シアノ基は、様々な官能基に変換可能であるだけでなく、電子求引基として近接炭素の官能基化を容易にするため、医農薬品や機能性ポリマーの原料として広く用いられています。シアノ基を有するニトリル類合成法は、アルケンにシアン化水素を付加させる方法が主流です(図1)。しかし、この方法では高い毒性と揮発性、さらに爆発の危険性をもつシアン化水素を大量に用いる必要があります。
最近、ドイツマックスプランク研究所のMorandi教授らは、シアン化水素を用いないニッケル触媒によるアルキン–ニトリル相互変換反応の開発に成功しました。
“Catalytic reversible alkene-nitrile interconversion through controllable transfer hydrocyanation”
Fang, X.; Yu, P.; Morandi, B.;Science 2016, 351, 832. DOI: 10.1126/science.aae0427
アルケン–ニトリル相互変換反応の設計
著者らは、水素ガスの代わりにアルコールを用いてケトンを還元する水素移動反応を参考に、シアン化水素の転位反応を設計しました。
炭素–シアノ結合の金属触媒への酸化的付加、β水素脱離、配位子するオレフィンの交換、オレフィンへのヒドリドの挿入、還元的脱離による炭素–シアノ結合の形成を連続して行うことで、アルキン–ニトリルの相互変換を平衡反応にできるのではないかと考えました。
炭素–ニトリル結合への活性の高い0価のニッケル錯体(Ni(cod)2)、配位子としてビス[2-(ジフェニルホスフィノ)フェニル]エーテル(DPEphos)、強いルイス酸性を有する塩化ジメチルアルミニウムを共触媒とし、トルエン溶媒中加熱することで、望みのアルケン–ニトリル相互変換反応を実現しました(図2)。
本反応のポイント
- 有毒なシアン化水素が必要なく、また発生もしない
- ヒドロシアノ化だけでなく、脱シアン化水素反応も可能になりうる
- 単純な駆動力で平衡を偏らせることが可能になる
ヒドロシアノ化反応
副生物が気体として系外に放出されるようなニトリル類を用いることで、平衡を生成系に偏らせることに成功しています(図3)。
この方法では、通常のヒドロシアノ化が分岐体を与えることとは相補的に、直鎖状生成物が得られます。さらに、官能基許容性が高く、ヘテロ環をはじめ、多くの官能基をもつオレフィンに対して良好な収率でニトリルを与えます。そのため、合成終盤での適用が可能であり、セドレンやスクラレオールなどの天然物、及び、チロシンやエストロンのような生体分子でも高収率でのヒドロシアノ化に成功しています。また、ブチルニトリルを溶媒研反応剤として用いることで、低コストかつグラムスケールでのヒドロシアノ化にも成功しています。
逆ヒドロシアノ化反応
逆ヒドロシアノ化反応は熱力学的に不利であるが、ノルボルネンまたはノルボルナジエンといった環ひずみを有するオレフィンをシアン化水素の受容体とし、その環歪の解消を駆動力とすることで、平衡を偏らせることに成功してます(図4)。
1級、2級、3級ニトリルにおいても反応は良好に進行し対応するオレフィンを与えるようです。また、このオレフィン形成においてほとんど異性化生成物が観測されていません。一般にニッケル–ヒドリド種はアルケンの異性化を起こすことが知られているにもかかわらず、異性化がみられていません。
さらに、ヒドロシアンの受容体としてノルボルネンとノルボルナジエンのどちらを用いるかで熱力学的支配による生成物か速度論的支配による生成物かの作り分けが可能です。またDiels-Alder反応と組み合わせることで芳香族化合物の合成にも成功しています。
反応機構解析
初期的な反応機構解析として、重水素標識反応及び熱力学による反応解析を行っています(図5)。重水素化されたシアン化物によるヒドロシアノ化反応により、cisに重水素とニトリルを有するシアノ化物が得られたことから、重水素とシアノ基がsyn付加していることが明らかとなりました。また、4種類の反応物質を当量を変えて反応させても最終生成物の存在比がほぼ同じになることから、この反応は熱力学的平衡状態に落ち着くことがわかりました。
まとめ
今回Morandiらは、シアン化水素を用いない安全で実用性の高いアルケン–ニトリル相互変換反応の開発に成功しました。ニトリルの化学の発展を促し、ファインケミカルの生産においても利用される可能性があります。
一方で、量論量の副生物が生成してしまうために、すでにシアン化水素を利用している企業が使用するかどうかはなかなか難しいところです。今後は、不斉合成及び反応機構の解明が進められる中で、今回の反応をモデルにさらなるアルケンの可逆付加反応の開発が期待されます。