本よりも頻繁に人事異動があるようで、色々な生活・研究環境に身を置けるという点でとても楽しみです。
悪かったこと
日本にいた時と比べると、試薬を注文してから手に入れるまでに少し時間がかかります。しかし、普段からそれを見込んできちんと研究計画を立ててから試薬発注をすれば大きな問題ではないです。
また、住む地域にもよりますが、治安は注意した方が良いです。日本みたいに夜中歩き回っていて安全ということはありません。暗い小径を歩いたりしなければ安全ですが、なるべく早めに帰る・バスや車で帰るといった手段を取られた方が良いと思います。
Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?
私が住んでいるオースティンは市の真ん中にUT Austinがあるということもあって留学生が多く、様々な人種の方がいます。また、オースティンはアメリカの中では非常に治安が良く、現地の人は明るい人が多いです。スーパーの店員さんやタクシードライバーなどは「調子どう?」「学生さん?」というようにフレンドリーに話しかけてくださるので、そこから会話が弾むこともあります。
また、私の所属研究室は、とても和気あいあいとしています。ミーティングはご飯を食べながらしますし、その前にお酒を飲んでくる人もいます。かなりフランクに議論が行われるので、気軽に楽しめる感覚です。指導教員のDong先生は教育熱心で、いろんな学生のところに行っては、研究の進捗状況を聞いたり、一緒に新しい反応について一緒に考えたりします。私もアイデアを出すのは好きなので、「こんな反応やってみませんか?」「こんな触媒作ったら面白そうですよね?」と聞いてみるのですが、ポジティブに受け止めてくれて、フィードバックを与えてくれます。このような議論から次の研究テーマが決まることもあるようです。
Q5. 留学前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。
留学前にしっかりと準備したのはビザとアパートです。ビザは取得までに一ヶ月以上かかる場合があるので、大学院に合格したらすぐ応募した方が良いです。私はギリギリにやってしまいましたが、ビザが無いと肝心の留学ができなくなってしまうので余裕を持ちましょう(笑)。また、アパートの決定も慎重に行いました。アメリカではルームシェアが当たり前なので、仲良くできそうなルームメイトを探す必要があります。違う人種の人と住むと生活リズムや文化が違うので、戸惑うこともあるかもしれませんが、それも一つの学びとして楽しめるのではないでしょうか。当然一人暮らしも可能です。ルームシェアと比べると少しだけ値が張ります。
困ったことといえば、留学スタート時でしょうか。留学して最初の1ヶ月くらいは、生活スタイルの変化(食べ物や家)や文化の違い、思っていた以上に英語でのコミュニケーションが難しいことを体感して、少しストレスが溜まっていました(笑)。こればかりは「郷に入っては郷に従え」でどんどん溶け込んでいくのが良いと思います。特に、現地の人は英語を話すのが速いので、受け身になっていると何を言っているか分からなくて会話についていけないことがあるのですが(日本人特有?の笑ってごまかすことになってしまいます)、積極的に話せば向こうも理解しようとしてくれますし、自分が理解できる内容に持っていけば、英語も少しは聞き取りやすくなります。会話をしっかり出来た方が楽しいですし、英語も上手くなるので一石二鳥です。
Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?
将来は、有機合成化学の分野で研究者として海外でアカデミックポストに就くのが私の一つの目標です。人類の役に立つ物質を迅速に合成できる新規方法論・触媒の構築をしたいです。そのために、PhDで良い成果を挙げて、修了後はポスドクとして更に経験を積む予定です。そのためにも、化学だけでなく英語のスキルもこのPhD生活を通じて上達させたいと思っています。
Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。
実際に学位留学をして、同じ学問を違う文化の中で学ぶということは研究の視野を広げる上で大事なことだと感じました。そして、忘れてはいけないのは、「どこで学ぶか」ではなく、「何を学ぶか」ということです。私の場合は研究目的に合った研究室がたまたま外国にあったというだけで、日本にも素晴らしい研究室はたくさんあります。ですので、国を限らず、自分が興味ある一流の研究ができればそれに越したことはありません。学位留学をするのであれば、単純に海外に出ることが最優先の目的になってはならないと思います(もちろん、英語を話したいな、アメリカで短期間でも生活してみたいな、という好奇心は私も持っていていましたし、とても大切な気持ちだと思います!)。これから学位留学などの研究留学を志す方は、数少ない貴重な機会ですから、自分が最も興味ある研究が出来る場所を見つけられることを心よりお祈り申し上げます。
終わりに
いかがでしたか?
特に化学系の留学体験記は、とても数が限られていると感じます。留学を考える方は、必要な情報集めに苦労するのではないでしょうか(実際私もそうでした)。とりわけPhD取得を目指した化学系留学については、もっとたくさんの情報があればいいと考えます。留学経験に基づく記事が豊富にあれば、進路判断に有益であるとともに、留学への心理的ハードルも低くなるのではないでしょうか。
また、海外ラボの先端的内容や雰囲気、外国生活のリアリティは、日本で過ごす限りなかなか得がたい情報だと思います。これを読んで、少しでも海外での研究活動に興味を抱く人が増えれば素晴らしいと思います。こういった形で皆さんからの留学体験を集め、国際色豊かな内容を集約的に発信して行きたいと思います。後続の記事もお楽しみに!
関連論文・参考資料
- Murakami, M.; Amii, H.; Ito, Y. Nature 1994, 370, 540. DOI:10.1038/370540a0
- Suggs, J. W.; Jun, C.-H. J. Am. Chem. Soc. 1984, 106, 3054. DOI: 10.1021/ja00322a063
- Murakami, M.; Itahashi, T.; Ito, Y. J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 13976. DOI: 10.1021/ja021062n
- Xu, T.; Ko, H. M.; Savage, N.; Dong, G. J. Am. Chem. Soc. 2012, 134, 20005. DOI: 10.1021/ja309978c
- Ko, H. M.; Dong, G. Nature Chem. 2014, 6, 739. DOI: 10.1038/nchem.1989
- Deng, L.; Xu, T.; Li, H.; Dong, G. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 369. DOI: 10.1021/jacs.5b11120
*参考資料として
“C−C Bond activation”. Topics in Current Chemistry 2014, V 346. Editor: Guangbin Dong. DOI: 10.1007/978-3-642-55055-3
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研究者の略歴
[名前] 塚本 翔大(つかもと たつひろ)
[略歴]2012–2013年 東京工業大学・理学部化学科・鈴木•大森研究室に所属(理学学士)
2013–2015年 東京大学大学院・理学系研究科化学専攻・有機合成化学研究室(小林 修教授)に所属(理学修士)
2015–2016年 テキサス大学オースティン校・化学•生化学科PhDコース・Guangbin Dong研究室に所属
2016–現在 シカゴ大学・化学科PhDコース・Guangbin Dong研究室に所属
[研究テーマ] 遷移金属触媒を用いた炭素-炭素結合活性化の新規手法の開拓と天然物合成への応用 [海外留学歴] 10ヶ月