[スポンサーリンク]

一般的な話題

史上最も不運な化学者?

[スポンサーリンク]

化学の黎明期は新元素発見により飛躍的に発展してきました。新元素の発見者は後世に永遠に語り継がれることになりますので、この上ない名誉と言えます。

それでは最も多くの新元素を発見したのは誰でしょう?

希ガス元素を芋ずる式に発見したウイリアム・ラムゼー?アルカリ金属などを続けざまに発見したハンフリー・デービー?放射性元素を発見したマリ・キュリー

いずれも化学の教科書に載っている偉大な化学者達で、数種類の新元素を発見しています。しかし彼らを凌駕する数の元素を発見した(かもしれない)のに、あまり知られていない不遇の化学者がいます。

その名もカール・ヴィルヘルム・シェーレ。なぜ彼の名はそこまで轟いていないのでしょうか。

 

 

scheele_5Scheeleの肖像が入った切手(画像は文献より)

ケムステ読者の皆様でしたらシェーレなんて知らんという方はいないのかもしれませんが、高校生に聞いたらほぼ認知度ゼロではないかと思います。シェーレの名にちなんだ元素もありません。なぜこのようなことになってしまったのか少し考えてみましょう。

その前にシェーレの元素発見に関する業績について振り返ってみたいと思います。

シェーレは少なくとも6つ、すなわちバリウム塩素モリブデン酸素窒素タングステンの発見に関わっています。

 

まずは塩素です。1774年にシェーレは新しい物質として「脱フロギストン海塩酸気(dephlogisticated muriatic acid air)」を発見しました。海塩酸(muriatic acid)とは現在でいうところの塩酸です。当時はびこっていたフロギストン説によって元素の概念は混迷を極めていました。シェーレもその波にもまれ、フロギストンの有無について考慮した命名になっています。

MnO2 + 4HCl → MnCl2 + 2H2O + Cl2

塩酸の酸化で得られたことから、シェーレはここで得られた気体には酸素が含まれていると考えてしまい、(実際にはCl2だったのですが)この酸化物をmuriaticumと名付けました。

rp_davy_medal.gifDavy Medal

それから約40年後の1810年、英国のハンフリー・デービーはこのmuriaticumは酸素を含まない単体であることを「発見」し、塩素と名付けました。こういった経緯から塩素の発見者としてはシェーレとデービーが語られることはありますが、彼が命名したmuriaticumという言葉は、現代ではnatrum muriaticumというレメディーとしてホメオパシーというインチキの中にしか残っていないのです。

しかもこの際用いた古代からの色素であった二酸化マンガンに新しい元素、マンガンが含まれていることにもシェーレは気付いていた節があります。しかし還元することができず新元素発見には至りませんでした。1774年に同郷のJohan Gottlieb Gahnが炭素を用いて不純ではありましたがマンガンを得ることに成功し、マンガンの発見者としてその名を残しました。

Scheele was somewhere on a scale between quite unfortunate and the unluckiest chemist ever to walk the Earth.

Priestly_1Prietley

次は酸素です。1772年シェーレは酸化水銀に種々の硝酸塩を作用させると、「火の空気」が得られる事を発見していました。しかし何故かこの発見を直ぐには発表しませんでした。その間に1774年には英国のジョセフ・プリーストリーが「脱フロギストン空気」として現代で言うところの酸素を発見してしまい、プリーストリーが発見者とされてしまいました。全く別々の発見でしたが、正にpublish or perishとなってしまいました。後日ラボアジェが酸素の発見者としてはシェーレとプリーストリーが別々に貢献したことを言及しましたが、ラボアジェに宛てた手紙でシェーレは自身の実験機器が不足しており、ラボアジェに実験を依頼していたという経緯がありました。

続いて窒素です。窒素は1772年に英国(スコットランド)のダニエル・ラザフォードが発見したとされています。しかしほぼ同時にシェーレ、キャベンディッシュも同様の発見をしています。空気にカリウムの硫化物、チオ硫化物などの混合物を作用させ、酸素を除く事で窒素が得られる事を見出しており、特にキャベンディッシュは窒素の単離法をも記述しています。しかし彼らもラザフォードほど早く発表しませんでした。

 

バリウムモリブデンはどうでしょうか。酸化バリウム中に新元素が含まれている事にシェーレは気付いていました。しかし当時の手法でアルカリ金属、アルカリ土類金属を得る術はなく、34年後デービーが電解を用いてバリウムの単離に成功し発見者の栄誉に輝くのです。

Molybdenite , Rare Metalmolybdenite

シェーレは1778年モリブデンについても輝水鉛鉱、molybdena(現代のmolybdenite, MoS2)という鉱物はgalena(PbS)とは異なっており、新元素が含まれる事を示し、これにmolybdenumという名称を与えました。友人であるPeter Jacob Hjelmが1781年に酸化物を石炭で還元する事でモリブデンの単離に成功しています。

 

最後はタングステンです。1781年にシェーレは灰重石(CaWO4)からタングステン酸(現代の酸化タングステン(IV))を得る事に成功します。ちょっと混乱しますがシェーレは灰重石の名称としてtungsten(重い石の意)を与えました。1783年スペインのエルヤル兄弟がタングステン酸の還元によって単体を得る事に成功し、タングステンの発見者としてクレジットされています。名称はタングステンですが、元素記号はWでありこれはドイツ語のwolframからきていることは以前にも紹介した通りです。

 

ここで全国のシェーレファンの皆様に朗報です!元素名にシェーレは使われていませんが、上述の灰重石の名称として1821年にKarl Caesarが「scheelite」とすることを提案し、現在でもそれが使われています!

sheele_1sheeliteは永遠の輝き(画像は文献より)

元素名ではなく鉱物に名を残すというのも少し微妙ですか?実はもう一つありまして、Scheele’s Greenという緑の色素として一時大流行したものに名が残っています。有機化合物で緑といえば葉緑素ですがご存知の通り直ぐ退色するなど、天然由来の緑色色素は結構珍しいです。このシェーレが合成した通称シェーレグリーンの組成はCuHAsO3であり、お察しの通り非常に毒性が強く、恐らく多くの人を死に至らしめたと考えられます。その中にはシェーレ自身も含まれているのかもしれません。

scheele_2かのナポレオンもScheele’s Greenの犠牲者だという説もあります。

好奇心旺盛だったシェーレのこと、自ら合成した化合物は臭いを嗅いだり、味見したことでしょうから・・・シェーレは1786年、43才の若さでこの世を去ってしまいました。

If he had lived a longer life his genius might be better stamped into chemical history.

歴史にIfは禁物ですが、もしシェーレがもっと長生きしていれば、もっともっと多くの化合物や元素を発見していたに違いありません。燦然と輝く史上最も偉大な化学者として教科書の表紙を飾ったのではないでしょうか。

 

さて、ここまで不運、不遇な化学者も珍しいのではないかと思います。なんかちょっと惜しいというのがあまりにも多いです。一つの不運は、彼が生まれるのが早すぎたことではないかと思います。バリウムの単離のように当時の技術では到底不可能だったものもあります。あと一つ挙げられるのは功を急がなすぎたことでしょうか。やはり科学では得られた結果はきちんと公にしておくことが重要です。蓋を開けてみれば、そんなの気付いてたよとか、それやろうと思ってたんだよねとかいう論文に遭遇することはありませんか?自分ではオリジナルだと思い込んでいても、世界にはきっと同じような事を考えている研究者が3人はいるといつも肝に銘じておきたいものです。

 

このような不運な物語を読めば、皆様がいかに恵まれているかという気持ちになりましたよね?

今回のポストはお馴染みNature Chemistry誌よりBruce C. Gibb教授のthesisを参考にさせていただきました。前回のはこちら

Hard-luck Scheele

Gibb, B. C. Nature Chem. 7, 855–856 (2015). doi: 10.1038/nchem.2379

 

 

関連書籍

[amazonjs asin=”462108917X” locale=”JP” title=”歴史を変えた100の大発見 元素 周期表にまつわる5万年の物語”] [amazonjs asin=”4254102178″ locale=”JP” title=”元素発見の歴史〈1〉”] [amazonjs asin=”4759814388″ locale=”JP” title=”元素検定”]
Avatar photo

ペリプラノン

投稿者の記事一覧

有機合成化学が専門。主に天然物化学、ケミカルバイオロジーについて書いていきたいと思います。

関連記事

  1. 蛍光標識で定性的・定量的な解析を可能に:Dansyl-GSH
  2. 第98回日本化学会春季年会 付設展示会ケムステキャンペーン Pa…
  3. 化学者の卵、就職サイトを使い始める
  4. 日本国際賞受賞者 デビッド・アリス博士とのグループミーティング
  5. 最近の有機化学注目論文3
  6. シクロカサオドリン:鳥取の新しい名物が有機合成された?
  7. CO酸化触媒として機能する、“無保護”合金型ナノ粒子を担持した基…
  8. 第37回ケムステVシンポ「抗体修飾法の最前線 〜ADC製造の基盤…

注目情報

ピックアップ記事

  1. 美しきガラス器具製作の世界
  2. 結晶格子の柔軟性制御によって水に強い有機半導体をつくる
  3. 教養としての化学入門: 未来の課題を解決するために
  4. 第五回ケムステVプレミアレクチャー「キラルブレンステッド酸触媒の開発と新展開」
  5. 還元された酸化グラフェン(その1)
  6. Merck Compound Challengeに挑戦!【エントリー〆切:2/26】
  7. 有機溶媒吸収し数百倍に 新素材のゲル、九大が開発
  8. マクマリーを超えてゆけ!”カルボニルクロスメタセシス反応”
  9. ダイヤモンド半導体について調査結果を発表
  10. 産総研より刺激に応じて自在に剥がせるプライマーが開発される

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2015年11月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

注目情報

最新記事

7th Compound Challengeが開催されます!【エントリー〆切:2026年03月02日】 集え、”腕に覚えあり”の合成化学者!!

メルク株式会社より全世界の合成化学者と競い合うイベント、7th Compound Challenge…

乙卯研究所【急募】 有機合成化学分野(研究テーマは自由)の研究員募集

乙卯研究所とは乙卯研究所は、1915年の設立以来、広く薬学の研究を行うことを主要事業とし、その研…

大森 建 Ken OHMORI

大森 建(おおもり けん, 1969年 02月 12日–)は、日本の有機合成化学者。東京科学大学(I…

西川俊夫 Toshio NISHIKAWA

西川俊夫(にしかわ としお、1962年6月1日-)は、日本の有機化学者である。名古屋大学大学院生命農…

市川聡 Satoshi ICHIKAWA

市川 聡(Satoshi Ichikawa, 1971年9月28日-)は、日本の有機化学者・創薬化学…

非侵襲で使えるpH計で水溶液中のpHを測ってみた!

今回は、知っているようで知らない、なんとなく分かっているようで実は測定が難しい pH計(pHセンサー…

有馬温泉で鉄イオン水溶液について学んできた【化学者が行く温泉巡りの旅】

有馬温泉の金泉は、塩化物濃度と鉄濃度が日本の温泉の中で最も高い温泉で、黄褐色を呈する温泉です。この記…

HPLCをPATツールに変換!オンラインHPLCシステム:DirectInject-LC

これまでの自動サンプリング技術多くの製薬・化学メーカーはその生産性向上のため、有…

MEDCHEM NEWS 34-4 号「新しいモダリティとして注目を浴びる分解創薬」

日本薬学会 医薬化学部会の部会誌 MEDCHEM NEWS より、新たにオープン…

圧力に依存して還元反応が進行!~シクロファン構造を活用した新機能~

第686回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院理学研究院化学部門 有機化学第一研究室(鈴木孝…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP