【2016/07/17追記】化学日報工業殿で、吉田顧問のインタビューが掲載されました。本件の詳細な取組み詳細が書かれていますので、是非ご覧ください(前編・後編)。
Tshozoです。今回、とある方の提言を見つけたのでご紹介いたします。(写真出典:ゴム報知新聞)
その方とは、日本化学会フェローであり、JSR、旧日本合成ゴム(Japan Synthetic Rubber)の先代社長で、現在同社の特別顧問でらっしゃる吉田淑則氏(以下、吉田顧問と記載します)が、2013年に日本化学会月刊誌の巻頭言に寄せられたものです。内容は非常に普遍性を伴ったもので今も全くその新鮮味を失っておりません。
以前こちらの記事(1, 2)でご紹介しましたが、半官半民の半国営会社としてスタートした同社。当時から国家的戦略物質であったゴムを供給するという根本使命に加え、昭和50年以降は電子材料・光学材料を新たな柱に据えつつ実質的に国家から離れて成長し、今や年間売上4000億円を超える巨大企業へと成長しました。
そのもう一つの柱である電子材料を、ほぼ発足当初から事業立ち上げを行い、研究開発アイテムから新商品を開発し、国内はもとより米国企業へ売り込みをかけ、競合他社に対する優位性を確保した中心人物こそ、この吉田顧問です。同氏をはじめ、JSRの急成長の時期に、同社の要職に就かれた方々をこの先端材料分野に放り込んだ(!)のは当時の経営陣でしたが、真に人を見抜く目があったのだろうと感じざるを得ません。
同社の電子製品・光学製品が活躍する主領域
同社社外資料から引用
今回は、その吉田顧問のご紹介とご本人が書かれた巻頭言としての内容のご紹介とそれについて思うことをブツブツと書いていってまいります。
どのような方か
吉田顧問は愛媛県ご出身で、今年で御年77歳。1964年に大阪府立大学大学院工学研究科修士課程を修了され、日本合成ゴム(当時名)に入社。取締役、研究開発本部副本部長、研究開発本部四日市研究所長、常務取締役、専務取締役、副社長などを歴任された後、2001年にJSRの社長に就任されます(のち、2010年に会長にご就任)。なお在社中にご出身の大阪府立大学で工学博士号を取得されております。
同氏の実績は最早述べるまでもないのですが、一番わかりやすいのがこの売上変遷図。
1980~2006年までの同社の売上変遷図
後述のRIETI(独立行政法人経済産業研究所)によるJSR研究資料から引用
1995年あたりには200億円未満だった多角化(電子・ディスプレイ・光学材料)部門の売上がたった10年で1500億円になっています。同分野における競合会社としてはレジスト分野では以前の記事で挙げた東京応化工業や信越化学、液晶用/光学フィルム関係では日本ゼオンや日東電工があるのですが、これらの企業と競合しつつ、先端材料の重要部材で極めて高い国際シェアを現在も維持するという離れ業を成し遂げた中心人物が吉田顧問です。
どのように事業を大きくされたのかは、RIETIにおける一橋大学経済研究所 中馬宏之氏による素晴らしい総説(こちら)をお読みいただくとして、今回紹介する文面は吉田顧問が事業の立ち上げ・イノベーションについてリーダたる経営者がどう取り組むかを述べたものになっています。
キーワードは”事業観”
さて本題。日本化学会の巻頭に提示された書面(リンクこちら)によると、国家が対応すべき環境整備に関する内容を除いた要旨は下記のようにまとめられると考えられます。
〇継続的イノベーション創出による収益確保と”勝ちの継続”こそが、持続的企業経営の本質
〇イノベーション創生の土壌は、経営者の事業観(事業構想力)と組織観、覚悟と決意である
〇1代の経営者のみで完了する活動ではなく、駅伝のように活動を継続し、「基礎価値観」を維持することが重要と考えられる
至極真っ当な内容と思われます。しかしこの「あたりまえ」が困難な組織体・企業体が如何に多いか、昨今の状況を鑑みるに×××()・・・
ともかく、最も重要なのは2点目。このイノベーションを成し遂げるための事業構想力=事業観とは、吉田顧問の実績を考慮すると「研究開発のタネから商売を創造する力、商売創出力」ということになるでしょう。これが、吉田顧問の言葉を採り上げると「技術開発に関する基本的な哲学」「価値獲得の戦略眼」「組織観」から成ると言われています。しかし、筆者はその言葉の最後にある「覚悟」(と運)が最も必要になる気がしております。
つまりどういうことか。
以前BASFの紹介をした際に下記の図を示したと思うのですが、商売創出とは1000個研究開発のタネを蒔いても繋がるのは数個出ればいい方。むしろ商品化できれば御の字で、実際に何も出ないというケースも有り得るわけです。
BASFが企業での研究について述べた資料から引用(こちら)
もともとはザンクトガレン大学経済学部 グロスマン教授の実データに基づく
このように、特に組織から新事業を立ち上げるというのは多分に失敗のリスクを抱えることと同義であり、血族でない限り自身のキャリアを危険に晒すリスクがついてまわります。ひと昔前ならともかく、出世に特段の無謬性が求められる現状では、責任の押し付け合いや成果の強奪等の現実を超越した「キャリア自体を意識しない覚悟」が必要になり、ある意味、「人間、命は一つ」的な、腹が据わっており極道的な迫力がある方にしか成し遂げられないことだからこそ、事業化の成功というのは貴重な事例なのではないでしょうか。色々な機微を嗅ぎ分けられる才覚自体も戦略眼には含まれるのでしょうけど。
基礎価値観の共有
また、3点目も重要です。クレハで社長を勤められた故 岩崎隆夫氏が言われていたこととも共通点があるのですが、以前少し述べたポリグリコール酸の合成(こちら)について、
「継続的な収益を生む事業を育てるには、大体30年のロングレンジが必要」
「その中で研究員たちは駅伝のように成果のタスキを渡していかなければならない」
と述べられていました。成果のタスキを渡すということは、技術開発の価値観を継続・共有することでもあります。これも、難しい。長い時間や環境変化によって、折角の理念や価値観が「お題目化」することがあり得るからです。会社の目標とか、お寺のお経とかも基本的にはお題目で、その精神、価値観を継ぐ環境と努力をしないと途中の道で迷うかお題目が目的化することになります。
これに対し、JSRは、その根源はゴム屋さんです。タイヤ、サンダル、ベルトなど、あらゆる種類のゴムを供給していました。そして現在も、世界最大のタイヤメーカであるブリジストンへゴム原料を供給しています。この点はあまり喧伝されていませんが、電子材料に歩みを進める現在もなおその基盤技術を決して揺るがさず、今なお新規の触媒開発や燃費向上のための技術を継続的に実施されています。実際こうした取り組みを元に精密重合技術や合成技術、そして品質管理能力が研かれ、電子材料でも基礎となって生かされた点は技術開発の本尊ともいえます。このように落下傘的に新分野に突撃するのではなく、現在保有する技術を元に、半歩歩みをフロンティアへ進めることが価値観を継ぐことであり、イノベーションの第1歩になるんではないかというのが筆者の勝手な言い分ですが、同社の電子分野への進出はまさにその体現だったのではないかと思います。
同社の基礎技術である、ゴム/樹脂製品群
同社の社外発表資料より引用
なお、これが組織内のつまんないイザコザや権力争いで表面的に言語だけ繋ぐようになってしまってはとてもそんな事業を有無どころではない。ニーズが固定化している業種ではまぁ組織”だけ”は繋がるのですが、その実態が腐敗することは徳川幕府の例を見れば一目瞭然ですね。
その他の観点・組織運営について
以上は技術的な視点からですが、社内の抵抗勢力、同調しない人たちをどうやって巻き込むかについては技術的なことよりも根本的な問題を含んでいます。つまり必ず発生する人間の「性」や「好き嫌い」が関係する話であり、結局反対したり無理だと弱気になったりする人の方が多い。というか8割がた反対するでしょう。組織内で敵をつくることほど怖いことは無いというのが体験的な話です。
ともかく、これに対し任天堂の故 岩田社長が言われていたこと(参考記事:こちら)で、この社内のベクトルを合わせるということにつき、興味深い発言があります(一部要約)。
「「これからはこうだと思うんだよ,俺(社長)はこうするぞ!」って言ったら,100人の人がいたら,20人ぐらいは「その通りだ!」と思ってすぐに走り出す人がいて。20人ぐらい,「うまくいかないんじゃないの?」と言う人がいて(中略)。問題は残りの6割の人。この人たちはどちらにも強い思いはないんだけど,彼らがどこまで動くかで,物事が一気に進むかどうかが決まると思うんです。
例えば,何か新しい挑戦をしようとするじゃないですか。(中略)で,頑張って努力していると,残りの6割の中で,ちょっとずつ賛成派が増えていくんですよ。(中略)その人数が全体の1/3くらいになった瞬間が臨界点で,一気にムードが変わる。(中略)逆に,新しい試みの多くが失敗する理由は,その2割が33%になるまでの時間がない,(又は)待てないからなんです」
分野は違えど、吉田顧問も今回紹介した文章の後半に同様の趣旨の文章を載せていることから、技術的な部分のかじ取りに加えこうした人間関係をかじ取りするには相当の苦労があったのだと推察されます。それを超越して事業化を成功された本当の根本は筆者レベルには窺い知ることは出来ないのですが、やはり上記の岩田社長のことばにあるような人を動かせる「リーダーシップ」、つまりこの人の言うことなら面白そうだ、この人にならついていこうと思わせる迫力があったからなのではないのかと推察しています。
まぁどこかの組織のように、上手くいった瞬間その成果を全部横取りするような輩が居る場合にはこんな爽やかなことなんざ有り得ませんけど。
おわりに
蛇足ですが、筆者が化学に興味を持ち続けていられるのも、旧日本合成ゴム時代に催された色々なイベントでお世話になったからこそです。残念ながら吉田顧問に直接お目にかかったことはないのですが、同社が1990年あたりから凄まじい勢いで成長された重要な時代に、同社の関係者の近傍に居れたことがよい思い出として残っているため、その恩返しの意味も込めて本記事を書いた次第です。もちろんこうした成功談だけでなく同社内で色々なことがあったことは筆者も理解しており、そこらへんは少し複雑な感情があるのですが・・・。
残念ながら現在同社は「数字上は」停滞期に入ったもようで、電子材料の次の新規分野はかなり難産になっているようです(トリケミカル社との資本提携解消や、JMエナジーでの多額損失発生、以前紹介した燃料電池系材料の不振など)。しかし、これも産みの苦しみなのでしょう。吉田顧問がずいぶん前にどこかの書籍のインタビューで語っていたことを覚えている形で書くと、同社の現在の中核である『電子材料分野も、最初期は「売上0円」という年次も存在した』、というのですから。
同社がこうした苦難の時期を乗り越え、今後益々発展していって、筆者のような近隣の者も含め化学についても人生についても、出来るだけ多くの人たちに楽しい思い出を与えていただける機会が増えるよう、心から願ってやみません。
それでは今回はこんなところで。