有機化合物の化学的性質を、効果的に変える手法の一つとして、「化合物中の炭素原子を他の元素に置換する」アプローチが、長年、注目・開発されてきました。
例えば、ヘテロ原子を芳香環骨格に導入することで、化合物の芳香族性やHOMO及びLUMOのエネルギー準位、イオン的性質(中性・カチオン性・アニオン性)などを制御でき、目的に応じて、対応する有機芳香族化合物群に特異な性質を与えることができます[1](以前のつぶやき)。
ボラベンゼン
ボラベンゼン1は、ベンゼン中の一つのCH部位をホウ素原子に置き換えた分子です(下図)。ホウ素は価電子数が炭素よりも一つ少ないため、ボラベンゼン内のホウ素は六員環面内に空のsp2軌道を持つことになります。その結果オクテット則を満たさず、安定な化合物として単離することは難しいと考えられ、中間体としての存在が提唱されるに留まっています。
この化合物を安定化するには、単純に、ホウ素上の空の軌道に電子を供与しちゃえばいいってことは想像に容易く、実際に、中性なルイス塩基やアニオン性置換基を導入した化合物2,3が単離されています[2,3]。ルイス塩基による安定化は、ボラナフタレン4やボラアントラセン5にも適応でき、X線結晶構造解析によってこれら化合物の分子構造まで明らかにされています[4,5]。
では、ホウ素上に空の軌道を残したまま、ボラベンゼン骨格を有する化合物を発生させることは不可能なのでしょうか?
塩基フリーアザボリン
ごく最近、ドイツTubingen大学のHolger Bettingerらのグループによって、塩基フリーなホウ素をベンゼン骨格に持つ化学種の発生と直接観測に関する論文が報告されていたので紹介したいと思います。
K. Edel, S. A. Brough, A. N. Lamm, S.-Y. Liu, H. F. Bettinger.
Angew. Chem. Int. Ed. 2015, 54, 7819 –7822, DOI: 10.1002/anie.201502967
未だその存在が確認されたことが無い化合種への挑戦、みなさんならどのようにアプローチしますか?
著者らが用いた手法とは、分子間ではなく、分子内の電子相互作用によって、ホウ素上の空の軌道を安定化するというもの。即ち、ホウ素に隣接する原子として窒素を環骨格に導入し、環面内に位置する窒素上の孤立電子対を利用することによって、分子の安定化を試みています。
まず、シリル基を窒素上に、またCl基をホウ素上に持つ化合物6を出発原料とし、窒素雰囲気下でflash vacuum pyrolysis(FVP)によって脱クロロシリル化することによってジアゾニウム類縁体7を合成しています。
7に対しては、窒素分子がホウ素の空の軌道に配位している極限構造7’を描くことができ、メタルフリー中性分子による窒素固定(?!)の観点から、興味深い化学種です。もちろん、混成によって軌道のHardness-softnessは変わりますが、電子求引基を三つも持ち、ルイス酸性が非常に高いことで知られるB(C6F5)3でさえ、窒素分子との結合性相互作用は実験的に直接観測されていないことから、空のsp2軌道ってやつが如何に高いルイス酸性を示すか、を表している結果ですね。このホウ素ー窒素分子間には、6.0 kcal/molの結合性相互作用があると、理論計算によって見積もられています。
さらに著者らは、Arマトリックス中、化合物7に高圧水銀ランプで光照射(λ>395nm)することで、脱窒素化した化合物8をで発生させ、IRスペクトルで直接観測することに成功しています。化学種8の分子構造を理論計算によってシュミレーションした結果、ベンゼンと異なり、歪んだ六員環骨格を持つことが分かりました(下図)。
C-N-Bの結合角を小さくすることで、窒素上の孤立電子対を収容する軌道のs性を上げてエネルギー準位を下げ、一方で、N-B-C結合角を広げることでホウ素上の空軌道のp性を高めエネルギー準位をあげているのでしょう。結果、きれいな6員環骨格を持つ状態よりも、分子が相対的に安定化していると考えられます。
また、HOMO-1に窒素上の孤立電子対に対応するn軌道が、LUMOにホウ素上の空のn*軌道がそれぞれ確認できており、NBO計算によってn(N)→n*(B)の電子供与による安定化エネルギーは、27.6 kcal/molと見積もられています。この分子内のn(N)→n*(B)安定化(下図8b)は、窒素-ホウ素原子間の結合性相互作用を増分させるため、化合物8はアザボリンのベンザイン類縁体(下図8c)とみなすことができます。
ところが窒素-ホウ素間は三重結合性を示しておらず(結合次数: WBI = 1.46)、実際には8aおよび8bの共鳴構造の寄与が大きいと、著者らは結論付けています。
ベンザインが、三重結合ではなくクムレンタイプ(C=C=C=C)の結合様式を含むことが最近報告されており(外部リンク参照)、六員環骨格を保持したまま隣接原子間で三重結合をつくることは、相当難しいのでしょう。
さらに著者らは、化合物6の脱クロロシリル化を二酸化炭素雰囲気下で行うことで、CO2が付加した二環式化合物9が得られることも確認しており、8が様々な分子と反応し得る興味深い化学的性質を持つことも明らかにしています。
化学分野にはいろんな発展過程があると思いますが、典型元素化学のそれにおいては、次のような流れを頻繁に目にします。
誰かの頭んなかで想像(誕生)→活性種として観測(存在確認)→安定に単離(入手)→ 応用へ展開(利用)
想像の段階が筆者は一番たのしいのですが、そこへ、化学的に新しいコンセプトを加えることができれば、独創的な研究のさきがけになると思います。未知化学種の発生と観測に成功した今回の報告、このような成果の積み重ねは、間違いなく新しい分野を切り開くことに繋がることでしょう。
参考文献
- P. G. Campbell, A. J. V. Marwitz, S.-Y. Liu, Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 6074, DOI: 10.1002/anie.201200063
- (a) G. E. Herberich, H. Ohst, Adv. Organomet. Chem. 1986, 25, 199; DOI:10.1016/S0065-3055(08)60575-4
b) G. C. Fu, Adv. Organomet. Chem. 2001, 47, 101; DOI:10.1016/S0065-3055(01)47010-9
c) X. Zheng,G. E. Heberich, Organometallics 2000, 19, 3751, DOI: 10.1021/om000532o - 化合物3の高周期類縁体の例: a) T. Nakamura, K. Suzuki, M. Yamashita, Organometallics 2015, 34, 1806, DOI: 10.1021/acs.organomet.5b00310; b) T. Nakamura, K. Suzuki, M. Yamashita, Organometallics 2015, 34, 813. DOI: 10.1021/acs.organomet.5b00073; c) T. Nakamura, K. Suzuki, M. Yamashita, J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 9276. DOI: 10.1021/acs.organomet.5b00310
- R. Boese, N. Finke, J. Henkelmann, G. Maier, P. Paetzold, H. P. Reisenauer, G. Schmid, Chem. Ber. 1985, 118, 1644, DOI: 10.1002/cber.19851180431
- T. K. Wood, W. E. Piers, B. A. Keay, M. Parvez, Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 4009,
DOI: 10.1002/anie.200901217
関連書籍
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関連リンク
- FVP (flash vacuum pyrolysis): a) C. Wentrup, Aust. J. Chem. 2014, 67, 1150, DOI: org/10.1071/CH14096 ; b) Baran’s group meeting report (PDF)
- Recent paper on imaging of aryne: a) N. Pavliek, B. Schuler, S. Collazos, N. Moll, D. Perez, E. Guitian, G. Meyer, D. Pena, L. Gross, Nat. Chem. 2015, 7, 623, DOI: 10.1038/NCHEM.2300; b) Article in Chemisty World ;
c) Movie